第5章 王都攻防戦Ⅱ<白刃に軌跡が浮かんだ>
<1>
今のところは上手くいっていると、そう信じたい。
俺はシャイアさんに手を引かれつつ水路を駆けていた。水の上を走る。忍者みたいでかっこいいのかと思っていたが、何だか不思議というか、気味の悪い感覚しかなかった。
「上がるぞ」
俺たちは、城下町区画の外壁が聳える場所に上陸する。右手には壁。左手は水路だ。足を踏み外せば危ないな。アニスに教えてもらったことを思い出しながら、俺はキリハリリハと代わって先頭を走った。石畳と水路の壁が足音を反響させている。
角を曲がろうとした時だった。俺の首根っこをキリハリリハが掴んで、押しとどめた。その瞬間、鼻先を何かが掠めていった。
「やはり読まれておったか……!」
俺は物陰から顔を少しだけ出して向こうを見る。うっ。心中で呻いた。狭い通路に重装備の歩兵や、矢を構えているやつもいた。数は……。
数えようとしたところで矢が飛んできた。慌てて顔を引っ込めて、思わず頬っぺたに手を触れる。
「他に道はないのか」
エルフの男が問うも、俺は首を横に振った。ここを突破しなければならない。何故なら、隠し通路は兵士が陣取っている傍の外壁にあるからだ。
外壁は煉瓦を積み上げて出来ている。その煉瓦をいくつか叩いて壊すかして退かせば、人が通れるだけの穴が出てくるらしい。そこから地下に入り、通路を進んで神の庭に這いあがれる。
「あそこに兵を配置してるってことは、隠し通路がマジだって可能性が高い」
「突破せねばならんか」
シャーラブーラは俺と場所を入れ替え、そっと顔を出す。すぐに戻ってきて苦い顔をした。
「こちらの五倍はいる」
「それも今だけじゃな。わしらがここにいることがバレたなら、仲間を呼びに行ったものもいるかもしれん」
時間が経てば経つだけ不利になる。
「どっちにしろやるしかねえって決めてたんだ。行くぞ。俺が先に」
「ナガオ」
言いかけたが、キリハリリハが俺の膝を叩いて、無理矢理跪かせた。何をするんだとねめつけたが、彼女は目をつり上げて、恐ろしい形相でこちらを見返してくる。
「主はわしに人を殺すなと言うたな。わしは出来る限りそうすると言うた。じゃが、この期に及んで殺すなとは言わんな? では主は? 主は人を殺すのかえ」
「ご隠居様! いまさら何をっ」
「黙らんかシャーラブーラ。大事なことじゃ。どうなんじゃ」
人を殺す。
それは、無理だ。もしそうなったとして、こっちの世界で罪に問われなくっても、元の世界に戻ればどうなる。俺はきっと震えて眠れないだろう。いや、罪科の問題じゃない。たぶんだけど倫理でもない。ダメなものはダメってのは分かるが、ここは俺のいる世界でも俺の生まれた時代でもない。だからこれは俺の気持ちの問題なんだ。
「嫌だ」
キリハリリハが俺の頬を平手で打った。
「ダメだ。兄貴たちと同じになる」
「違う」
俺を否定して、彼女はまた俺の頬を打った。そして早口でまくしたてる。
「主と主の兄は違う。主とわしも違う。主と同じものなど一人もおらん。主が自分を守って生かすなら、他人を自分の血と肉にせよ。自分を生かせぬものが誰かを生かすことなど出来ぬ。自惚れたか人間め。戦うとはそういうことじゃ。すぐに決めよ。それが無理なら」
頭の中を。心を。俺の好きな人たちが過ぎった。嫌いなやつらも、そうでない人たちも。
俺が死んだらどうなる。
「嫌だ」
もう一度打たれた。鼻から血が出てきて、口の端まで垂れてきた。
「喜びながら人を殺すなんて嫌だ。でも、俺だってやる時はやる」
「阿呆。誰もそういう風にやれとは言うとらん」
俺はきっと裁かれる。いつかきっと天罰が下る。
「ならば好きにせい」
シャイアさんが気づかわしげにしてくれたが、今は有り難くなかった。俺は鼻を啜って血を舐めた。鉄臭さが鼻孔に広がって、息苦しさが少しだけ煩わしいことを忘れさせてくれた。
「時間ないのに悪い。改めて、俺が先に行く」
<2>
抜剣と同時に物陰から飛び出す。矢が飛来するのは分かり切っていた。俺たちは風の魔法で矢の軌道を逸らす。
