第1章 木叢の町《ヴェロッジ》Ⅳ
<1>
昼飯を食べた後、俺はキリハリリハに命じられて木剣の素振りをやっていた。当のキリハリリハは用事があるとかで町の方へと行っている。
見張りはいないが手を抜こうとは思わなかった。黙々と素振りをしていると、足音が近づいてくるのが分かった。
「おう、やっておるようじゃの」
振り返ると、キリハリリハと一緒にエルフの女の人がいた。
「お、おお……?」
はちみつみたいに透き通った金髪が、腰のあたりまで緩やかに流れている。色白だが病的には見えない肌。ほっそりとした体型だが女性的な丸みも帯びている。非常に、目に毒だ。
しかし、驚いたな。エルフは美人が多い、みたいな話は聞いたことがあるけど、ちんちくりんのキリハリリハとは大違いの美人さんである。
「そっちの人は?」
「む。おお、こやつはライアシャイアという娘じゃ」
ライアシャイアさん。忘れないでおこう。
「初めまして、ライアシャイアです」
にっこりと微笑むライアシャイアさん。ゆったりとした口調だし、色々と柔らかそうな感じの人である。こっちまでにこにこしそうになるな。……ん? でも、エルフは人間が嫌いなんじゃなかったっけ。
「心配するでない。ライアシャイアは優しい子でな。主のことを話すと、一度会ってみたいと言うものでな」
「俺と、ですか」
はい、と、ライアシャイアさんはにこにこしている。光栄である。
「ま、見学というやつじゃな」
「見てても何も面白くないと思いますけど」
「お邪魔はしませんから。あの、いけませんか?」
「いえいえ、そんなことは」
「変わったやつじゃからな、こやつも」
しかしアレだな。美人さんに見られながらってのは緊張する。
俺はキリハリリハに急かされ、素振りを再開した。
「これ。こことここに余計な力が入っておるぞ」
ケツや脇腹をばしんばしんと叩かれてしまう。ちくしょう。これも修行か。煩悩を捨て去って木剣を振ろう。
<2>
美人さんの視線は気になったが、それでもしばらく木剣を振ることに集中していると、キリハリリハに叩かれることもなくなった。
イメージするのはキリハリリハの素振り。……だが、俺が目指すのはその向こうというか、別の人物だ。目指す場所に自分を近づけていく。難しいがやりがいはある。
「そこまで」
また一時間ほど素振りをしていると、キリハリリハがストップをかけた。
「少しは剣の振り方が分かってきたようじゃな」
「え、そ、そうかな」
「真剣を振るとなると話は変わってくるがな。重さが違うからの。それでも、多少はマシになったか。よかったのう、ナガオ。師がよいからな、かっかっか」
俺は適当に愛想笑いを浮かべておいた。
「どれ、次は違う武器を素振りさせるか」
「剣はもういいのか?」
「……主にはわしらほどの時間がないからのう。それに」
キリハリリハは鋭い視線を俺に向ける。
「主とていつまでもここにおるつもりはあるまい。サンシチたちが行動を起こせば、主も何かを始めるはずじゃ」
「邪魔するなって、俺を止めるか?」
「さあて。そこまでは考えておらんよ」
言って、キリハリリハは家の中へと入っていく。武器を取りに行ったのだろう。俺は木剣を地面に下ろし、息を整える。
その時、こっちを見ていたライアシャイアさんと目が合った。
「ナガオさまは剣士さまなのですね」
「え? あ、いや、そういうわけでもないんですけど。そのう、見てて面白かったですか」
「ええ。ナガオさまの頑張っているところを見ていると、こっちまで研ぎ澄まされていくような思いがしました」
「そうですか。あ、ライアシャイアさんは」
す、と、ライアシャイアさんが口元に自分の指を押し当てた。
「シャイアで結構です。親しいものからはそう呼ばれているのです。それに、私の名前は長くて言いづらいでしょう?」
「あー、それじゃあシャイアさん。あなたは、人間が苦手とか、そういうわけじゃあないんですか」
「私はヴェロッジでは若いエルフなので、外の世界のことがそこまで分からないというのが本当なんです」
え? 若い、のか? さすがに年齢を聞くのははばかられる。
「私たちエルフも、大抵の亜人も成長が早いんです。そのくせ老けるのは遅いんです。体が一番いい時をずっと維持しているんですね。だから私たちはナガオさまと同年代のように見えても、実際は百歳を超えている、なんてことも普通なんですよ」
「へ、へえ……」
「ふふふ」
なんか。
なーんか安心するっていうか。
……俺の周りには。今までこの世界で出会った女ってのは、ちょっとアレだったんじゃないのかな。うん。
和んでいると、キリハリリハが木製の武器を持って戻ってきた。
「よし、次は槍の扱い方を教えてやろう」
「お、おう」
「その次はこれで。その次はこれじゃな」
キリハリリハは持ってきた武器を見回している。
「おばあさま、楽しそう」
「え?」
シャイアさんは目を細めていた。
「おばあさまはいつも一人でいることが多いんです。時たま私がお話し相手になるんですけれど、そうでない時は、いつもここで。ですから、ナガオさまが来てくださってよかったと思います。あっ。でも、ナガオさまには迷惑な話かもしれませんよね」
一人か。
ここは森の中で、ある種閉ざされた町だ。その町の中でさえ、奥まったところに一人で暮らしているキリハリリハ。自分で教えたがりとか言ってたけど、寂しいのかもしれないな。
「コルルァ、何をくっちゃべっとるんじゃ。腕一本生やすぞナガオ」
「どういう脅し方だよ」
俺は、キリハリリハが乱暴に投げてきた槍を受け取る。
「そういえばおばあさま。ナガオさまに魔法はお教えにならないのですか」
「む?」
魔法?
