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第3章 冬を着る森Ⅱ

<1>



 ろいどたちは囲みを脱した後、三方に別れた。セリアックの兵たちは未だ状態異常から脱していない。多少なりとも動けるのは俺と、フェネルくらいのものだった。


「フェネル止めろ! 皆やられっちまう!」


 しかしフェネルの頭には血が上っている。さっきからまったくもって冷静さの欠片も持っていない。俺の話なんか全然聞いていない。

 三方……時間はない。俺は一度だけ、深く息を吸い込んだ。

 あの三人の中で一番やばいのは、ろいどだ。あいつは人を害すことに躊躇がない。そもそも、ストトストンの住人を人間と思っていないような節がある。

 刹那も危ない感じだが、まだ聞く耳持ってくれそうな気はする。ただ、闘技場で使った『黒いやつ』を出されるとまずい。

 最後に、岩田とか自己紹介した爺さんだが、もはや判断材料も糞もない。やばいのはやばいだろうが、爺さんは格闘家っぽいし、囲んで抑え込めばどうにかなる。後回しだ。


「おう、あんたが八坂の弟かね」

「お前がっ、こっちに……!」


 って、そう来るかよ!

 岩田が、刹那のもとに向かおうとしていた俺の前に立ちふさがる。


「木偶を相手にするのはつまらんのでな。相手になってもらおうか」

「退いてろジジイ!」


 まだ少し体が痺れているが、構わない。俺は前へと踏み込んだ。


「? 遅いな」


 だが、岩田は俺よりも遅れて踏み込んだってのに、俺よりも先に自分の間合いに到達していた。やつの得物は己の拳。俺よりもリーチが短いってのに、どんな速さしてんだこいつ。

 攻めっ気満々だったのでガードが遅れた。グラディウスでは拳は防げない。覚悟を決めて歯を食いしばり、《戦意上昇》を発動してステータスを底上げする。


「お゛っ……!?」


 腹に、岩田の右掌底が入った。鈍い音を聞いた後、俺の視界があちこちに飛ぶ。いや、俺自身が吹っ飛ばされているらしい。

 ごろごろと雪上を転がった後、落としたグラディウスはメニューを操作することで回収する。痛みはすぐに掻き消える。しかし、削られたHPが先の攻撃の威力を物語っていた。


「よォォォ! 私も混ぜろよなっ」


 兵士たちを薙ぎ倒した刹那が、俺の方に駆けてくるのが見えた。冗談きつ過ぎる。この状況で二人を相手かよ。

 だけど、他の人が巻き込まれなくていいって考え方もある。やばいのをこっちにひきつけておけばいい。それに、俺が言わなくったってフェネルはろいどを抑えるはずだ。

 決めろ決めろ、覚悟を決めろ。


「何でもいいからやってみろってんだ!」


 刹那の動きは素早い。そんなのは闘技場で充分過ぎるほど分からされている。

 横合いから疾風のような速度でダガーが迫る。俺はダメージ覚悟で、そいつをグラディウスの腹で防いだ。甲高い金属音が断続的に響く。


「おいおい、一対一タイマンの邪魔するんじゃねえよ、娘っこ」

「割って入ったのはてめえなんだよ、ジジイ!」


 刹那は彼方此方に飛び回り、死角を衝いて仕掛けてくるが岩田ほどの一発は持っていない。でも俺の注意まで彼方此方に散らされては困る。

 ほら、そうだ。岩田もまた俺に一発浴びせようと接近している。

 吼えつつ、《横薙ぎ》を使った。岩田の前進は止まらない。それでもいい。斬りつけながら、俺はやつを蹴って距離を取る。距離を取れば刹那が追いついてくる。


「はっは、そんなレベルでよくも粘ってるよ! オマエ!」


 楽しそうにしてやがる。俺を嬲ることに必死じゃねえか。だからこそ、俺はまだ倒れずに済んでいる。刹那だって本気を出せば、俺なんか瞬殺に違いない。

 防ぐ、防ぐ。

 取り回しやすいはずのグラディウスも、刹那の操る二刀を完全には止められない。防御の隙間を掻い潜られて俺は疲弊する。回復する暇もないのはダメだ。


「くおおあっ!」


 空ぶっても構わない。特大の一撃を振り被る。刹那は攻撃を喰らうのを嫌がったらしく、バックステップで距離を取った。俺はやつを見ないまま回復アイテムを使った。

 だが、今度は岩田が迫ってくる。注意はしていたのだけれど、ここまで寄られるまで気がつかなかった。


「しつっけえ!」

「応よ。防げよ小僧」


 数メートル先にあったはずの岩田の拳が、もう目の前にあった。

 内心で舌打ちしつつ、剣でパリィング。次いで迫る左の拳。そちらも俺の腕でいなした。直撃こそしなかったが、いなしただけでも腕が痺れる。

 岩田はにっと口の端をつり上げた。


「やるじゃねえか」


 好き好んでやってたわけじゃなかったが、格闘家であの闘技場を戦ったのが活きたか。ある程度なら対応出来る。


「じゃあ次はどうだ?」

「っ、う、おおっ!?」


 ……ある程度なら。

 これより少しでも早く。少しでも強い攻撃は話が別だ。

 岩田は拳を突きだしたが、どうやらフェイントだったらしい。俺は打撃を防ごうとして両腕をクロスさせていたが、足元を払われて体が簡単に反転する。

 中空に浮いた俺に対して、岩田は軽く飛び上がって蹴りをかましてきた。呼吸が止まる。まともに喰らい、またもや地面を転がされる。天と地面が逆さになる。ああ、くそ。視界の端に刹那の姿が映り込むのが分かった。

 立て、立て。立てよ俺。ってあああああ間に合わない。刹那は奇声を発しながら、俺の体に馬乗りになって得物を振り下ろしてくる。


「お、おぉおおおっ」

「お? おお?」


 刃が頬を掠めた。俺は力任せに上半身を起こし、刹那の細い胴に両腕を回す。骨を折る勢いで抱き締めてやるつもりだった。


「積極的じゃんかよ!」


 刹那はするりと俺から逃れるとダガーを投擲してくる。不格好な体勢では躱せず、太腿に刺さった。すぐさまそいつを抜き去り、投げ返す。刹那はそのダガーをキャッチし、逆手に持ち替えた。


