第2章 耳が長けりゃえらいのか
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朝飯を食べて、今度は木製の斧の使い方を習っていたところ、シャイアさんがやってきた。彼女は数冊の本を持ってきているようだった。
「おはようございます、おばあさま、ナガオさま。今は何をしているのですか」
「うむ。こやつに斧を教えておるところじゃ」
「では、その後は私がナガオさまをお借りしてもよいですか? あっ、お借りするなんて嫌な言い方ですよねごめんなさい」
俺とキリハリリハは首を傾げる。
「魔法をお教えになるのはおばあさまですが、ナガオさまにエルフの文字を知ってもらおうと思いまして」
「あ、全然今からでもいいです。お願いします」
「たわけ」
斧で背中を叩かれた。おい。訓練用で木製とはいえ痛いのは痛いんだぞ。
「これが済んでからじゃ、ライアシャイア。お主はそこで控えておれ」
「はい、分かりました」
ちえー。
内心でぶうたれつつ、俺は斧を手にした。手斧だから筋力さえありゃあ片手でも扱えるらしいが、俺には無理だろう。
今は訓練用なので刃は付いていないが、先端には重りを括りつけてある。実際、斧はもっと重くて扱いづらそうだ。
「柄を伸ばせば相手に届きやすいが、その分振り回されやすい。特に、主のような華奢な人間ではな。が、当たればでかい。遠心力を上手く使え。重い武器じゃから、装備の上からでも衝撃は伝わる」
戦闘中に刀身が欠けて潰れても、打撃武器として使えるかもしれないな。そもそも、斧の刀身は剣のそれよりも分厚くて丈夫そうだ。そうそう壊れることもないだろう。
ジョブで言えば、剣士や格闘家はこういうものを使わない。騎士系統に属するジョブなら、こういうのを使うのかもな。あとはオウガ族とか。
「そら、素振り千回。声出してやらんかい」
しかしアレだな。素振りしかしてないんだよな、俺。
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斧の素振りが済んだあと、昼飯が出来るまでの間で、俺はシャイアさんからエルフ文字について学ぶこととなった。
場所はキリハリリハの家である。シャイアさんは本をテーブルの上に置き、椅子に座る。俺も対面の椅子を引いて座ろうとしたが、
「あ、ナガオさま、こちらにお座りになってください」
シャイアさんの隣の椅子を勧められる。対面してる方がやりやすそうだと思ったんだけどな。
勧められるがまま椅子に座ると、ふわりと、花の香りがした。香水のようなきついそれではなく、自然そのままの。……シャイアさんか。少し緊張してしまうな。
「それじゃあ最初はですね……」
「あ、はい」
あっ。
まずいな。なんかたぶん、シャイアさんの言葉が頭に入ってくる気がしない。
シャイアさんは本をぺらぺらとめくって、文字の成り立ちなんかの説明をしているが、正直言ってそこまでの興味はない。ただ、雑念を打ち消す為に話に集中する。
「今、私たちエルフが使っているのは新しいエルフ文字なんです。旧エルフ文字を使うことはまずありません。ですが、魔法を使う上で知っておいて損はないと思いますよ」
「そうなんですか?」
「エルフ以外の種族がどのように魔法を扱うのかは分からないのですが、私たちは言葉を大事にします。魔法を使う前に呪文を唱えるのです。その呪文は声に出してもいいですし、頭の中で思い浮かべてもいいのです。どちらにせよ、言葉を判っていなければ意味はありません」
文字、言葉が大事。シャイアさんが言ってるのは魔法の詠唱部分ってことだろうか。
「たとえばこうです」
シャイアさんは咳払いしてから、何事かを呟いた。言葉の意味は、俺にはまるで分からなかった。
「今のは風の魔法を放つ時の呪文です」
「どういう意味なんですか?」
「え? ええと、昔のエルフの言葉で『あなたのことが大好き』……という意味です」
は?
