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第6章 花よ鳥よ月よⅡ

<1>



「傍から見ればセラセラが不利な状態で停戦となったものですから、一部のものは巻き返しを図っておるようで。特にライザップ伯が息巻いておりましてな。亜人を大陸から追い出すのだと。ああ、安心してください。彼にそのような力はありません。賢いものはシャーラブーラ殿筆頭、亜人の氏族たちとの会合に臨んでいます。点数稼ぎに必死なのでしょうな。何せ此度の戦い、王都どころか王城にまで侵攻されてしまっては、ここに残っていたものたちは各地から糾弾を……」

「は、はあ」


 俺を呼んだのはあの三姉妹の誰でもなく、バースニップというセラセラの大臣だった。彼は中庭で俺を待ち受けており、世間話(にしては重いというかコクがあり過ぎて胸やけする)がてら、ある場所へと案内してくれるらしかった。


「あの。俺はどこへ連れていかれるんでしょうか」


 もしや秘密裏に処理、みたいなことをされるんじゃなかろうな。

 バースニップは答えず、世間話をしながら歩き続けている。城内に入り、王族の人たちが暮らしているエリアに出て、階段を上っていく。やがて彼は、奥まった場所で立ち止まった。


「ここです」


 ドアを指し示すと、バースニップは脇に控える形となった。俺は開けるのを躊躇っていたが、無言で促され、仕方なく咳払いする。


「開けても?」

「どうぞ」


 ゆっくりとドアを開く。ふわりと、いい香りがした。部屋の真ん中には白いテーブルがあって、それを囲んでお茶を楽しんでいるのは、見目麗しい三人の――――。


「うわああ!?」


 急いでドアを閉めてその場から後ずさりした。俺はくるりと背を向けて逃げようとする。


「おや、困りますな」


 バースニップは俺の首根っこをむんずと掴み、元いた位置に押し付けた。力つええなこの人。


「何かありましたかな」

「何かもクソもっ。あんな部屋にいられるか!」

「おかしいですな。部屋にはドリスさまたちしかいないはずですが」

「それだよ!」


 この部屋にはドリス、アニス、フェネルの三人がいる。生肉括りつけて腹ペコのライオンの檻に入るようなもんだぞ。


「時間がありません。さあ、中へ」


 嫌だ嫌だと首を振ったが、しびれを切らしたバースニップに押し込まれて強引に中へ入れられてしまう。俺は閉められたドアを叩いて喚くが、彼は頑として聞き入れてくれなかった。

 背後から、ぬるりとした、ひやりとした、とにかく気味の悪い感覚が伝わった。咄嗟に振り向き、鞘に手を遣った。


「うるさいわよ、早くこっちに来なさい」

「ナガオさま、私の隣に、隣に!」

「久しいですね、ヤサカ・ナガオ。お互い無事なようで安心しました」


 この世界に来てから、俺をひどい目に遭わせてきた連中が揃っている。今の今まで一人一人と相対していたわけだが、遂に三人姉妹で揃いやがったわけだ。今度は何をされるか分からない。


「早くなさいと言っているでしょう。……安心なさい。もう檻に閉じ込めるなんてことはしないから」


 ドリスが意地悪な笑みを浮かべた。



<2>



 怯えていても話は始まらない。俺は仕方なく席に着いた。


「どうぞ。温まりますわ」


 アニスに注いでもらった紅茶っぽい飲み物の味は分からなかった。


「ここには侍女もお付きの兵も呼んでおりませんの。私たちだけですわ」

「そ、そうか」

「ナガオさま~、私手ずから淹れたのですよ? どうですか、美味しいですか」


 アニスが身を寄せてくる。俺は椅子ごと動いて彼女から距離を取った。

 俺は息を吐き出す。右にはアニス。左にはフェネル。正面にはドリスがいる。いったい、何の要件だってんだ。


「なあ。こんな風にしてていいのか。その、戦いが終わったんだから色々忙しいだろ」

「気遣いは無用です」


 フェネルの鋭い視線が左から刺さってくる。


「優秀なものがやってくれていますから。それに、私たちにはあまり関わって欲しくないそうです」

「邪魔者扱いされてるのか?」

「というより、腫れ物かしらね。色々やり過ぎちゃったみたいね。殺されないだけマシってところかしら」


 ドリスはいつもみたいに、つまらなそうに息を漏らした。


「ですから、私たちにも亜人との話がどうなっているのか、よく分かりませんの」

「そうなのか? じゃあ、俺を呼んだのはどうしてだ。世間話するってわけでもないんだろ」


 ドリスたちは一瞬だけ、視線を交錯させた。アイコンタクトというやつである。仲が悪いのかいいのか分からねえ。

 口火を切ったのはフェネルであった。


「お前も知っているでしょうが、お父さまの容体が思わしくありません」

「……あの後、どうなったんだ?」

「時間を稼いでもらったお陰でセリアックまで戻ることが出来ました。ですが、お父さまは臥せったままです。戦争を止めたいとおっしゃられた後、気を失われたようです」


 冷静そうに言ってるが、内心はえげつないことになってるだろうな。

 しかし、そうか。やっぱりセラセラ王は危ないか。


「我々は次の王を決めねばなりません」


 薄情かもしれないが、そういうものなのだろう。それに、最初からそうする予定だったのだ。だからこそドリスたちは、自分たちが王になる為の選挙をやろうとしていた。


「そうか。まあ、そうなるよな。それじゃあやっぱ、お前らのうちの誰かが王様になるんだな。……ああ、女王さまか」

「ええ。お父さまももう前線に出るのが嫌だとおっしゃっていましたし、疲れたからさっさと決めろと」


 フランクな人である。案外、まだ元気なのかもしれない。


「じゃ、いよいよ王位継承の選挙が始まるんだな」

「そのつもりでした」


 ん?

