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終章<白画布に道を描いた>

<1>



 翌日。俺は学校が終わってすぐにナナクロへログインした。

 王城区画、借りている部屋に戻ってくると、兵士と侍女が意味ありげな笑みを浮かべてから、お帰りなさいませと声を揃えて言った。


「な、なんすか今の顔は」


 鼻歌とかで誤魔化された。いや誤魔化されないけど。

 くそう。皆、アニスとのことを知ってるんだな。誰がバラしたんだ。ちくしょう。


「ナガオさま。フォロークラウン様がお呼びです」

「え、そうなんすか」


 部屋を出ようとしたが、俺は兵士に案内され、王城内を歩く。戦いの爪痕がそこかしこに残っていた。

 渡り廊下の先、とある部屋に通されて所在なげに待っていると、バースニップが奥の扉から出てくる。彼は険しい顔をしていたが、俺を認めてその表情を和らげた。とはいえ『鋼鉄』と称される彼の顔が厳ついことに変わりはないのだが。


「お呼び立てして申し訳ありません」


 バースニップにソファに座るように勧められ、俺は革張りのそれに腰を下ろす。


「ああ、何か淹れましょう」

「あ、いや、お構いなく」

「では本題に」


 本題?

 バースニップは居住まいを正し、どこか遠い目をして口を開いた。


「今朝方、早馬でとある人物が亜人の一団を捕らえたとの報告がありました。幸いにして、最悪の事態には至りませんでしたが」

「亜人が何かしたんですか?」

「いえ。亜人だ、それだけの理由で捕らえたのでしょう」

「その人ってのは?」

「古参の大臣です。あるいは、まだ認められないのだという意思を示したのかもしれません」


 認められない、か。亜人と手を取り合うことも、新しい王様が生まれるのも。今までやってきたこと、そうだと信じてきたことを変えるのは難しいに決まっている。


「時間がかかるのは致し方ありません。根気強くやっていくしかないのですから。……今はナガオさまのことです。あなたは冒険者だ。並みの兵士では歯が立たないと皆が知っている。しかし、それでも先に話した大臣のようなものがいるのなら、暗殺、毒殺、搦め手を使ってくるものも現れるでしょう」


 えっ。そんなことになるのかよ。


「古今東西、城の中というのは多様な魔が潜むものですからな。用心に越したことはない」


 俺は察した。狙われる可能性が高いのは俺だけじゃない。アニスたちもだ。まだ公には発表していないが、王城という狭い世界は話が広まるのも早いはず。今は色んなことがありすぎて手が回らないのだろう。


「俺がいたら困るんですね」

「……その通りで。あなたはあの巨人を倒し、亜人たちをまとめて戦いを収めた。追い出すような真似をするのはこちらとしても心苦しい。本当は、あなたには現王や、お妃さまにも会っていただきたかった」


 バースニップの声音には妙な響きがあった。彼は、間違いなくいい人だ。俺というより、アニスたちのことを本当の娘のように思ってよくしている。が、俺はセラセラ家からすりゃどこの馬の骨とも知れぬ部外者だ。『よ! 俺が新しい王様だ。姫さまももらっていくんでよろしくな』なんて言っても受け入れてくれるはずもない。

 王都は未だ混乱している。俺がのこのこと出張っても新たな戦いを生むだけ、なのだろう。俺だってここを離れるのは寂しい。名残惜しい気持ちもあるし、ここの人たちを置いていくような真似だって好んでやりたくない。