「八坂ァ、オマエまだ他のとつるんでるみたいじゃねえかよ。NPCと遊んでるくらいならこっちに来いよ」


 俺は肩で息をして、首を振る。お前らの仲間だと? 嫌だ。


「状況分かってねえのかよ。私らはな、闘技場の時じゃ済まさねえって言ってんだ。ホントに死んじまうぞ、オマエ」

「いるんだな。ここに。兄貴が」

「……ブラコンが」


 刹那の姿が消える。いや、か! 姿勢を低くして突っ込んできたのか。


「アヒルかてめえはっ」


 上がってくるダガーを叩き落とす勢いで、グラディウスで防ぐ。刹那の二刀による攻撃は全て凌いだが、こいつのスピードに体術を絡められては手も足も出なかった。

 蹴り飛ばされて、岩田の傍まで転がっていく。岩田は俺をじっと見下ろしていた。ごくりと唾を飲む。


「ようやるなあ。イキのいい若いのは、まあ、見ていて気持ちがいいわな。少し腹立たしくもあるが」

「……そうかよ」


 俺は立ち上がり、岩田と刹那をねめつけた。


「だがなあ、そろそろ時間だ。ほれ見てみい」


 岩田が指差す方を見ると、狼や、兵たちが燃えているのが分かった。くそっ、フェネルでもろいどを抑えることは難しかったらしい。いや、彼女が万全の状態だったなら……。


「おれ個人は、別にこの場に用はねえんだがなあ。八坂やろいどには目的っちゅーもんがあるそうだ。そんでよう、戦国時代よろしく国盗りするってわけじゃあないが、目の前に玉将があって、そいつが楽に取れるってんなら……」


 こいつら、まさか……?


「フェネル! 俺じゃあダメだ止められねえ! お前が止めろ!」


 俺は声を張り上げる。途中、刹那に襲われたが構わなかった。



<2>



 多数の狼と兵士が倒れている。焼かれ、悶え苦しみ、雪の上でもがいている。

 俺が刹那と岩田に弄ばれていた数分の間にこのざまだ。それ(・・)をしでかしたろいどは笑うこともなく、ただ俺たちを見ている。


「ほうら、言ったじゃねえか」

「うあっ、があああああ」


 俺は強かに斬りつけられ、地面の上に突っ伏した。起き上がろうとしたが、岩田に背中を踏みつけられて身動きが取れなくなる。


「こうなるんだよ。オマエらは」


 刹那は俺の傍に屈んで、くつくつと喉の奥で笑った。

 俺は、刹那に髪の毛を掴まれ、無理矢理に顔を上げられる。そうして見えたのは、セラセラ王とろいど以外には誰も立っていない戦場であった。

 終わっていた。

 思わず笑ってしまいそうなくらいに。

 俺たちのやっていたことは、俺たちごとたった三人の手によって終わらされていたのだ。


「……あ? 何、何だよその顔はさ」


 何が気に食わなかったのか、刹那は俺の顔を地面へと叩きつける。目の前が真っ暗だ。何も見えない。違うか。他ならぬ俺自身が見ようとしていないのか。

 これが現実だって。

 これが本当なんだって。

 知らない振りをしているだけ。

 よくも分からないまま、知った顔してる連中にいいようにやられて、終わり。そこで知る。俺はセルビルを出て、キャラウェイやカルディアを経てここまで来たけど、何一つ分かっていなかった。何も始まっちゃいなかったんだ。

 だからせめて、手を出すな。

 何もしないでくれ。

 何も知らない、分からない俺たちをいじめるのはやめてくれ。


「刹那、頼む。止めてくれ」

「は?」

「みんな、もうまともには戦えないんだ。何も、殺すことなんかないじゃないか」

「ヒッ、ヒ、アッハ!? マジで言ってんの、それ。それをオマエが言うかな。どのツラ下げて言ってんだ、オマエ」


 ……そうか。そうかよ。


「ぬ?」


 両腕に。両足に。

 血の通うところに。俺を構成している細胞一つ一つに。

 注げる部位には全て。込められる力を全て。


「まだ動けるか、小僧」

「応とも」


 みんな戦えない。まともには動けない。

 だったらせめて、俺一人だけでもいい。


「っ、動くんじゃねえよ八坂ァ!」


 殴られながら、俺は《直視不可曙光》を発動した。至近距離だということもあってか避けられなかったのだろう、刹那と岩田の目が眩む。拘束が緩んだ。縛を解き、地面を蹴る。この二人をしこたま攻撃したかったが、そうしている内に人が死ぬ。

