とある名医が師匠と呼ぶ女についての述懐7
「……病室?」
目を開ければ、やけに見慣れた場所に似た景色。ぐるりと眼球を動かせば、入院施設のような、飾り気がなく機能的な部屋だった。
「天国にしては殺風景だな」
死んでも仕事場に戻されるとか、職業病にしても酷い話だな。ここで働けってことか?
などと考えていたら、ガチャ、と部屋のドアが開いた。
「エディさん失礼しますねぇ〜っと……え?」
のんびりと入ってきた知らぬ顔の女性に顔を向けると、驚愕された。彼女が手に持っていた桶は大きな音を立てて床にひっくり返り、その上にはらりと数枚の布巾が重なる。
「え?え?え?えええっ!?起きてる!?ずっと寝てたのに!」
僕のベッドに駆け寄ってきた彼女が目をまんまるにして叫ぶ言葉に、なんとなく自分が病人としてここにいるらしいと察して、僕はへらりと笑ってみた。
「あ、えっと……お世話になって、ます?」
「せ、せんせぇええええっ!奇跡ですぅうううう」
ご挨拶したつもりが、お返事は頂けず、彼女は絶叫しながら部屋を飛び出して行った。
「五〇九号室のエディさんがぁあああ!目を開けて話してますぅうううう!!!」
「あらぁ?……どうなってるんだ?」
ベッドに取り残された僕は、枕の上で首を傾げた。
「まさか目を覚ますとは思わなかった」
連絡を聞いて駆けつけた兄弟子は、泣き笑いの顔で言った。
なんでも、僕は五年間ほど寝ていたらしい。
「先輩のおかげですよ、ありがとうございます」
僕を治療してくれたと言う兄弟子に、僕は笑みを浮かべて心から感謝した。
五年前、僕が死にかけた時。
言うだけ言って気を失った僕にブチ切れた師匠は、魔道具を僕自身の魔力を使うように無理矢理に回路を変更して、その場で無謀にも僕の胸を切り開いたそうだ。そして驚くべきことに、数少ない器具でなんとか血管の傷を縫ったらしい。なんで縫えるんだ。
そして、駆けつけた兄弟子に僕を託した……というか、放り投げたのだ。
「あとは任せた!死んでもいいから出来るところまで頑張って!脳にはなるべく血を送るのよ!」
「ええええっ!?」
血走った目で言われて、兄弟子は絶望したそうだ。
なにせ、目の前にいるのは、血まみれの地面の上に胸が開いたまま横たわり、豪胆すぎる応急処置のみが施された弟弟子だ。
「こんな凄まじい量を出血したのに?脳に送る血液もないのでは……?」
相変わらず師匠の要求は無茶苦茶である。とはいえ有能な兄弟子は、泣きそうになりながら、師匠の指示に忠実に処置を続行してくれたそうだ。
おかげで僕は一命を取り留めた、というわけである。
いやぁ、聞くだけで血の気が引くような話だ。一か八かの大博打すぎる。
地面で開胸して、よく感染しなかったなぁ。師匠秘伝の化膿止めでも使ってくれたのだろうか?
後世に書き残しても絶対信じてくれ無さそうな話だ。
ちなみに予想通りというか、僕の治療に拘っていたせいで、やはり救助と治療に遅れが生じたらしい。
今も師匠は、当時のことを一生の不覚としているとのことだ。
兄弟子に聞いて、思わず笑ってしまった。
「だから言ったのに」
助かる可能性が低いにも関わらず、助かりそうもない僕を救おうとしてしまったことが、一生の不覚か。光栄なことである。
でもまぁ、即死以外の死者は、災害の規模に比してごく少数だったそうだから、許容範囲内だろう。
そもそもたまたま師匠が滞在していなければ、おそらく何十人、いや、何百人単位の死者がでていただろうし。
さて。
まぁ予想の範囲内だが、身体に相当なダメージを負ったうえに、魔道具で自己魔力を使い尽くしていた僕は、外傷への治療を終えてからも、全く目を覚ます気配がなかった。
魔力はほぼ枯渇し、呼吸をするのが精一杯。衰弱死を待つばかりの僕を見て、誰もが「もうダメだ」と思ったと言う。
だが、僕を可愛がってくれていた兄弟子は諦めきれなかったらしい。
研究施設でもある僕らの診療所に搬送した後、兄弟子は独断で、僕が構想を練っていた試作段階の魔力循環式延命装置を僕に取り付けたのだ。