 選挙、しないの?

 俺の様子に気づいたのか、ドリスが話を引き継いだ。


「お前は王位継承するための二つの条件を覚えているかしら」

「冒険者の心を掴むってやつだろ」

「そちらは問題ないの。都合のいいことに、今、王都には冒険者が大勢集まっているわ。そこで、私たちの内、誰が王に相応しいか選んでもらえるはずよ。問題は、もう一つの条件」

「……ああ。お婿さんを連れてこいってやつだな」


 男だけ、女だけでは子供は作れない。それは王だろうが民だろうが変わりはない。

 その言い方だと、三人ともお婿さんを見つけられなかったってことになるんだろうか。意外だな。


「どんな問題なんだ?」


 俺はちょっと気楽になっていた。思っていたより大した話じゃないと踏んだのである。が、三人は険しい顔つきになった。あれ。俺を睨んでる?


「な、なんだよ」

「なんだよではありませんわっ」

「ひっ!?」


 アニスが立ち上がり、テーブルを叩いた。


「誰のせいで話がややこしくなったとお思いですか!」


 そんなもの知るか。

 アニスはふうふうと荒い息を少しずつ整えて、椅子に戻った。しかしいつでも爆発可能な状態だろう。


「結論から言いましょう。私たち三人の挙げた婿の候補が同じだったのです」

「同じ? 三人とも同じやつを好きになったってことか?」


 三人とも視線を逸らした。


「お前……あ、あのね。こういうのは好きとか嫌いとかではないのよ。恋愛で婚姻を結べる市井の娘と一緒にしないで」

「あ、そりゃそうか」


 政略結婚ってやつだもんな。けど、そうか。三人ともが同じ人をか。何だかんだで姉妹は似るんだな。また揉めそうな火種が生まれたって感じだけど。


「けどさ、候補者が同じだとまずいのか? 結局、王様になれるのは一人じゃないか。二つ目の条件だって三人ともが満たしてる。あとは冒険者の投票で決めればいいんじゃね?」

「そのつもりでしたが、あの戦いのせいでそうもいかなくなったのです。平時であれば冒険者の投票だけで終わったかもしれませんが、王城の内部……大臣、貴族たちから不満の声が上がっています。我々に責があり、王になる資格を疑っているのです」

「そうですわ、もう本当嫌になります。私たちが戦犯だなんて笑っちゃいますわね」

「笑えないわよっ」

「えー?」


 アニスはドリスとフェネルを見て、目を細めた。


「戦に負けた原因はドリスにありますわ。だってキャラウェイでえらぶっていたのに、王都まで攻め込まれて、挙句にはお城を壊されてしまったんですもの」

「そっちが裏切るからじゃない。それを言うならカルディアを落とされたお姉さまこそ大戦犯よ。お姉さまさえちゃんとしていれば、こんなことにはならなかったわ」

「裏切りじゃなくって、脅されていただけですわー」

「見え見えなのよ。喜々として王都に攻め込んでいたじゃない。隙あらば私の首をとろうとしていたくせに」

「妹にここまで疑われるなんて悲しいですわね。ドリス、あなたの心はどす黒く淀んでいるのではなくって?」

「……アニスお姉さま、湯浴みでもして来たらいかがです」

「は?」

「お腹が真っ黒だから」

「あなたこそ目の下の隈が前より濃くなっていますわね。どこか静かなところで休んでいたら? そう、たとえばお城の地下とか」


 睨み合う二人。フェネルはふっと息を漏らした。


「そこまでにしておきなさい。みっともないですよ」


 ドリスとアニスは次の標的を見定めたらしかった。


「フェネル姉さまこそ何もしていなかったくせに、よくもまあそんな風に冷静ぶっていられるわね」

「仮にも兵を率いる将でありながら、セリアックでゆっくりとお休みになられていたなんて、よほど私たちのことを信頼していたのかしら」

「私は王の言葉を持ち帰り、戦いを止めたではありませんか」

「最後に美味しいところだけ持っていこうとしても無駄ですわよ」

「あの状況で自分の兵を温存していたなんて恥さらしにもほどがあるわね」

「私は負傷していたのですから、仕方が」

「怪我を押して出陣してこそセラセラの将ではありませんこと? それに、こんなこと言いたくはありませんが、お父さまがあんなことになったのは――――」

「やめとけよ」


 流石に言い過ぎだ。俺はアニスをたしなめて、姉妹喧嘩の仲裁に入った。……傍から見てると俺と兄貴もこんなもんなんだろうな。嫌になってくる。

 ともかく、何となく分かってきた。王様になるには、この三人にはそれぞれ脛に傷があるってことが。それに、大陸のほとんどを牛耳るような権力者を新たに決めるのだ。方々から横やりが入るのも仕方ない。