 俺はグラディウスを携えて駆けた。


 かぱっ(・・・)、と。


 ろいどが口を開けて笑ったのが見えた。



<3>



「第三術式構築部隊っ、王を守れえっ」


 長剣を持った男がそう叫び、ろいどへと向かう。彼は剣を振り下ろすことなく、蒸発した。影も形も残らなかった。

 セラセラ王はこの窮地に対して背を向けなかった。若干の苛立ちを覚えるも、人の上に立つものの気持ちは俺には分からない。責任だとか、矜持だとか、俺とは無縁だからだ。

 王の前には幾人かの兵士が立つ。無傷のものは誰一人としていない。残った力全てを振り絞ったのだ。


「防御障壁陣、展開!」


 兵の中には魔法を使えるものもいたらしい。中空に、丸っこい、淡い光を放つ魔法陣が出現する。だが、まだ足りない。


「オオおおオオ! オオおぉおおおおおああ!」


 積み重なった狼や兵の骸の下からフェネルが姿を見せる。彼女は迅雷が如くスピードで突っ込むも、ろいどには攻撃が届かない。槍の穂先から先に燃え落ちていったからだ。

 フェネルにもろいどの炎が襲い掛かったが、蒸発するようなことはなかった。彼女には火に対する耐性が備わっているからだ。だから、余計に苦しむ。


「退くのだっ、フェネル!」


 王が言うも、フェネルは言うことを聞かなかった。彼女は炎に包まれてその場に膝をつく。

 降り積もっていた雪は熱と炎で溶けて、地面はぬかるんでいる。俺は転びそうになりながらも、ろいどまであと少しという距離にまできていた。

 その時、背中に燃えるような痛みを感じる。手を回すと、ダガーが刺さっていた。刹那の投げたものだろう。俺はそれを抜き取り、ろいどに向かって放る。

 投げたダガーがろいどの足を掠めた。やつはさして気にも留めていなかったが、一秒程度は稼げた。

 その一秒で、構築部隊とやらの防御陣展開は完了した。

 先よりも大きく、複雑になった魔法陣。王が連れてきた兵だ。並の魔法使いよりも優れ、練られたであろう魔力によって編み出された光の盾は、


「そんなんでいいのかよ?」


 ろいどの嘲笑と共に砕けた。

 俺は、巻き起こった熱風で足止めを喰らう。とてもじゃないが、このまま進めそうにはなかった。

 疾走する火炎が陣の中心を貫き、その後ろにいた構築部隊を舐め尽くし、


「お父さまァァァァァ!」


 セラセラ王すらも飲み込んだ。彼の姿は炎と巻き起こった煙のせいで見えない。だが、あの威力の魔法では……。


「くそっ」


 ろいどの放った火炎が消失し、俺はやつに斬りかかる。だが、ろいどは軽く攻撃を躱して距離を取った。

 追撃を試みるも、手と足が震えていることにようやっと気づく。恐怖心を押し殺そうとするがどうにもならない。

 止まるな。動き続けろ。

 頭では分かっている。しかし体が言うことを聞いてくれない。息を整えて戦う準備ふりをする。


「分かったろ長緒さん。今度は僕も本気だってことがさ」

「まだ、俺に仲間になれって言うのか」


 俺がそう言うと、ろいどはふっと笑んだ。


「違うね。僕はただ厄介ごとを片づけたいだけなんだ。ただケンジさんが『そうしろ』ってだけで、君によって発生する問題を排除できるってんなら、君の生き死になんざどうだっていい」

「どうだって……?」

「ああ、そうさ」


 どうでもいい。

 なのに、撃ったのか。

 なのに、殺したのか。


「……お前は、この世界で何様のつもりなんだ」

「さてね。難しい話だよ、それは。客観的に見るなら、僕たちはこの世界において頂点捕食者と成り得る存在だとは思うけどね」

「もういいっ。お前と話しててもどうにもならねえよ。兄貴を出せよ、いるんだろ」


 俺がそう言うと、ろいどは酷薄な笑みを顔面に貼りつけた。


「まだこの場を任されてるのは僕なんだよな。ケンジさんが出てこない以上、それは僕の裁量でどうにでもしろってことだ。ついでに言っちまえば長緒さん。君は僕に恐怖している。ケンジさんならどうにかしてくれるって、そんな風に期待しているんじゃあないのかな」


 思惑を言い当てられた。俺はろいどを睨むことで内心からあふれ出る感情を押し殺す。


「光が、目に残ってるな。消してやるよ。後ろの王様もまだ(・・)生きてるみたいだしな」


 俺の後ろにいるフェネルが、ろいどの言葉に反応した。それで俺の反応も僅かに遅れる。


「はっ、知るかよ虫の生き死になんざ!」

「ぐ……はっ!?」


 四肢に糸状の炎が絡みついている。そいつを外す間も、千切る間も与えられないまま弾かれた。特大の攻撃はもらわなかったが、下級の魔法を連続で喰らったらしい。メッセージが、HPが危険域に達したことを知らせている。起き上がろうとしたが、体が思うように動かなかった。


「いい加減うるさいよなあ、こいつも」


 ろいどはフェネルを狙っていた。やつの腕にも炎が絡みついている。直接ぶち込むつもりか。


「姫さまあぁぁあ! 王は生きています! ですからっ!」


 煙の向こうから声が聞こえてくる。……ジン、お前か!

 ジンの言葉を受け、フェネルの目に力が宿る。彼女は体勢を崩しながらもろいどの一撃を避けた。反撃は無理だったが、これで。


「フェネルっ、もういいだろうが!」


 だが、フェネルは未だろいどから離れようとしない。その執念深さには恐れ入ったけどさ!

 アイテムで自身を回復させ、混乱する頭と意識をそのまま連れて起き上がる。剣を落としていたが問題ない。メニューを操作してすぐさま呼び出す。万全の状態じゃあないってのに、最速に近い動作だった。自分を褒めてやりたいくらいだった。

 それでも遅い。ろいどは既に二発目の攻撃に移っている。フェネルは防御の姿勢すら取らず、尻もちついたまま、ろいどをねめつけていた。


「危ないんですよっ、姫さま!」


 ろいどの魔法が引き起こした煙の中から、走り出しているものがいた。そいつはフェネルを突き飛ばし、無防備な体勢でろいどの攻撃を受けた。

 悲鳴すら上げられないまま――――いや、恐らくは自分が殺されたことにも気づかないまま、そいつの体の上半分は真っ黒焦げになって、数秒の間その場にとどまった。やがて、黒焦げの死体は前のめりに倒れた。


「ジン……?」


 死んだのはジンだった。

 ……? ああ、そうか。ジンか。あいつがフェネルを庇ったのか。


「お前が死んだのか」


 一瞬間、俺の足が止まる。メニューを呼び出して、アイテムを取り出そうとして、そんなものは無駄だと悟った。回復は不要だ。意味がない(・・・・・)。順序が逆だ。

 妙にクリアな視界。ろいどの腕に赤いものが絡みつくのが見えた。


「こうやって増えるんだよな、死体が……っ!?」


 ぬかるんだ地面。そこを強く蹴る。踏み込みの速度も、その際に詰める距離も先までとは違う。

 俺は一足飛びでろいどに斬りかかっていた。すぐそこに、こいつの驚いた顔がある。そうか。ろいどもこういう顔をするんだな。


「っと! びっくりしたぜ」


 俺は無言で斬りかかる。ろいどは攻撃を悉く回避するが、関係ない。こいつを斬るまでやるだけだった。


「予想外だな、こりゃ。なんだよ長緒さん。友達やられて怒ってるのかよ。漫画じゃないか、まるで」

「……?」


 俺は、怒ってるのか。

 怒ってるのかもしれない。ただ、それだけじゃないような気がした。俺の中でたくさんの何かがぐるぐると渦を巻いているから、それ一つきりじゃないから、どういう風にすればいいのかが分からなくなっている。