 だが、ちょうどいい。


「次の町へ、新しい場所へ行きたいと思ってました。出来れば、今すぐにでも発ちたいと思ってます」

「何も今すぐにという話ではないのですが」

「決めたんなら早い方がいい。それに今日はよく晴れてます」


 旅立つにはいい天気だ。

 バースニップはしばらくの間、無言で何か考えていた。


「……姫さまたちの仰っていたとおりになりましたな。ナガオさまが旅に出ることを悟っていらっしゃったようですから」


 なら、決まりだ。

 俺の決意を見て取ったのか、バースニップはもう引き留めるようなことは言わなくなった。


「ナガオさま。私は今、王の代わりに姫さまたちの父親をやっています。あなたは昨夜、アニスさまをお選びになったが、フェネルさまとドリスさまにも惜しみない愛を。三人とも、あなたのことを愛していらっしゃる。皆同じ思いなのです。であれば、どうか悲しませないでやって欲しい」

「はい」

「どうか、あの子たちを大事にしてやってくれ」


 俺は目を見開く。バースニップの目から、涙が一筋垂れているのが分かったからだ。


「もちろんです。……バースニップさん。あなたは俺に恩義とか、そんなものを感じる必要なんかないと思います。英雄とか、そういう風に言われているかもしれないし、実際、俺も昨日まではかなり調子に乗っていました。でも俺はただの侵略者だ」


 亜人を率いてキャラウェイに乗り込んだ。戦いが終わったのは俺とは関係のないところでだ。


「セラセラの姫を奪った、野蛮な男に過ぎません」

「……ああ、そうですな。だが、それもいい。新しいことをやろうとしているのです。そしてセラセラの歴史はまだ続く。私が死に、あなたが死んだ後も。長い歴史の中、あなたのような王がいてもいい。私は、そう思いますよ」


 すっかり忘れていた。

 お城の中の人たちは回りくどいのだということを。


「本当に、今日旅立つのですか? せめて明日にしていただければ、あなたを送り出すパレードを催せるかもしれませんが」

「パレードって……いやいや、その分だけ、町を元通りすることに使ってください」

「では、しかるべき時が来るまで取っておくとしましょう」


 しかるべき時かあ。



<2>



 俺は、自分に宛がわれている部屋に戻った。世話を焼こうとしてくる人たちには申し訳ないが、一人にしてもらうことにした。

 一人になって、王都を発つ準備を進めていると、ドアがノックされた。


「はい?」


 部屋に入ってきたのはラベージャを連れたアニスたちだった。入ってくるなり、先頭にいたドリスは裏切り者と俺を罵った。


「否定は出来ない」

「させないわよ。何? 昨日の今日でもう王都を出るつもりなの?」

「……うん」

「私たちのことが好きではないの?」


 ここにいると決意が鈍る。一度鈍れば、弱い俺では立ち直れない。


「好きだ。でも、俺にはやらなきゃいけないことがある」


 この世界は好きだ。ドリスも、アニスも、フェネルも。でも、王位よりも何よりも大切なものがある。


「ごめんな。俺に愛想つかして、新しい王様を決め直しても文句はねえよ」

「ばっかじゃないの?」


 ドリスはそっぽを向いてラベージャの背に隠れた。

 俺たちを生温い目で見ていたフェネルは、小さいものを摘まんで俺に差し出す。


「お前はまだ、あのものたちを追うのですね。実の兄と、その仲間を」


 それが俺のやるべきことで、大切なものだ。


「以前までの私ならお前が嫌がっても、そうしろと命じていたはずです。でも、今は行って欲しくない。危険な目に遭って欲しくない。そう思っています。止められないのならせめて一緒に行きたい。けれど、今の私はお前の足を引っ張ることしか出来ません」

