第4章 恋々狼火Ⅳ
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『負けてしまいましたわ、ごめんなさい』
テントから出るなり、アニスはそう言った。兵士たちは何が起こったのか分からない様子だったが、彼女が軍をまとめてカルディアに退くのだと命令を下すと、仕方なさそうにそれに従った。
俺たちは今日、ここで野営をすることに決めた。アニスの『オッケー』という合図をもらって動く予定だった。
その日の晩、セラセラ兵のほとんどがカルディアへ引き揚げた後、干し肉を齧っていた俺はシャーラブーラたちに詰め寄られた。
「何をやったのだ」
まあ、聞かれるとは思っていたけどな。
「停戦するかどうかを決める話し合いだったはずだ。それが何故セラセラが退くことになる。何か、魔法でも使ったのか」
「俺だってよく分からねえよ。ただ、アニスに乗っかるしかない」
いや、もしかするとアニスが俺たちに乗っかったのかもしれなかったが。
シャーラブーラは腕組みして唸っていた。ふと、シャイアさんはアニスの去っていった方を見つめて、口を開く。
「あの人、本当にナガオさまのことが好きなのかもしれませんね」
「ええ? そうですかね」
「そうですよ。私には分かるんです」
女性ってのはそういうのに鋭いんだろうか。俺にはまるで分からない。カルディアの時もそうだったが、アニスは俺をからかっているだけなのかもしれない。
「まあ、やつらが俺たちを殺さなかったのは確かだ。今は体を休めて、英気を養おう」
シャーラブーラはそう言って、アニスたちの置いていった酒を呷った。最初は、毒が入っているんじゃないかと、誰も食べ物や飲み物に手を付けようとはしなかった。
「人間の作る酒も悪くないものだ」
今はなんかもう、すっかり飼い慣らされた感がある。
「一応、交代で眠った方がいい。アニスのところはともかく、他のセラセラ兵に見つかると厄介だ」
「そうだな。ナガオ、貴様は元の世界とやらに戻るといい」
「いいのか」
「ああ」と、シャーラブーラは頼もしげに胸を反らした。
「ご隠居様から聞いたぞ。俺も少しだけなら見ていた。森では八面六臂の活躍だったらしいな。疲れているだろうから、貴様は先に休むといい」
気を遣われている。なんか、シャーラブーラも普通に接してくれるようになったのかな。
ここはお言葉に甘えておこう。俺は宴会の輪から離れて、ログアウトし易そうな適当な場所を探す。アニスの残していったテントがあったので、そちらへ向かった。道すがら、ぽつねんと佇立しているキリハリリハを見つけた。呼びかけると、彼女の表情はほのかに暗かった。
「どうしたんじゃ」
「ああ、一度戻ろうと思ってさ」
ふと、キリハリリハが飲み食いしていないことに気づく。そのことを尋ねたら、彼女は鼻を鳴らした。
「アニスとか言うたか。あの娘を信用出来んだけじゃ。人間と亜人が手を取り合うなど有り得ぬ話よ」
「キリハリリハさんは、人間をそこまで嫌っていないんじゃあなかったか?」
「『そこまで』なだけで好いておるわけではない。主のようなやつは別じゃがな」
キリハリリハは粘っこい視線を俺に向けてくる。快活で悪戯っぽい笑みはどこかへ行ったようだった。
「あまりでれでれするでない。主は一応、わしらの頭なのじゃからな」
「でれでれ? してたかあ?」
「明日は早く顔を見せえよ。稽古をつけてやるからのう」
ちょっと嫌な予感がした。たぶん、その予感は的中するのだとも思った。
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翌朝、機嫌の悪いキリハリリハにしごかれていると、アニスのよこした伝令の兵士が馬に乗ってやってきた。昼前には補給部隊が到着し、俺たちは馬車を借り受けて、セラセラ兵と偽って王都へ向かう、という手はずになった。
伝令の兵士は用事が済んだあと、俺たちをじっと見ていた。
「あの、何か」
「いや、あの方の奇矯にも慣れたかと思っていたが、まさか亜人の手助けをすることになるとは。そう思って……いや、別に非難しているとか、そういうわけではなく。この話は他言無用で頼みますよ」
兵士は意外にもあっけらかんとしていた。流石はアニスの兵士、ということなのだろうか。
「ま、私たちには王族の考えというものが分かりませんから。ただ、雨風凌げる場所でゆっくり眠れて、日々の食事に困らなければそれでいいんです。アニス姫についていくだけですよ」