 呼吸が短く、早くなる。

 剣を振る度早くなる。


「ははっ、こいつは……刹那さんが気に入るのも分かるな。君はどうも『なま』過ぎる。僕たちに現実あっちのことを思い出させる!」


 振り下ろした剣が地面に刺さる。得物を引き抜こうとして、俺はジンの最期を認めた。瞬間、ばちりと、頭の中に何かがハマる感覚を覚えた。急激に体の中が熱っぽくなって全身を掻き毟りたくなる。怒りに飽かせて目に見えるもの全部をぶん殴ってぶち壊したい気分に陥る。


「くっお……ああ」


 剣は、引き抜けなかった。

 俺は柄に体重を預けて、ろいどを見た。


「どおおぉおおおおしてだ!? どうしてっ、こんなことになってんだよ!?」


「それはね(・・・・)、長緒。僕たちだけじゃイベントに参加出来ないからなんだ」



<4>



「僕たちは仕様外の冒険者プレイヤーなんだ。そこを条件に絡められるとイベントに参加出来ない。だから長緒に協力してもらったんだよ」


 涼しげな声がする。その声を聞くと、俺の心が嘘のように凪いだ。


「三人とも、お疲れさま。一度、手を止めてくれないかな」


 森の奥から、そいつは姿を見せた。

 そいつの声に従うようにして、ろいどたちが退く。自然、俺とそいつは相対する形となる。


「……お・・は」


 俺は訳が分からなくて呟く。俺の声に応えてか、そいつは薄い笑みを浮かべた。

 ああ、俺はこいつを知っている。こいつの声を。顔を。……こいつは。


「長緒、久しぶり。元気そうだね」

「あに、き……?」


 懐かしい声音。

 優しげな微笑。

 俺と同じ髪と目の色。

 俺とは違い、何もかもを見透かしたかのような仙人みたいな顔。女のような白い手指。ともすれば腺病質にも見える体躯。

 生まれた時からそこにいて、今までずっと一緒に暮らしてきた存在。

 八坂剣爾。

 俺の兄。

 そいつが、そこにいる。


「なんでだ(・・・・)? どうして、そんな」

「ああ、この姿かい」


 兄貴だ。間違いない。

 だが、俺の想像していた兄貴の姿ではなかった。知ってはいるが、それは過去のものだ。兄貴は今、十年ほど前の状態でそこにいる。

 今年大学生になるはずだった兄貴は、小学生のような姿であった。この世界ナナクロで手に入れたのだろう、漆黒のローブを身に纏い、魔法使いのような出で立ちである。すっかりここに馴染んでいる。そんな印象を持った。


「色々あってね。長緒も僕のことを捜していたみたいだけど、生憎、僕は冒険者を辞めているんだ。僕だけじゃない。僕たちは皆、冒険者登録を抹消した。だから普通に捜したんじゃ見つからない。お前の能力が低いせいじゃない。気にすることはないからね」


 俺の困惑などよそに、兄貴は勝手に話を始めた。

 呼吸が荒くなる。頭の中は真っ白だ。


「ち、違うよな? 違うよな、兄貴。この世界の人たちを殺したとか、そういうのはさ、は、はは、嘘なんだろ? ろいどたちに騙されてるんだよな?」

「長緒?」


 兄貴は首を傾げる。


「そんな、ガキの姿になってんのもさ、誰かのせいなんだろ? そ、それで元の世界に戻れないから、帰ってこられなかったんだろ!? なあっ、そうなんだって!」

「違うよ、長緒」


 それは訣別の言葉に近しかった。


「僕は僕の意志でここにいる。騙されるなんてとんでもない。他人の意志が僕の意志に介在し、影響を及ぼすこともなければ、僕自身が僕以外の存在に蝕まれることもないんだよ。分かってるだろ、長緒」


 兄貴はそう言って、俺を見る。俺だけを見る。

 俺の後ろに転がっている狼や兵の骸も、負傷しているであろうセラセラ王やフェネルのことも、何も見ていない。


「『どうして』。そう言ったね。僕たちは、ここの柱に用がある。正確には、ここの柱を封じている神に、だ」


 頭が痛い。割れそうだ。兄貴の言葉のすべてが理解できない。だが、どうしても引っかかることを耳にした。

 神が、柱を封じている? 神が柱に封じられているんじゃあないのか?


「この世界には七本の柱がある。そのうちの一本、ここ、ホワイトルートの柱には《シナツヒコ》という神がいるんだ。風を司り、魔を封じる一柱が」

「シナツ……どうして、神様の名前なんか知ってんだよ」


 セラセラ王は神の名前どころか、柱にいるのが神かどうかすらも知らない様子だった。部外者の兄貴が知る由はないはず。


「僕たちがプレイヤーを辞めたからさ。長緒、お前たちは神さま側の人間なんだ。この世界のほとんどの住人と同じようにね。そしてお前たちは神と同じく、神の名前を知らない」

「何を、言ってんだよ……」


 ふ、と、兄貴は笑った。


「僕たちが神でなく、神の名を食った方に呼ばれたからさ」

「だからっ、何を……!」

「お前たちはよく魔物と戦い、よく魔物を殺した。わけあって、僕にはそういうのが我慢ならないんだ」


 だから。

 あんたは何を言っているんだ。


「俺が聞きたかったのはそんな話じゃねえんだよ! どうしてって! どうして兄貴がここにいて、戻らないのかを聞いてんだ! 家族おれたちをほったらかしてゲームの中で遊んでるってのは! どんな了見なんだって聞いてるんだよ!」