「その気持ちだけで充分だよ」

「柱の加護を。私もお前の無事を祈っています」


 フェネルが持っていたのは指輪だった。くすんだ銀色。彼女はそれを俺の手にぎゅっと握らせる。


「亡くなった母に持たされていたお守りです。セラセラにとっての魔を払う効果があると言われていました」

「いいのか?」

「預けるだけです。指輪を返すために私のもとに戻ってきなさい。約束ですよ?」


 そりゃいい。約束ってのは悪くない。


「俺からもいいか? あの森で死んじまった人たち……セラセラの兵の人たちのことだ」

「兵士は皆、セリアックの共同墓地に埋葬されるそうですが」

「ジンもそこに入れてやってくれないか」


 あいつは最期、兵士として死んだ。

 死人にしてやれることなんてほとんどない。だけど、ジンは兵士になりたかったんだ。

 フェネルは目を瞑り、小さく頷いてくれた。


「もう一つ渡したいものがあります。ラベージャ?」

「はっ」


 ラベージャは部屋を出て、長物を持ってすぐに戻ってきた。

 槍だ。少し小ぶりだが、俺が扱うにはちょうどいいサイズかもしれない。


「柄にはロビンウッドを使っています。頑丈でよくしなるのが特徴です。石突きと穂は銀で、私の魔力を込めています」


 一点の曇りもない輝かしい刃にはホワイトルートの文字が刻まれている。持ってみると、あつらえたかのようにしっくりときた。


「《不見蛍みずほたる》といいます。お前のこれからの助けになれることを祈っています」

「ありがとう。大切に使うよ」

「武器は所詮武器。私に遠慮しないで存分に振るいなさい、ナガオ」


 心強いものをもらってしまった。槍はフェネル程上手く使えないだろうが、少しでも彼女に近づけるように努力しよう。

 ふと、アニスがちらちらとドリスを気にしているのが目に入った。不思議に思っていたが、アニスは息を一つ吐いた後で、一歩前に歩み出た。


「私からもお渡ししたいものがあります。フェネルお姉さまと違って地味ですけれど」

「嫌味ですかアニス」

「冗談ですわ」


 ……冗談めかしているアニスだが、俺と目を合わせてくれない。恥ずかしがっているのなら可愛げがあるんだが。

 アニスは、綺麗な宝石が乗っかった指輪を見せて、俺の右手の薬指にぐいーっと押し込んだ。


「痛い、痛いって」

「もう二度と取れないようにと思って」


 こええよ。

 アニスは指輪をはめた後、ラベージャに声をかける。ラベージャはまたわざわざ部屋の外に出て、布の袋を持って戻ってきた。


「少し重いぞ。気をつけろ」


 ラベージャから袋を受け取ると、中身はぎっしりと詰まっているらしかった。


「見てもいいのか?」

「もちろんですわ。……飛石と跳石を詰めるだけ詰め込んでみました」


 飛石というと、ワープストーン? あの、レアなアイテムをか?


「こんなに、大丈夫か? 俺なんかに持たせちゃって」

「ご心配なさらず。有事の際は石を使って王都に戻ってきてもらうつもりですから」

「有事って」

「私が寂しくなったら?」


 大切に使わせてもらおう。

 俺はメニューを操作して槍と石を預けておく。手ぶらになったところで、バースニップが口を開いた。


「城のことは心配なさらず。森の亜人たちの中には城の護衛を申し出るものもおりましてな。あなたはあるがままやればいい。そうすることで解決する事柄もありますからな」

「バースニップさん、色々とありがとうございました」

「それより、次はどこへ行くおつもりですか」


 俺は、フィッシュマウスからセントサークル大陸へ行くことを話した。兄貴たちは柱のある場所に現れる可能性が高い。少なくとも、もうこの大陸にはいないだろう。


「分かりました。そのように」


 バースニップは口の端を歪めた。俺が城を出ることを敵対者に流すつもりなのだろうか。まあ、任せよう。目に見えない相手では俺の出る幕はない。

俺は最後に、ここにいる皆の顔を見回した。名残惜しい。寂しい。そういう気持ちを無理くりに吹っ切った。


「必ず戻るよ。手紙とか、そういうのを送るつもりではいるから」

「ああ、そのことについてもご心配なく。ナガオさまの代わりに書くものがおりますから」

「え?」

「お気になさらず。監視……ではなく、護衛がついております。陰からあなたの身を守ってくれましょう」


 咄嗟にそこいらを見てしまう。誰か、俺の近くにいるのか?


