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第1章 木叢の町《ヴェロッジ》Ⅱ

<1>


「な、なんですと。その冒険者をご隠居様が」

「うむ。先刻そう決めた」

「人間をヴェロッジに留めるというのですか!」

「生かしておくというのですかっ」

「主らがわしに振ったんじゃろうが!」

「いけません、いけませんぞ」


 さっきから俺の頭の上で、喧々諤々。やかましいやり取りが続いている。

 俺はごろごろと牢屋で蠢くしか出来ない。


「わしを誰だと思うとるんじゃ主ら。主らがこうしてぬくぬくと生きていられるのは誰のお陰じゃと」

「ぬくぬくとなどしておりませぬ!」

「一々揚げ足を取るでないわ!」


 この生意気なことを言ってるクソガキの名はキリハリリハ。俺はこいつに生殺与奪権を握られている。ナリは小さいが、ヴェロッジのエルフたちの中ではかなりの古株らしい。

 キリハリリハは俺を鍛えると言った。

 だが、ごめんだ。こいつの実力は分からないんだし、このままヴェロッジに留まるのもまずい。亜人っつーか、特にエルフは人間おれを嫌っている。闇討ちされてもおかしくはない。

 手足さえ自由なら、メニューを呼び出してどうにか出来るかもしれないんだけどなあ。


「ご隠居様は勝手が過ぎる」


 この牢の前には多くのエルフが押しかけている。その中でも、特にキリハリリハを非難しているのはサンシチと呼ばれている老人だ。俺を呼び出した時にいた、あの爺さんである。ヴェロッジの長を務めているようで、一応、偉い人なのだろう。


「人間を見逃すなど言語道断。許しさえいただけるのなら、すぐにでも八つ裂きにしてやります」


 そしてこの若い男の声。このエルフの名前はシャーラブーラ。人間を毛嫌いしているようで、すぐに殺すだのしばくだの言って過激なやつである。話を聞くにヴェロッジの防衛隊長、みたいな役職に就いているらしい。

 俺をどうするのかっていう議論は、主にこの三人で回っているらしかった。

 もう勝手にしてくれって感じである。夜中にログインしたせいで眠くなってきた。時間は確認できないが、午前の一時か二時は回っているだろう。ゴールデンウィークとはいえ、この状況はなあ。


「ようし」


 とりあえず寝てしまおう。



<2>



「ぬ? 寝ておるのかこやつ。おい、起きろ。起きんか、たわけ」


 体を揺さぶられて、ケツをばしばしと蹴られて、俺は目を覚ます。瞼を擦ることも出来ず、やにでくっついたそれを無理矢理こじ開けると、すぐ近くにキリハリリハの顔があった。


「おう。俺はどうなったんだ」


 キリハリリハは呆れたような顔になって、それからにんまりとした笑みを浮かべた。


「喜べ。主は今日をもって、わしの弟子となることが許された」

「へーえ。他のやつらが納得したのか」

「怪しい動きを見せれば殺すと念押しされたがの」

「ああ、そう。そんじゃあ縄解いてくれ」


 頷くと、キリハリリハは俺の後ろに回る。縄を解いてもらう間、俺は自分の状況について軽く説明しておいた。


「なんじゃと。一日一度は元の世界に戻りたい、と?」

「親に心配かけるのはまずいんだ」

「それではサンシチたちに示しがつかん。主が戻ってくるという保証がどこにある」


 そう言われてもなあ。


「俺はログアウト……ええと、こっから自分ところに帰る時はきっちり場所を決めるよ。こっちに戻ってくる時はその場所にしか戻れないんだ。基本的には」

「信じられんな。そもそも、主が大人しくわしの教えを受けるということもな」


 そんなつもりはないからな。さっさとキャラウェイなりにでも戻って、エルフたちのことを誰かに伝えてやらないと。


「そら、解けたぞ」


 ぽんと背中を叩かれて、俺はくるりと振り向く。これで両手が自由になった、か。さてどうするかと考えていると、キリハリリハは短剣を取り出して、それを見せつけてくる。


「なんだよ」

「これでわしを刺してみろ」

「はあ?」

「はあ、ではないわ」


 いや、いきなり、なんだ?