「お前らの話を聞いてると疲れてくるよ。頼むから結論を言ってくれ。何がどうなって俺を呼んだんだ」

「……へえええええ。ふううううん。ああ、そうなのね。お前はそんなことを言うのね」


 何だ。その目は。


「いいわ。言ってあげる。私たちは王位継承権を諦めることにしたのよ」

「諦め……え?」

「だって周りがうるさいんだもの。私たちをやり玉に挙げて、あわよくば自分が王になろうとする輩まで出る始末。こうなったらもう悔しいから、全然別の考え方で、新しい王を決めようと思ったのよ」


 そりゃまた、随分と話が動いたものである。


「もしかして、俺を呼んだのは八つ当たりする為か」

「それもありますわ。でも、もう一つ理由がありますの。いえ、そちらが本題ですわね」

「何だよ」


 紅茶に手を付けてずずずと飲み干す。三人は俺を、呆れたような、諦めたような風に横目で見ていた。


「ここまで話を聞いていながら気づいていないのですか。ヤサカ・ナガオ」

「王様とか姫さまとか、お前らの話は俺には回りくどすぎるんだよ」

「そうですか」


 フェネルはするりと俺の手を取り、顔を寄せてきた。


「あ゛あ゛っ! 何をっ、お姉さま!」

「王になりなさい、ヤサカ・ナガオ」


 は?


「私たちが選んだ婿というのが、お前なのです」

「嘘って言え」

「嘘なものですか!」


 アニスは肩からぶつかってフェネルを押し退け、俺の両手を掴んだ。


「私は最初から申し上げていたではありませんか。お慕いしておりますと。あなたのことが超好きなんです。ですからあなたに協力したのを、も、もうお忘れなのですか。このアニス・セラセラは、なんと哀れな女なのでしょう……!」

「そ、そのことはありがとうって思ってるって。お前の言った通り、上手くいったし」

「では私を選んでくださいますのね」


 そ、それは。


「ちょっと! 今の話はどういうことよっ。やっぱりアニス姉さまの方から裏切っていたんじゃない!」

「聞き捨てなりませんね」

「口を挟まないでくださいます? 私はあなた方と違い、最初っからナガオさまを愛しておりましたの。裏切るもクソもありませんわ。ね? ね? ナガオさま?」


 いや、あの。


「待ってくれって! 俺が王様って、何がどうなったらそうなるんだよ!」


 無茶苦茶だ。そっちの方が色んなところから文句が出るだろ。


「これは半ば確定事項でもあります」

「は?」

「我々セラセラ家はこれから先、亜人と『仲良くして』いくのです。その為に、亜人の英雄と血の関係を結ぶのが、どうしておかしな話になりますか」

「馬鹿な……俺はその、そうかもしれねえけど人間だぞ。だったら亜人を連れてこい。シャーラブーラとか」

「ナガオさまが王になった後、亜人の有力者の娘が嫁ぐことになっていますわ。もちろん亜人たちもその方向で納得しつつあります。ね? それで万事解決ですの」


 シャーラブーラたちの顔が過ぎった。

 もしやあいつら、そんなことを話し合ってたんじゃないだろうな。


「そもそも、亜人も人間も納得出来る新しい王の候補者なんて、この大陸中を捜してもそうそう見つからないわよね。お前は、一応ではあるけれど色々な人に認められているのよ?」

「いや、でも、ちょっと。いきなりそんな話されたって困る。俺の意見聞いてないだろお前ら。第一、俺は兄貴を」


 正面のドリスが身を乗り出してきた。


「だから今お前の意見を聞くところなのよ。お前が自分の家族を追っているのは知っているわ。だけど、私たちを見捨てるつもり? ここまで引っ掻き回しておいて用がなくなればさようなら? お前は言っていたじゃない。血を薄めるって。セラセラと交わるって」

「そう言われると立つ瀬がないというか」

「じゃあ選びなさい」


 選ぶ。

 俺は三人を盗み見た。


「お前が選ぶのよ。自分の妃となるものを」

「……三人の中から?」

「ええ」

「あのー。他にその、候補というか」


 フェネルが俺の座っている、椅子の足を蹴っ飛ばした。


「失礼。足が滑りました」

「あ、うん」

「何か言いましたか。他の候補などいませんが」

「そうだよね」


 俺が、王様? セラセラの? しかも結婚?

 なんだそりゃ。いきなり過ぎて訳が分からねえぞ。でも、ドリスの言葉は胸に刺さった。そうだ。俺は俺の望むままやった。その結果がこれなのだ。責任。重くのしかかる。


「マジで、ちょっと時間をくれ。それに……お前らはいいのかよ」

「何がですの?」

「俺はこの世界の人間じゃないんだぞ」


 この世界は好きだ。その気持ちに嘘偽りない。だけど俺は、別の世界の人間だ。兄貴を連れ戻して問題が解決するまでの話なんだ。


「俺には、俺の世界と生活があるんだ」


 王様になるってだけじゃない。王になるってことは、結婚するってことは、子供を作らなきゃいけないってことだ。出来るはずがない。それこそ無責任ってもんじゃないのかよ。


「構いませんわ。ナガオさまは私を利用してくださればいいのです」

「利用って……」

「お父さまを見ていれば分かります。王様なんて、実のところ大したことはないんですの。私を抱きさえしてくだされば。子種さえくだされば。後は私でどうにでもしますわ。私もナガオさまを利用します。気に病むことなどありません」

