終章
<1>
「な……んだよ、これ……」
俺は剣を落とした。
雪の中に隠れたそれは、もう見えない。
「終わったみたいだ」
終わった?
何が?
「僕たちの用事が済んだということだよ」
「は、あ……?」
メッセージが、視界が、赤い。
HPが、なくなっているのか……? それって、つまり。
「時間稼ぎは済んだ。さっきから仕掛けていた、ホワイトルートの柱の神《志那都比古神》が封印を解いたのさ。そうして、僕の仲間が風の神の力を得たんだろうね」
……この、矢は。
これは、どこから飛んできた……?
「まずは一本目。……それじゃあね、長緒」
兄貴が俺の耳元で何かを囁く。
だけど、俺はそれよりも、前方にいる人の方が気になってしようがなかった。
「そう、か。そういやあ、そうだったか」
視界が真っ赤に染まった後、俺の意識ごと、何もかも真っ白になって、そうして――――。
<2>
俺は。
俺は、真っ白になって、雪の中みたいに真っ白い風景の只中に投げ出されていた。
「……ここは」
見覚えがある。
俺はこの場所を知っている。ここは、ヘリオス戦の時、俺が死んだ時に来た場所だ。俺以外に誰もいなくって、何の音もない、そんな寂しい世界だった。
だが、俺は何も考えず、恐怖を覚えることを拒んで、ただひたすらに待ち続けた。やがて、俺の前にウインドウが表示される。
『あなたは死にました』
「……正直言って、あんたを待ってた」
『ここにあなたが来るのは二度目ですね』
二度も死ぬとは思わなかった。
『覚えているのなら……あなたには二つの道が用意されています』
「ストトストンか、地球か、だよな」
『はい』
だったら決まっている。
「ストトストンに戻して欲しい」
『今度は、前回のような加護を与えることは出来ません。この地の柱に宿った神が去りましたから』
前回って……ああ、ヘリオスの両目を斬った時の、アレか。
やっぱり、アレは神さまの力だったってわけか。
「いや、いいんだ。そういうのは。今でも十分、反則技使ってるようなもんだし」
『前にも言いましたが、次があるか分かりません』
「うん、いい」
『強情ですね。ですが、その意志の強さがあなた自身を救うことにもなるのでしょう』
だといいけどな。
「そういや、あんたはこの前、兄貴が俺を呼んだって言ってなかったか?」
『呼んだのかもしれないと言ったのです』
そうだったっけか。なんかちょっと怒ってない?
「兄貴は俺を呼んでないってさ」
『それでも意味はあるのでしょう。あなたが、あの世界に現れた意味が』
「それは、あんたを助けられるかどうかってことかな」
答えはない。
もうじき、俺は戻るのだろう。あの世界へ。あの戦場へ。
「なあ。あんたの名前はなんて言うんだ? 俺は勝手に、心の中じゃあ神様って呼んでるんだけど」
『名は覚えていないのです』
え?
『我々は自分と、自分の名を捧げることであるものを封じています。そうして《私》は《ハシラサマ》になったのです。その為に柱の中にいる時は自分では名乗れません』
「そうなのか……でも、シナツヒコって神様は。いや、ちょっと待ってくれ。そもそも、あんたたちは何を封じているんだ?」
兄貴たちは、封じられている方に協力していると言っていた。
『それも、思い出せないのです。この中にいる間は』
「あんたは、シナツヒコって神様じゃないんだな。だとしたら、あんたは『どの』柱の神様なんだ?」
柱は七本。神は七柱。
俺を救ってくれるこの人は、どこにいるというんだろう。
『それも思い出せません。ですが、いつか……』
いつか。
いつかなんだってんだ。
『時間です。いいですか。加護は無理ですが、助言なら与えられます。あなたはまた、あの射手に』
「いや、大丈夫」
『分かっているのですか?』
「まあ」
今回の死は俺の怒りが招いたことだ。
正直、まだろいどたちには腹が立って仕方がないが、ここは我慢しよう。死ぬよりはマシだ。
『では最後に。シナツヒコは風の神。自由であることをこよなく愛する神です。我々は皆、自分と似たものに強い親しみを覚え、手を貸すこともあります。シナツヒコがあの場に残っているのなら、あなたに手を貸してくれるかもしれません』
自由、か。
俺じゃあちょっと厳しそうだな。
「頑張ってみるよ」
『はい。どうか、あなたに柱の加護があることを』