「……僕は」

「俺の格好が分からねえのかよ!? この服は兄貴のだろうがっ。忘れられねえからっ、現実おれたちに助けてくれってさ、兄貴が俺を呼んだんじゃないのか!?」


 そうだ。

 この世界に来た俺は、兄貴の学ランを着ていたんだ。それはきっと、俺と兄貴を繋げる為のものなんだ。

 だが、兄貴の顔はいつまでも穏やかだ。


「僕はお前を呼んでなんかいない。だけど、お前がここに来るってことは分かってたよ。だからこうしてお前を捜して待っていたんだ。その服は僕が目印として置いていったものだから、意味なんか特にないんだよ、長緒」

「母さんは!? 父さんはどうすんだよ!? 母さんはなあ、兄貴がいなくなったから――――」

「聞いてないよ。聞きたくもないんだ」


 かっ、と、喉の奥から空気だけが漏れ出た。

 千切れそうになる胸に手を遣ると、固いものに触れて、俺はあるものを思い出す。兄貴の携帯電話だ。俺はそいつを掴み、元の持ち主に突きつけた。


「だったら鶴子はどうなるんだよ……! あいつは、今も兄貴を待ってるんだ。兄貴が帰ってくるのを! 帰ってこなきゃ、あいつはずっと!」

「長緒。僕には目的があるんだ。僕をこの世界に呼んだモノに協力しなきゃいけないし、僕もそいつに協力してもらう。僕が……いや、僕たちがこの世界で心穏やかに暮らせるように」

「は、あ?」

「楽園さ。僕たちの楽園を作るんだ、この世界で。今度こそ上手くいくように」


 らく、えん?

 楽園、だと?

 俺たちを引っ掻き回しておいて、自分たちは楽しくやろうって言うのか。

 兄貴。あんたには見えないのか。倒れている人たちが。壊したものたちが。この世界のことが見えていないのか。

 第一、上手くいくようにってなんだよ。

 あんたは全部、やることなすこと上手くいってたじゃないか。兄貴は何でも出来たし、何でも出来る。今までの生活に何の不満があるっていうんだよ。俺は、どうなるんだ。兄貴が上手くいってないなら、俺は、俺は……!


「僕は帰らない。お前は帰るんだ、あの世界へ」


 だから。

 そう付け足して、兄貴は俺に微笑みかけた。


「お前は僕のお下がりを使っていろよ」




『ごめんね、ナッくん』




 頭が、痛い。割れそうだ。いや、とっくの昔に割れているのかもしれない。

 ひび割れたそこから、鶴子のことが漏れて、中空に留まらずに消えていく。

 あの日の言葉が。あの日の涙が。あの日のあいつが消えていく。


「長緒。僕がお前を捜していたのは、僕の邪魔をするなって言う為なんだ。帰るんだ。さもなくば僕たちに協力してくれ。それも嫌なら……」


 兄貴がろいどたちに目配せする。やつらは兄貴を守るようにして、前に出る。


「いいんですか、ケンジさん。マジの弟なんでしょ?」

「いいんだ」

「へー? いいんだ? だってよ八坂。オマエさ、ホントに今決めなきゃ死んじまうけど、どうする?」


 ぐっと、剣の柄を握り締める。

 俺の傍で、フェネルが立ち上がるのが分かった。彼女を見たろいどは意外そうに目を細める。


「へーえ、実の父親が死にかけだってのにまだやる気かよ」

「お前たちが、柱を……」

「初めましてかな、フェネル・セラセラ。僕は八坂剣爾。そして僕たちは《ヤマタノオロチ》。一人一人が頭であり首なんだ。君たちには悪いけど、後少しばかり付き合ってもらうよ」

「望むところです」


 耳鳴りがする。

 音が邪魔だ。


「フェネル。下がれ」

「馬鹿なことを。私は」

「下がれ」


 フェネルをねめつけると、さしもの彼女もたじろいだ様子であった。


「足手まといなんだ、お前らは」

「しかし」


 何かフェネルが言いかけたが、俺は彼女の首元に得物の切っ先を突きつける。


「お前が死んだら、俺はお前を許せなくなる」


 フェネルは俺ではなく、自分を守って死んだものに視線を注いでいた。彼女は俺に絆されなかっただろうが、命を賭けたものには思うところがあったらしい。


「ヤサカ・ナガオ。お前に柱の加護があらんことを」


 フェネルはそれだけ言って背を向ける。彼女を追おうとするものがいれば全身全霊で以て阻むつもりだったが、ろいどたちは動かなかった。

 恐らく、俺たち以外に誰もいなくなった森の戦場。俺の前には三つの障害があるが、もはやどうでもいい。俺が見ているのは兄貴だけだ。


「当然だけど、殺しはしない。長緒が動けなくなったら、ちゃんと元の世界に帰すからね」


 ああ。

 ああ、相変わらずの上から目線の物言いじゃないか。

 俺は剣を突きつける。


「兄貴。上手くいかねえよ。いきっこないんだ」

「そうかな?」

「そうに決まってんだろ」


 冷えていた感情が熱を帯びる。胸の内で渦を巻いていたものが外へ出ようと暴れている。


「楽園とか言って、兄貴には珍しく面白いことを言うじゃねえかよ」


 違う世界で、違う人生をやり直す?

 ゲームの中で強くなっていい気になってるやつが何を言ってんだ。

 それにここだって全くの異世界ってわけじゃない。延長線上にある、今までの自分がいたのと同じ世界じゃないか! 俺は俺だ。お前らはいつまで経ってもお前らのままだ。


「ごちゃごちゃ抜かしてんじゃねえよ! よそ様に迷惑かけてねえでとっとと戻ってこいってだけの話だろうが弱虫が!」

「長緒。お前には分からないかもしれないけど」

「分かるかよくだらねえことなんか!」


 力を込めろ。

 まだいける。

 まだ戦える。

 俺にはまだ意志があるはずだ。


「現実で上手くいかなかったやつらに何が出来るってんだよ! あっちで上手くいかなかったからって、こっちで上手くいくはずねえだろ! 逃げてるだけだお前らは! 何度やったって! どこで何をしたって! お前らの楽園なんかどこにもねえんだ!」



<5>



「長緒さん! 一人でそれだけ言えれば上等だ!」


 ろいどの腕に炎が絡みつく。

 確かにそうか。俺一人なら、こいつらをどうにかするのは難しい話だ。

 だけど。まだ終わっていない。『千死万行』はまだ終わっていない!