「むちゃくちゃ言いやがるな、お前」

「むちゃくちゃナガオさまのことが好きなんですもの。前にも言いましたね。あなたは一所に留まるような方ではありません。私はあなたの全てを肯定し、受け入れます。形だけでも構いません。どうか、私をお選びください」


 アニスは慈母の如き笑みを浮かべた。なんて懐の広い女なんだ。


「ヤサカ・ナガオ」


 フェネルに、無理くり向き直された。


「何か勘違いしているようですから、一つだけ言っておきます。私は何となくお前を選んだわけではありません。お前でもいい、ではなく、お前がいいのです」

「お、俺が」

「命懸けで助けてくれたものを好きにならない理由など、どこにもありません。私もお前のことを男として好いています」


 フェネルは全く表情を変えないまま、言った。だが、俺が彼女の目を見ると、ふいと視線を逸らしてしまう。


「私は、妹たちと違って可愛げがないですが、今までお家の為に捧げてきた身も、剣も、これから先は全てお前に捧げます」

「い、あの、助けたっていうのは、あのな」

「私の髪が」


 ドリスとアニスが腰を浮かしかけた。フェネルにとって、髪の話題はタブーだったはずだ。俺も不用意に突っついて首を絞められたことがある。


「か、髪が?」

「き。綺麗だと……言ってくれました」


 フェネルは俯き、いじらしげに自分の髪の毛を指で弄んだ。俺は、ドリスに助けを求める。


「まさか、フェネル姉さまがそんな風になるなんて」

「初めて見ましたわね。まあまあ、お姉さまも女だということなのですね」


 何だ。この、なんなんだ、これは。

 頭が真っ白になって戸惑っていると、ドリスとまた目が合った。そう言えば、今日はやけにこいつと目が合うな。


「何よ。その目は」

「いや、お前こそなんだよ」

「…………別に。私も」


 あっ。


「お前のことは、嫌いではないわ」


 ドリスはそっぽを向きながら言った。頬っぺたが赤くなって、照れているのかもしれなかった。


「でも消去法よ。他にまともな男がいないから、お前しかいないからってだけ。お前なら、セラセラを悪いようにはしないだろうし、亜人の英雄だから交渉もやりやすい。あの百人斬りに負けを認めさせて、あんなに恐ろしい巨人を倒したんだから周りに文句を言わせない腕っ節もあるでしょう。お前が王になれば、兵も民も喜ぶわ。この世界のことをよく知らないみたいだけど、馬鹿ではないと思うし、少しずつ覚えていけばいいのよ。それに、それに、お前の世界のことを取り入れるのも悪くないわね。あと、それから……」

「ドリス」


 アニスが、早口でまくし立てていたドリスを止めた。


「ナガオさまのことが好きなの? 嫌いなの?」

「嫌いではないと言ったでしょう」

「じゃあ好きなのね」


 ドリスは言葉に詰まり、ゆでだこみたいに顔を真っ赤にして、俺を睨んだ。


「好き。文句ある?」


 ないです。

 ……まさか。この三人に本気で好意を持たれていたなんて。そりゃあ含むところはあるんだろうけど、見た目だけは可愛いし綺麗なのだ。美人から言い寄られて悪い気はしない。


「一晩時間をあげるわ。考えておいて」


 俺はそう言われて、部屋を追い出された。



<3>



 部屋を出ると、バースニップと目が合った。ずっとそこにいたのか。


「楽しそうでしたな」

「どこがっ」

「いや、姫さまたちがです」


 案内します。そう言って、バースニップはまた歩き始める。


「今日は城内にお泊り下され」

「え? ああ、はい」

「自由に歩き回ってくださって結構ですが、充分に気をつけて欲しいものですな。戦いはまだ終わったばかりですが、あなたは新たな王となるお方。何かあっては」

「あれっ。バースニップさんは王様というか、俺のこと知ってるんですか」


 バースニップは歩くのを止め、振り返った。


「ナガオさまを王にするのはどうかと進言したのは私ですからな」

「……あなたが?」

「いかにも」


 この人がドリスたちに余計なことを吹き込んだのか。


「そのような目で見られては困る。こちらとしても苦渋の決断だったのですから。……あなたが王になれば亜人は敵に回らず、余計な戦いを避けられる。そうしている間にセラセラの地盤を固められる。現状打てる手の中では最上の部類に入るでしょう。セラセラの大臣として、これ以上ない献策をした。その自信はあります」