俺も意外の感に打たれた。アニスは兵士に慕われているんだな。まあ、そうでもないとあんなむちゃくちゃなことは通じないだろう。
「セラセラの兵士だからって、好き好んで亜人と戦って根絶やしにしてやろうなんて思っていないだけですよ。それが、あなた方を見て実感できた。どうか、悪いようにはしないでもらいたいですね」
「もちろんです。アニスにもお礼を言っておいてください」
頷き、伝令の兵士はまた馬に乗って去っていった。
さあ準備だ。今日中には王都に着くだろうし、戦いが終わるかもしれないんだ。
その後、昼になり、簡単な食事を済ませた俺たちは、セラセラ兵を装ってこの街道を発った。まっすぐ南下すりゃあ王都はすぐだ。また戦いになるかと思うと気が重いが、ここまでおぜん立てされたんだ。応えなきゃ嘘だ。
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ナガオたち亜人軍が街道を発ったのと時を同じくして。王都キャラウェイは揺れに揺れていた。早馬から、カルディアが陥落し、アニス・セラセラも捕縛されたとの報があった。
王都のドリスは近しいものたちを集め、顔を突き合わせて会議を始めた。
「カルディアが落ちたとなると、いささか不味い展開ですな」
「王都から近過ぎる。あすこを足掛かりにされると……」
大臣たちが口々に話し出す。ドリスは黙って彼らの話を聞いていた。彼女には、ある疑念があった。果たしてカルディアが易々と落ちるだろうか、と。亜人に勢いがあったとして、カルディアの冒険者の数が少なかったとして、アニスに戦を指揮する経験がなかったとしてもだ。
戦いは何が起こるか分からない。それでもドリスは疑わざるを得なかった。なぜなら、アニスもまた己の敵のような存在であり、アニスも同じように自分を意識しているはずだからだ。
「姫。カルディアへの救援はいかがなされますか」
問われ、ドリスは俄かに思案顔を作った。
「落とされたものは仕方がないでしょう。むしろ、亜人はこちらが焦って動くのを待っているかもしれないわ」
「カルディアにはアニス様もおりますが、どちらにせよ、これ以上王都から兵を割くわけにはいきませんな」
かと言ってよそから人を回せるだけの余裕もない。会議とはいうが、これは皆の答えを確認しているようなものだ。既に彼らの頭の中にはどうするのかという絵図が描かれている。
「では見殺しにするとおっしゃるので」
「カルディアの町が荒らされているとは聞いていない。亜人としてもだ、拠点として使うのなら、すぐにも姫のお命が奪われることもないだろう」
「人質として利用する腹積もりなのかもしれんな」
皆、アニスの身を気にするそぶりを見せるも、別の話題が出ると、もう彼女の名前は出てこなくなった。
「亜人は動きますかな」
「カルディアに目を向けさせる策でしょうな」
「ではやはり、王都の守備を固めた方が……」
ドリスは誰にも気づかれないように息を吐き、舌打ちした。それでは、自分たちは亜人にいいように振り回されていることになる。
結局、状況を好転させるアイデアなど出ないまま会議は打ち切りとなった。ドリスはふと思いついたことがあって、バースニップを部屋に残し、外にいたラベージャを中に入れた。
三人きりになったところでドリスは声を潜めて言った。
「このままでは本当に危ないかもしれないわね」
バースニップは首肯で答える。彼は実直な性質だった。
「フォロークラウン伯。あなたならどうする?」
「今は、少しばかりかき回されていますな。跳石は好材料ですがこちらの足並みが揃わないのはどうにも。相手は亜人です。腰を据えて構えましょう。平地に陣取り数で押せばよろしいかと」
ドリスは小さく頷き、ラベージャを見た。
「お前ならどうする?」
「はっ。……は? 私なら、ですか」
「そう聞いているの。構わないから答えなさい」
ラベージャはさっきまで目の中のゴミを追いかけていたが、急に話を振られたのですっかり困ってしまった。
「私なら……そうですね。姫さまを真っ先に狙います。ああも喧伝していたのですから、エルフや他の氏族も、姫さまが今のキャラウェイをまとめているのは知っているでしょう。数が少ない方が戦いで勝つには、相手の頭を押さえるのが手っ取り早いですから」
「そうね。私もそう考えていたわ。ところで、その意見に私怨は入っていないでしょうね」