「うん、ありがとう」
そこで、ぐるりと。
視界が、意識が反転した。
<3>
『《八坂長緒》の召喚を確認しました』
「……仕方ないね」
ハッとする。
どうやら、俺は戻ってきたらしい。傍には兄貴が。右手はジンの剣を握ったままでいる。
……やばい。
俺はろいどから退き、矢の飛んでくる(・・・・・)方に目を向けた。そこで、射手と目が合う。
やっぱりか。生き返っても、そこは変わらないんだよな、カァヤさん。
「っぶね」
矢は、さっきまで俺がいたところをすり抜けて、森の奥深くへと吸い込まれるようにして消えていった。
そうして俺は、近づいてくるカァヤさんと対峙する。
「久しぶりですね」
「私は。ここで、長緒君と会いたくなんかなかった」
ちょっとだけ期待してたんだけどな。
でも、カァヤさんも兄貴たちの仲間ってわけだ。俺は、そうか。さっきはこの人に殺されてしまったのか。
「カァヤ。首尾はどうだった?」
カァヤさんはぴくりと肩を震わせて、兄貴の傍に近づく。倒れたままだったろいども意識が戻り、気を取り直したのか、その場に座り込んだ。
「たぶん、宿ったわ」
「そうか。何よりだね。シナツヒコの力を、君が得ることに意味がある。僕はそう思っているんだ」
兄貴とカァヤさんは何か話しているが、こっちの緊張は解けない。集中しろ。何も。何も終わってなんかいないんだ。
「ろいど」と兄貴が呼びかける。
「はい」
「君は、忍舞と岩田先生を連れて先に戻るんだ」
「いいんですか?」
ろいどは俺を見た。いやが上にも右手に力が入る。俺がろいどと戦ってる間に『千死万行』は、狼王たちは終わっていたらしい。雪はもう、とうに止んでいた。
「いいんだ。君たちは皆、今日まで動いてくれていたからね。疲れただろう? 先に休みなよ」
「ケンジさんがそう言うんならそうしますけど……」
「この場は僕とカァヤでどうとでもなるよ」
どうする?
あいつら三人、かなり弱ってるはずだ。追撃……いや、無理か。俺だって万全の状態じゃない。それに、カァヤさんがいる。俺が動けばこの人が止めるだろうな。
「それじゃあ、後はよろしく頼みます」
ろいどは、岩田と、駄々をこねてキレまくる刹那を連れて消えた。ワープストーンを使ったんだろう。
ここであいつらを逃がすのは惜しかったが、俺の目的は兄貴を連れ戻すことだ。わざわざ盾役引かせてくれんのは願ったり叶ったりの展開である。
「なあ、兄貴」
「ん?」
戦いがひと段落して、俺の頭も少しは冷えた。
「本当に戻らないつもりなのか?」
「元の世界に、かい」
「ああ」
「戻らないよ。それに、この姿じゃあね」
確かに、子供の姿で戻れば皆驚くだろう。あるいは兄貴本人と信じてもらえないかもしれない。
「だったら、元の姿に戻ればいいじゃないかよ」
「元の姿、か。僕には、それがよく分からないな」
は?
「今の僕と数か月前の僕。どちらが本当の僕なのかが分からないんだ」
「……戻る意思はないってことなのか?」
ふう、と、兄貴は溜め息を吐いた。
「そう言ったじゃないか」
「そうか。じゃあ、しようがねえよな」
俺は自分でも訳が分からないくらいスムーズな動作で剣を振っていた。横薙ぎにしたそれを、兄貴はじっと見つめている。
時間がえらくゆっくりと感じられて、俺の攻撃速度が酷く遅い。
「長緒」
甲高い音が聞こえたかと思うと、剣が中空に舞っているのが分かった。カァヤさんに矢を放たれ、弾かれてしまったらしい。
「もういいよ、兄貴。話してると疲れるんだ。だから、兄貴を動けなくなるくらいボコって、無理矢理ログアウトさせる」
「そうか。僕もそうするよ。お前を無茶苦茶にして、強引にログアウトさせる。お前が僕のところに来るたび、ずっとそうするよ」
なんだ。結局のところ、考えることは同じなんだ。
少しだけ安心した。やっぱり兄弟なんだなって。
「今はそれでいいよ」
「そうかい」
兄貴はふっと微笑んで、俺から距離を取ろうとする。逃がすかよ。
「ダメよ、長緒君」
「カァヤさん……」
この人にはたくさん助けられたな。
たぶん、カァヤさんが俺に接触したのは兄貴の指示だったんだろうけど、それでも構わない。
今はもう、構わない。この人が俺の敵であったとしても、構わない。
「あ」
くるくると回り、落ちてくる剣。