「ルおオオおおオォおおオオおおッッ!! オオオオオオオ!」


 ろいどたちが吼え声に反応する。俺は驚きもしなかった。そうなるって信じてた。

《群狼》は未だ健在だ。狼王の能力によって雪が降り始める。降ったそれは周囲を銀世界に変えていく。

 これで最後だ。持ってるもの全部を吐き出せ。


「てめえらが余計をやるからだろうがぁあああああああ!」


 狼たちと共に突っ込む。

 一つ、確信があった。それは狼王の頭の良さだ。やつならきっと、自分たちにとってより脅威的なものを狙うだろうという読みだ。そいつはぴたりとはまり、狼たちは近くにいる俺をほとんど無視して、ろいどや刹那に、押し寄せる波のようになって突進する。


「ちいっ、ケンジさんは退いてくれ! 刹那さん、センセイっ。先に狼を片すぞ!」

「応」

「雑魚がとっとと引っ込めや!」


 炎に。刃に。拳に。

 狼は次々と屠られるもHPは0になっていない。攻勢は緩まないまま、俺は狼王の陰に隠れるようにして岩田を攻撃する。


「ぬうっ、小賢しいことをするか!」


 攻撃をヒットさせ、狼王と入れ替わる形で後退する。頑丈そうな岩田だが、ボスとタイマンってのは少しばかり苦しいのだろう。俺への反撃は来ない。

 更に。

 ろいどたちは威力の高いスキルを持っているが、単体用のスキルには恵まれていない。こいつらは強過ぎる。攻撃すれば狼どものヘイトを稼ぎ、余計に狙われる。同士討ちする可能性だってあるから、易々とはえぐいスキルを使ってこない。ボスを当て擦りしてやりゃあこのざまだ。


「おっ、おおああああああッッ!」


 放て放て、戦意を放て。

 声に乗せて敵を討て。

 否。

 戦意では足りない。一撃ごとに殺意を込めろ。この世界ごと俺たちを見下すものを叩けるのは、この場では俺を置いて他にいない。代弁者などと嘯くつもりはないが、それでも……!

 狼どもに紛れて息を押し殺す。血と獣の臭いが全身に染みつきそうでも堪える。攻撃の瞬間を悟られないようにして、岩田の腹を剣で薙ぐ。

 足りない。圧倒的に足りていない。吐き出せ、まだだ。まだあるはずだ。まだ俺には先があるはずだ。


『おめでとう! ひゃっほい!』

『レベルがアップしました!』

『新たなスキルを習得しました!』

『スキルのレベルが上がりました!』

『パラメータにボーナスが付与されました!』

『武器のスキルが上がりました!』


 知らず、口元が歪に釣り上がる。

 攻撃を繰り出す度、メッセージがポップアップする。

 俺とろいどたちの間には絶望的な差がある。それはレベルであり、装備であり、スキルであり、経験であり、思考だ。だが、この世界がゲームのシステムに則っているのなら――――!

 数字は残酷なまでに正確だ。数値こそが物を言う。圧倒的な絶望感を前にこそしているが、一秒、一分、生き残り続ければその分だけ対価を得られる。


「やるではないか、小僧が」

「笑わせんじゃねえよ」


 岩田が嗤う。ふざけるな。

 そもそもが、誰なんだお前は。

 どこの誰かも分からねえ、何の目的もないぽっと出の爺さんが俺たちの間に立ちふさがるんじゃねえよ。


「そこで遊んでろよ! 一生!」


《直視不可曙光》をぶち当てると、岩田は狼王の一撃を喰らって吹き飛ぶ。その間に俺は先へ進んだ。



<6>



「八坂ァ!」


 その声にも聞き飽きている。俺は急襲してきた刹那の一撃を弾き返し、前へと踏み込む。刹那は距離を取ろうとするが、周りを狼に囲まれていることに気づき、舌打ちした。


「粘んじゃねえって!」


 刹那はかなり苛立っている。怒っている。

 ふざけんな。キレてんのはこっちなんだよ。


「キンキン声で喚いてんじゃねえよドブスが」

「……っ! 調子くれてんじゃねっつの!」


 刹那が地面を蹴る。俺の視界から消える。

 俺よりこいつのが早いのは分かってる。近づいても距離を詰めることは難しい。だったら向こうから来てもらえばいい。


「私に追いつけねーくせにさぁぁぁぁ!」


 腹に刃が突き刺さる。堪えろ。血なんか出ない。減るのはHPだけだ。

 唸りながら、俺は刹那の腕を掴む。やつは振り解こうとしたが、絶対に離してやるものか。


「ごっ、お、おおおおぉおおおお」


 刹那の腕を引っ張ると、刃が腹の奥にまで達するのが分かった。錯覚だ。錯覚だと思い込め。

 ぐいと刹那の体を抱き寄せて、やつの顔を間近に捉える。


「……?」


 刹那は得物から手を離さない。じっと俺の顔を見ていた。

 表情にこそ出さないが、刹那の目は確かに揺れている。

 チャンスか?

 分からないけど、グラディウスを握り直した。


「うっ、ああぁ! 離れろってんだ、てめえ!」


 刹那が俺を蹴り、殴りつける。俺は構わず、グラディウスでこいつの首を薙ごうとした。だが、流石に避けられてしまう。

 刹那は後退するも、狼たちに吠え立てられて悲鳴を上げた。……なんだ?

