第4章 恋々狼火
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ナガオはまだ知らなかったが、あの街道の一戦より、亜人とセラセラ家との戦いの火ぶたが切って落とされていた。数的に劣る亜人側が早々に討伐されるであろうという大方の予想を覆し、戦いは膠着状態にあった。
当初、亜人側は不利であった。彼らは部隊をいくつかに分けて出立させたが、セラセラ家が築いた砦の近くや要衝の街道を利用するなどして、兵士に捕捉された部隊は攻撃を受け、ほうほうの体で森へと逃げ込むしかなかった。
また、亜人に後れを取るだろうと予想されていたセラセラ兵だが、王都にいるドリスには秘策があった。《飛石》の大量生産である。この飛石というのは、乗合馬車のそれとは違い、冒険者などの個人が使うもので、念じればワープストーンの置いている場所まで移動できるという代物だ。飛石の使用にも『一度行ったことのある場所限定』などの条件はあるが些末なものだ。時は金なりであり、あるとないとでは大違いである。
ただし飛石は貴重なもので、おいそれと入手できないのが難点だ。それもそのはずで、飛石は各大陸に聳える《柱》の欠片を材料にしている。欠片とはいえ神の宿る柱の一部である。摩訶不思議な力が込められているのだ。教会が聖別したこの欠片と共に希少性の高い鉱石などを雑ぜて鍛造し、セラセラ家お抱えの腕利き魔法使いが魔力を七日に渡って注ぎ込むことでようやく一つの飛石が完成する。色合いは鉱石の種類や力を注いだ魔法使いによって赤、青、緑などと様々だが、どれも透明感のある、美しい出来栄えとなる。
この飛石を作るのに重要なのは柱の欠片である。欠片の代わりにどのような物質で試しても上手くいかなかった。便利だからと言って神の宿る柱を削り取るのはご法度とされている。自然に、ぽろりと落ちてくるのを待つしかない。セリアックの兵士が柱を見回るのは、欠片の回収も兼ねてである。だから飛石は貴重なのだ。
しかし、ドリスは飛石の大量生産に成功した。冒険者だけでなく、一兵卒にまで行き渡るほどの量をである。無論、柱をがりがりと削って素材を持ってきたわけではない。彼女は欠片の代用品を発見したのだ。それは《太陽神の眼》と呼ばれるアイテムであり、ドリスが以前からこれはと目を付けて王都の学者、魔法使いたちに研究させていたものである。このアイテムは『太陽神の巨像』というイベントのボス、ヘリオスがドロップするものだ。
要は神さまの持っている摩訶不思議な力を再現すれば、それが柱の欠片の代用品となるわけだ。その点、ヘリオスもまた神であり、ドロップアイテムの《眼》には多少なりともそういった力が宿っていたということになる。しかも欠片とは違い入手は比較的容易である。何せヘリオスは倒しても倒しても湧いて出てくるのだ。冒険者に素材の納品を依頼するだけではない。ヘリオスの行動はパターン化されており、慣れてしまえばセラセラ兵だけでも討伐は可能である。ドリスは粛々と、神さまの目玉を大量に収集していたのだ。
こうしてドリスは飛石の生産に成功したのだが、一つだけ問題があった。それは、やはり太陽神の眼では柱の欠片と同等の効力は得られないということである。正式な手順、素材で作られた飛石とは違い、太陽神の眼で作られた飛石では遠くまでワープできないのだ。その為、遠方へ行く場合はワープストーンからワープストーンへと繰り返して移動する必要がある。そこで効果の弱いこの石は、飛石ではなく《跳石》と呼ばれるようになった。
しかしながら跳石でもワープできることに変わりはない。主要な街道や、亜人の潜んでいそうな場所へと先んじて兵を送り込むことによって、ドリスは亜人の機動力に抗したのである。大量の資金と人員をつぎ込んだが、相応の成果は出ていた。
『は? 向こうにも冒険者がついたの?』
このまま一気に亜人側を薙ぎ倒そうと画策していたセラセラ家だが、亜人に味方する冒険者が現れた。
