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第4章 戦奴隷には花束を

<6>



 疲れていたのか、俺は昼前に起きてしまった。寝過ごしちまったかと、慌ててログインして小部屋に戻る。


「……スィラン?」


 スィランは、昨日別れた時と同じ体勢で眠っているようだった。


「あっ、出てきやがった。お前なあ」

「あ、やべ」


 いつもの見張りの兵士が、格子越しに俺をねめつけている。


「もうすぐ試合なんだから、俺たちを脅かさないでくれよな。一部リーグのやつが来ないだけで客が喚くんだからよ」

「あー、すんません」

「今日は特に気合い入れてくれよ。フェネル様が来てるんだ」

「……今日もですか」


 そうか、今日か。じゃあ、何もかも今日で決めちまおう。


「昨日はフェネル様、かなり怒ってたらしいからな。不甲斐ないことすりゃあ、またご機嫌が悪くなっちまう」

「了解です」

「……まあ、頑張れよ。俺たちも応援してやるよ」

「え?」

「チャンプがあんなにやられちまって、みんな鬱憤が溜まってんだ。あんまりでかい声じゃあ言えないんだけどな」


 俺は頷く。やがて試合の時間が近づき、俺は手枷をされて小部屋から出された。スィランとはとうとう最後の挨拶が出来なかったな。まあ、しようがない。

 地下通路を進み、控え室で武器を選ぶ。そうしている間にも俺の心臓はうるさいくらいに鼓動を打っていた。最後に、さゆねこに今からやるとメッセージを送っておく。俺に出来ることは本当に、情けないくらいに少ない。

 昨日、イシトラからは勝算があるのかと言われた。あるとすれば俺の……というより、冒険者の特異な性質だけだ。フェネルがそこに興味を持っているのなら殺されずには済むかもしれない。そんな、後ろ向きな期待だけがある。


「ヤサカ・ナガオ、出番だ」

「はい」


 俺は通路を進み、ゲートの前に立つ。息を整えて、アリーナを見据えた。



<7>



 ゲートが開かれてアリーナに足を踏み出す。観客席からは歓声が上がる。

 俺はひとまず、アリーナの中央まで進んだ。そこでようやく、対戦相手があの黒ずくめのやつだと気づく。

 黒ずくめはくつくつと笑い、俺を指差した。


「あぁー、ちくしょう。やっと二人きりになれた。おい、八坂長緒。私はなぁ」


 俺はフェネルの姿を探す。あいつは、観客席の一階席にいた。


「よし。おい、八坂長緒。よく聞けよ。オマエにとって大事なことだぜ。何せ私は」

「……え? あ、悪い。何だ?」


 何かこいつ、さっきからごちゃごちゃ言ってたみたいだけど。


「オマエ馬鹿にしてんのか。こんな……ロムレムくんだりまで来て、馬鹿みてえなもんに付き合わされてんのは全部オマエのせいだって言ってんだよ。ちくしょう、あのクソ女、ごちゃごちゃ言いやがって」


 黒ずくめはぶつぶつと呟いている。だけど今はそれどころじゃないんだ。


「悪い。俺の邪魔だけはしないでくれ」

「あ……あァ!? オマエこのっ、何言ってやがんだ!」


 楽隊が試合開始の合図を吹き鳴らす。同時、俺は黒ずくめを無視して走り出す。グラディウスを鞘から抜き、アリーナの壁めがけて走る。


「お、オマエ、オマエ! 私を無視するんじゃねえよ!」


 俺は壁に向かって跳躍し、グラディウスを石材で出来た壁に突き刺す。イシトラの作った剣がやわじゃないことを祈りながら、柄を握り締めて壁を蹴る。そうして今度は壁に刺さったグラディウスを足場にして、壁を乗り越えた。

 俺はメニューを操作しつつ、壁面の上に両足で立つ。壁に刺さっていたグラディウスを呼び出して、そいつを握った。目の前にはフェネルたちがいた。彼女は席に座ったままの姿勢で俺を見ていた。


「き、貴様ぁ……!」

「下がれ奴隷がっ」


 観客からはブーイングが起こる。兵士たちがフェネルの前に立つ。俺は息を吸い込んで、観客に向けて大声を放った。


「下剋上だ! 八坂長緒がチャンプの仇討ちをやる!」


 しん、と、闘技場が水を打ったように静まり返る。

 空気が震えるのを感じて、俺は咄嗟に耳を手で塞ごうとした。だが、間に合わない。声が俺に押し寄せてくる。フェネルを守ろうとしている兵士たちも観客たちの大音声に顔をしかめた。


