序章
<1>
「凶事じゃ……」
ホワイトルート大陸は、とある森の奥深く。
亜人の長が空を見上げ、震え声を絞り出した。その声を聞いた者たちは恐れ戦く。
「な、何が起こるというのですか?」
長は首を振った。諦めているかのような所作であった。
「風の流れが変わった。数百年もの間、穏やかに流れていたものが……」
「風……まさか、ハシラサマが」
「我らはビュリャジリャドゥドゥメの森を禁足地と定めております。大方、セラセラの連中が踏み入り、荒らしたのでしょう」
「ううむ」
ホワイトルートの亜人たちは人間よりも柱を神聖視している。とりわけ森に生きるものにとっては。
そして亜人たちの悪い予感は見事に的中することになる。シナツヒコの去ったホワイトルートには、危難の風が吹き荒れようとしていた。
<2>
あの森で兄貴たちにいいようにやられてから三日が経とうとしていた。
そして俺がナナクロにログインできなくなってからも、三日が経とうとしていた。
「……ダメだ」
俺はノートパソコンを閉じる。
どういうわけか、あの日にログアウトして以降ログインができない。ずっとエラーが出続けているのだ。弱った。かなり弱った。
俺は兄貴を追わなきゃいけないのに。
俺の兄貴、八坂剣爾はしばらく見ない間にすげえ愉快な状態になっていた。小学生くらいの姿になって、自分たちの楽園を作るとか言って、仲間集めて《ヤマタノオロチ》なんて名乗ってやがった。
自分の身内じゃなかったら目を瞑り、耳を塞いでいたところだ。しかし残念ながら、その残念なやつは俺の兄貴である。ぶん殴ってどうにかして元の世界に連れ戻さなくちゃあならない。あいつはこっちの世界にもあっちの世界にも迷惑をかけているんだ。
状況は何となく分かっている。
《ヤマタノオロチ》の目的は柱に封じられているものの解放だ。その為に柱に宿っている神様を退かそうとしている。理屈は知らないが、神様が柱から追い出されれば封印っぽい何かが解けるのだろう。そしてホワイトルートの柱はやつらの手に落ちた。
風の神、シナツヒコは柱から消えた。それどころか、そいつの力をカァヤさんが入手した可能性が高い。
このままではまずい。柱にいる何かが解放されると何が起こるか分からないが、きっとよくないことが起こる。しかも時間はない。兄貴たちが柱に到着する前に止めなくちゃいけない。
柱は七本あるが、そこにいる神を解放するごとにその神の力まで取られちまう。ただでさえ強いあいつらが更に強くなってしまう。
少しでも早く兄貴を見つけたいのにこのざまだ。
せっかくゴールデンウィークに突入してるってのに時間を無駄にしている。ちくしょう。
椅子に深く腰掛け、なんとなく携帯電話を確認する。午後の九時を回っていた。
『楽しかったよ、ありがと。
また一緒に遊ぼうね』
メールが来ていた。……鶴子か。
結局、鶴子にはまだ兄貴のことを伝えられないでいる。言ったら絶対心配かけるだろうし、あいつの性格だ。自分でナナクロをスタートし、ストトストンへ来ようとするに違いない。それだけは避けたい。
一人だ。一人でいい。
俺は一人でも、あの世界で戦ってやるんだ。
<3>
ぼうっとしていたら、いつの間にか微睡んでいたらしい。俺は頭を振り、瞼を揉んでノートパソコンを開く。
ふと、今ならいけるという予感がした。誰かに見られているような、声をかけられているかのような妙な感覚。そして既視感。時刻は日付の変わる午前零時前。俺は急いでナナクロへのログインを試みる。
「開いた……!」
ディスプレイが激しく発光する。俺は腕で自分の顔を隠し、目を瞑った。
<4>
鼻を突くのはむせ返るような草の臭い。土くれと冷たい空気とが混ざり合った、原始的なそれ。
あの森に戻ってきたのかと目を開けると、暗幕に覆われたような空間が広がっていた。夜の森だ。暗くて当然、月明かりしかここを照らさない。
「……なんだ?」
だが、俺は強い違和を覚える。
ここは森で間違いないはずだが、何か違う。最後に見た兵士たちの骸も片づけられてはいるだろうが…………そこで気づいた。木が違うのだと。
ビュリャなんとかの森とは違う種類の木や植物が生えている。空気にも独特の湿っぽさは感じられない。ここはもっと涼やかで清らかだ。
そしてもう一つ。
俺は恐らく、誰かに見られている。虫の声や獣の気配に紛れて、別種の存在感が木々の奥から見え隠れしているような、そんな感覚だ。
「成功したようだな」
あ?