 だが。そう言って、バースニップは俺を見下ろした。この人、背も高いし顔も怖いから、すげえ威圧感があるんだよな。


「現王チャービルの友人として、あなたを王に推すこと、やはり不安が残る」


 バースニップは、渡り廊下の手すりに背を預ける。


「ご存じですかな。フェネルさまは天上の月に例えられるほど美しく成長なさった。武芸の腕もさることながら、兵をまとめる力もおありです。怜悧な美貌は余人を遠ざけますが、その実、一兵卒にまで気を配れるほど優しいお方なのです。アニスさまはお稽古事に才がありましてな。特に歌がお上手でいらっしゃる。春になるとキャナルリアという、それはそれは美しい鳴き声の鳥が別の大陸から渡ってくるのですが、アニスさまのお声はキャナルリアに匹敵するともっぱらの評判です。頭のいいお方ですから、人心を引きつける話術には、この私も目を見張るものがあります。ドリスさまはセラセラの花と称されます。大人しい方でしてな。滅多に笑顔を見せることはありませんが、ひっそりと咲く、しかし見事な花実をつけるアッテナイという花のようだと言うものもおります。少々ぶきっちょなところもありますが、何を隠そう、このバースニップ・フォロークラウンが家庭教師をしていた時期もあります。才に溢れた方で、彼女をよく知らないものからすると、ともすれば冷たい風にも見えますが……」


 すげえ低く、重い声だが、内容がマッチしていないというかなんというか。親ばかって感じである。王様の友人とか言ってたし、同年代にも見えるから、ドリスたちを子供の時から見てきたんだろうな。

 親、みたいなものなのか、この人も。だとしたら、俺みたいなやつとの結婚とか、とんでもねえよな。


「セラセラ家の花、鳥、月。もらう覚悟は出来ておりますかな」

「いや、正直俺も不安です。全然覚悟とか決まってないです」

「何を。……ああ、しかし、そうか。正直な方だ」


 一瞬だけ物凄い顔つきになったバースニップは、穏やかな表情を取り戻した。


「あなたは異世界の方でしたな。あの方々も、そういう、自由というか、妙なところに惹かれたのかもしれません」

「はあ」

「年寄りが何を言うても、若い気持ちを止められはすまい。王も、姫さまたちが自由であることを望んでおられる。……運が良かったな、小僧」


 先生に叱られた時みたいに、俺は背筋をしゃんと伸ばした。


「あなたが王になれば今のような口は利けなくなる。どうしても言っておきたいことがありましてな。ご容赦ください」


 俺は小さく頷いた。バースニップは、俺の部屋はあそこにあると、廊下の先のドアを指差した。


「自由にお使いください。では、私はこれで」

「ありがとうございます。……あのー」


 歩きかけたバースニップが立ち止まる。俺は彼の背中に声を投げた。


「もしアレだったら、取り消しても構いません。というかどうにかしてください」

「何のことですかな」

「いや、俺が王様になるってやつですよ」

「ご冗談を」


 冗談ではなく。


「掴みどころのない方だ。はっは、そうですか。花も、鳥も、月も、風にさらわれてしまいましたか」

「えっ。あの、ちょっと」


 バースニップは満足そうに笑って、俺の話をそれ以上聞かずに歩き去ってしまった。あの人アレだな。ドリスを大人しいとか言ってたし、人を見る目はないのかもしれない。



<4>



 とりあえず、あてがわれた部屋に入ってみる。


「お帰りなさいませ!」

「あ、どうも」


 びっくりした。中には兵士が二人もいた。俺を護衛してくれるつもりだろうか。


「ご用命の際は、何なりとお申し付けくださいませ」

「ど、どうも」


 侍女メイドさんまでいた。なんだこれは。すげえ、まるで金持ちか、どこかの国の王様にでもなった気分だ。でもどうせならお帰りなさいませは兵士さんではなくメイドさんに言って欲しかった。

 とりあえず、お腹が減ったので恐る恐るお昼ご飯をお願いしてみた。しばらくすると、シェフを名乗る人がやってきて、フルコースをふるまってくれた。……ちょっと怖い。



<5>



 いつの間にか、俺は眠っていた。部屋の中は俺以外にも誰かが常にいたが、お腹がいっぱいになったし、『よろしければこちらでお休みください』と寝室を見せられたので一も二もなく柔らかそうなベッドへダイブした。という記憶は残っている。なんとなーくだが覚えている。


「あら、おはようございます、ナガオさま」

「おはよう」


 一時間か、二時間ほど経って起きたら、俺の隣でアニスが横になっていた。


「なあ。何してんの?」

「添い寝ですわ」


 俺はアニスの肩を蹴りつけてベッドから脱出し、立ち上がる。


「やん、初めてなんです。痛くしないでください……」

「一晩時間をくれるんじゃなかったのか。というか、見張りは何をしてたんだよ」

「だって我慢出来なくなってしまったんですもの。はしたないとお思いですか? それでも構いませんけれど。あ、部屋にいた人たちには退いてもらいましたわ。だって~、ナガオさまと二人きりになりたかったんですもの」


 話とか約束とかが違う!