実際に実験できる機会なんて滅多にない、どうせ死ぬならばこいつは実験台になりたいはずだ、と豪語して。
さすが僕をよく知る人である。
おかげで、僕は僕の体をもって、とんでもなく面白い結果が得られたのだ。
「いやぁ、これは世紀の大発明では?」
起きるや否や、僕は筋肉の落ちた己の痩せ細った体を無理矢理起こしてもらい、自らを診察した。そして状況を把握した僕は現在、ひたすら目を輝かせている。
「ねぇ先輩!僕、ほぼ完治してません?凄くないですか?」
「そうだな……身体機能はほぼ回復しているようだな……」
「ですよね!?あははは!すごい!わぁー!すごいや!」
大興奮の僕を疲れた顔で見て、先輩は何度目かのため息を吐いた。
「いや……お前、この状況で、よく呑気に笑えるなぁ」
「こんな素晴らしい結果が出たのに、笑わずにいられる訳ないでしょう!」
自分が開発した魔道具装置で自分が奇跡的に回復したのだ。研究者冥利に尽きる。むしろこんなに興奮することがあるだろうか?いや、ない。
「だって、絶対死ぬと思ったのに、生きてるんですよ!僕の研究の成果で!」
満面の笑顔で両腕を広げてみせる僕に、兄弟子はぐしゃぐしゃの笑顔で頷いた。
「……あぁ、それは俺も思うよ。そして、本当に、この幸運を神様に感謝している」
浮かれきっている僕を、五年分歳をとった兄弟子が泣き笑いで見つめた。
「目が覚めて……お前が助かってよかったよ。一度つけた装置を外すわけにもいかないし、寿命で死ぬまでこのままだったらどうしようかと思っていた」
先輩は力の抜けた顔で笑っているが、たしかに、冬眠に入った動物が確実に目覚めるとは限らないように、延命したからと言って目覚めるとは限らない。
今回は幸運だっただけかもしれないから、魔力循環式延命装置については、あまり結論を急がない方が良いだろう。
真面目な顔でそう言うと、兄弟子は呆れた顔でため息をついた。
「この流れでそうなるのか……お前も結局、とことん研究馬鹿なんだよなぁ。師匠とそっくりだよ」
「あはは、照れますね」
「褒めてねぇ」
師匠に似てる、はわりと僕の中では褒め言葉なので喜んで受け取ったが、兄弟子は疲れた顔で遠い目をしていた。
「もしお前が目覚める前に俺の寿命が来そうだったら、死ぬ前にきちんと回路を切断しなきゃなって覚悟してたんだ。目が覚めてくれて助かったよ」
何度か師匠に相談しようか迷ったそうだが、師匠に延命中止を判断されることが恐ろしく、……いや、独断で延命したにも関わらず、僕を死なせる決断だけ師匠に押し付けるわけにはいかないと思って、伝えられなかったそうだ。
「先輩……、それはそれは、随分とご心労おかけしたようで……」
「はは、もう笑い話さ」
「いや本当に、重ね重ねありがとうございました」
力の抜けた顔で首を振る兄弟子に、僕はもう一度感謝を告げると、ホクホク顔で続けた。
「それにしても、こんな素晴らしい結果、早く師匠に自慢したいですよ。でも師匠、僕が生きてるっていうか、延命されていたことを知らないんですもんねぇ」
僕が嘆くと、兄弟子は決まり悪そうに頷く。
「あー、すまん。言えなかった。……あの後ずっとバタバタしててな。師匠も、その、……お前がどうなったか聞いてこなかったし、な」
言い訳のように続けられた言葉に、僕は「あはは」と笑って頷いた。
「いえいえ、まぁ予想はつきますので」
つまり師匠は、おそらくは僕が死んだと思っていることだろう。
と言うか、死んだと確信しているから聞いてこないのだろう。
まぁ、あの時の医療水準と医療環境では、助かるはずのない命だったから、当然だ。
そう思うのだが、兄弟子はどこか腹立たしそうにぼやいた。
「俺、師匠にお前のことを聞かれないのは、正直ありがたかったけど、……なんか、がっかりというか、悲しくもあったんだよな」
「へ?それはまた、どうして?」
僕がキョトンと首を傾げれば、彼はため息とともに五年分の不満を口にした。
「弟子の生死も気にしないなんて、冷たくないか?師匠は本当に、割り切りが良いというかなんつぅかさ。情が薄い人だなぁと思って。さすが家族を捨てて、医者の道を極めてるだけあるよ」