俺はそいつが中空にある内に掴み、敵意を込めてカァヤさんを見た。瞬間、彼女の顔色が変わった。
「どうして……どうしてそんな目で、私を見るの!?」
カァヤさんが矢を番える。彼女の強さは知っている。
俺は剣を振り被るも、再び弾かれてしまった。無防備になったところで、二発目の矢が飛んでくるのを覚悟する。
だが、矢は来なかった。
それどころか、カァヤさんもまた、何者かの攻撃によって弓を引く瞬間を邪魔されていた。
「どうして、あなたも……!」
カァヤさんが歯を食いしばる。彼女の視線の先には、こちらに向かって走ってくるさゆねこの姿があった。
「お前っ、なんで!?」
「うるさいのです! お兄さんは!」
<4>
ナガオの窮地に現れたさゆねこだったが、彼女にはナガオを助けてやろう、などという気持ちはあんまりなかった。
ただ、置いていかれて腹が立つし、ズルをしたナガオを咎めてやろう、あとで嫌みでも言ってやろうという気持ちでこの場に現れたのだ。
さゆねこはパーティから抜けた後、合流したスィランと組んでギルドの依頼を受けに受けに受けまくり、自力で冒険者ランクをDにまで上げたのだった。その際、さゆねこは母親に『一週間ずっと家のお手伝いをする』という条件を呑ませて、可能な限りゲームに時間を費やした。少しお肌も荒れてしまった(本人談)。
しかし、意気揚々と森を抜け、ナガオたちのいる場所まで来たさゆねこは事態が掴めずにいた。どうしてナガオがカァヤと戦っているのか。そもそもローブを着た少年は誰なのか。楽しいイベントはもう終わってしまったのか。ここに来る途中ですれ違った人たちは誰なのか。疑問は尽きなかった。
そこでさゆねこは考えるのを止めた。所詮はゲームだ。なんかもう面倒くさい。ただ、二つだけ考えて、結論を出した。
『一つは、誰の味方になるのかです』
ナガオか、カァヤ。
どちらにつくか。
さゆねこは少しだけ考えて、ナガオの味方であろうと決めた。なぜなら彼は弱いし頼りないからだ。自分がいないと上手くこのゲームを遊べそうにないと思ったからだ。そして何より、ナガオといると妙なことに巻き込まれて面白いからだ。
『もう一つは――――』
さゆねこは、ナナクロを辞めようかどうか悩んでいた。
他にも面白いゲームはある。実際、友達にも別のゲームを遊ばないかと誘われている。そっちのゲームの方が運営はしっかりしているし、プレイヤーの数も多い。
だが、さゆねこはナナクロにもう少し付き合って遊んでやるかと思い直した。ナガオには少しだけムカついたが、楽しいものは楽しいのだ。損得抜きでそう思えるのなら悪くはないと考えた。
『だってゲームって、楽しいものじゃないとダメじゃないですか』
「お兄さん!」
さゆねこは弓を構え、矢を放った。当たるとは思っていなかったそれが、カァヤの得物に命中した時は心が躍った。まるで神様に導かれているかのようだった。神様がいるかどうかは知らないが、いたとして、つまるところ神様に力を貸してもらえるわたしってすごい、と。
「さゆねこちゃん、あなたまで……!」
「お姉さん?」
そんなはずはないのだが、ふと、カァヤのアバターが途轍もなく恐ろしい顔つきになったように感じた。
「げっ」
同時、さゆねこのHPが0になる。
カァヤに撃ち返されて、そのまま死んだのだ。さゆねこは光になってセリアックの教会までぶっ飛んでいく。
「死んじゃいましたか……」
またあの森の奥深くまで戻るのは骨だ。さゆねこは色々と諦めた。
しかし、と。さゆねこはふと思案する。先のカァヤの表情には覚えがあった。
「ああ、そうです」
父親とケンカしている時の母親とそっくりだった。
<5>
「さゆねこっ」
あいつ、来てくれたのはいいけど、来てすぐに死にやがった。だけどカァヤさんの得物も吹っ飛んでいる。チャンスはここだ。
「兄貴ぃ!」
俺はカァヤさんの横をすり抜けて、
「ダメって言ったじゃない、長緒君」
「え?」
背中に激痛が走って、俺はその場に崩れ落ちる。痛む箇所に手を回すと、矢が刺さっているのが分かった。これは、撃たれたのか? ダメージだけじゃない。何か、デバフも付与されているみたいだ。
けど、どうして? カァヤさんの弓は中空にあったはずだ。
振り返ると、カァヤさんは別の弓を携えていた。最初に持っていたのとは違う、小さい弓だ。
「きったね……」