 短剣で自分を刺せとか正気の沙汰じゃないぞ。どういうつもりだと聞いてみれば。


「何、教えを請いたいという気にさせてやろうと思うてな」


 こんな答えが返ってくる始末。知らねえぞ。

 俺はキリハリリハから、とりあえず短剣を受け取る。切っ先の部分に少しだけ指を押し当てると、容易く刺さった。おもちゃ、とかではなさそうだ。


「わしの体のどこかに、そうさな、その短剣が掠りでもすれば主のことを見逃そう。安全な場所まで付き添うてやるから、その後はどこへなりとも行くがよい」

「いいのか?」

「うむ」


 俺にとって都合の良過ぎる話だ。大方、俺のことを舐めてるんだろうけど、流石に掠らせるくらいならどうとでもなるだろう。


「その代り、主が観念した場合じゃが、その時はわしの弟子になってもらう。よいな」

「ああ、いいよ。けどさ、なんでそんなに教えたがるんだよ。俺だって人間だぜ。あんたらエルフは人間を嫌ってるんだろ」

「わしはそこまで人間を嫌っておらぬし、教えたがりなんじゃ。それにエルフに教えるのはつまらん。エルフは寿命が長くてなあ、覚えが悪くとも時間さえかければどうにでもなる。じゃが、主ら人間は違うじゃろう? すぐに痛がり、すぐに死ぬ。脆弱な存在よ。そんなやつらにものを教えるということを、わしも一度くらいは試してみたいのよ」


 実験台か何かってことかよ、俺は。

 けど、今のところはこいつに乗っとかないとどうにもならない。


「分かったよ。で、どこで始めるんだ?」

「ここで構わん。、ここ(・・)で」

「マジかよ」


 ここは牢屋だ。木の壁に囲われていて酷く狭い。そして、俺とキリハリリハとの距離は一メートルもない。俺が、短剣を持っている腕を伸ばせば終わってしまう距離だろう。キリハリリハは出入口を陣取っているが、後ろへ下がったとして廊下にも壁がある。俺が更に踏み込めばいいだけの話だ。


「今、ここでいいのか?」

「構わんと言うておる」

「そうか」


 どういうつもりか知らないし、どんな裏があるのかも分からない。が、意趣返しのつもりで、俺は右手を動かす。一直線、最短距離で短剣をぶっ刺してやろうと思った。我ながら乱暴だが、先に乱暴してきたのは向こうである。

 だが、俺が腕を動かし切る前に、キリハリリハが先んじて俺の腕を叩き、短剣を取り落させた。……速いな。


「それ、次じゃ」

「一回きりじゃあなかったのか?」

「言うたろうが、主が観念するまでとな」


 キリハリリハは落とした短剣を拾い上げ、また俺に渡そうとする。

 ふざけやがって。俺は短剣を受け取った瞬間、キリハリリハの首を狙う。が、その動きも読まれていたのか、少し体の位置をずらされて、攻撃は空振りする。

 キリハリリハは体の位置をもう一度入れ替え、俺を牢屋の壁に力いっぱい押しつけた。


「次じゃ」


 こいつ、マジか。



<3>



「次」


 キリハリリハは冷めた顔で俺を見上げている。俺は、すっかり息が上がっていた。短剣を受け取り、攻撃を躱され、壁に叩きつけられる。この繰り返しをもう何度もやらされていた。


「ん。どうした、やらんのか」


 俺は短剣をじっと見る。クソが。完全にしてやられたし、弄ばれている。


「お前、めちゃめちゃ強いんじゃないか……」


 速いし、見えないし、この至近距離でもどうすることも出来なかった。


「さてどうじゃろうな。わしは所詮老いさらばえた身じゃ。ここの隊長をシャーラブーラと代わってから随分と久しいしのう」


 キリハリリハは短剣をくるくると弄んでいる。


「じゃが、主よりも強い。それは紛れもない真実じゃな」


 それでもろいどたちと対峙した時よりもマシな気分だ。ってことは、少なくともキリハリリハより上に行かない限りは兄貴たちを倒せないし、止められないってことにも繋がるだろう。