シャーラブーラと二人のエルフが水路の方へ飛び出し、水面上から、重装歩兵の側面めがけて斬り込んだ。俺は矢を受けつつ真正面から突っ込む。
「シャイアはそこにいろ!」
最後尾にはシャイアさんとエルフの男が。キリハリリハは俺の後ろから風の糸を伸ばした。彼女は弓兵を狙っていた。
声を荒らげ剣を振り下ろす。下から跳ね返されて、俺はよろけた。体勢を整えるべく、ぐるりと体をひねる。剣を納め、メニューから斧を呼び出した。そいつをしっかりと両手で握る。
「おぉおおお!」
正面の歩兵に重量のある得物を叩きつけた。低い呻き声が、金属の甲高い音に掻き消される。もう一発ぶち込もうとしたところで、横合いから槍で突かれた。水路の方へ追いやられ、俺は斧を捨てて空手のままで飛び掛かった。
阿呆め。キリハリリハが悪態を吐く。彼女は中空から武器を振り下ろし、俺を狙っていた兵士を強かに叩きのめす。近くにいたやつを蹴りつけ、短剣を二本投げた。
かってえし、手強い。水路の方から仕掛けたシャーラブーラたちも重装歩兵を突破できない。後方からは隙あらば飛び道具を射かけてくる。キリハリリハが魔法を使って矢を逸らし、得物を取り上げているがきりがなかった。
その、逸れた矢が後ろへ飛んでいく。シャイアさんの悲鳴が聞こえて、俺たちは振り向いた。彼女は剥き出しになった腕を押さえていた。
「掠めただけです、大丈夫!」
「シャイアァ……うおおお! よくも傷つけてくれたなァ!」
シャーラブーラは激怒した。
水面から跳躍し、重装歩兵の肩に飛び乗り、近くの兵を撫で切りにする。彼は更に跳び上がり、外壁に足をつけて斜め方向に走った。重装歩兵の向こうにいる弓兵たちを標的に決めたらしかった。剣が折れれば相手のものを奪い、それも折れれば素手で兵士を殴りつける。
「無茶苦茶じゃな」
シスコンの、鬼神の如き戦いぶりに恐れをなすセラセラ兵。キリハリリハは重装歩兵の一人に目をつけると風を使い、武器で打ち据え、最後には掌打で水へ落とした。
「ほれ、重いの着込んでおるからの。はよう助けてやらんと溺れ死ぬぞ」
軽装のセラセラ兵は水路へ飛び込む。たぶん、仲間を助けるっていうよりも、すぐそこにいるシャーラブーラに怯えて水に逃げたのだろうと思われた。
<3>
敵の数が減ってきた。これなら押し切れる。力が漲った。そうして剣を振った時、前方から新たな兵士たちが姿を見せた。俺は、見てはいけないものを見てしまったような気分に陥った。
「ぬっ、おおわ!?」
敵陣の奥深くに潜り込んで戦っていたシャーラブーラが、後方から襲われて水に落とされる。彼は慌てて魔法を使い浮上するも、矢を射かけられて凌ぐのに必死な様子だった。彼を助けに、二人のエルフが水路へ躍り出る。
「キリハリリハ、矢を頼む! シャイアさんは支援を!」
ベルトに吊っているアイテム類の詰まったポーチを、俺はシャイアさんに投げて渡した。
俺も援護に行きたかったが、それはちょっと無理そうだった。
「やはりか。そんな気はしていた。……皆、黒髪の冒険者に注意しろ。あれがリーダーだ。やつが頭だ。潰せばどうとでもなる。やつの強みはそこなのだ。一人ではどうしようもないが、人を惹きつけ集めて戦うのがやり方だ」
部下に指示を出したのは褐色のエルフだった。美人だが無表情で。その上短気で。きつい物言いをするけど意外と扱い易いやつで。
「なあ、ヤサカ?」
「ひっでえ言いぐさ」
そんで、俺の憧れの人だった。届きたくて、隣に並びたかった。彼女の技を真似ようとして、勝手に背中を追っかけてた。そんな相手がそこにいる。
「ラベージャ? お主、ダークエルフのラベージャか!」
キリハリリハに呼びかけられると、ラベージャは鬱陶しそうに視線を投げてきた。
「あなたは、キリ婆? ふ。お久しぶりですね」
「町を出てどこに行ったかと思えばセラセラの狗に成り下がったか!」
「何せ半端者ですから」
「ぬううう、バーカ! アホ!」
まさか、キリハリリハとラベージャは知り合いなのか?