「ほ、本当なんです」
「えらくファンキーというか、変わった呪文ですね」
もっとこう、詠唱だの呪文ってかっこいいことを言ってるのかと思った。
「さっきもお話しましたけど、エルフの文字は精霊たちの踊りを形にしたものなのです」
「そ、そうですね」
そうだったっけ? やっべえ、やっぱり頭に入ってなかった。
「森羅万象、様々なものに精霊は宿っています。風には風の精霊が、水には水の精霊が。そして魔法を使う時、私たちは精霊に力を借りなくてはいけません。呪文は、精霊を引き寄せて、喜ばせる為のものなのです」
「あ、ああー、だから『好き』なんですね」
なるほど。詠唱には意味があったわけか。精霊に気に入られなきゃあ、エルフは魔法を使えないとは。
「あくまで儀式的な意味合いが強いんですけどね。でも、思いを込めれば魔法の威力は高まります」
「分かりました。ともあれ、文字を勉強しなきゃですね」
「はいっ」
ただ、どうなんだろうな。
俺は今、エルフの魔法を勉強している。だけどナナクロのプレイヤーとして、魔法使いというジョブになった時には、また別のことを覚えなくてはいけないのだろうか。
ロムレムでは魔法使いのプレイヤーと戦ったが、そいつらはどういう理屈で魔法を使ってたんだろうな。……恐らく、エルフ文字とか、精霊がどうとか、そういうことは知らないのだろう。俺の覚えている《横薙ぎ》や《直視不可曙光》と同じだ。メニューを開き、ボタンを押すか、宣言するだけでスキルは発動する。それ以上の行程は必要ない。
もしかすると、俺は余計なことを覚えようとしているのかもしれない。魔法を使いたければ格闘家から魔法使いになればいい。レベルを上げて魔法を覚えれば、それだけで魔法を使えるようになる。
だが、という期待感も多少はある。エルフの魔法のように、プレイヤーが習得可能な範囲外での魔法を、俺が覚えられるかどうか。もし出来たのならかなりのアドバンテージとなるはずだ。兄貴たちの知らない技術は、俺にとって切り札と成り得る。
どうせ、今は他にやることはないんだ。しかもシャイアさんは優しいし、話を聞いていても学校の授業と違って眠くはならない。ここは自分の為だと思って頑張ろう。
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「こんなところでしょうか」
「あ、ありがとうございました」
途中、昼食を挟んで文字のことを色々と教わった。シャイアさんは優しいが、思ってたより知識を詰め込もうとしてくるので、俺の頭は破裂寸前である。
「ちょっと、広場をぐるぐると走っておれナガオ。その状態ではまともにものを振れまい」
見かねたキリハリリハにそんなことを言われる始末だ。
「ご、ごめんなさい。お話するのが楽しくて、いっぱいいっぱい話してしまいました」
「とんでもない」
しゅんとするシャイアさん。悪いのはあなたではなく、俺の頭です。
「よかったらまた教えてください」
「は、はいっ。明日も来ます!」
…………明日もかー。
とりあえず、俺は外に出てランニングを始めることにした。キリハリリハが『主は走るのもヘタクソじゃのー』とか煽ってくるが無視する。
ゲームの中とはいえ、スポーツ(だと思う)に勉強か。現実じゃあ今までのめり込まなかったことを、今になって取り返そうとしているような。ともすれば、俺は充実感すら覚えている。
強くなることは楽しい。自分の中の空白を埋めていくってのは今までに経験したことがない。こっちの世界に来て、俺は多分、色んなことを考え出している。
でも、強くなるのも考えるのも手段でしかない。俺の目的ではない、はき違えてはダメなんだ。
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それから。
俺は数日間、ほとんどをヴェロッジ、というかキリハリリハの家の周りで過ごした。
その間、ずっと武器を素振りして、エルフの言葉について学んだ。
穏やかな日々だった。こういう時間と世界に埋没出来ればどれだけいいものか。そう、素直に思えた。
「シャイアっ、ライアシャイアはこんなところにいたのかっ」
「……あ、兄さん……」
だが、俺を取り巻く環境、この大陸に吹く風はいつまでも優しいままではない。
「貴様……! 俺の妹にっ」
「よさぬか、シャーラブーラ」
「あなたは黙っていてください!」
それ(・・)は五月の四日のことであった。