 そうか。なんだ。調子こいてたけど、俺はやっぱりこんなにも弱いんだな。

 俺は壁に背を預けたまま、ずるずるとその場に座り込む。


「降参かえ」

「参りました」

「呵々、素直に負けを認めるにしては、まあ、少し時間がかかったかの」

「どうしてそんなに速いんだ、あんた」

「わしが速いのではない。かと言って主が遅いのでもない」

「じゃあ、なんだってんだ」

「それは、わしのことを『あんた』とか『お前』とか呼ばなくなったら教えてやろう」


 なんじゃそりゃ。


「分かったよ、キリハリリハ」

「呼び捨てにするでない。敬って呼ばんか」

「敬う……キリハリリハ、さん?」

「様でよい」


 俺が露骨に嫌そうな顔をしたからだろう、キリハリリハは舌打ちした。


「まあ、呼び方など些細なものか。いずれ主が、わしを心の底から敬う日も来るじゃろう。ところで、主の名はなんという」

「八坂長緒」

「ナガオか。では、早速教えてやるとしよう。外に出るぞ」

「あ。その前に今日はもう戻りたいんだけど」

「なんじゃと?」


 だってもう本格的に疲れたし、いい加減戻らないと。


「ぬうう、最近の若いのには根性が足りん」

「明日は朝からここに来るからさ」

「本当じゃな。約束じゃぞ」

「おう、約束な」

「友達感覚で接するでない!」



<4>



 翌朝、俺はナナクロにログインし、


「……っつあ、そうかー」


 げんなりする。

 牢屋の中に戻ってくるってことをすっかり忘れていた。当たり前だけど扉にも鍵がかかってるし。


「おーーい。おーい、戻ってきたぞー。俺だー、八坂だー」


 しばらく待っていると、キリハリリハの声が聞こえてきた。そうして扉が開かれて、俺は仮ながら自由の身となる。


「遅いではないか、ナガオよ」

「ええ? 朝の九時だぜ。充分はええよ」


 婆さんかよ。


「まあよい。付いてこい」


 俺は言われるがまま、牢屋を出てキリハリリハの背を追って歩く。

 牢屋には他に捕えられている人はおらず、どうやら今は俺専用になっているらしい。

 外に出ると、木で出来たであろう建物ばかりがあった。町とは聞いていたが、セルビルやセリアックのような田舎町とも、キャラウェイのような大きな町とも違う。ここヴェロッジは、森の中にある集落といった感じだ。

 町を覆うのは背の高い塀ではなく樹木。陽光を木や枝が遮っているが暗くはない。それどころか降り注ぐ光がきらきらと反射して、教会のステンドグラスみたいだった。

 石畳などはなく、踏み均された草木が道の代わりとなっている。ヴェロッジを歩いているのは物々しい装備に身を包んだ冒険者や人間の町民ではなく、動きやすい服装の亜人たちだ。エルフの数が多そうにも見えるが、イア族や、他の種類の亜人もちらほらといる。そして皆、俺にじっとりとした視線を送っている。


「人間が来るのは珍しいからのう」

「いきなり襲われるってことはないよな」

「安心せい、わしがついておる」


 そいつがいまいち信用出来ないんだよな。


「こっちじゃ」

「あいよ」


 キリハリリハは町の奥へと歩いていく。次第に建物や人の数が少なくなってくる。そうしてしばらく歩いていると、開けた場所と、丸太を組んで作られたであろう小屋が見えた。


「ここは?」

「わしの家じゃ」

「あんたの?」


 随分とまあ、町から離れた場所に住んでるんだな。キリハリリハだってご隠居様とか呼ばれてる偉い人なんだろうかと思っていたが。


「は、老いぼれを押し込めているんだろうよ」

「ふーん。あんたはそれでいいのか?」

「よいか、そこで待っておれ」


 言うと、キリハリリハは小屋……というか、自分の家の中に入っていく。流石に逃げようという気は起こらない。俺が大人しく待っていると、キリハリリハが木剣を二振り持って戻ってきた。


「そいつで打ち合うのか?」

「そいつは主次第じゃな」


 渡された木剣を軽く素振りする。軽過ぎるくらいだ。イシトラのグラディウスの重量感が懐かしい。


「なあ。昨日は速いとかどうとか言ってたよな。あれってどういう意味なんだ?」

「ん? ああ、あれか。どれ、教えてやろう。剣を構えてみい」


 構えてみると、キリハリリハは薄い笑みを浮かべた。


「不細工な構えじゃなあ」

「うるせ……おおっ!?」


 キリハリリハが消えた。

 そう思った次の瞬間には、彼女はもう俺の目の前にいる。やっぱり、早いじゃないか。


「分かったか?」

「分からねえって。何をしたんだよ」

「何をしたもクソも、前に出ただけじゃ」


 ……?