「こやつはな、わしが昔に剣を教えてやった、出来損ないの弟子じゃ」
「もう弟子ではありません」
心のどこかで、そうかもしれないって気はしていた。そうだ。二人の剣は、どこか似ていた。たぶんだけど、だから俺はキリハリリハに対して素直になれたのだろう。
二人は睨み合っていた。とてもじゃないが、いい師弟って関係には見えなかった。
「そうか。フェネルの言ってたラベージャの師匠は、そうか……」
そういうことだったか。
こんな形で出会うとは、誰も思ってなかったんだろうな。
「浸るな、ヤサカ」
ラベージャはすらりと剣を抜く。その切っ先を俺に向けて、彼女は僅かに顔を歪めた。
息を呑んだ。手足が妙に冷たく感じる。俺たちはもう仲間じゃない。敵同士なんだ。
「ナガオ。主では分が悪い。そやつはな、出来損ないじゃが、その、剣の腕は間違いなく立ちよってな。それで」
「手を出さないでくれ」
「主では勝てんと言うとるんじゃ!」
かもしれねえ。
「でもあいつを押さえなきゃやべえのは分かる。キリハリリハさんは皆を守ってやってくれ」
「聞き分けのないやつじゃのう!」
「やらせてくれ」
ちっぽけなプライドを掻き集めて言った。キリハリリハは俺を認めたくないようだったが、戦いの最中では問答の暇もなかった。俺は剣を素振りし、一歩前に出る。
「そっちは何人がかりでもいいぜ」
虚勢を張る。ラベージャは俺の思惑を見透かしたのか、小さく笑んだ。恐らくだが、彼女が笑ったことに気づいたのは俺くらいのものだろう。
「いいだろう。私が相手をしてやる。他のものは、背の低いエルフに注意しろ。年寄りだが腕は立つ」
「なんじゃとー!」
ラベージャの連れてきた兵士のうち半分は俺を通り過ぎてキリハリリハへ向かった。残り半分はラベージャの後ろに待機している。ありがたい展開だった。
彼女はいつか見た時のように得物を構えた。もっとも、その相手は俺なのだが。
「好きに打ち込んでくるといい」
「……あー、その言い方」
『私が剣を教えてやってもいいぞ』
稽古つけてやろうってか。
まだ気にしてやがるな、こいつ。
<4>
先に切り込んだのは俺だった。息を止め、攻撃を悟られないようにしたが、振り下ろした剣は容易く跳ね返されてしまう。ラベージャは足を運び、己の剣で俺を薙ぐ。かちんと高い音が響いた。俺は少しだけ驚いた。彼女の剣が見えたのだ。最初に出会った時、こいつには手も足も出ないままだったってのに。
ラベージャは間合いを外す。俺は新鮮な空気を取り込もうとしたが、やられた。彼女は一息に距離を詰め、こちらの胸元めがけて突きを放っていた。剣の腹で受けながら体を捩る。ラベージャの剣は鋭いが重くはない。俺は片手で受け止めながら、もう片方の手でベルトに差した短剣を掴む。短剣で突いてやろうとしたが、ラベージャの体が低く沈んだ。受け止めていた剣すらも消える。叫びたい気持ちを堪えた。エルフの言葉を聞いた。俺の視界が赤く染まる。
「火のォ!」
ラベージャもエルフだ。魔法を使える。俺は、火属性のそれで焼かれたのか。後ろへ下がる。左手の水路が魅力的に見えた。苦し紛れに短剣を二本投げるも、剣で弾かれてしまう。接近したラベージャの剣が踊った。
下から跳ね上げてやろうとしたが、下げた剣をラベージャが蹴る。横に流れそうになる体を押し留めて、回転するように得物を振るった。背中に衝撃。振り返りざまにもう一度剣を振るったが手応えはない。空だけ切った。