 俺はじっと刹那を観察して、ふと、あることに思い至った。


「なんだよ。お前、ビビってんのか?」

「あ、アァ!?」

「そうか。なんだそうかよ、怖いんだな?」

「誰がてめえなんざ怖がるかよ!」


 もはや虚勢にしか見えない。

 俺も気づくのが少しばかり遅かった。そうだ。こいつらだって言ってたじゃないか。俺と同じだって。ログアウトできるけどしないって。

 要はこいつら、俺と同じ状況なら生身ってことだ。ゲームのキャラとかアバターじゃない。こっちで死んだらどうなるか分からないんだ。

 だから怖い。

 死ぬのも怖いし、俺を殺すことも怖いに違いない。

 こいつらは今までストトストンの住人を相手にしてきた。誰かをその手にかけたかもしれないが、こいつらにとってはゲームのキャラを殺したに過ぎない。

 だけど俺は違う。俺は生身だ。俺を殺すことと他のやつを殺すことは違う。少なくとも刹那にはその覚悟がない。こいつだって何度も言ってたじゃねえか。本当に死ぬぞって。アレは俺への警告じゃなかったんだな、きっと。


「死んだらどうなるか教えてやろうか、刹那」

「うるせえってんだよ!」


 救済措置があるかどうかも分からないから、肝心なところでは弱いんだ。

 けど、俺は違う。

 ぶっ殺されてももう一度、あの人に助けてもらえるかもしれないってことを知っている。第一、ここで死ぬのを怖がってたらどうにもならねえ。俺がここに来た意味も、ここにいる意味もなくなってしまう。

 だったらやるしかねえんだ。たとえ誰かの命を踏みつけにしてでも。


「黙らねえならまとめて吹き飛ばしてやるだけなんだからな!」


 刹那の腕に妙な光が宿る。真っ黒で、底無しの沼みたいなアレは、闘技場で放った正体不明のスキルか!

 止めようとしたが、俺よりも先に反応するやつらがいた。


「なっ? て、てめえらなんで私にだけ!?」


 狼どもである。獣は獣なりに頭が回って勘がいい。刹那を放置することを危険だと察したのだろう。何匹もの狼が刹那に飛び掛かり、噛みついていた。

 俺は《横薙ぎ》を発動し、狼諸共刹那を斬る。ダメージはさほど通っちゃいないが、やつの体勢は崩れた。

 狼に襲われながらも、俺は刹那を押し倒す。雪に埋もれた俺たちは至近距離で睨み合う。


「八坂、てめ……!? んんっ!?」


 グラディウスの刃先を刹那の口の中に突っ込んだ。


「喋るな。動くんじゃねえぞ、明日からもまともなメシが食いてえならな」


 刹那は自由な両腕で俺を殴りつけるも、押し倒されて、脅されている状態ではろくに力も込められないみたいだった。


「今から俺の邪魔をしてみろ。ぶっ刺してやる」

「ふ、は、はは。やってみろよ」

「脅しじゃねえぞ」

「だからさあ」

「次はないって言ったろ」


 刃先を、ほんの少しだけ奥へ届かせる。刹那は俺を見上げていたが、少しの間だけ目を閉じた。


「お前にもあるといいな、柱の加護ってやつが」


 込める。

 力ではなくやるぞという意志を。

 それが刹那にも伝わったのか。


「ん、んんーーっ!」


 必死に止めようとでも思ったのか、こいつはグラディウスの刃を思い切り噛んだ。そうして涙を流して、唸る。このままだと手元が狂ってマジで殺しかねないから、俺は得物を引いた。

 俺が退いた後も刹那の息は荒く、すぐに立ち上がろうとはしなかった。俺は、こっちに対して様子を窺っていた狼どもをまとめて薙ぎ倒す。


「こ、殺す! 殺してやる! 八坂、オマエだけは許さねえ!」


 服の袖で顔を拭うも、刹那の涙は止まらない。彼女は俺への恨み言を喚いて、駄々っ子のように雪を叩く。


「じゃあ、やってみろよ」


 俺はグラディウスを雪の上に投げ捨てた。刹那の体が戦慄いた。


「なめやがって……! なめやがってなめやがってなめやがってえ!」


 体を起こし、空手で迫る刹那。相当頭に血が上っているんだろう。その動きには精細さの欠片もなく、俺はカウンター気味にパンチを放り込む。顔面に突き刺さった拳からは確かな手応えがあり、刹那は中空をくるりと回り、無言のまま雪上に倒れ込む。

 俺はグラディウスを拾い上げると、最後の障害に挑むべく息を整えた。



<7>



 俺と兄貴の間に、最後の邪魔がつっ立っていた。


「センセイと刹那さんをどうにかしてきたのか? マジでよく分からないな、君は」


 ろいどは眼鏡の位置を指で押し上げて、頭を振る。


「それじゃあ、やろうか。殺さないなら何をしてもいいって言われてるんだ」


 俺は言葉では返さず、前に踏み込んだ。

 それと同時に、雪の中から拳大の炎がいくつも跳ねる。地雷みたいにここに仕掛けていたのか?

 グラディウスで受けるが数が多い。掠るだけでもかなり痛い。俺は横っ飛びでその場を退いたが、ろいどは更に仕掛けてくる。

 炎の鞭が俺を叩き、グラディウスを取り上げた。メニュー操作で取り戻す暇すら惜しい。空手のままで鞭を避ける。


「クソがっ」


 迫るのは鞭だけではない。

 剣、弾丸、狼、斧……様々な形状に変化する炎が俺に襲い掛かる。その全てを防ぎ、躱すことは到底無理だ。それでも《見切り》を使い、必要最低限のダメージに抑える。

 近づかなきゃあ始まらねえ。

 相手は火属性に特化した魔法使いだ。しかも数段以上も格上の。


「そうら、上手く避けろよ。死んじまうと僕が殺されっちまうからさ!」


 まさしく火力が違い過ぎる。矢継ぎ早に繰り出される魔法は、個人を相手するにしてはエグ過ぎる。

 俺ごと、近くにいる狼どもを焼き払い、薙ぎ払う。じゅうじゅうと焼かれた狼からは黒煙が上がり、雪を溶かした。

 足場が固まったかと思いきや、後方で岩田と戦っている狼王が再び雪を降らせる。雪が邪魔だ、炎が見えづらい!

 こうなったら突っ込むしかねえか。


「だっ!」


 拳で火の玉を殴り返す。

 雪に足を取られながら、魔法を喰らいながら前へ。ろいどは俺を殺さないって言ってんだ。こいつに下駄預けるのは気に入らねえけど!


