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第2章 耳が長けりゃえらいのかⅢ

<5>



 飯を平らげた後、俺はゆっくりとストレッチして体をほぐしていた。


「シャーラブーラたちに、俺の動きはばれてるかな」

「どうじゃろうな。じゃが、あやつらにもプライドはある。今朝の諍いで『お前を仕留める』と啖呵を切ったのじゃ。であるなら、今更夜討ち朝駆けなど仕掛けんとは思うがな」

「そっか」

「……ヴェロッジの中央には集会所代わりに使っておる建物がある。逃げるならそこを避けるといい。恐らくじゃが、シャーラブーラたちがそこにおるからの」


 エルフは人間を下に見ている節がある。舐めてかかってくれてるならありがたい。

 正直なところ、俺が彼らに勝てる可能性は低い。シャーラブーラと平坦な場所で一対一ならともかく、ヴェロッジ、あるいはグァムシロの森はエルフのフィールドだ。俺に利はないし、恐らくだが数の上でも不利になる。

 そこまで考えて、すっかり戦う方向に意識がいっていることに気づいた。どうしてだか、大人しく逃げてはならないと考えている。これは、俺があくまで冒険者プレイヤーである証左か。エルフたちの言うところの風の影響か。あるいは――――。


「キリハリリハさんには言っておくよ。前に、俺の身内がしでかした、とか言ってたじゃないか」

「具体的な内容は聞かなかったがの」

「柱にいた神を追い出したのは俺の兄貴だ。もしかすると、そのせいで亜人と人間が戦うことになるのかもしれない」


 やけにひんやりとした空間に、俺の声が吸い込まれていった。

 俺は答えが返ってこないことを苦しく思って、無言で身支度を始める。初めて装備するベルトやウェストバッグ。戦う為のものばかりが俺の体を重くしていく。


「そうかもしれんな」


 キリハリリハはそう言って、グラスの中身を飲み干す。酒、だろうか。


「じゃが、そうではないかもしれぬ。元々、そうなるさだめにあったかもしれん。戦いは起こった。過去にもあったのじゃ。主がどうとか、主の兄御がどうとか、関係なくな」

「でも、神様がいなくなるなんてことはなかっただろ」

「ハシラサマはあくまで神よ。この世界で起こった戦いを見やり、悲しんでいるのかもしれんし、怒っているのかもしれん。笑っているのかもしれんのじゃ。大事なのは神の存在ではなく、神を信じるという自分の心じゃ。……ライアシャイアは精霊を重んじているようじゃが、今の世に心底から精霊を敬っているものは、そうはおらん。人間はもとよりヴェロッジのエルフでさえな。『だから気にするな』。そう言ってやれば主の心は穏やかになるのかえ」


 いや、ならないだろうな。

 兄貴がどうとか、それは俺の中の問題だ。俺が『そうだ』と思って、信じている限りはどうにもならない。


「主は自分の兄を追っているのじゃな」

「ああ」

「そうか。……血の繋がりのあるものを追うのは、何ら不思議なことではないよ。家族か。わしにはもう、遠く、古い記憶しかないが、主の思いが成就されることを祈っておる」

「ありがとう。でもさ」


 俺は少しだけ言いよどむ。こういうことを言ったら、キリハリリハが気を悪くするんじゃないかと思ったからだ。だけど、彼女にお礼を、俺の思いを伝えるのは今しかない。


「キリハリリハさんには、その、家族がいないかもしれない。でも、俺はあなたからあなたのことを教わったよ。短い間だったし、俺は出来が悪いから全然覚えられなかったけど。けど、あなたの技や魔法は俺の血と肉になる。あなたからもらったもので新しい俺が出来上がるんだとしたら、俺はそいつを血の繋がりだと思ってる」


 何せ、俺は誰かにものを教わったという経験がない。

 俺はいつだって見ていただけだ。

 誰かが教わっているのを見て、そいつの成果を盗み見て、真似ていただけに過ぎない。


「あなたと出会えてよかった。ありがとう、キリハリリハ」

「……主」

「それじゃあ、」


 俺はマントを羽織り、彼女に背を向けた。後は行くのみ。前を向くだけ。その結果、俺の身にどのようなことが起ころうとも、俺には俺の信念があり、そいつが俺の道を作るはずだ。


「いってきます」



<6>



 ホワイトルートという大陸には、一つの、巨大な柱が聳えていた。

 柱は地上を睥睨し、見下ろされる人々はその柱を尊んでいた。

 ストトストンの住人のほとんどは知らなかったが、柱には《シナツヒコ》という神がいた。その神は、自分が見下ろす人々の為に、自分を見上げる人々の為に、悪い気が入ってこないようにと風を吹かせた。シナツヒコは、ホワイトルートを確かに守っていたのである。

 そこに差はない。

 神は人間も動物も区別なく守っていた。耳が長い、肌が黒い、そのようなことを神は気にしていなかった。この大陸の生きとし生けるものを愛おしんでいたのだ。


「じゃが……」


 ヴェロッジの大樹の枝に、一人の老エルフがいた。彼は『星詠み』と呼ばれ、様々な吉兆を占ってきた人物だ。

 その星詠みは空を見上げ、風を感じ、震えていた。

 今、この地によくないことが起ころうとしている。黒い風が吹き荒れて、大陸を包み込もうとしている。ヴェロッジのエルフもキャラウェイの人間たちも同じだ。逃れる術はない。風はただ吹くだけ。風は何をも区別せず、一切合切を飲み込むだけ。

 星詠みの目には何も見えない。見えるのは漆黒色の、どろどろとした塊だけだ。


 ――――果たして。本当にそうなのか?