「だらぁあっ!」
退かねえ。前へ踏み込む。ラベージャが短く息を吐き出し、剣を寝かせた。……突きだ。
俺は半身になって突きを躱し、突きで返す。
「エルフの剣を習ったか」
「お前の剣だラベージャ!」
「付け焼刃に過ぎん」
防ぎ、薙ぐ。躱して突く。ラベージャの速度が上がった。振り下ろし。跳ね上げ。頭上を刃風。全身が凍るようだ。手首を返す。耳の薄皮を剥がれる。俺の知らない技。間一髪で避けるも逃げられない。あえて前へ。互いの得物が衝突し、それでも引けないから鍔迫り合いに発展する。俺より細い腕だってのにびくともしねえ。
「私に勝てると思ったか。エルフの剣は軽いのではなく速い。お前の剣にはそれがない」
力ではなく技で押されている。
「だが、その剣が閃く度にお前の軌跡が浮かび上がっていた」
「ええ? 何言ってんだかわっかんねえよ」
「強くなったな、ヤサカ」
こんな状況だってのに、ラベージャが微笑んだ。あ。ダメだ。なんか、泣きそうだった。
息を乱すな。涙を流すな。力を込めて、ちゃんと相手を見ろ。
「訳分かんなかったけど、来た甲斐があった」
「そうか」
「お前と会えて良かった」
「そうか!」
俺とラベージャは、同時に剣を弾いた。距離を取り、相手の呼吸を観察する。師は同じ。振るう技も同じだ。
やっぱりラベージャは強い。俺だってやるようになったと思ってたけど、彼女はその上を行く。だけど負けるつもりなんかさらさらない。どうか力を貸してくれ、風の精霊よ!
呪文を唱えるとラベージャの顔色が変わった。俺の周囲から風が巻き起こる。その勢いに恃んで地面を蹴った。飛ぶようにして剣を振り下ろす。避けられた。俺は得物を手放し、短剣を抜く。ラベージャの剣を、俺は両手で握った短剣で防いだ。火花が目の前で飛び交う。
拮抗は一瞬。ラベージャは裂ぱくの気合と共に俺の短剣を弾き飛ばした。俺は、空手になった。無防備になったが、向かってくる脅威はよく見えている。見切って、カウンターを打つ。剣の腹を拳で殴ると、ラベージャがバランスを崩した。即座に《連撃》を発動。
もう一度。彼女の目を見ながら呪文を唱えた。
ラベージャの掌から炎が放たれるも、俺は意に介さなかった。まっすぐに突っ込む。彼女は連打を放ち、俺を突き飛ばした。痛かったし、思わず膝もついちまったけど、
「ここまでだ」
俺の目には余計なものが映っていなかった。動きを止めたラベージャと、その首元に突きつけられた短剣の刃。そして、その短剣と繋がっている風の糸だけだった。
「馬鹿な……これは、キリ婆の」
「一本しか使えなかったけどな」
俺があんなにも真剣に、熱意を込めて言ったってのに、風の精霊ってのは本当に気紛れだ。全然力を貸してくれなかったじゃねえかチクショウ。でも、一本でも十分だった。
「月並みだけど動くなよラベージャ」
ラベージャは俺ではなく、中空で揺れる風の糸を見つめていた。彼女はゆっくりと剣を下ろして、息を吐き出す。動くなよって言ったのに。ただ、敵意とか、殺気とか、張り詰めていたものがなくなった。俺も魔法を使うのは止めにする。風の糸が消えると、短剣が地面に跳ね返って、滑って、水の中に落ちた。
いつの間にか戦いの音が止んでいた。皆、しんとしてこちらに顔を向けているのだろう。
俺はシャイアさんから回復薬の入った瓶を受け取り、ゆっくりと飲み干した。