「っ、なんだよっ」


 火の玉を殴り返そうとしたが、拳に鈍い痛みが走る。ナイフが刺さっているのが分かり、俺はそいつを抜き取った。

 野郎、物理も混ぜてくんのか。すげえ嫌らしいじゃねえか。


「前に来たってどうにもならない。そんなこと、長緒さんだって気づいてるんだろう?」


 気づいていたって前に進まなきゃ何も出来ないんだ、俺には。


「愚直だな。吐き気がするよ!」


 ろいどは自分から俺に近づき、炎を纏った殴打を放つ。魔法だけかと思っていたが、やはり強い。

 一撃をもろに受けて、俺は後方へと転がる。転がる俺を多様な炎が追いかけてくる。《戦意上昇》で僅かなりとも防御力を上げて攻撃を凌ぐ。

 頭上にちりちりとした熱を感じ、空を見た。そこには巨人の足があった。……ろいどの魔法か。


「ちくしょう! 好き放題やりやがって……!」

「やられんのが悪いんだろ!」


 炎で構成された足を躱すも、その隙を衝いたろいどにぶん殴られる。俺を助けろ、イシトラ!

 グラディウスを呼び出し、死に体ながらも《横薙ぎ》を発動する。ろいどは薙ぎをパリィして更に俺を殴り抜いた。今度は反撃も叶わない。

 俺はまた後方へと吹っ飛び、雪で滑って体勢を崩す。その場に倒れ込みたくなるのを我慢して、ろいどをねめつけた。


「充分楽しめただろ長緒さん。『俺はよくやった』って、慰めモードに入って諦めたらどうなんだ?」

「指図すんじゃねえよ」

「僕は面倒くさいんだ。殺さないように手加減するのもさ」


 ろいどが、来る!

 やつに合わせて得物を突きだすと、標的の額に命中した。当たった?


「残念、外れ」


 前にいたはずのろいどに、後ろから殴られる。俺は前のめりに倒れた。起き上がろうとした瞬間に頬を叩かれ、首を掴まれて地面の上に投げられる。


「今のは分身だよ」


 そんなんもできるのかよ。何でもありじゃねえかよ、こいつ。

 こんなやつに、俺はたった一人で勝とうとしてるのか?


「あ。今こう思っただろ。『俺じゃあ勝てない』って。そうだよ。その通りなんだよ。頭の中にいる賢い自分をもっと信じろよ」


 上から振りかかる言葉。

 ぬかるんだ地面が再び雪に隠れていく。

 俺はろいどに無理矢理起き上がらされて、さらさらの雪の上にもう一度投げ飛ばされた。ひたすらに無様だっただろう。


「手足が麻痺してこないか? だんだんと体が重くなってきただろ? そういうもんなんだよ、人間って。僕たちは機械じゃない。感情がある。最初から最後まで同じようには振舞えない」


 体が冷たい。

 確かに、手足の感覚が麻痺しかかっている感じだ。


「声に出して言ってみれば? ほら、『俺じゃあ勝てない』って」


 俺では、勝てない?

 俺じゃあこいつをぶっ倒せない?

 そうか?

 はたして、本当にそうなのか?



 ……確かにそうだ。



 現実を受け入れろ。

 認めろ。

 目の前の脅威ろいどを。

 俺とこいつの間には圧倒的な、致命的な差がある。分厚くてどでかい壁があって、対等じゃないんだ。


「俺じゃあ……」

「ああ、そうだ」


 握ったグラディウスは妙に頼りない。

 得物から手を離しそうになる。

 意識が乱れて、戦うことから逃れたくなる。……いや、もういいんじゃないのか?


「認めてくれ、長緒さん」


 その時だった。

 俺の右手が何かに触れる。何か、硬いものに。

 そうして、俺は全てを諦めた。


「……分かった。認める」


 俺は弱い。

 俺は勝てない。

 俺は決してろいどを倒せない。


「認めて……やるよ!」

「往生際が!」


 振り返り、俺は雪を巻き上げながらグラディウスを振り上げた。

 ろいどは随分と苛立った様子で俺の得物を殴り飛ばす。その衝撃でグラディウスが粉々に砕けた。


「俺じゃあお前に勝てないって!」

「だったら大人しく……!」

「俺だけだったらな!」


 そうだ。

 俺では勝てない。

 俺一人だけでは足りない。

 ろいど。お前はさっき人間がどうとか言ったけど、お前自身は何も感じねえし、覚えようともしないんだな。

 ここ(・・)はなあ、ジンが死んだ場所なんだよ!

 お前にとっちゃあどうだっていいやつの死んだ場所なんだ! 死体があるってことは、そいつの持ち物だってそこに転がってんだろ!


「死にやがれぇえええええええええ!」


 手が熱い。焼けそうだった。


「……嘘だろ?」


 グラディウスが届かないのは織り込み済みだ。最初から本命はこっちなんだ。てめえをこの剣で斬ることに意味がある。

 右手で掴んだジンの剣が、ろいどの体を斜めに切り裂いていた。やつは自分が斬られたことを信じられないのか、傷口を確かめることもせず、後ろによろける。


「冗談じゃあ、ないぞ……?」

「冗談なもんかよ」


 俺は立ち上がり、ジンを見た。雪でほとんどが埋もれていたが、あいつは確かにここにいる。あいつの意志は、俺がちゃんと覚えている。


「おぉらっ! らあああっ!」


 攻撃は命中したがダメージはそうでもないはずだ。ろいどはただ驚いているに過ぎない。俺はろいどに攻撃を繰り返す。こいつが死ぬまで続けようと思った。


「そこまでだ、長緒」


 振り下ろしかけた俺の腕を、兄貴が掴む。

 振り返ると、兄貴が緩々とした動作で首を振った。


「ろいどが死んでしまう」

「そのつもりでやってんだよ。今更っ、今更じゃねえか死ぬとかどうとか! こいつが何をやったか分かってんのかよ!?」

「……仕方ないね」


 兄貴が俺から手を離す。俺は少しだけ迷ったが、動かないろいどに、もう一撃加えようとした。

 その瞬間、じくりとした痛みを覚える。ふと自分の体を見下ろすと、何か、『矢』のようなものが背中から貫通して、俺の右胸から生えているのが見えた。

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