 寝室から逃げ出そうとするが、アニスは悲鳴を上げて俺の足を止めた。


「次はもっと大きな声を出しますわ。『ナガオさまに犯されそうになった』と」

「はっ、そんなことしたらどうなるか分かってんだろうな」

「ナガオさまは英雄ですが、兵士に囲まれるでしょうね」

「ああ、そうだな」


 だからやめろ。アニスをねめつけると、彼女はベッドの上でごろりと横になった。ドレスの裾がめくれて中が見えそうになる。はしたない。


「面白い方ですわね。誰も勝てない、倒せないような巨人へは勇猛に立ち向かいますのに、私のような小娘に手も足も出ないなんて」

「手も足も出したような気はするけどな」

「ええ。あの時、カルディアで殴られた時は痛かったですわ。本当に」


 よくよく考えりゃ、俺はこの大陸の姫さまを殴ってるし蹴ってんだよな。打ち首にされてもおかしくないのかもしれない。

 アニスはベッドの縁に座ると、表情を消して真剣な目になった。


「あなたは私に借りがありますわ」

「そうだよな」

「返していただけます?」


 自分を選べと言っているのか。

 確かに、俺はアニスに大きな借りがある。彼女の協力がなければ戦いは泥沼化していただろう。もっと大勢の人が死んだかもだし、俺だって危なかった。


「もっと別のものでってのは、ダメか?」

「私をセラセラで一番の恥さらしにしたいのであれば」


 俺は目を瞑って考える。結婚て。子供て。王様て。俺は今まで彼女だって出来たためしがないし、好きな女に振り向いてもらったことだってない。色々と飛び越え過ぎている気しかしない。


「あのな、アニス……」


 目を開けると、アニスにそっと寄りかかられていた。彼女は体から力を抜いたので、俺は慌てて抱き留めた。


「ああ、温いですわ」

「あのなあ、アニス」

「この温かさを独り占めできたなら、どれほど幸せなことでしょう。ああ……ああ~、たまりませんわ」


 アニスは俺の胸に顔を埋めてくる。振り解こうとしたが、彼女は腕をつねったり、足を絡ませたりして抵抗してきた。


「あのなあ! アニスっ」

「ヤサカ・ナガオ?」


 心臓が飛び跳ねた。

 寝室のドアをノックされたのだ。しかも、今の声は……。アニスはにたあーっとした笑みを浮かべ、くすくすと声を漏らした。


「フェネルお姉様ですわね。こんなところを見られてしまったら、どう思われるでしょうか」


 俺は息を呑み、ドアを見た。


「眠っているのですか?」


 ドアを開けられそうな気配を察知する。俺は咄嗟に声を出し、フェネルを止めた。


「ああ、起きていたのですね」

「い、今ちょっと着替えてるというか、裸というか、ともかく入らないでくれると助かるんだけど!」

「そうでしたか」


 あぶねえ。

 俺は今の内にアニスを引き剥がそうとするが、彼女はふるふると首を振った。


「は・な・れ・ろ」


 アニスはぷくーっと頬を膨らませると、深く息を吸い込む。そうして大きく口を開いた。俺は彼女の口を手で押さえたが、少し遅かった。


「むー! むーっ!」

「今、誰かの声がしましたね」

「気のせいじゃないか?」

「いえ、しました」


 くそっ、フェネルめ。


「お前が裸だろうと何であろうと、いずれ目にするのですから構いません。入りますよ」

「あっ。ちょ」


 ドアにカギはかからない。俺はアニスの口を塞ぎつつ、背中でドアに体重をかけたが、勢い任せのフェネルに押し負けてしまう。


「あら?」


 俺はアニスを押し倒す形で、倒れてしまっていた。


「……そういうことでしたか」


 背中越しに視線が突き刺さる。アニスから退きたくもあったが、フェネルの顔を見るのも怖い。俺はそのまま固まり続けた。業を煮やしたか、フェネルは俺をぐいと掴み、無理矢理に起き上がらせた。そうして彼女は俺の顔を覗き込む。地元で有名なヤンキーも逃げ出しそうなガンつけであった。


「あ、あの」

「静かに」


 フェネルの吐息が顔にかかった。ふと、彼女の唇が薄っすらとした桃色に彩られていることに気づく。


「ちょっとお姉さま。年増の行き遅れがいつまでナガオさまとそうしているおつもりですか」

「なるほど、アニスの姦計ですね」


 俺は何度も頷いた。


「しかし、お前も振り解こうと思えば振り解けたはず。甘んじてアニスに捕まっていたのは下心があったからでしょう」


 フェネルは俺から少し離れて、アニスを見下ろした。


「ナガオは戦いにめっぽう強い男ですが、色香に惑わされる心根の弱さも見受けられます。その弱さにつけ込むような真似をしたのはお前の卑しさですよ、アニス。セラセラの姫として、お父さまの娘として恥ずべき行いです」

「お姉さま」

「なんです」

「お化粧なんて珍しいですわね」


 鼻白むフェネルに、アニスは立ち上がって追撃を加える。


「戦場の血と埃塗れだったお姉さまが、今は恋に狂った小娘も同然ではありませんか。お姉さまは私と、女で勝負なさるおつもりですか?」

「……いけませんか」

「べつにー? いけないことはありませんけどー?」

「くっ」


 俺はそろそろと寝室から逃げる準備を進めていた。もう、あと少しで脱出するというところで、ドリスさえ来なければ成功していたはずだった。


「来てあげたわよ。私はそのつもりなんてなかったんだけど、ラベージャがどうしてもお前に会いたいというから仕方なく連れてきて……お姉さまたちは、ここで何をしているの?」


 睨み合う二人と、腰の引けている俺を認めて、ドリスは目を丸くさせた。ラベージャは彼女に耳打ちした。


「姫さまは除け者にされたようですね」

「はしたない!」


 ドリスは二人を指差して喚いた。


「ナガオが自分自身で選ぶまで、誰もナガオと話さないようにすると決めたではありませんか! お姉さま方は私をたばかったのですね。そうやってナガオのこともたばかって、弄ぶつもりなのでしょう?」