実は、ラベージャはドリスの指示で各地を飛び回っていた。彼女は中々表情に出さないが、酷く疲れている。
「何を仰います。セラセラ家の危機なのです。私は極めて客観的に意見を述べただけです」
「そ。ならいいの。そこで一つ考えたのだけれど」
「切り札成り得る人物ですな」
バースニップもドリスと同じことを考えていたらしい。彼女は話の続きを伯に任せた。
「亜人の脅威はけだものと同じところにあります。最後の一人になっても諦めず、食らいついてくるでしょう。そして数が減れば減るだけこちらとしては動きが掴み辛くなる。城をここに建てたツケが回ってきましたかな」
キャラウェイ城は湖の上にあるが、周囲を森に囲まれている。そこは亜人のホームグラウンドと言っても差し支えなかった。
「城へ侵入される前に全ての敵を捕捉し、撃破するのが当然ですが、城内に侵入される可能性がなくなることはありませんな。特にエルフの使う魔法は厄介です。アレは風の魔法を使います。兵たちでは追いつけません。亜人の戦闘力には目を見張るものがあります。何の制約もなしに、ただ彼らが城内で暴れ回ったのなら……考えたくないほどの被害が出るでしょうな。ふむ、やはり姫さまには護衛を付けた方がよろしいかと。それも、兵たちの士気がこの上なく上がるような」
「というわけで、私は『ガーリャ百人斬り』に目をつけたの」
「『百人斬り』に、ですか。それはまた」
「他に類の見ない強力な冒険者が味方につけば、こちらの士気も上がるわ」
ホワイトルート大陸にはSランクの冒険者が数名いる。彼らは滅多なことでは依頼を受けず、ましてやNPCに力を貸すこともない。しかしその実力は本物だ。生きる伝説とも称されていた。『百人斬り』とはそのSランク冒険者の異名である。
一年前のことだ。大陸の南方には《ガーリャ》という町があった。わけあって市井で暮らせなくなった、荒くれ者たちが集まって出来た後ろくらい町である。ガーリャの住人は皆粗暴で、旅人や商人を襲撃し、近隣の村々を恫喝することで金品や食料を奪っていた。もはや盗賊の塒と変わりなかった。セラセラ家には毎日のように『どうにかしてくれ』という陳情が届いたが、その頃、セラセラ家もまた少数ながらではあるが、異民族を抑える為に他に兵を派せないでいた。
見るに見かねて、一人の冒険者が立ち上がった。その男は漆黒の鎧に身を包み、巨大な剣を一振り携えて、一人だけでガーリャに出向き、町人たちを倒して回った。一人の死者も出さず、ガーリャの町人全員を捕縛し、セラセラ家に引き渡したのだ。この功績をたたえられ、彼はSランクであることを認められたのである。
「しかし、百人斬りは忽然と姿を見せなくなりましたな」
「そこでラベージャに捜してもらっていたの。そういえば、今日の報告はまだ聞いていなかったわね。どうなの?」
ドリスに睨まれて、ラベージャは内心で溜め息を吐き出した。物憂い気分のまま、彼女は口を開く。
「見つけました」
あまりにもあっさり言うので、ドリスの目は丸くなった。
「え? 見つけたの?」
「はい。セルビルの町にいました」
「せ、セルビル……あの田舎町に、百人斬りが?」
これにはバースニップも驚くほかなかった。
「それで首尾は、百人斬りはどうなったの」
「あ。王都に来てもらっています。すぐにお会いになりますか」
「どっ、どうしてもっと……! いえ、いいわ。呼んでちょうだい」
ラベージャは頷き、一礼してから部屋を出た。ドリスは咄嗟に、手で口元を隠した。にやけ笑いが止まらなかったのである。
「これで姫さまの身の安全は保障されたようなものですな」
「それだけではないわ。正しく百人力よ。しかも冒険者。分かる? 彼は死なないのよ? 相手にとってどれだけの脅威になるかしらね。ふ、ふふふ」
バースニップは腹を摩った。アニスもそうだが、この姉妹は邪悪な笑い方をする。彼女らがまだ幼い時から知っているが、そういうところは改めて欲しいと思った。
「……? フォロークラウン伯? 何か言いたいことでも?」
「いいえ」
ともかく、Sランクの冒険者が味方につけば多少の事態でもびくともしなくなる。そこでふと、バースニップは何かを思い出す。『百人斬り』はあくまで異名だ。彼の名前は何だったんだろうかと思惟に耽った。
――――ああ、そういえば。
確か、黒盾とかいう名前だったか。
バースニップは自身の老いを感じながらも、まだまだドリスたちについてやらねばなるまいと息を漏らした。