「ま、まあ、うん。悪い人じゃないんならそれでいいです」

「はい。王都からフィッシュマウス行きの馬車を出しましょう。セントサークルへは船が出ております。これを」


 手紙? 便箋を渡された。中を検めようとすると止められてしまう。


「セラセラ家の通行許可証のようなものです。ホワイトルート大陸以外では使えないでしょうが、あなたが王族の血に連なるものだという証明にもなります。なくさないように」

「ナガオさま。カルディアのことも心配は要りません。『あの』エバーグリーンが上手くやるはずでしょうから」


 アニスは苦々しい顔だった。……そうか。カプリーノたちにも世話になった。フィッシュマウスの前に、そちらへ寄るのもいいかもしれないな。

 なんて、先のことを考えていたらドリスに睨まれてしまう。


「じゃあ、行くよ。色々と、その、頼む」

「お任せください。いつでも戻ってきていいんですからね?」


 俺たちは互いの無事を祈り合い、再会を誓って別れた。



<3>



 後ろ髪を引かれる思いとはこのことか。

 俺は城を出てからも、何度も振り返ってしまっていた。次はフィッシュマウスという港町だが、やはりここは去りがたい。引き伸ばしってわけじゃあないが、俺の足は亜人たちのいる森へと向かっていた。何にしろ、彼らにも挨拶をしなくてはならないだろう。アイテムの補充やジョブチェンジはその後だ。


「何? もう行ってしまうのか?」


 森のねぐらにいたシャーラブーラたちに事情を話すと、やはり引き止められてしまった。


「悪いな。そうしないと城の中が収まらないらしいんだ。それに、俺には目的がある」

「……そうか」


 シャーラブーラは他の人たちをなだめて、俺と二人きりになった。


「我らの英雄にも、セラセラの王にもなったというのに忙しいことだ。しかし、ナガオの歩みを止められるはずもない。安心しろ。後は俺たちでやっていくさ」

「でも聞いたぞ。セラセラの大臣が亜人を捕まえたって。やっぱり、難しいんだよな」


 俺は不安になっていたが、シャーラブーラは笑い飛ばす。


「亜人にも人に対して思うところはある。当然だよな。今までずっと憎んでいたんだ。根っこにある考えなど簡単には変わらんさ。だが、やっていく。やっていきたいと思う。そうでもないと、この戦いで死んでいったものたちに申し訳が立たんからな。時間ならあるんだ。何せ俺たちは長生きだからな」


 最初に会った時とはまるで違う。

 俺が今回の戦いで何か感じたのと同じように、シャーラブーラもたくさんの人の生き死に、考え方に触れて、変わったのかもしれなかった。


「惜しむらくはお前の嫁のことだ。お前が旅立つ前に、ちゃんと式をやりたかったが」


 シャーラブーラは、俺の指輪を見て言った。


「セラセラに先を越されたということはなさそうだ。もうしばらく先になりそうだな。それに、まあ、機会はある。うん」

「ん? そうだな。俺もなるべくこっちに戻るよ。それより、お前らはまだこの森にいるつもりなのか?」

「ああ。当分はな」


 そうか。


「旅立つ男に何もしてやれないのは、ヴェロッジの男として歯がゆいが、仕方あるまい。お前は英雄であり、王である前に独りの冒険者なのだからな。宴も何もしてやれないが、せめてこれを持っていけ」