 俺は三人のお姫さまに挟まれていた。全然嬉しくなかった。

 おかんむりのドリスだが、相手にしているのは口が達者なアニスと肝の据わったフェネルである。


「あなたこそラベージャをだしにしてここに来ているではありませんか」

「う」

「そうやって常に保険をかけているようでは殿方の心を掴むことなど不可能ですわよ、ドリス」

「うるさいっ」


 口論はヒートアップしつつあった。俺はそっと部屋を出た。



<6>



「災難だったな。いや、男冥利に尽きると言い換えるべきか」


 俺はラベージャと一緒に中庭に出ていた。セラセラの兵士や、協力的な亜人が、がれきの撤去なんかをやっているらしかった。


「ドリスのところにいなくていいのか?」

「構わん。姫さまがああなっては誰も止められん。巻き込まれるのも嫌だからな」


 そりゃそうだ。まあ、俺はその渦中にいるからどうしようもないんだけど。

 ラベージャは適当な場所に座り、俺は彼女の近くの瓦礫に腰を落ち着かせた。


「絢爛たるキャラウェイ城も、こうなっては石の塊に過ぎないな」

「なあ、ラベージャ。ありがとうな」

「昨日のことか? 気にするな。お前に力を貸すのが一番いいと思っただけだからな」


 いや、それだけじゃない。


「今日までのことだよ」

「それは……じゃあ、少しは気にしてもらおうか」

「そうする」


 ああ、と、ラベージャは目を細める。


「しかし、縁ってのはあるんだな。ラベージャの師匠がキリハリリハさんだとは分からなかった」

「まだ生きていてたとはな。キリ婆もそうだが、エルフというのはとかく長生きなものだと改めて思い知らされた。ところで、ヤサカは《荒絹》を使っていたようだが」

「アラクネ?」

「風の糸のことだ」


 アレは荒絹と言うのか。知らなかったな。


「教えてもらったんだ」

「教えてもらうのと使えるようになるのとは別問題だ。少し妬けたぞ。私は風の魔法の適性がなかったらしいからな」


 エルフってのは風魔法と相性がいいんじゃないのか。


「私は、普通のエルフではないからな。火属性の魔法なら扱えるが」

「じゃあラベージャは風魔法を全然使えないんだな」

「まあ、そうだ」

「そりゃいいや。全部負けてたらかっこつかねえからな」

「剣でも勝ったではないか」


 何を言ってんだ。

 あの時、ラベージャは本気じゃなかった。俺に稽古をつけてやるって感じだったじゃないか。そのことを指摘すると、彼女は特に否定もしなかった。


「勝ちは勝ち。負けは負け。もう一度やったら私が勝つかもしれないが、貴様はあの時、確かに私に勝利した。それでいい」

「そっちがそう言うんなら、それでいいけどさー」


 まだまだ敵わないな。


「それより、ヤサカは誰を選ぶんだ?」

「うっ。やめてくれよ」

「そうはいかん。いつまでも引き延ばせる話でもないからな。私としてはドリスさまを推すが」


 ラベージャは珍しいことに、ドリスみたいに意地悪く笑う。


「どうせならラベージャがよかったけどな」

「……ん?」

「結婚するならさ」

「貴様も中々、悪い性格をしているな」


 つまらなそうに息を吐くラベージャ。意趣返しは成功したらしかった。


「だが、ヤサカが王か。もう軽口も利けなくなる。こんな風に二人で出歩くのもこれが最後かもしれんな」


 それは、嫌だな。

 俺はラベージャをまともに見られなかった。



<7>



 俺は、さっきの部屋に戻る気にもなれず、こっそりと王城区画を抜け出し、城下町にいた。町を出て、森のねぐらへ行こうと決めたのだ。


「あ、ナガオさまじゃないか?」

「おお、そうだ、そうに違いない」

「敬礼っ」


 …………。

 町を歩いていると、兵士や町の住人から様々な声をかけられる。すっかり有名人みたいなもんになってしまっていた。

 恥ずかしいというか、何だかむず痒くなった俺は急ぎ足で町を出る。そうして森のねぐらに到着すると、亜人たちがげらげらと楽しそうにしながら飲み食いをしているのが見えた。


「お、リーダーのご帰還だ」

「お城はどんな感じだったよ? やっぱり綺麗な女がたくさんいるのか?」


 すっかり出来上がっていた。

 というか、こいつら!


「シャーラブーラはどこだっ」


 皆、人の輪の中央を指差した。そこでシャーラブーラは、他の亜人の掛け声に応じてみょうちきりんな踊りを披露している真っ最中だった。


「ん? おお、ナガオか!」

「お前らいったい何の話をしてたんだ!」


 俺が王になることは亜人も認めているとか言っていた。シャーラブーラたちも一枚噛んでいるに違いない。


「話? おお、そうだ。いい縁談がまとまったな! こんなに素晴らしい話はないぞ。お前ももう嫁をもらってもおかしくない歳だからな」

「やっぱりお前か!」

「ついてはだな、お前の嫁に相応しいのは」

「待て待て、ナガオさまに相応しいのはヴェロッジのエルフじゃねえ」

「オウガ族の女はいい子を産むぞ。なあ?」

「エルフの美しさの前では、他の亜人など!」

「いやいや、イア族の耳は……」

「リザードマンの肌は……」


 やばい。なんかまた俺の意志が介在しないところで話が進んでいる。


「嫌だ! 待ってくれ! 結婚とか嫁とか早いんだって!」

「早いに越したことはないぞ」


 これ以上喋らせてはまずい。俺はシャーラブーラを捕まえようとしたが、やつは風の魔法を使って高い場所へと跳び上がった。建物の屋根から、シャーラブーラはかかかと声を上げる。