 やれ。

 やっちまえ。

 ぶっ殺せ。


 物騒なことばっかり聞こえてくるが、俺の味方をしてくれているっぽい。

 こりゃいいや。この闘技場じゃあ観客を味方につけりゃあいいんだよな。


「よう、フェネル・セラセラ。受けてくれるよな、この試合」


 フェネルは無言で頷く。


「拒否します」

「え?」


 兵士たちが俺に剣や槍を突きつけてくる。ええー、あの、ちょっと予定と違うんだけど。


「ちょっ、お、おい! 下剋上だっつってんだろ! 観客だってやれって言ってんじゃん!」

「知りません。……ヤサカ・ナガオ。お前が何を考えているのかは分かりませんが、両手両足を動かなくしてから聞き出せばいいこと。それに、そうした方が私のものにしやすくなるでしょう。アリーナへ戻せ」

「はっ!」


 ふざけんな!

 多数の長物が迫ってくる。俺は壁の上から、アリーナへと飛び降りた。フェネルは一階席から俺を見下ろす。


「私との約束を反故にするのですか」

「何が約束だ! 俺はあんたのものにはならないし、逃げてねえじゃねえか! 横紙破りはあんたの方だろ!」

「地下の魔物と西門で待機している冒険者を出しなさい。反乱を企てた奴隷を生かして捕らえるのです」


 フェネルは兵士に指示を飛ばしてから、俺を再度見下ろす。彼女は嗜虐的な笑みを浮かべていた。


「お前たちはそう簡単には死なないのでしょう?」

「俺はあんたのおもちゃじゃねえ」

「この世界はお前たちの遊び場でもありません」


 フェネルは俺の視界から姿を消す。


「無視してんじゃねえ!」

「おうわっ」


 黒ずくめ!

 俺はグラディウスでこいつの奇襲を受け止める。


「邪魔すんなって!」

「無視すんなよ、なあ!?」


 やっべえ、時間がない。時間をかければモンスターもプレイヤーも出てくるぞ。


「俺はフェネルに用があるんだ!」

「私はあんたに用がある! 頼まれてんだよこっちもな、子供の使いじゃねえんだよ」

「……頼まれてる?」


 黒ずくめはフードを外して顔を晒す。声からしてそうかなとは思っていたが、女だった。体つきは、やはり細くて小さい。あと薄い。俺と同年代くらいに見える。

 黒髪をまっすぐ切りそろえていて、両サイドから房になった髪がだらりと垂れている。つり上がった目でこっちをねめつけて、得物のダガーナイフを突きつけてきた。


「『忍舞刹那おしまい せつな』だ。私はなぁ、あのクソアマ……カァヤに頼まれてんだよ。オマエを助けてくれってな」

「え……?」


 ……カァヤさんが? どうして……いや、確か、さゆねこがカァヤさんに助けを求めるとか言ってたっけ。もしかすると、そのツテで?


「ってことは、あんた、カァヤさんの仲間なのか? あれ? ちょっと待て、そうするともしかして、俺の」

「あァー、そうだよ。オマエの兄貴の仲間だよ」


 兄貴の……! マジかよ、こいつもそうなのか。

 そうか。だから団体戦の時も助けてくれたのか。まあ、なんか口ぶりからしてカァヤさんとは仲良くなさそうだけど。


「教えてくれ、兄貴はどこにいるんだ」

「その話をしに来たんだって。がっつくんじゃねえよもう。童貞かよ」

「何でもいいから、頼む!」

「その前にここから出ねえとな。オマエ、結構色んなの敵に回すタイプな」


 そう言って、刹那はくるくるとダガーを弄ぶ。


「でも面白そうじゃねえかよ。私はこういうの好きなんだ。何も考えずに好き勝手暴れんのがさ」


 俺がここに来た意味か。もしかすると、こういうことだったのかもしれない。兄貴のことも気になるが、俺にはここでやりたいことがある。


「忍舞、悪いけどもう少し待っててくれ。俺はさっきのフェネルってやつと話をつけたいんだ」

「忍舞じゃなくって刹那でいーよ。私は面白いやつが好きなんだ。……足音だ。地下から冒険者どもがここに乗り込んでくるつもりだな。まずはぶっ殺しまくって場を整えねえとなあ」

「いや、あんまし殺すとかそういうのは」

「オマエ馬鹿か? こっちの世界のやつらに遠慮して死んだらクソ笑うぞ。まあいーけど。そしたら、私はプレイヤー狙うから。手加減するなら好きにしろよ」


 観客の声と足踏みに紛れて、足音が徐々に大きくなる。期せずして兄貴の手がかりを掴めたが、まずはこの場をどうにかして、それで、フェネルを……フェネルを……まあ、いい。よく分かんなくなったけど、意地ってのを見せてやる。

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