本来、亜人の方が人よりも戦闘力が高いのだ。セラセラ家は力の差を数でカバーし、ドリスの息のかかった冒険者を投入することで優位に立っていたのである。冒険者は兵士よりもフットワークが軽く、死んでもまた戦場に戻るので死ぬほど使いやすい存在だ。だが、亜人側の冒険者の登場によって差はまた縮まった。セラセラ家の兵士や冒険者、跳石の数も無限ではない。警戒線に穴が空き始めると、平地の戦いならばセラセラ家に分があるが、森に誘い込まれれば亜人有利のゲリラ戦の様相を呈す。こうして戦況は泥沼のような膠着状態と化していた、というわけだった。
短期決戦を望んでいたのは亜人だけではないのである。そも、戦いは長引けば長引くほどよい結果を生まないものでもあった。
<2>
「リーダー」
「お? おお、あんたは」
カルディア近くの森から出ようとしたところで、俺はリザードマンの男に声をかけられた。彼は本隊のメンバーで、確か、北の方に向かっていたはずだ。
俺とキリハリリハはリザードマンの男を伴い、森の奥へと戻る。
「よかった、まだ生きてたみたいだな」
「体は丈夫なんでな。それよりも、俺ぁあんたが生きてたことに驚いたぜ。てっきり、森の毒に中ってくたばったのかと思ってたよ」
リザードマンは軽口を叩く。余裕があるみたいで何よりだ。
「主はどうしたんじゃ。見たところ一人でおるようじゃが」
「ああ、あんたの言ってた合流地点に人を集めておいたんでな。まだあんたらが来ていないから、俺が偵察がてら、ここいらまで足を延ばしたんだよ」
「そんで俺たちを見つけたってわけか」
ああ、と、リザードマンは鷹揚に頷く。
「俺とキリハリリハはカルディアで情報を集めようと思ってたんだけど……」
「悪いが、先にこっちへ来てくれ。皆、あんたのことを待ってんだ。それに、戦いの話ならこっちでもだいたいのことは掴んでる」
「そうなのか?」
「逃げ回るだけなのも能がねえからな」
そりゃあ助かる。カルディアにも兵はいるだろうからな。
「それじゃあ集落に行こう」
しかしなんだな。最近じゃあ森にいることの方が多くて、すっかりそういう生活に慣れてしまった。
<3>
集落に辿り着くと、そこには見覚えのあるやつもそうでないやつもいた。皆、亜人だ。今は決していい状況とは言えないが、それでも彼らには活気がある。諦観から来るやけっぱちのそれではない。
「……むう、やはり数が減ってしまったのう」
ざっと見て、百に届かないくらいか。ここに来るまでの間にも戦いはあったはずだ。むしろ、これだけの人数が無事だったことを喜ぶべきだろう。
「シャーラブーラたちがいないみたいだけど」
「合流は後だ。こちらが一斉に退けば不審に思われる。少しずつ撤退している」
俺の問いに答えたのはヴェロッジのエルフだった。
「しかしその心配もあまり必要ないかもしれないな」
「どういうことだ?」
「星詠みさまの行方は知らないが、何故かこちら側についた冒険者たちが各地で暴れている。どうやら、また一つ砦を落としたそうだ。確か、北の方だったかな」
ああー、なるほど。陽動役が勝手に増えてるのか。更に話を聞いてみると、セラセラ家はそっちの対処で手一杯らしい。しかし、冒険者がこちらについた理由か。星詠みが引き入れた連中もいるだろうが、後はアレだな。俺たちが色々とやってるし、ドリス辺りが冒険者を使ってるから、『じゃあ俺たちはこっちにしよう』ってのが出てきたんだろう。とかくゲーマーは新しいイベントに餓えがちである。セラセラ家からすりゃあ青天の霹靂もいいところだろうな、俺たちにとっては有り難い展開ではあるが。
「そいつはいいや。今の内ってやつだな」
「ああ、他の部隊の連中が戻ったら、どう攻めるのか決めてやってやろうじゃないか」
「風が、神が味方しているとしか思えんな。はっは」
よしよし、このままここで他の部隊の到着を待とう。……風、風、風。この大陸にいるやつらは皆そう言う。妙な抵抗感を覚えていたけど、今は俺たちにとっていい風が吹いているって気がしてならない。
夜になり、イア族の集落に闇と沈黙が降り立った。今、ここはセラセラの目から逃れる為に無人でなくてはいけない。火を使うことは躊躇われた。それぞれが持ち寄ってきた干し肉やこなから酒でささやかな夕食を終えた後は、小屋の中で蝋燭の僅かな灯りだけを見つめるだけだ。神経が高ぶって眠れないのである。