「もう一ついい話がある! セラセラとの話の中で、俺がヴェロッジの新たな長となることが決まった!」


 拍手喝さいを浴び、シャーラブーラは気持ちよさそうに目を瞑った。何を浸ってんだお前。


「皆の気持ちは分かるが、セラセラは亜人の長たるものとの繋がりが欲しいそうだ。やはりヴェロッジのエルフでないとダメだと言われている。ここは一つ涙を呑んでくれ。だが! ナガオが男として名を上げたいのなら、新たな嫁を娶ることになるだろう! 皆、ナガオの男に期待するといい!」


 シャーラブーラと星詠みの姿がダブって見えた。


「勝手なことばっか言いやがって! 俺をだしにしたな!」

「はっは、英雄とはそういうものだ。ナガオ、お前は俺のよき友だが、俺は長となった。同胞を守るなら友達だって利用するさ」


 俺は、近くにいたオウガの男から肉と飲み物をひったくって腹に収めた。シャーラブーラは下に降りてきて俺の肩を叩く。


「しかしお前も男だろう。嫁を娶るのは幸福なことだ、違うか?」

「時と場合による」

「そう言うな。ところで、誰がいい?」


 ん?


「嫁のことだ。さすがに俺も鬼ではない。お前の意志を出来る限り尊重したいのだ。好きなものを選ぶといい。何、気にするな。皆お前に選ばれたがっている。お前の女になり、お前の子を孕みたがっているのだ」


 頭がカッとした。亜人たちはこの手の話には無頓着というか、奔放というか。

 俺は大いに頭を悩ませた。いや、誰を選ぶとかそういうことで悩んでいる訳ではない。確かに俺も男だ。ちょっとその気になっている感は否めない。


「んん? どうだ? クゥールスールはお前とも歳が近いし、器量よしだ。お前は王だが戦士でもある。魔法と剣の扱いに長けているペールエールとの子は英雄の血を色濃く受け継ぐに違いないぞ」


 クゥールスールもペールエールも知っている。エルフの女性は誰もが美人だ。実年齢が見た目とまるで一致しない、という点さえ除けば。

 だが、俺は……。


「あー、一人だけ気になっている人がいるんだけど」

「言ってみろ」

「シャイアさん」

「あ?」


 場が一瞬にして静まった。他の亜人たちは顔を見合わせているし、シャーラブーラは口を開けて固まっていた。

 が、シャーラブーラは何か思い至ったらしく相好を崩す。


「さすがは俺たちの英雄だな。冗談も上手い」

「いや、冗談というか」

「ひひひ、新しい長がナガオさまをからかい過ぎたな。一本取られたじゃねえかよ、なあシャーラブーラ」

「うーん。仕方あるまい、もう少しだけ待つとしよう」


 シャーラブーラたちは宴会の続きを始めた。えーと。あれ? しゃ、シャイアさんは?

 よほど俺が恨めしい目つきでもしていたか、シャーラブーラは苦笑した。


「確かに妹は可愛いが、いつまでも俺の手の内にいるわけではない。シャイアにも相応しい男が現れる時が来る。必ずな。ナガオ、お前はその点で言えば申し分のない男だ。身内びいきかもしれないが、シャイアは魔法も上手いし家事も出来るし、頭がいい。家柄は、まあ、ヴェロッジの長の妹というものがある。何よりあんなに愛くるしいではないか。正直だな、お前に嫁がせることが出来ればどれだけよいか」


 そこまで言っておきながら、どうしてだ?


「シャイアはまだ四歳だ。嫁がせるには早過ぎる」

「は?」 は?


 は?


「なんだって? 四歳?」

「ああ。四歳だ」

「……それは、アレか。エルフ特有の数え方というか」

「ん? いいや、シャイアは生まれてから四年しか経っていないという意味だ。歳の数え方は人間と変わらない」

「ストトストンは、一年が何日だっけ? 二千日くらいあるんだっけ?」

「いや、一年は三百六十日ほどだ」


 だよな。知ってた。

 俺はその場に膝を突く。四歳児に恋をしそうになっていたという衝撃が、体から力を奪ったのだ。


「よ、四歳にしては成長が早いんだな。シャイアさんは」

「亜人は皆、だいたいあんなものだがな」

「そういう、ものなのか」

「どうした? 疲れたのか?」


 四歳……四歳て。


「ごめん。ちょっと休ませてもらおうかな」


 俺は小屋に向かった。もたれかかるようにしてドアを開ける。小屋の中でベッドを見つけたが、そこまで行く気力がなく、床に座り込んだ。走馬燈のように、ヴェロッジに来てからの記憶が通り抜けていく。


「つーか……!」


 さようなら、シャイアさん。


「つーかずるくねえ!? 勘違いするに決まってんじゃんかよおおおお」


 俺はちょっとだけ泣いた。

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