 シャーラブーラはでかい革の袋を持って来させた。


「これは?」

「あの、木の巨人がいただろう。そいつが落としたものだ」


 タイタンボウのドロップ品か。あとで中身を確認しておこう。


「ありがとう。……本当に、今までありがとうな」

「何を言う。こちらこそ、ありがとう。それに、これからもだ」


 ああ、そうだな。


「……最後になるが、お前に会いたいというものがいる。森の奥でお前を待っているそうだ」

「俺に?」

「ああ」


 シャーラブーラは、その相手が誰かを言わなかった。俺には、それが誰なのか分かっていた。



<4>



 森の亜人たちに別れを告げ、俺は森の奥へと向かっていた。

 俺からはそいつを見つけられないが、こうして一人で歩いていたら、向こうから勝手に声をかけてくるだろうという確信があった。

 しばらく、ざくざくと進んでいると風の音がした。これは、自然に発生したものじゃない。俺を呼び止めるためのものだ。


「キリハリリハか?」


 立ち止まり、周囲を見回す。返事はない。もう少し歩こうとしたところで、風を切る音が鳴った。目の前を刃が通り過ぎていき、俺の体が固まる。


「……どういうつもりだ?」


 今のは、風の糸こと《荒絹》に違いない。これを使えるのはキリハリリハだけだ。


「キリハリリハっ。俺に会うってのは、こういうことをするためなのか!」


 葉擦れの後、風の糸が三本ばかり見えた。どれもが武器を掴んで、俺に狙いを定めているらしい。本気かよ。

 短剣を抜き、飛んできた武器を弾き返す。甲高い音が跳ねた。


「本気かよっ」


 真剣だ。キリハリリハが使っているのは訓練用の武器ではない。

 物陰に身を潜めようとするが、荒絹は俺を確実に捉えようとしている。追ってくる短剣を得物で弾けば別の角度から槍が迫った。なんだよ。なんだってんだよ。

 得物一本、腕二本では防ぎ切れない。俺も《荒絹》を出して対抗したが、一本しか出てこなかった。このスキルにはむらがあり過ぎる。

 しかも、俺とキリハリリハでは習熟の度合いに差があった。俺の糸は直線的な動きしか出来ないが、彼女の糸は障害物を巧みに避けて、三次元的な動きで追ってくる。修行なんかじゃない。キリハリリハの攻撃一発一発に殺意めいたものが込められている。


「キリ……!」


 槍と剣を弾き返したところで、俺は咄嗟に頭を下げた。木々の隙間を縫って、キリハリリハが接近していたのである。彼女は攻撃を空振りしたが、そのまま攻め込んできた。

 本体と荒絹の連携に押し込まれるのはすぐのことだった。俺は武器を奪われ、その場に尻もちをつく。キリハリリハは俺に剣の切っ先を向けた。


「ヴェロッジに戻ったんじゃなかったのかよ」

「新しい王になるそうじゃな。新しい町。新しい国。新しい在り方。古いものは去り、新たな風が吹き込んだか」

「キリハリリハ?」


 こいつ、俺の話を聞いてないし、自分の話を聞いて欲しそうな顔もしていない。


「じゃが、そこにわしの居場所はない。星詠みは去り、サンシチは死んだ。あやつらは分かっておったのかもしれんな。時代が動く時、それを認められん古いものがどうするべきなのかを。わしは、こうなるまで分からんかった。無様に生き長らえた」

「死ぬことなんかないだろ」

「主がセラセラの姫と契るのだと分かった時、わしはそれが許せなかった。やはり、亜人と人とが交わるなどありえん。どうせまた血を流し合って殺し合う。なら、最初からそうし続けておればいい。期待するから裏切られて余計につらくなる。わしは、新しいことが許せんのじゃ。主が許せん」


