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第6章 花よ鳥よ月よⅢ

<1>



 目が覚めると陽が落ちかけていた。俺が建物の外に出ると、まだ宴会は続けられているらしかった。というか、こいつら元いた場所に帰らねえのかな。


「おお、起きたかナガオ」

「シャーラブーラ……セラセラとの話はいいのかよ」

「先ほど終わって戻ってきたところだ。長期戦の覚悟だ。そうそうまとまる話でもないからな」


 それよりも。

 シャーラブーラはそう言って、俺の傍に近づいてくる。


「あの三人の姫の中から、お前は誰を選ぶのだ?」


 またその話か。


「分かんねえよ。もう」

「どうせなら三人とも娶ってしまえばいい。なあ?」


 亜人たちは同じように頷いた。


「さ、三人ともって」

「そう珍しい話でもあるまい。特にお前は王になる男なのだ」


 一夫多妻。重婚。ハレム。

 そのような言葉が頭に浮かんできたので、俺は急いで振り払った。



<2>



 城に戻ると、俺の部屋の前でバースニップが待ち構えていた。


「困りますな。供も連れずに一人で出歩かれては」

「あ、ああ、申し訳ないです」


 バースニップは組んでいた腕を解くと、少しばかりリラックスした状態で口を開く。


「悩んでおるようですな」

「そりゃあ、まあ、大いに」

「何を悩んでおるのですか?」


 え?


「美しい姫君と大陸の大部分を戴き、王となる。民にも亜人にも慕われているのでしょう」


 こんなにおいしい話はないぞ。バースニップはそう言っている。

 だが、引っかかっているのは王様だとか、そういうことではない。もっと些末な、ロマンチシズムなところなのだ。


「好きなやつがいるんです。生まれてからずっと、もしかしたら死ぬまでの間、ずっと好きなやつが」

「姫さまたちではないのですな」

「俺の世界の話ですから」


 バースニップは禿頭を撫でる。彼は思案している風には見えない。恐らくだが、俺がこう言うのも予想していたのだろう。


「姫さまたちはあなたに焦がれている。恋をしたものは盲目になりがちですからな。いささか、想像力が足りていなかったのでしょう。私は、そんなこともあるとは思っていましたが」

「すみません」

「感情の話だ。よく分かります。だが、それでもという話もある。第一、私は一介の大臣に過ぎない。姫さまたちが『それでも』とあなたを欲するのなら、私がお止めする理由はない」


 そりゃ、そうだろうな。


「しかし、一つ考えが浮かんでおりましてな」


 俺は顔を上げた。バースニップは思案顔を浮かべていた。


「お聞きになりますかな?」

「……ぜひ」

「よろしい。新たな王に捧げる、初めての献策といったところでしょうか。中にお入りなさい」


 バースニップの後に続き、俺は部屋の中に足を踏み入れた。後ろめたさはあったが、先のことを考えれば飲み下すしかない異物感でもあった。



<3>



 バースニップの話を聞き終えた俺は、ベッドの上で寝転がっていた。


『どうするのか、それはあなたの決めることだ。私でも姫さまでもない。あなた自身の意志によって決定されねばならない。王の資質の一つですな』


 どうするか、か。

 俺は――――。


「……?」


 腰のあたりが震えている。手を伸ばすと、血の気が引くような思いをした。携帯電話が震えているのだ。相手は分かっている。一人しかいない。


「鶴子?」


 沈黙ののち、妙に懐かしく感じる、あいつの声が聞こえてきた。


『ばか』

「え?」


 鶴子の声はいつになく冷たく、固い。


『八坂くん。今日学校に行かなかったでしょ』


 学校…………あ。

 しまった、完全に忘れてた。しかも鶴子のやつ、俺を『八坂くん』と呼んだ。相当怒ってるな。どう言い訳したものかと悩んだが、たぶん無駄な努力に終わる。素直に謝るしかない。


「悪い。寝坊した」

『嘘。おばさんたち、八坂くんが家にいないって私に連絡してきたもの』

「……ちょっと、外に遊びに」


 嘘ではない。はず。


『こんな時間まで?』

「まあ、その、盛り上がってて」

『誰と? 椎くん?』

「いや、別のやつ。その、ネットで知り合った人というか」

『ふうん』


 ごくりと息を呑んだ。鶴子は長いこと口を利かなかったが、ぽつりと言った。


『心配した』

「ごめん。もう帰るよ」

『うん』

「明日からはちゃんと学校に行くからさ」

『ばか。当たり前じゃない』

「ごめん」

『ナっくんのばか』

「ごめんって」


 俺は胸をなでおろす。


『もう、いいけどね。ナっくんなんかどうだっていいんだから。……ねえ。一緒に遊んでたのって女の人?』

「……え?」

『黒髪で、なんか女優さんみたいな、綺麗な人? 私たちよりも年上で』


 妙に具体的だな。


「いや、違うけど。誰だそれ?」

『え? あ、うん。違うんならいいの。それより早く帰ってきなよ。私の方からおばさんたちに取り成しておくから』

「悪い、助かるよ」


 電話を切った後、俺は長い息を吐き出した。ああ、くそ。英雄だの王様だのっていい気になってたな。俺は、俺だ。やるべきことも見失っちゃいけない。



<4>



 一度ログアウトして、母さんにこっぴどく叱られたあと、冷めた夕食を温め直してもらい、熱い風呂に浸かって着替えを済ませた。王様のメシも美味かったけど、家のが一番だな、やっぱ。