「少しはかっこよくなっただろ」
「ああ、私の負けだ」
ラベージャは剣を鞘に納めた。
「だが、負けたのは私だけだ。お前たちをこの先へ進ませるわけにはいかない」
「どうしてもダメか。俺は、お前とはこれ以上やり合いたくないんだ」
「私は姫さまの近衛兵だ。お前はセラセラの敵だろう?」
俺は、ドリスに会って戦いを止めたいのだと告げた。ラベージャは表情を崩さなかった。
「だろうな。ヤサカの考えそうなことだ。だが、それでもというものはある」
「俺と一緒に来てくれ、ラベージャ」
「何……?」
俄かに場がざわついた。そりゃそうだろうなと少しだけ後悔したが、俺はラベージャと敵同士なのが嫌なのだ。
「私に、姫さまを裏切れというのか」
「そうだ」
「ナガオさま!?」
「なあにを言うとるんじゃこの阿呆!」
「バーカ!」
ええい、うるさいなあ。
「一緒が無理なら、せめてここで諦めてくれ」
「先へ進みたいが、私と戦うのも嫌だと? わがままなやつめ」
「頼む」
「私はわがままなやつが嫌いだ」
俺は頭を下げた。ラベージャは、声を出して笑った。
<5>
目を瞑れば思い出す。
『あら。あなたが新しい近衛兵なのね。死ぬまでこき使ってあげるから有り難く思いなさい』
『…………はい』
ラベージャはセラセラ家に恩がある。
『ちょっと! 全然出来てないじゃない! 早くしないと家庭教師に叱られてしまうわ。早く宿題をやりなさい』
『はい』
ラベージャはドリスの近衛兵で、彼女の姉と同じような存在だ。
『最近たるんでない? あの冒険者がいなくなってから気が抜けたのかしら。はーあ。これだから』
『そのようなことは』
『さっさと百人斬りを見つけてきなさい』
『はい』
恩がある。
『まーだ見つからないの!? バカっ、グズ! 何をしてたの今まで!』
『申し訳ございません』
『もう。喉乾いたから、冷たいものを持ってきてちょうだい。一分以内にね』
――――私は。姫さまに恩がある。
『バカ!』
『間抜け』
『返事なさい』
『えー、ねむいー。もうおこさないでー。ほっといてー。おこしたら打ち首にするから』
『あれ? ラベージャいるんでしょう? どこ?』
『ラベージャ! ラベージャってば! ちょっと返事を……ちょ、ラベージャアアアアァァァァア!』
ナガオは頭を下げ続けていた。
ここで彼に協力すれば、どうなるだろう。ナガオが城に乗り込み、ドリスと交渉すれば済むというものでもない。ドリスはきっとナガオと話さない。彼を許さないはずだ。どちらかが完全にノックダウンするまで戦い続けようと思っているはずだ。しかし、このままでは戦いの結末がどうなるかがまるで分からない。
亜人が勝てばセラセラ家は滅ぶまでいかずともかなり追い込まれる。ドリスは十中八九殺されるだろう。
セラセラ家が勝てば、亜人は根絶やしにされるだろう。今はセラセラ家に仕えているが、ラベージャとて亜人であることに変わりはない。彼女も一時はヴェロッジで過ごしていた。知っているものが死ぬのは耐えがたかった。
では、ナガオが勝てば。そこで、どうしてこんな簡単なことで悩んでいたのだろうとラベージャの頭がすっきりした。蜘蛛の巣を払いのけたような。疲れ果てて寝ころび、抜けるような青空を見たような思いだった。
<6>
「ヤサカ。この戦いの命運をお前に託そう」
「いいのか」