 俺が。

 俺が、許せない? いや、違うだろう。お前が許せないのは俺じゃない。目に見えない、手で触れない大きなうねり、あるいは流れだ。


「……でも、俺とお前と流れている時間は変わらないんだ」

「そうかもしれぬ。……選べ」

「何を」

「人として生きるか亜人として生きるか」


 馬鹿を言うな。俺は俺だ。

 それに、キリハリリハは恐らく俺の答えになど期待していない。


「お前が選べよ。どうしたいか決めるんだ」


 キリハリリハは腕を下ろしかけた。


「サンシチみたいに死にたいのかよ。だったら俺を死に場所にするのはやめろ。星詠みみたいにどっか行っちまえ」

「えらそうな口を利くな!」


 風の糸が俺を襲うが、同じように糸で武器を掴み、弾き返した。


「わざとらしい……小憎らしい真似などするでない」

「言えよ。言わなきゃ分からねえ。人だって何だって関係ねえんだよ。ウマが合うなら亜人だとかセラセラだとか関係ねえ」


 キリハリリハの呼吸が乱れていた。


「どうしたいか言ってくれ。俺は、お前と戦いたくなんかないし、ましてや死ぬところなんか見たくない」

「分からぬっ。そんなものわしには、どうしていいのかなんて!」


 長く生きたはずのエルフは、俺の目には童女にしか映らなかった。喚き、ねだる。何が欲しいのかすら分からないまま。

 俺はゆっくりと立ち上がった。お前が決められないなら俺が決めてやる。


「生きてくれ。俺にはまだお前が必要だ」


 キリハリリハは口を大きく開けて何か言いたそうにしていたが顔を背けた。


「いいや、主にはもうわしなど要らぬ」

「そんなことないって」

「もっと、昔に出会っておればよかった。わしはもう子など孕めん。師としても女としても、主の力にはなれぬ」


 ……? なんだ。そういうことを気にしてたのか。


「俺がセラセラの王様になるかもだとか、そんなのどうだっていいんだよ。俺はお前と仲良くしたいだけなんだ」

「じゃが、わしは……」

「人が嫌いで、人が認められないのか。じゃあ、俺だけでいい。人がどうとかじゃなくって俺のことをどう思ってるかだけ聞かせてくれよ」


 キリハリリハは泣いていた。大粒の涙を零して、こっちを見上げていた。

 やがて彼女はふらふらとした足取りで俺の胸に飛び込んでくる。頭をぐりぐりと押しつけられてちょっと痛かった。


「主の周りにはたくさんの人がおる。わしがいつまでもそばにおると、いつか我慢出来なくなって、主の大切な人を殺すかもしれん。そうなればわしは独りじゃ。独りは辛い。近くに誰かがいるという暖かさを思い出してしまえば、もう、あの森にも住めぬ」

「一緒に行こうぜ。俺はこの大陸を出て、セントサークルに向かうんだ」

「ダメじゃ。そんなこと、すぐには考えられん」


 ぐっと、キリハリリハは力を込めて俺から離れる。くしゃくしゃになった彼女の顔を、汚いとは思えなかった。何かを決めた人のそれは、やはりどこか綺麗なのだ。


「時間をくれ。わしは主を好ましく思うておる。しかし、捨てられんものもある」

「どうするんだ。ヴェロッジに戻るのか?」

「分からぬ。じゃが、死ぬのはやめじゃ。もう少しだけ、この世界がどうなるのか気になった」


 俺はホッとする。キリハリリハの言葉に嘘はなさそうだった。


「必ず戻るよ」

「うむ」

「その時、また会ってくれ」

「ああ、分かっておる」


 離れがたかった。

 未練ばかりだった。

 俺はこの世界が好きだけど、捨てられないもののことを色々と思い出した。



<5>



 暗くなって、俺は森を出た。キャラウェイから馬車に乗るつもりだった。

 もう一度だけ、俺は後ろを見る。いつの間にか一人になっていた。最初は、あんなにも賑やかだったのに。


「ダメだダメだ」


 見せかけだけかもしれない。だけど、今のここは俺にとって居心地が良過ぎる。こんなところにずっといたら、俺は幸せ過ぎて溶けてなくなってしまうだろう。現実のしがらみを何もかも投げ捨てたなら、こういうところに行きつくのかもしれない。悪くはない。むしろいい。だからこそ、俺は去らねばならない。

 アイテムの補充。ドロップ品の整理。装備の入れ替え。ジョブチェンジ。色々とやりたいことがあった。でも、王都とは違う町でやろうと決めた。

 キャラウェイの北側に向かいつつ馬車を探していると、道を歩いていた兵士と目が合った。彼は俺を眇めた後、びしっと敬礼した。


「お捜ししておりました」


 俺を?