「言ったじゃない。一々メニューを開いていたらタイムロスになるって」
カァヤさんの弓は折り畳み式になっていた。くそ、そいつをどこかに仕込んでたのか。
「すぐには動けないと思うわ。色々付けたから」
「くそ……ちくしょう」
体の自由が利かなくなってくる。ここまで来たのに。手ぇ伸ばせば、そこに兄貴がいるってのに。
「ログアウト。させなくていいの?」
「ん? ああ、いいよ。今回はね。ゆっくりと、長緒がどうするのか考える時間をあげるんだ。そうすれば、僕のことを分かってくれるって信じてるしね」
「そう。そんな日は、来ないと思うけれど」
「そうかな?」
兄貴が俺の頭を撫で、微笑んだ。
「じゃあね、長緒」
あ。
待て。
手を伸ばしたけど、もはや感覚はない。
遠ざかる二人分の足音だけが、やけに近くで聞こえてくる。くそ。くそっ。俺は、こんな目に遭う為だけにここへ来たってのかよ。
<6>
剣が一本、地面に刺さっている。それはまるで墓標のようであった。
誰の死を印したものなのか、すぐに見当がついた。
『俺も兄貴みたいな兵隊さんになりてえなあ』
そう言って、あいつは笑った。笑っていたんだ。
あいつの夢は叶ったのだろうか。あいつは、フェネルを庇って死んだ。誰にでもできることじゃあないはずだ。セラセラの兵として立派に務めを果たして死ねたはずだ。
……でも、そうじゃねえよな。ごめん。
本当にごめん。
俺のせいだ。俺の事情に巻き込んでしまったせいだ。
謝っても謝り切れないし許してももらえないだろう。だから、俺はお前を理由の一つにしてこの世界に残るよ。お前の命を背負おうと思うから、今はそれで勘弁してくれ。頼む。頼むよ。
<7>
目を覚ますと、もう、俺一人だった。兵たちの骸はあるが、モンスターのそれはない。分かっちゃいたけど、どうしようもなく寂しかった。
「……く」
自分の状態を確認し、アイテムで体を回復させる。傍には、ジンの剣が地面に突き刺さっていた。
俺はその近くに腰を下ろして、ぼうっとした頭でメニューを操作する。
「あ、?」
妙だ。
メニューがっつーか、データがおかしい。
特にバグってるのはフレンドの項目だ。数少ない友達がゼロになっている。マジか。さゆねこたちとも連絡が取れなく……いや、これでいいのかもしれない。
一人でいいんだ、もう。一人だったら誰も巻き込まずに済んだ。いや、誰かが傷つくのを見ないで済んだんだ。
俺は気を取り直して立ち上がり、そこでまた違和感に気づく。
着ているものだ。俺はついさっきまで兄貴の学ランを着ていたが、どこにもない。今は布製の服を着ているみたいだ。
「こいつは」
服の上に手を遣ると、ごつごつとした硬い感触がある。これは胸当て、か? 見回すと、履いてるのも鉄製の靴だし、近くには帽子の形をした兜も落ちている。
もしかしなくても、これは俺が装備しているものじゃあないのか? 実際には身につけることはなかったけど、なんで、今になって『普通』のことになってるんだ?
分かんねえ。
だけど、シナツヒコとかいう柱にいた神様がどっか行ったっぽいし、柱に封印されていた何かが出てきたってのはなんとなく分かってる。そいつらの影響か? あるいは、最後に兄貴に触れられた時、何かされたのかもしれない。確かなのは、俺のデータがいじられたってことだ。
「……半端なんだよなあ」
俺のズボンには携帯電話が紐で括りつけられていた。兄貴のもので間違いないだろう。全部なくなったのかと思ったけど、こいつだけが残ってる。兄貴が、まだ現実との繋がりを断ち切れていないってことなのだろうか? それとも……。
この電話が希望なのか、そうでないのかはまだ判然としない。ただ、こいつをなくすと終わりなんだなって気はした。
そう思ってから、俺は、まだ終わっていないんだ。諦めていないんだなと実感する。兄貴がこっちにいるのは分かったんだ。それが分かっただけでもいいじゃねえかって納得する。
失い、欠けたものはあるが、ここで立ち止まると今までのことが嘘になる。それは、嫌だった。
兄貴を追うんだ。
俺は決意を新たにしたけど、どうしても疲れていた。少しだけ休ませてくれって、どこの誰に願ったものか。ともかくこの場所からログアウトした。またこの場所に戻ってくるんだって、そん時の俺はアホみたいに信じていた。