「あ。主、本当に分かっとらん顔をしとるな」


 マジで分からん。


「戦いにおいて大事なのは間と呼吸じゃ」

「間。呼吸」

「おう。相手がこの間なら何をするか、何をしたいのかを考える。そうして相手の呼吸を確かめる」

「間は分かるけど、呼吸って確かめてどうするんだ?」

「聞いてばかりじゃなあ主は」


 いや、だって教えてくれるって言ったじゃないか。


「主、飯を食う時はどうする?」

「腹を空かせてから食べる」

「たわけが。そういうことを言うとるのではない。歩く時にも、剣を振る時にも、眠る時にでさえ生きているものは息をする。呼吸というのは予備動作というやつじゃな。強く、重い行動をとる時ほど生物は深く呼吸する」

「そりゃまあ、そうだけど。息をしないと死ぬんだし」

「そうじゃ。生きている限り、息をするということからは逃れられん。戦う時も同じじゃ。相手の呼吸を感じ、それが分かったなら相手が何をするのかも分かるということに他ならん」


 なんとなく、キリハリリハの言っていることは分かる。だけど呼吸なんて目で見て分かるものなのだろうか。


「昨日はわしにけちょんけちょんにやられたじゃろう、主。あれはな、主の息の仕方がヘタクソだったからじゃ」

「息をするのに上手いも下手もあんのかよ」

「無論じゃ。主の呼吸はな、『今から行きますよ』と言うておるようなもんじゃ」


 確かに、そうなのかもしれない。俺は今まで部活やクラブに入ったりもしなかったから、まともな指導者のもとで体を動かしてこなかったし、ゲームの戦いはともかく、現実で剣を振ったりすることもなかった。スポーツや武術でも、一流と呼ばれる人は呼吸とか、そういうことを大切にしているのかもな。


「素人に毛が生えた程度の力では、主の身内を止められはせんぞ」


 しかも痛いところを突かれてしまう。


「本当に教えてくれるんだよな、そういうことを」

「そう言うておるではないか。時にお主。今までどんな武器を使ってきたんじゃ」

「武器? つっても、剣くらいかな」

「足りんのう。他にも使え。思いつく限り、考えられる限りの種類の武器をな」

「は? なんで?」


 口答えすると頭を木剣で叩かれた。


「まだチ●コに毛も生え揃っとらん小童が。武器を知らんと対処も出来んじゃろうが。知らんということはな、それだけで脅威じゃ。槍の間合い、槌の重たさ。それぞれの強み弱みを知っておるのとおらんのとではまるで違う」

「それは、そうか……」

「ということは、主は剣士なんじゃな」

「いや、今は格闘家だけど」

「なんじゃと?」


 キリハリリハは俺の頭からつま先までじろじろと見回して、鉄の胸当てや靴、ケトルハットなどをこんこんと木剣で突いた。


「ちぐはぐじゃ。格闘家がこんなものをつけてどうする」

「ええ? でも、その時点で装備できるものじゃあ一番いいやつだったんだぞ」

「魔法使いがハルバード担いではこんじゃろう。装備に振り回されるのは論外じゃが、それでも自分の身の丈に合ったものを装備せんと意味はない。金の無駄遣いじゃな」


 装備か。そりゃあジョブによって適正とされるものはあるだろうけど。いや、否定っつーか、口答えしてばっかりじゃあダメだよな。こういうところからしっかりしていかないと、今以上には強くなれない。


「なあ、キリハリリハ、さん。あんたは王都を襲うことについて、どう思ってるんだ?」

「どうでもいい。そう思うておる。とはいえ、人間の肩を持つ気にもなれんがな」


 いい機会、なのかもな。

 キリハリリハは俺よりも強くて色々と知っている。ただのゲームならどうだっていいけど、俺や兄貴たちはこの世界でも確かに生きている。呼吸をしている。だったら、パラメータを上げる以外にも自分を高めるやり方はあるかもだ。

 それに、ここに留まることは無駄じゃない。ヴェロッジの連中の動きを見られるし、俺だけでもある程度抑えられるかもしれないんだ。今、こうやってここにいられるのは俺だけだ。だったらやっぱり、俺がこの町に、この町のエルフに呼ばれた意味ってのもあるのかもしれない。


「改めてお願いします。俺を強くしてくれ、師匠」


 俺はまっすぐにキリハリリハを見た。


「うむ」と、キリハリリハは満足げに頷くのであった。

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