俺はロシャの使っていたらしい小屋をあてがわれていたが、やはり落ち着かない。
「シャーラブーラたちが戻るのはいつくらいかな」
「遅くとも明日の朝だとは思う。他の部隊もそれくらいだろう」
あいつが戻ってきたら、氏族の長クラスの人を交えて地図と睨めっこしながら、どっからどう行くか話し合うことになるだろう。俺は一度、家で休ませてもらうかな。
「キリハリリハ、いいか?」
「うむ。今日の鍛錬も済んだ。主は戻るのが良いじゃろう」
「悪いな。明日、朝一番に戻ってくる」
俺は他の人たちの了解も得て、小屋でログアウトした。
数秒。それだけの時間で、俺は元の世界に戻ってきた。今更ながら、こんなにも簡単にこっちへ戻って来られるんだ。指を少し動かすだけで、たったそれだけで。
<4>
翌朝、朝食と簡単な身支度を済ませてから、俺はナナクロへのログインに成功する。昨夜の小屋に戻ってくると、俺を待っていたのか、キリハリリハたちが一斉にこっちを見た。
「ごめん、申し訳ない、待たせちゃったか?」
「ナガオ」
キリハリリハは怒っているような、困っているような、ない交ぜになった目を俺に向けた。
「何かあったのか?」
キリハリリハが答えるより先、小屋の扉が開かれて、シャーラブーラが姿を見せる。無事だったか。こうして顔を見るまでは心配だったからな。
「ナガオ、戻ったか」
「ああ、お前も。首尾はどうだ。皆大丈夫そうか」
「……それが、だな。俺たちはヴェロッジに戻った後、南へ向かったのだ。そちらの部隊を呼び戻す為にな。だが……」
シャーラブーラの歯切れが悪い。何か、嫌な予感がした。
「南に行った部隊が最も遠い。ここまで距離がある。道中、交戦する可能性も高まるわけだ」
「結論を言ってくれ。何がどうなったんだ?」
「半分以上が死んだ。すまない。俺が不甲斐なかった」
頭を下げられてしまう。俺はどうしていいのか分からなかった。
半分死んだ。簡単に言えるし、聞こえるけど、その重みってのはすぐに実感できそうになかった。
「それからナガオ、伝言がある」
「伝言……誰からだ?」
「イア族の長、ロシャからだ」
頭を金づちで殴られたような衝撃があった。俺の心は、違う、思い過ごしだと言うが、聡い頭は受け入れる体勢を整えつつあるのが分かった。
「『先に失礼します』と。『柱の加護があるように』と。『変わらないで欲しい』と。やつは謝っていた。俺にはよく分からなかったが、貴様になら分かるのだろう。確かに伝えたぞ」
「ロシャが……?」
そうか。ロシャは、ここへ来られなかったか。あの、人の好さそうな、ヨークシャテリアみたいな人は……。
「ああ。死体を回収できたものはヴェロッジで荼毘に付した。この戦いが終われば故郷に帰してやるつもりだ」
そうか。ありがとう。お疲れだったな。
そんなことしか言えなくて、俺は自分のことが嫌いになった。
「ナガオ、気に病むでない。半分も助かったんじゃ。本当なら、全員が戦いの中で命を落としていたに違いない」
キリハリリハが慰めようとしてくれているが、彼女の言葉ですらも耳に入ってきそうになかった。
「主のせいではない」
「ああ。貴様がいてもいなくても、死するものは決められている。決められた死からは誰も逃れられないのだ」
ハッとした。卑しい俺は今の言葉を待っていたのだ。俺は悪くないって正当化したがっていたのだ。……けど、俺はそうした。ここでぐじぐじ言ったって死んだ人は帰ってこない。喚いても状況は好転しない。後悔も反省も大いにすればいい。ただ、死人に引きずられて、引っ張り込まれるのはダメだ。
「戦いなんてさっさと終わらせちまおう。皆を集めてくれ。話を聞きたい。俺は、作戦立てるとか、そういうのはダメだからな」
正直に言うと、暗く沈んでいた集会所に小さな笑いが生まれた。皆、そうやって自分を誤魔化しているのかもしれなかったし、こっちの世界じゃあ生き死にが当たり前で、慣れているのかもしれなかった。