「お前は姫さまよりわがままではないが、姫さまよりずるいのだ」
ラベージャはそう言ってくれた。何だかキリハリリハとシャイアさんから不満の声が上がっているが、俺はラベージャを信じている。
動揺を隠せないのはこちら側だけでなく、セラセラの兵士たちもだった。何せ上官が寝返ったのだ。ラベージャは彼らを見渡すと、ともすれば突き放すような冷たい口調で言った。
「貴様らも好きにするといい。ここで私たちを止めるのもいいだろう。付いてくるのなら歓迎しよう」
ラベージャは外壁の壁を切り刻む。がらがらと破片が崩れてきて、人ひとりが通れそうな穴が開く。そこが隠し通路か。
「しかし止めるというのならこちらも加減は出来ない。覚悟の上で我らの背を襲うのだな」
俺たちはお互いにボロボロに近い状態だった。セラセラ兵は身動きできないでいる。ラベージャは小さく頷き、俺たちについてくるようにと言い、隠し通路に入った。俺、キリハリリハが続く。最後尾はシャーラブーラだ。彼は後方からの追撃を警戒してくれていた。
通路は天井が低く、狭くて暗い。ラベージャが指先に炎を灯して光源を用意した。こんな時、ヘリオスソードを懐かしく感じてしまうな。ああくそ、あれ、便利だったのになあ。
「ナガオ、気ぃつけえよ。こやつめ、わしらをどこへ連れて行こうとしておるのか」
「神の庭に出るんだろ」
「そうだ」
「は、どうだか」
キリハリリハはラベージャが気に入らないらしい。
「しかし先ほどのアレはよかったぞ。ふふん。どこぞのダークエルフは風の魔法すらまともに扱えなかったからのう」
「次は右だ」
ラベージャは全く意に介していなかった。キリハリリハは憤激する。
「亜人に尻尾振ったと思ったらよりにもよってセラセラに飼われおって! その次はナガオに媚びるのか。主の尻はどれだけ軽いんじゃ」
「やめてくれよキリハリリハさん」
「構わん。慣れている。激し易い人だからな」
しばらく通路を進むと、地下へ向かっていることに気づいた。緩やかな斜度があったらしい。さらに地下通路を進むと、分かれ道がいくつもあった。ラベージャがいなかったらここでかなりの時間を食われてただろうな。
外にいた連中も追ってくる様子はなさそうだった。今、この通路にいるのは俺たちだけなのだろう。
「もうすぐだ」
「城の中にはどれくらい兵士がいるんだ?」
ラベージャは俺に顔を向けなかった。答えるのに一瞬のためらいがあった。
「ほとんど出払っている」
「おお、そうか」
シャーラブーラが分かりやすく嬉しがる。
「だが、姫さまには護衛が付いている。私の知る限り、この大陸でも最強との呼び声高い冒険者がな」
「冒険者が?」
まさか兄貴か? それとも……いや、違う。確か、兄貴もその仲間も冒険者じゃあないってことを自分で言ってた。
先頭を進むラベージャの速度が落ちる。行き当たりでもない通路の途中で、彼女は低い天井に手を伸ばしていた。
「確か、ああ、ここか。着いたぞ」
天井がスライドしていき、夕暮れ時の光が真っ暗な地下通路を少しずつ焼いた。
<7>
外に出ると王城が近くに見えた。高低差のある生け垣が周りをぐるりと囲んでいる。石畳と芝生の散策路を辿れば色とりどりの花を楽しめるだろう。こういうのに疎い俺でも分かる、どこか荘厳な雰囲気。この場所は知っている。何度か通ったことがある。確かにここは、神の庭とか呼ばれていた場所で間違いない。
