第2章 姫に心をⅢ
<1>
俺はイシトラと兵士に、工房と呼ばれている建物まで案内された。ここも闘技場の近くに建てられた施設のようだが、何か様子が違うな。
「ここを使えるのはおれだけだ。ビビってねえで入ってきな」
イシトラは我が家に帰ってきたかのような軽い足取りで工房の中へ入る。俺も兵士たちと共に続いた。
「うわ」
室内には熱気が立ち込めていた。イシトラは窓を開けて風を取り込むも、すぐには涼しくなりそうにない。
壁は煉瓦。床は妙な色の土で固められていて、そこらに板が敷いてある箇所もあった。天井は高い。どこもかしこも煤のような何かで汚れている。
馬鹿でかいかまど(・・・)や、炉、だろうか。ハンマーや石炭など、よく分からないものが雑多に置かれている。ペンチみたいな工具類は壁に立てかけられていた。
ここで武器とか作ってんのかな。俺は、壁に飾られている剣や斧を見回す。
「坊主。使ってるのはどんな武器だ」
「あ。片手剣です」
「片手剣ねえ……」
イシトラは床に転がっている剣を何本か鷲掴みにして、のしのしと工房の外に出ていく。俺たちはその後を追いかけた。
「坊主の手枷、外してやってくれ」
「え?」
「そのままじゃあ振れねえだろう」
兵士は何も疑問に思わないのか、俺の手枷をあっさりと外してしまった。……おいおい、いいのかよ。逃げられるんじゃねえのか、これ。
そこで気づいた。たぶん、イシトラはもう逃げるとか、奴隷とか、そういうことを考えていないんだろうって。そいつが分かってるから兵士も俺の手枷を外した。俺もフェネルには『逃げるな』と脅されている。ここは大人しくしておこう。
「こいつから振ってみろ」
俺はイシトラから片手剣を受け取った。振れって、こういうことか?
適当に素振りをしてみると、イシトラは難しい顔になった。
「坊主」
「なんすか」
「もっとこう、腰を入れてちゃんとしろ」
「……はい」
「我流でやってんのか?」
俺がそうだと答えると、イシトラは顎鬚を扱いて、何とも言えない顔になってしまう。
「せめて誰か、その棒きれ振るの上手いやつを想像してみろ。そいつの真似をすりゃあいい」
ラベージャだな。俺は即座に彼女のことをイメージして、何度か素振りをやってみる。何も変わらなかった。
「……さっきよりマシになったかもな」
「え、本当ですか」
「いや、分かんねえ」なんだそりゃ!
イシトラは別の剣を俺に渡してきた。
「今度はこっちだ。さっきより少し重い」
俺は剣を振ってみたが、あまり重さは感じられなかった。
そうして、俺はイシトラの気が済むまで剣を振り、また別の剣を渡されて素振りを繰り返す。そんなことをしていると、もう陽が落ちて暗くなっていた。
ダメだ。流石に疲れた。俺は剣を杖代わりにして、肩で息をする。
「まあ、こんなところか。だいたい分かったぜ」
「何がですか」
「坊主に合ってる剣を作らねえと意味がねえからな」
そういうものなのか。俺にフィットする剣を作る為に、色々な重さの剣を振らせていたんだな。
「どれくらいかかりますか?」
「時間ってのはな、かけてやるほどいいものが出来る」
「試合、明日なんすけど」
「…………この話はナシにしてくれ」
「ああっ! ちょっと待って! 待ってください!」
イシトラは腕を組み、長い息を吐く。
「明日ってな急な話じゃねえか。飯を作るのとは訳が違うんだぞ」
「せめて、剣を売ってくれませんか? ほら、これとか」
地面に落ちている剣を指差すと、イシトラは白い髭を手で扱いた。
「おれのはたけえぞ。そいつは四万だな」
四万!?