後ろから声がした。振り向くと、そこには背の低い老人が立っていた。ぼろきれを纏った、みすぼらしい風体の人物であった。
「あんたは?」
俺が老人に声をかけると、周囲の草むらからいくつもの影が立ち上った。そいつらは皆、動き易そうで似たようなものを着ており、俺に対して弓を向けていた。げんなりするぜ。
「お若い冒険者。動かん方が身のためじゃ」
「みたいだな」
いったい、なんだってんだよ。
ログインしたら囲まれてるし、ここはログアウトしたところとは違う森らしい。
「あ」
足元に目をやると、幾何学模様の図形が描かれているのが分かった。たぶん、木の枝か何かで描いたものだろう。
この図形は魔法陣だ。俺がセルビルのギルド職員に召喚された時にも見たな。ということは、俺はこの人たちに呼ばれたってことなのか?
「説明してくれ。それと、俺は何もしないよ。頼むから武器を下ろしてくれ」
「下ろすのは説明してから。そして、お前さんの答えをもろうたあとじゃな」
俺は溜め息を吐いた。
<5>
老人の話を聞くに、どうやら俺は本当にこの人たちに呼び出されてしまったらしい。尤も、彼らは俺を呼んだのではなく、冒険者を呼んだそうだ。つまるところ誰でもよくて、貧乏くじを引いたのが俺だったってことだ。
「ここは《グァムシロの森》。《ヴェロッジ》にほど近い場所になるかの」
「ヴェロッジ?」
そういやアニスが言ってたな。ヴェロッジは森の中にあるエルフの町だって。
暗がりに目が慣れてくりゃ、目の前の老人も、俺を取り囲んでいる連中も耳が尖ってて長い。
「あんたらエルフなのか」
老人は小さく頷き、俺の目を見た。
ここがどこなのかも分かった。俺を呼び出したのが何者なのかも分かった。
「それで、どうして冒険者を呼んだんだ?」
「仕事を頼みたい」
仕事?
「お前さんたちは依頼を受けて金をもらうのだろう?」
そりゃあそうだが、弓構えといてそれを言うかな。断ったらどうするのか見え見えじゃねえか。
第一、冒険者に仕事を頼みたいならどっかの町のギルドで募集すればいい。わざわざ召喚陣敷いて呼び出すってことは、大っぴらには頼めない要件なんだろう。
「内容によるよ」
「言えぬ。受けるかどうか、先に答えてくれんか」
「何するのかも分からねえのにイエスもノーもねえよ」
俺がそう言うと、場の雰囲気がぴりっと引き締まるのを感じた。断る方向に話を進めたら、やられるなこりゃ。
汚いけど、まずはこの場を脱するのが先決だ。受けるっつって後で逃げちまおう。こんなもんフェアなやり方じゃないんだ。だったら俺だって多少なりともそうさせてもらう。
「断ったら撃ってくるんだろ? いいよ、分かった。受ける。話を聞かせてくれよ」
「そうか」
老人は腕をさっと下ろす。すると、周りのエルフたちが武器を下ろした。
「で。依頼の報酬は?」
「報酬か。少し待って欲しい」
「……後払いってことか?」
「ああ」
老人は、俺の後ろを指差した。
「ええ……? あの木が報酬?」
「違うわい。お前さんに金をやるのは城を落としてからじゃ。首尾よくことが運べば、蔵からでもどこからでも好きなだけ持っていけばいい」
城?