「あら、遅かったのね」
背の低い生垣の向こう。緑の空間の中に真白いテーブルが見えた。テーブルの上にはカップとポットが置いてある。俺たちが来るまでの間、一人きりのお茶会を楽しんでいたであろう少女は微笑を浮かべていた。
「馬鹿な。貴様は……!」
「ここで見えるとは」
ドリス・セラセラ。
俺たちの捜し求めていた人がそこにいた。
「紅茶が冷めてしまったじゃない」
「ドリス! 話があるんだ!」
俺がドリスに近づこうとすると、彼女は鋭い視線をぶつけてくる。思わずたじろいでしまった。他の皆も、セラセラを率いているものとこうも早く出会うとは思っていなかったのか、戸惑っているようだった。
「話は聞いていたけど、本当にお前が亜人と一緒にいるとはね。ふふ、どうしたのラベージャ。お前までそんなところにいて。こっちに来なさいな」
「姫さま、ヤサカはこの戦いを止めようとしているのです」
「あら、そうなの? でも私だってそうよ。不遜にも王都に攻め込もうとしている亜人を鏖殺して、戦いを終わらせたいわ」
シャーラブーラたちが声を荒らげるが、ドリスは涼しい顔を保っていた。
「卑しい人たち。当家のものを奪い取ろうとするなんて」
「奪ったのは貴様らだ! 掠め取って、どの口が言うか!」
「人聞き悪いのね。その長い耳で何を聞いたのかしら。ねえ。あなたたちは何のために生きているのかしら」
「貴様ァ!」
止める暇もない。エルフは神業の如きスピードで矢を番え、放った。一直線に飛翔するその矢を、
「……人間か。貴様は」
物陰から現れた男が掴んだ。
冗談のような男だった。中空で矢を掴んだこともそうだが、真っ黒な出で立ちは闇を押し込めて塗り固めたかのような独特の威圧感を放っている。彼は掴んだ矢を握り潰すと、ドリスの傍に立った。
「紹介するわね。彼は《ガーリャ百人斬り》。Sランクの冒険者よ」
「百人斬りだと?」
シャーラブーラたちは狼狽していた。有名人、なのか?
「私が、どうしてあなたたちの前に姿を見せたか分かるかしら。分からない? 実は私もよく分からないの。でも、彼が広い場所の方が戦いやすいと言うんだもの」
黒い男が俺たちの視界から消えた。くぐもった悲鳴が聞こえた。仲間のエルフが倒れるまで、男の出現に気がつかなかった。彼はいつの間にか大剣を手にしている。それでエルフを攻撃したのだろう。
ガーリャ。百人斬り。そんなもの俺は知らないが、この男には見覚えがあった。以前に出会った時とは装備が微妙に違うが、この人は……!
「あなたは」
男は俺の方を向いて、腕をだらりと下げた。
「殺してはいない。気絶しているだけだ。これから、お前たちにも同じ目に遭ってもらうがな」
「バラけろ! まとめてやられるぞ!」
油断していた?
ここまでうまいこといってたから? 馬鹿言え。だからといって、こんなもんどうなるってんだ。
「ふ。久しぶりだな、ナガオ」
『☆黒盾(135)』
「どうして、あなたが!」
「何。少し人恋しくなっただけだ」
前に会った時と違う! レベルも、装備も! だけどこの人は、セルビルで出会った黒盾さんに間違いない!
ちくしょうがドリス! 最悪の隠し玉じゃねえか!
「俺がいる限り、この城は落とせんぞ」
黒盾さんはまるで棒きれのように大剣を素振りし、その切っ先をぴたりと俺に擬する。こんなもん反則だ!