 明日からちゃんとするから。そう自分に言い聞かせて、俺はナナクロへのログインを試みた。



<5>



 遅い時間になっていたが、ドリスたちは俺の部屋に集まってくれた。申し訳ない。申し訳ないことばかりだ。

 部屋には、俺とバースニップ。ドリスたちの五人しかいない。護衛の人たちには部屋の外で待ってもらっている。


「それで」とドリスが俺をねめつけた。

「一晩時間をあげるって言ったけど?」

「決めた」


 俺はドリス、アニス、フェネルの順に顔を見た。


「俺には好きな人がいる。たぶん、自分じゃあどうしようもないくらいに。迷ってたけど、やっぱり俺は俺の世界で生きなきゃいけないんだ」

「じゃあ、誰も選ばないって言うの?」


 ドリスの縋るような目が痛い。俺が口を開こうとすると、バースニップが先に話を始めた。


「それもいけませんな。セラセラの王に相応しいのはヤサカ・ナガオを置いて他におりますまい。少なくとも、今は。それとも姫さまたちは彼以外の男と結ばれたいと?」

「嫌よ。他のやつなんて考えられないわ」


 ちくちく刺さる。好意が怖いし申し訳ない。


「だから、俺を利用してくれ。俺はドリスたちが好きだ。その、出会い方がちょっとアレだったけど……女性として。好きなんだと思う。でも、どうしてもダメなんだ。俺には一番好きなやつがいる。一番最初に、先にこれだけ言いたかったんだ」

「私は最初からそのつもりですわ」


 アニスは小首を傾げた。


「ナガオさまは渡り鳥のようなお方。これからも様々な場所に出向き、様々な方と出会うでしょう。そもそも、私たちの世界に渡ってこられたのです。ナガオさまの本当の世界に良い人がいたとしてもおかしくありませんし、何の問題がありましょう」

「私も異存ありません。ナガオが誰を好きでも、私がナガオを好きな気持ちに変わりありませんから」


 俺にはもったいないくらい、いい女なんだと思う。ドリスだけ何も言わなかったが、バースニップは話を再開する。


「ナガオさまにはいずれ正式に王位を継承していただきますが、王都に留まることはありません。また、亜人の婚儀、価値観に則って、ヴェロッジからどなたかを正室として迎えることになります。姫さま方も同様に正室として、ということになりますな」

「四人ともを、正室に?」

「セラセラ家ではなかったやり方ですが、事情が事情です。それから、あくまで婚約という形になります」


 ドリスたちがまた押し黙った。バースニップは好機と見たか、さらに続けた。


「ナガオさまは戦士として有能でしょうが、王としての能力に著しく欠けています。彼が実務に携わることは不可能に近いでしょう。また、これはまだここだけの話に留めておいていただきたいのですが、やはりナガオさまを新たな王として認めないものもおります。そこで、他大陸、他国へ外遊していただきたいと考えております」

「外遊?」


 ばんばんと言いまくるバースニップにストップをかける目的もあっただろうが、フェネルが訝しげにこっちを見つめた。


「は。そうすることでセラセラの王になるための研鑽を積めるでしょう。此度の件をきっかけに、諸外国との関係も見直す必要があります。また、王都を出たナガオさまを狙う獅子身中の虫も燻り出せるかと。膿を出し尽すにはよい機会です」


 ……なんて心が強いんだ、バースニップは。三人とも難しい顔をするばかりで何も言えないでいる。俺だけだったら、もう刺されたり貫かれたりしててもおかしくないってのに。

 ドリスが小さく手を上げた。


「だいたい、お前たちのやりたいことは分かったわ。伯がナガオに吹き込んだのね。けど、さっきナガオが『正式に』『王位を継承』って言ったわね。どういう意味なのかしら」

「今は少し時期が悪いのです。ナガオさまが安全に王位につくには敵が多すぎます。それも見えない敵が。ですから、ここはまず姫さま方からお一人、女王になっていただきます。そうして、ナガオさまと共同でセラセラを統治するのです」