「何故そのようなことを聞くのじゃ」
「エルフの武技を教えるのなら魔法も伝授してしかるべきかと」
「……うーん」
魔法か。いいな。すげえいい。いずれ物理だけじゃあ太刀打ち出来ない状況にも陥るだろう。特にろいどみたいなやつに対しては。そういう時に魔法は役に立つに違いない。
キリハリリハは俺を見る。きっと今、俺の瞳は期待感で輝いていることだろう。
「ダメじゃ」
「えー……?」
「素振りをまともに出来るようになったなら考えてやらんでもない」
教えてくれないのかー。
「あ。でしたら私が少しなら……」
「えっ」
救いの天使。いやさ女神の登場である。シャイアさんが遠慮がちに小さく手を上げていた。
「あ、ご迷惑でしたら」
「いやいや全然! 今から教えてもらってもいいですか!?」
「よくないわボケ!」
木の槍でケツを突かれる。キリハリリハめ。
「なんで? いいじゃんか、魔法。シャイアさんが教えてくれるって言ってんだし。キリハリリハさんの修行が終わってからでもさあ」
「たわけ。ライアシャイアなどまだ未熟。尻と嘴の青いヒヨッコじゃ。下手に習えば下手が移るぞ」
「では、やはりおばあさまがナガオさまに教える方がよさそうですね。何せおばあさまは武器をとってもヴェロッジ一の使い手です。魔法も言うに及ばずですから」
「うむ、その通りよ!」
かっかっか! キリハリリハは槍をぶんぶん振り回して笑っている。
「ってことは、魔法も教えてくれるってことなんだな」
「……ん? …………そういうことに、なるのかのう?」
「なります」とシャイアさんが強く、大きく頷いた。
<3>
「そういやシャイアさん、キリハリリハさんをおばあさんって呼んでるけどさ、キリハリリハって何歳くらい? やっぱすげえババアなんですか?」
「え、えーと」
「殺すぞ」
こうして。
俺はキリハリリハから魔法も教えてもらうことになった。が、その前に魔法を上手く使うにはストトストンの言葉を知らないといけないらしい。俺は読みは出来るが、この世界の文字を書いたりは出来ないので、そっちはシャイアさんに教えてもらうことになった。
<4>
今日は修行の初日だ。陽の出ている間は基本的にキリハリリハにしごかれる形になる。
「ほれ、もっと早く突かんか」
「だって槍とか使うの初めてなんだって」
「使い方は説明してやったじゃろう」
そうはいっても難しい。KMやフェネルの槍捌きをイメージしてみるのだが、あいつらは次元が違い過ぎる。イメージにも限度というものがあった。
「むうう、貸してみい。こう! こうじゃ、こうやって、こう!」
キリハリリハはぶんぶんと素振りするが早過ぎてよく見えない。
「もっとゆっくりやってくれよ」
「たわけ。目を皿のようにして見んか」
ぱかんと穂先で叩かれる。頭が馬鹿になっちまうよ。
「ちくしょう!」 槍で突く。
「師匠に向かってちくしょうとはなんじゃ」槍で突く。
「自分に言ったんです! 不甲斐なくて!」 槍で突く。
「ならばよし」槍で突く。
突くだけではない。斬れるし、叩ける。色々なことができる反面、使いこなすのは非常に難しい。ただ、熟れずとも槍のリーチは中々に楽しい。相手の攻撃が届かない場所から、こっちは一方的に攻撃できるってのは素晴らしいことだと思う。
同時に、狭い場所では取り回しづらいし、懐に踏み込まれたらやばいって弱みもある。何となくは分かっちゃいたが、実際に使ってみるとまた違うものだ。
「ヘタクソ。剣も槍も基本は一緒じゃ」
「だったら剣振っててもよかったんじゃないか……」
「阿呆。見てるこっちが退屈するんじゃ」
そんなこと言われても困る。ああ、冷たいものが飲みたい。炭酸をぐーっと。
雑念が頭をよぎった瞬間、脇腹を槍の穂先で突かれた。
<5>
陽が落ちてくるのは思っていたよりも早かった。今日はここまでにしようと、キリハリリハが俺の手を止めさせる。
「いいのか? もっとスパルタでやられるのかと思ってたけど」