「はは、まぁ、師匠ですからねぇ」
恨めしげに師匠を詰る兄弟子はきっと、聞いてくれれば打ち明けられたのに、一人で抱え込まなくて済んだのに、という思いもあるのだろう。
五年も迷惑をかけてしまった兄弟子への申し訳なさから、彼の言葉に同意をしつつも、僕は師匠の気持ちが分からなくもない。
たぶん、師匠は、僕が「死んだ」と聞かされるのが怖かったのだと思うのだ。
あの人は意外と臆病な人だから。
まぁ、その理由が、どうせ死ぬ人間の治療に拘ってしまったという自分の失敗を見たくなかったのか、弟子が自分のせいで死んだことを知るのが怖かったのか、……それとも、僕が死んだと聞きたくなかったのかは、分からないが。
でも最後の理由だと若干嬉しいな、と思う。
身勝手な師匠に振り回される弟子の、可愛い願望である。
「さて、せっかく蘇ったことだし、しっかり生きなきゃね」
兄弟子が帰った後、僕は今後のことを考え始めた。寝たきりだったから筋肉は落ちているが、少しずつ動いていけば回復するだろう。
僕の命を救ったこの魔力循環式延命装置は、延命というよりも、熊や蛙のように人間を冬眠に似た休眠状態にして維持する魔道具だ。そしてその間に、ゆっくりと回復を待つというものだった。
昔、師匠が言った通り、ただ苦しみを長引かせるような無駄な延命になってしまっては意味がない。
でも、たとえば手術をするには小さすぎたり、回復するだけの体力がない子供が、成長するのを待つためならばどうだろうかと考えたのだ。
他にもいくつか構想はあったが、一番シンプルで、すでにその時に試作品が完成していたのは、これだけだった。
その装置を使用した結果、僕は五年の月日をかけてじわじわと回復し、目覚めたわけである。
本当に素晴らしい成果だ。我ながら斬新な発想で、人類史に残る偉業だと思う。
魔力も注入したものを循環させて、一週間に一度入れ替えるだけだから、看護側にもそこまで大きな負担もない、はずだ。
いや、まぁ、寝たきりの人間の世話は大変だったとは思うけれど、そこは目を瞑ってもらうとしよう。
はぁ、まったくもって素晴らしすぎる。
僕ってば天才ではないだろうか。
ちなみに眠りこけていた僕は、診療所で半年入院した後、国の療養施設に転送されていた。通りで知らない場所のはずだ。
なんでも、災害対策を怠っていた責をとって、国が被害者の治療は全て負担してくれるらしい。このへんは、諸々怠っていた国のお偉いさんたちにブチ切れた師匠が交渉した結果だとか。
生き返ってすぐに巨額の請求書とご対面、なんてことにならなくて良かった。
「うわぁー、それにしても、すごいな」
起き上がれるようになって手に取った新聞に、僕は乾いた笑いを浮かべた。
「師匠、昔より更にお偉くなってるじゃないか」
記事によれば、師匠は変わらず大陸中を飛び回っている。この春は北で流行っていた謎の病の原因が、動物に寄生する虫であると見抜き、感染者の大幅な減少に繋がったとか。
「なんでそんなことを思いつくんだろうね、あの人は。頭の中で神様と繋がってんじゃないのか」
でもさすがに、どれだけ師匠が神様とズブズブだとしても、僕が意識を取り戻したことは知らないだろう。
兄弟子は、僕が死んだと思っている師匠に早く知らせようと言ったが、僕が止めた。
師匠ばかり勝手するのは気に入らないので、僕も勝手をさせてもらう。こんな貧弱な肉体と頭であの人に会うつもりはない。
これは全て、師匠の一番弟子を自認する、僕の意地と見栄のためである。
「……さて、体も少しは動くようになったし、追いかけるかぁ」
五年寝ていた体を三年かけて動けるようにし、二年かけて新しく発表された医学知識を詰め込んだ。
これならまた師匠の弟子を名乗っても許されるのではないだろうか。
手術の腕は落ちているだろうから、また下っ端助手から始めさせてもらおう。
「さて、僕のこと覚えてるのかなぁ」
師匠の驚愕を思い描くと、つい口元が綻ぶ。
「楽しみだな」
十年ぶりのあの人は、ちゃんと偉そうに笑っているだろうか。