「あえて隙を作るのね」

「は。泳がせて釣り上げます」


 つまり、俺はすぐには王様にならず、事実上そういう風な扱いを受けるってことになる。


「ナガオさまにはまず、王配おうはい……女王の配偶者となっていただくのです。その後、時期を見て上手くやればよろしい」

「亜人たちはなんと?」

「問題ないと」


 本当だろうなシャーラブーラたち。


「ナガオさまはどうお考えなのです?」


 アニスに水を向けられ、俺は小さく頷いた。


「納得済みだ。俺にとってはかなり都合がいいしな」

「都合……」


 ドリスは俯いてしまう。

 場が静まったのを見計らい、バースニップが咳ばらいをした。


「姫さま方。まずはあなた方に、新たな王となっていただきます。それで、ですな。どなたになるか、というのは。えへん、えへん」


 バースニップが下手な芝居を打つ。俺が後を引き継いだ。

 俺は、アニスに顔を向けた。


「アニス。頼めるか」

「……私、ですの?」


 アニスは面食らってぽかんとしていたが、平静を取り戻す。


「私に、女王になって欲しいのですね」


 俺は大きく頷いた。


「嫌です」

「いっ?」

「私は女王になる前に、あなたの妻となるのです。仮かもしれません。ナガオさまの一番ではないのかもしれません。でも、もうちょっとこう、頼み方というか、言い方ってのを考えていただきたいなー」

「あ。……ああ、そうか」


 プロポーズってことになるんだよな。ドリスたちにガン見されているが、俺は息を整えた。


「俺を助けてくれ。アニス」

「……何だか情けないですわね」

「ええ?」

「でも、ナガオさまらしくて好ましいですわ」


 アニスは手を差し出した。


「不束者ではありますが、末永く、よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ」


 俺は彼女の手を取った。


「幸せにしてくださいね?」


 上目遣い。潤んだ瞳で見つめられて、俺の心臓は嫌でも高鳴る。


「ど。努力する」

「ではここで誓いのキスを、おぉお? い、いたっ!」


 アニスはドリスとフェネルに首根っこを引っ張られ、俺から引き剥がされた。


「とりあえずですから、とりあえず」

「ナガオ。お姉さまに飽きたら私に乗り換えなさい」

「何を仰いますか。お二人もアニスさまと変わらぬ立場、身分です。女王という名目が必要なだけですからな。あまり気にされないのがよろしいかと」

「ちょっとフォロークラウン伯! そのような言い方は私に失礼でなくって!?」


 バースニップは気にせずに、豪快に笑った。



<6>



 ちょっとした計らいなのか、俺はアニスと二人きりで部屋に残された。自分から切りだして決めたことだが、やはり、どうにも恥ずかしい。隣に座っているアニスを見られない。常はうるさい彼女も、今は赤い顔で、ほう、と、吐息を漏らすばかりだ。こうしていると、やっぱり可愛くて、ああ、お姫さまなんだなって思える。

 しばらくの間、二人で窓の外に目を向けていると、


「なぜ、私なんですの」


 そんなことを聞かれてしまった。

 俺はどう答えたものか困ったが、素直な気持ちを吐き出すことにした。


「俺に優しくしてくれたからだよ」

「ドリスもフェネル姉さまも、ナガオさまに優しく接していました」

「あの時。王都の戦いの時さ、俺たちより先に、アニスが街道で戦ってただろ?」

「ええ」

「なんでだ?」


 アニスはこちらを見なかった。


「俺はてっきり、アニスはカルディアで待ってるだけだと思ってたよ。実際、そういう風な話になってただろ?」

「それは……」

「俺は男だからさ。しかも馬鹿なんだ。勘違いしちまう」

「たぶん、それは勘違いではないと思います」


 今度は、アニスが俺を見てくれているのが分かった。


「あなたを勝たせてあげたかった。あなたの支えになりたかった。そう思うと、安全なところで待っているだけではいけないのだと気づいたんです」

「でっかい借りだ」

「これで完済ですわ。新しい家を作るのに、貸し借りがあっては嫌ですもの」


 そっと、アニスは俺の肩に小さな頭を乗せてくる。気づいたら、俺は彼女の髪を撫でていた。


「ごめんな。俺はお前を」


 言いかけたが、アニスは俺の口に指を押し当てて、黙らせた。


「幸せも、不幸せの形も人それぞれ。私は今、この世界で一番幸せな女の子なのでしょう。それで充分です」

「ありがとうな、アニス」

「構いません。言葉の代わりに、ここに」


 アニスは目を瞑ってキスをねだった。躊躇いそうになったが、今、俺の傍にいるのはアニスだけだ。

 開け放した窓から風が吹き込んできて、彼女の額に髪がかかる。俺はそれを指で払ってやって、震えている唇に口づけした。


「んんんーっ!? てめー何してくれてんだ!?」

「あいたっ!? いた、超痛いですわ……!」


 おもっくそ舌を吸われそうになったので、ゲンコツで額を叩いてやった。



<7>



 それから。

 それから……。

 俺はログアウトして、自分の部屋のベッドで死ぬほど身悶えた。

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