「初日から潰れてしまってはつまらんからのう。それでどうする。主はまた元の世界に戻るのかえ」
「ああ、そうさせてくれ」
そろそろ母さんから連絡があってもおかしくないはずだしな。
「では、牢屋まで戻るとするか」
「……牢まで戻るのですか?」
シャイアさんが小首を傾げる。
「そういうことになっておる。これもナガオの為じゃ」
「兄がそう言ったのですね」
「仕方あるまい。あやつにも立場がある」
シャイアさんの兄? それってもしかして。
「うむ。シャーラブーラじゃ」
げえ。マジか。あの、人間に敵意バリバリのエルフか。そいつの妹がシャイアさんって、あんまり似てないような気がする。
「ごめんなさい、ナガオさま。兄は一度言い出したら聞かないんです。私からも取り成しておきますから」
「いや、大丈夫ですって。シャイアさんが気にする必要はないです」
優しい人だなあ。
「それじゃあ今日のところは。また明日」
「あっ、あの! ナガオさま、明日はいつこちらへお見えになるのですか」
「え? あー、また朝に来られるとは思いますけど」
「分かりました。シャイア、ここで待ってますね」
…………なんだこの人は。いや、人じゃないな。天使かな。殺伐としたヴェロッジの中で、いや、ストトストンでの唯一の癒しではなかろうか。
<6>
「ではな、ナガオ。明日は遅れるでないぞ」
「あいよ」
キリハリリハに牢屋まで送られて、俺はログアウトする。戻ってきてすぐにケータイを確認すると、予想通り母さんからメールがあった。……親戚の集まりがあったらしいが、その内の一人が体調を崩してしまったらしい。その人の面倒を看るかどうかは知らないが、母さんと父さんは今日と明日、向こうで泊まりになるそうだ。飯の心配をされたが、鶴子もいるから大丈夫だと返しておいた。
「……泊まりか」
母さんたちもあんまり気にすることないのにな。
さて、鶴子がどうとか言ったがあいつに頼るのは嫌だ。というか、あいつと二人でいるとどうしても兄貴のことが話題になる。そうなると俺はボロを出すだろう。ここは自力でどうにか凌ぐか? それとも……。
「ん?」
留守電もきていたが、まあいいか。
<7>
「というわけで戻ってきたからー! おーい! おーーい! キリハリリハー!」
せっかくの機会である。ゴールデンウィークでいつもよりゲームが出来るとはいえ、強くなるには時間が足りない。俺はストトストンで修行ついでに一泊することを決めた。
牢屋の中で叫び続けていたら、だんだんだんと荒々しい足音が聞こえてくる。
「遅れるなとは言ったがな! 早過ぎる!」
キリハリリハの声だ。
「いや、悪い。あっちでちょっとあってな。悪いんだけど、今日はこっちで泊まってもいいか? まだ早いから素振りの続きもしたいし」
「……何じゃと」
「ダメか?」
「ダメ、ではない。分かった。とりあえずわしのところに来るといい」
助かる。
俺は牢屋から出されて、ヴェロッジの町に出る。そうしてキリハリリハの家を目指した。
「御両所様はどうされたのじゃ」
「それが家の事情で遠くに行ってて、今日と明日は戻ってこられないって連絡があったんだ」
「む。そうか。……そうか」
キリハリリハの家が近づいてくる。
「戻ってくるのが早かったが、夕餉はどうしたんじゃ」
「まだ。ここにも道具屋っつーか、店みたいなもんはあるだろ。そこで何か買うよ」
「阿呆。主のような人間には売ってくれんよ」
マジか。いや、そりゃそうなのか?
「わしが用意してやる」
「え? いや、昼飯までもらったのに悪いって」
「だいたい泊まると言うても宿はどうするんじゃ。あんな牢屋で眠らせるくらいならわしの管理下に置いた方がマシじゃ」
「いいのかよ。キリハリリハさんっていい人なんだな」
「……主。わしのことを何だと思うて……まあ、よいか」
それから、俺はキリハリリハに木剣を借りて、月明かりの下で素振りを始めた。昼間は気づかなかったが、夜になるとりんりんという虫の声がどこからか聞こえてくる。吹く風も昼のそれより鋭く、締まっていた。