「俺に何をさせる気なんだよ」
「決まっとろうが。亜人の悲願は唯一つじゃ。この身に刻まれ、この血に流れる本能が言うておる。落とすのは王都の城よ。絶やすのはセラセラの血よ」
「はあ?」
「王都の城を落とす。その手伝いを冒険者にはしてもらいたい」
城を落とす。
それってつまり、このエルフたちがセラセラに戦争仕掛けようってことだよな。こいつらが王都に攻め込もうとしているってことか。
……どういうことだ、こりゃ? だいたい、亜人ってのは数が少ないだろうし、セラセラ家に喧嘩吹っかけてくる相手もいないって聞いてたぞ。
「俺たちだけで王都を?」
「無論、他にも協力者はおるよ。それにな」
エルフの爺さんは笑みを浮かべた。
「風が吹いたんじゃよ。わしらにとって、追い風となり得る風がな」
風。
何か、嫌な予感がした。
「事情は知らぬが、聞くところによるとセラセラの王は死にかけではないか。その娘、恐るべき赤槍のフェネル・セラセラも療養の為、セリアックに留まっておる。セリアックは柱のことで、ロムレムは闘技場も街も燃えてその対処に追われておるそうじゃ」
セラセラ王やフェネルが生きている。
それは、俺にとって嬉しいニュースだった。だが、王の状態は芳しくないみたいだな。しかもセリアックとロムレムだって? 確かにあの二つの町は戦争どころじゃあないだろうけど。
「王都の守りは手薄。攻めるには絶好の好機じゃ」
こいつら……。
いや、目の前にいるエルフたちが何かしたってわけじゃない。彼らにとって『いい風』が吹いただけだ。
しかし、クソが。兄貴たちのしたことが、巡り巡ってこういう形になるとは。いや、あるいは亜人がその隙を衝いて王都を襲う、なんてことも筋書きにあったのか?
「確かにわしらは人と比べて数は少ない。だが、今の状況なら少ない人数であっても王都攻めは不可能ではない」
だとしたら、今、王都に残ってるのはドリスか。カルディアにはアニスがいるだろうが、他の町の人たちは動くに動けないだろうし、疲弊もしているだろう。彼女たちだけでは足りない。マジでエルフの目論見ってのが成功しちまうかもな。
セラセラっつーか、ホワイトルートの人と亜人の仲はよくない。そういうことは分かっている。何をされたのかは知らないが、ここにいるエルフたちだって腹が立つから王都を攻めてやろうとしているんだろう。
「冒険者。返答は如何に?」
いきなり過ぎて訳が分からねえってのが本当だ。
ただ、この流れってのが兄貴たちの想定しているものだとしたら、俺はそいつに抗ってやりたい。だいたい、戦争なんてろくなもんじゃあないだろう。人がバカスカ死んじまう。
「そうだな」
俺は鞘に手を遣って……イシトラからもらったグラディウスがないことに気づいた。
「そ、そうだなあ」
あれー?
あっ。そうか、グラディウスはろいどに壊されたんだっけか……。ちくしょうあの野郎ふざけやがって。
「そうかあ」
俺は深呼吸して、状況を確認する。
とにかく、やばい状況だ。俺を囲んでいるエルフの数は十人近く。武器を下ろしちゃいるが距離がある。下手に動けばすぐに弓を向けられて射られるだろう。おまけにこっちは空手ときてる。
「どうじゃ?」
「悪いけど、そういうのはよくねえって」
だが、見過ごせない。
「……拒否すると?」
「そういうことになんのかな」
ほう、と、エルフの爺さんが息を吐く。俺はその瞬間、爺さんに対してドーンナックルでの裏拳を放った。
が、爺さんは歳に似合わない軽やかな動きで攻撃を回避する。まずったか!