馬鹿たけえな。俺の手持ち全部合わせても二万ゴールドくらいだぞ。カルディアの武器屋の方がまだ良心的だ。
「いい材料をいい腕が仕上げてんだ。そんくらいはすらぁな。よう、坊主。時間もねえ。金もねえってのにおれに仕事を頼もうってのか」
「闘技場で死にたくないんですよ。だから少しでもいい武器が欲しい」
「……外から来た冒険者は死んでも死なねえって聞いてるぜ。試合で負けたってそうそう命まで取られちまうわけじゃねえだろ」
「俺は死ぬんですよ」
「だったらやめちまえばいい」
俺は首を振った。それが出来るような賢い頭を持ってたら、俺は恐らくここにはいない。
「難儀なことしやがる。傾城の女のわがままだって聞かねえんだぞ、おれぁ」
「はい」
「はいじゃねえ。……おれの武器を使ってもいいのはな、チャンプだけなんだ」
チャンプ。この闘技場の王者。イシトラが認めたのはその人だけなのか。
「坊主。お前さんまだ二部だろう。一つ約束しろ。そうすりゃあ、剣を打ってやってもいいし、貸してやってもいい」
「いいんですか?」
「一部に上がってチャンプと試合で当たったら全力でぶっ潰せ。そいつが約束できるんなら、おれの剣でも斧でもなんでも、好きなの貸してやる」
チャンプを潰せ?
「でも、あなたの武器を使っていいのはチャンプだけなんすよね。どうしてそんなことを?」
「獣は餓えりゃあ爪でも牙でも使ってよ、肉を喰らって腹を満たす。おれぁ、そういうやつが好きなんだ。生き死にがかかってるやつほど、おもしれえことをする。だがな、最近の闘技場はちっと違うな。牙を抜かれた獣はな、腹を満たす為にてめえ以外のやつに尻尾振ってきゃんきゃん鳴くのさ。おれぁ、そういうやつは我慢ならねえ」
「……チャンプのことを言ってんですか?」
「さあな。で、どうすんだ?」
「そうしろってんならそうします。俺だって負けられないし、死にたくないから」
イシトラは若干不満そうだったが、大きく頷いた。
「どいつを持ってくんだ?」
何か事情があるらしいが、俺にはイシトラとチャンプの関係は分からない。ただ、武器を使わせてくれるってんなら有り難くそうさせてもらおう。
俺は素振りをした中で一番使いやすかった剣を選んだ。広い幅、鋭利な刃先。握りやすい、象牙のような材質で出来たグリップ。刀身は今まで使っていたものよりかなり短いが、問題はなさそうだった。
「剣もやってやる。なあに、勝ち続けりゃあ金だって入ってくらぁな。そいつをおれによこしゃあいい。だが、剣が完成するまでに死んでも知らねえ。そいつは忘れんじゃねえぞ」
「分かってます。その、ありがとうございます」
「おれもお前さんの試合は見てやる。つまらねえことはすんじゃねえぞ」
俺は頷き、手枷をされる前に借りた剣の情報をメニューで確認する。剣の名前は『グラディウス・イシトラモデル』とあった。自己主張の強い名前だけど……ヘリオスソードよりも強いな、これ。過去にキャラウェイやカルディアの武器屋を見てきたけど、ちょっとこいつは比べ物にならないかもな。四万とか言ってたのは伊達じゃないってわけだ。
グラディウスをメニューくんに預けて、俺は大人しく両手を差し出した。
「坊主。いい剣を使ってるやつが強いんじゃねえ。所詮はそいつも道具だ。つまらねえやつが使えば、名剣だってなまくらになる」
イシトラは武器に関しては色々と思い入れがあるらしい。期待に応えられるかは分からないけど、俺は出来ることをやるだけだ。
<2>
イシトラの工房から、いつもの小部屋へ戻る時だった。
「あぁ? 珍しいな、イシトラが人と会うなんてよ」
地下通路の方から一人の男が歩いてきた。俺たちを珍しそうに見て、瓶に入った液体をぐっと一息で飲み干す。
でかい男だった。歳は、俺の親父と同じくらいに見える。四十後半、くらいだろうか。イシトラは横にでかかったが、この人は縦にもでかい。上半身はほとんど裸だ。日に焼けて浅黒い、締まった筋肉を惜しげもなく晒している。嬉しくない。
ドワーフとは違う。たぶん、オウガとかいう種族の男だろう。彼は牛の角のようなデザインの兜を被り、派手な意匠の毛皮のマントを羽織っていた。
さあこいつは誰なんだと思っていると、兵士たちが相好を崩した。
「やあチャンプ、今日の試合も見てたぜ」