「必ず馬車の停留所へ立ち寄るとのことでしたので」

「はあ」

「ご案内します。どうぞこちらへ」


 馬車なら何でもいいんだけどな。フィッシュマウスの前にカルディアへ寄るつもりだったし。

 とはいえ、むげにする理由もない。俺は兵士の後をのこのことついていく。街の入り口を抜け出て、街道まで案内されたところで不安になってきたが、馬車が一台だけ、ぽつんと道の脇に控えているのが見えた。


「おっ、アレすか」

「はい。では、私はこれで」


 え?

 兵士は敬礼して去っていく。ちょっと妙なタイミングだったような。……馬車に近づくと、荷台から小さな影が降りた。そいつは頭をすっぽりと覆っていたフードを上げた。暗がりだったが、その、意志の強そうな目はしっかと輝いていた。


「遅かったのね。無理を言ってお城を抜け出したのに」


 ドリスが俺を睨むようにして見上げている。


「どうしたんだよ。こんなところで」

「手を出しなさい」

「へ?」

「手よ、手。ん。違う。そっちの手」


 言われるがままに手を広げて差し出す。ドリスは俺の手をじっと見つめるだけだった。何か言おうものなら、すごい目つきで睨まれる始末。


「なあ」と呼びかけた瞬間、ドリスが俺の指を咥えた。

 いや、咥えたなんて生易しいものではなかった。がぶりと。思い切り歯を立てて噛みつかれた。慌てて手を引っ込めようとしたが、ドリスの目が俺を止めた。痛いけど、しようがないからそのままにさせておく。


「ん、んむ」


 倒錯しかかっていた。女の子の口の中ってのは、こんな気持ち悪くて生温いのか。

 ドリスは俺の指を好き放題にしていたが、ぱっくりと口を開き、解放してくれた。唾やらで粘つく指を一瞥すると、彼女は一歩、後ろへ下がる。

 いてえし、べたべたする。俺は噛まれた指を見ないようにした。


「私だけ何もあげられなかったから」

「から? だから噛んだのか?」

「……そうよ」


 なんてやつだ。


「姉さまたちは分かってたみたいだけど、お前がこんなにも早くキャラウェイを発つなんて、私は思っていなかったわ。何も用意できないで、ただただ悲しいだけだったじゃない」

「別に、ものがもらいたいとかって話じゃねえよ」

「あげたいのよ。お前に」


 ドリスは馬車に視線を遣った。


「これと、この中にあるものは好きに使いなさい。馬も、荷台に積んであるものも」

「いや、使えって言われても」


 大盤振る舞いだけど、俺一人じゃ馬車を動かせないぞ。

 ドリスは、噛みついた俺の指を取り、それを顔の前にぐいと近づけた。


「毎日、朝起きた時と夜眠る前に痕を見なさい。そうして私のことを思い出すの。痕が消えたら会いに来なさい」


 左手の薬指。ドリスの噛み痕が生々しくあった。


「……ああ、うん」

「私は欲しいものは必ず手に入れてきたの。お前も欲しいの。だから、どんな手を使ってでも、必ずお前を寝取るわ」


 ね。寝取るて。


「姉さまたちからだけじゃない。お前をお前の世界に縛っているものからも、お前を奪ってみせる。いい? 覚悟してちょうだい」


 ラベージャは言っていた。ドリスはわがままなのだと。

 だけどきっとそれだけじゃない。ドリスにはやはり、王様とか、そういうのに相応しい血が流れているのだ。


「覚悟するよ。そうやってお前とも付き合っていく」

「ええ。そうして」


 物陰から現れた兵士に付き添われる形で、ドリスは俺に背を向けた。彼女もまた戻るのだ。王城という戦場に。

 俺はしばらくそうして立ち尽くして、荷台に乗ろうとした。


「行ったようだな」

「ああ。……ん?」


 誰だ?