 胸をざわつかせているのは絶望の渦ではなく、希望の熾り火ではないのか。

 長い時を生きた自分ですら見誤ることはある。ああ、そうだ。星詠みはぐっと閉じていた目を開く。

 体にまとわりつくような、妙に粘り気のある風。その中に感じる微かな清らかさ。


「まだ、風は……」


 星は未だ天にある。

 柱の伸びていく先に星はある。綺羅に飾られた夜の幕。それが地上を映す鏡だと断ずるならば、地上にもまだ星はある。

 風はまだ吹いている。シナツヒコの意志はまだ、この地に残っている。



<7>



 ヴェロッジのエルフたちは、明日に控えた王都攻めの打ち合わせをするべく、集会所でひざを突き合わせていた。

 車座になって鍋を囲み、煮えた肉や野菜を突きながら、人間は悪いものだとか、エルフは尊いものだとかを肴にして騒がしくしていた。


「この大陸中におる、亜人の氏族が味方してくれるとはな」

「ああ、心強いものだ」


 ヴェロッジにはホワイトルート中から様々な亜人が集まってきていた。団結し、怨敵を打ち滅ぼす為に。エルフたちはそう信じている。


「プロシィの森のオウガたちも間もなく来るらしい」

「おお、一騎当千と謳われる彼らが」

「カルディア周辺のイア族なら、もう見えるぞ」

「では宴を開かねばならんな」


 がこん、と、集会所が揺れた。強い風が吹いたのだろう。古い建物にはあちこちにガタがきているし、最近では珍しくもないことだと、エルフたちは気にも留めなかった。

 そうして、がらりと開いた扉から覗いた人影にも大した注意を払わなかった。大方、どこぞの氏族が挨拶にでも来たのだろうと思っていた。


「王都を攻める作戦会議かよ。お前ら、殺し合いするのにそんなに楽しそうなのか」


 誰かが鼻を鳴らした。エルフや亜人の臭いではない。人間のそれだ。何故誰も気づかなかったのかと、忸怩たる思いを噛み殺す。

 場にいたエルフたちは、自分の近くにあった、壁に立てかけておいたそれぞれの得物を引っ掴んだ。

 誰かが叫んだ、貴様、と。その声に反応し、出入口にいたものが現れる。


「ご隠居様のところにいたやつか」

「あの時の冒険者かっ」


 キリハリリハは何をしているのだと詰るものもいた。宴と酒気で茹った頭と浮かれた気分。それらを引き連れたまま、エルフたちは得物を構える。

 冒険者。エルフの敵――――八坂長緒が鞘から剣を抜いた。それを見たエルフたちの頭に血が上る。ナガオが抜いたのは訓練用の木剣だったからだ。


「舐めているのかっ!」

「構わん、射殺せ」


 エルフたちの罵声と怒号に晒されながらも、ナガオは怯まなかった。


「逃げるのはやっぱりやめだ。お前らを止めてから、それから考えることにしたからな」

「止めるだとォ」

「どうせ俺の言うことなんて聞いちゃくれないんだろうし、あんたらは人間の言葉を受け入れやしないんだろ。叩きのめして、話はそれからだ」


 エルフたちは一瞬間、押し黙った。目の前の人間の言葉が耳に入っていても、脳で理解出来なかったからだ。

 誰が、誰を、叩きのめす?


「放て!」


 矢が、一斉にナガオへ向かう。だが、その矢は、突如として吹いた風に巻き上げられ、軌道を変えられて、一本たりとも彼に届かなかった。

 ナガオは翻ったマントを元の位置に戻すと、剣の切っ先を一人の男に対して擬す。


「あの夜の続きだって言ってんだ。やっぱりさ、よくよく考えたらおかしいし、ムカつくよな。急に呼ばれていきなり襲われて。俺にだって都合があるし用事だってあったんだ。いいかよ、俺はなあっ、先へ行かなきゃいけなかったんだ! こんなよくも分からねえ森に呼び出しやがって! こっから兄貴たちのところまでどんだけかかると思ってんだよ! すげえ遠回りじゃねえか!」

「知るか! 何言ってるんだお前は!」

「続きだって言ってんだって、言ってんだろうが!」


 ナガオが、体の前面部のベルトから短剣を抜く(これもまた訓練用だった)。彼はそれを、出入口に最も近いところに座っていたものへと投げつけた。

 短剣はまたもや吹いた風に乗って勢いを増し、


「あっ、ああ!」

「長が!」


 速度と距離を見誤った、ヴェロッジの長サンシチの額にどすんと命中した。

 サンシチはうーんと唸りながら、仰向けになって倒れる。そうして彼は天井を見上げたまま、短い手足をぴくぴくと痙攣させていた。


「貴様ァ!」

「八つ裂きにして鍋に突っ込んでやる!」

「長の仇だ!」

「いや、長はまだ死んでねえ」


 エルフたちが再び矢を番えると、ナガオは外へ逃げ出してしまう。呆気にとられたエルフたちだったが、気を取り直してすぐに後を追いかけた。たかが人間一人、兎よりも仕留めるのは簡単なはずだった。

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