「ああ、あんたには稼がせてもらってる。明日もいい試合を見せてくれよ」
マジか。この人がチャンプなのか。
チャンプと呼ばれた男は豪快に笑い、自分の胸をどんと叩く。
「俺はいい試合しか見せねえよ。だろ?」
笑って、チャンプはイシトラの工房へと歩き去っていった。……あいつをぶっ潰せ、なんて言ってたのかよ。そりゃちょっと無理そうだぞ。
<3>
小部屋に戻ってくると、スィランは俺の方に背を向けて寝転がっていた。
「ただいま」
声をかけてみるも反応はない。寝てんのかな。手枷、外して欲しいんだけど。
俺は仕方なくその場に座り込む。剣をアホほど振って疲れたので、目を瞑ってじっとしていると物音が聞こえた。目を開けると、スィランが寝転がりながらこっちを見ているのが分かった。
「起きてたのか」
「またスィランの試合の時にどっか行ってたろ」
あ。
「あー、それはだな。武器が壊れて」
「壊れてんのはあんたの頭の中だろ。舐めやがって、セラセラの姫さまのお気に入りは、スィランみたいな奴隷には興味がないんだな」
スィランさん今日もご立腹だった。
「悪い。ごめん。すまんかった。新しい武器が欲しいから、ちょっと人にお願いしてたんだよ。思ってたより時間がかかっちゃってさ」
「はん、武器に頼るからそうなるんだ。……ああ、そうだ」
スィランのじっとりとした目つきが少しだけ変わる。途轍もなく嫌な予感がした。
「武器がないなら作りゃあいい。スィランが教えてやるよ」
「いっ? いや、大丈夫。いらねえ。教えて欲しくない」
「遠慮……すんなよ!」
俺は逃げようとしたが、手枷もあるし、この狭い部屋ではどうしようもない。スィランに飛びつかれて、呆気なく倒された。手枷のせいで受け身も取れず、顔面を地面に押し付けられる。背中に体重をかけられているのか、全くと言っていいほど動けない。
「いってええええ、おいバカっ、どけよ!」
「これ邪魔だな」
スィランは俺の手枷をあっさりとぶっ壊す。両手が自由になった瞬間、彼女は俺の右手を取って、ぎしぎしと捩じ上げる。俺は残ってる左手で地面を叩いた。
「ギブギブ!」
「いいか。でかいやつにも鎧で固めてるやつにも関節はある。隙間を狙うんだ」
この野郎、腹いせにこういうのをしようってんだな。俺は必死でもがくが、もがけばもがくほど腕を極められていく。
「次はこうだ」
スィランはするりと動き、俺の首に腕を回して体勢を入れ替えた。こいつはさらに両足を使って俺の両足を挟んでくる。ぐっと息が詰まった。やばい死ぬ。
声を出せないので必死にスィランの腕をタップし続ける。しかしこの世界では意味が通じていないのか、この馬鹿力女が力を緩める気配はない。俺は両腕をスィランの脇腹に当てて、思い切りくすぐってやった。
「あっ、おい、やらしい手つきでスィランに触るな」
ダメだ効かねえ。しかし、頭を軽く叩かれて、俺はやっと解放される。ふらふらになりながら窓に近づき、鉄格子を掴んで全身で酸素を取り込んだ。
「ああー、死ぬかと思った。……お前な、触るなとか自分から密着しといて何言ってんだ」
「スィランにそのつもりはない。弱いやつに興味ないからな」
「そうかよ。俺も腹筋の割れてる女には興味ないな」
「…………どういう意味だ」
「お前アレな。脇腹とか全然硬いのな。俺より筋肉ついてんじゃん」
「鍛えている証拠じゃねえか」
「女とは思えねえ」
「こ、これでもそんなこと言えんのかよ!」
スィランは服をたくし上げようとしたので、俺は急いで彼女の手を掴んだ。
「何してんだバーカ!」
「スィランとて女だ。プライドが傷つく」
俺は改めてスィランを見た。顔は女だしそこそこ整っている。胸も尻も丸い。しかし、やはり、あまり柔らかくなかったのは事実だ。
「隙ありだ」
「うっ……!?」
腹に衝撃が走り、俺は崩れ落ちそうになる。馬鹿な。数センチくらいしかスペースは空いていなかったはずだ。的確なボディーブロー打ちやがってこいつ。
『いえーい、あなたはレベルアップしました』
メニューがちゃちなファンファーレを鳴らして、上下左右に激しく揺れた。
な、なんだと……!?
今のでレベルが上がったのか?
「なんなんだこの世界は……」
つーか早くこの女から解放されたい。