 荷台には荷の他に誰か乗っていたのか。


「姫さまと会えるのは、さて、次はいつになるかな」

「お前」


 ラベージャだった。なんでそんな、普通の顔して乗ってんだ。


「ドリスと一緒に帰らなくていいのかよ」

「ついさっき御役御免となった」


 さほど気にしてもいないのか、ラベージャはあくびをしている。


「当然だな。姫さまを守れず、裏切ったのだから。ふ、そんな顔をするな。というのは建前だ。本当は、ヤサカを見張らせるために私を遣ったのだろう」

「……見張り?」

「私もついていくということだ」


 なーんか全部丸ごと見透かされてる感じがして嫌だったが、それ以上にラベージャが仲間になってくれるってのが嬉しかった。俺は荷台に乗り込み、彼女の肩をばんばんと叩く。


「叩くな」


 俺は適当に謝って、その場に寝転んだ。さて馬は誰が操るのか気になったが、しばらくの間は考えないでおこう。

 じくじくと痛む指。この痕はきっと元の世界に戻っても消えないだろう。離れていても繋がっているんだって印はある。そういうものもこの世にはあるのだ。

 たくさんのものをもらったが、体は妙に軽く感じる。目指すはセントサークル大陸。兄貴たちのいるであろう、俺の知らない、新しい場所だ。



<6>



 新しい町。

 新しい国。

 新しい生き方。

 大陸に新しい風が吹き込むと、古いものは去った。

 鎖も呪いも、時が経るにつれ消えていく。そうして時代も移り変わっていく。

 一時は災厄の嵐に見舞われたホワイトルートという大陸は、セラセラに連なる三姉妹が亜人たちと手を取り合い、よく治めたという。その陰には一人の男がいたとか、いなかったとか。



<7>



 ナナハシラクロニクルのプレイヤーは、冒険者としての依頼をこなすことでランクが上がっていく。ランクが上がれば様々な特典を得られて、ゲーム内の機能が解放される。

 そのうちの一つがホームだ。

 Cランクになったプレイヤーは《クラン》という組織を立ち上げられる。ホームはそのクランに属するメンバーの拠点だ。仲間と合流する場所であり、宿の代わりにもなり、持ちきれなくなったアイテムの保管場所にもなる。


「上手く更新アップデートされたみたいだね、ここも」


 一人の少年が畳の上に坐し、ちゃぶ台の上に置いてあった湯呑を持ち上げた。ここは《お団子カンパニー》というクランが有するホームである。室内は和のものでまとめられていた。

 男の名は八坂剣爾。ナガオの兄だ。彼の前には蓬というプレイヤーがいた。

 蓬は訝しげにケンジを眇める。他のメンバーがいない内に彼を招き入れたのは他ならぬ蓬だったが、彼女にはどうにも解せないことがあった。


「お兄さんさ、なんでまだここにいんの?」


 ケンジは弄んでいた湯呑を置き、柔和な笑みを浮かべる。だが、彼が何かを言うことはなかった。


「まあ。なんでもいいけどさ。それで、何の用?」

「僕もホワイトルートを発とうと思ってね。その報告に」

「わざわざ私に言いに来たん?」


 まあね。そう言ってケンジは立ち上がる。


「頼んでいたとおり、ナガオに僕たちのことを言わなかったみたいだし。そのお礼もかねてってところだよ」


 蓬は愛想笑いで返した。ケンジは彼女にとってもお団子カンパニーにとっても上客であった。金払いはよく、依頼内容も難しいものはなかった。だが、ケンジの正体と依頼の内容については詳しく明かされなかった。

 蓬の内心で、ナガオに対する罪悪感とケンジへの敵対心が渦を巻いていた。

 去り際、ケンジは『またね』と言わなかった。蓬は、ある決心をした。恐らく、それもケンジの計算していることなのだろうと理解しながら。

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