第4章 その、地獄の色は
<1>
「くそおおお、何なのだあの小娘はあああああ!」
イア族の村から戻ってくると、カプリーノはアニスの屋敷の庭内でごろごろと転げ回っていた。どうやら話し合いは難航しているらしい。
「なんだよ。アニスのやつ、全然話を聞いてくれなかったのか?」
おしおき案件だぞ。
「いや、違う。驚くほど普通に話を聞いてくれたのだが、驚くほど容易く論破されてしまったのだ」
「そ、そうか」
「あいつっ、しもべには甘いくせにオレさまには厳しいではないかー!」
「話を聞いてくれるんならいいじゃねえか。ま、ゆっくり着実に頑張れよ」
カプリーノは涙目で俺を見上げてくる。まるで捨て犬のような目であった。
「まさか手伝えとか言うんじゃないだろうな」
「そ、そのようなことは言わぬ! オレさまの力で屋敷を取り戻さねば意味がないからな!」
「じゃあなんだその目は」
「……う、うるさい! 何でもない!」
カプリーノは屋敷の中に引っ込んでしまう。またアニスに挑戦しに行くのだろうか。なんかアレだな。すぐに言い負かされるんだろうな。
<2>
俺はアルミさんと合流した。KMはアニスとカプリーノの話が始まると、大丈夫そうすね、とか何とか言ってどこかへ行ったらしい。たぶん退屈で逃げたんだな。
アルミさんは難しそうな顔で屋敷を見上げる。
「横で話を聞いていたんだけど、アニスって子、普通に有能というか、賢いわね。わがままばっかりで押し通すのかと思ってたけど……カプリーノ君じゃあ、どうあがいても無理そうよ」
「とはいえ、そこは手を貸すわけにもいかないんですけどね」
「大丈夫かしら。かぐや姫じゃないんだから、無理難題押しつけられても可哀想よ」
うーん。
「あっ、そういやもうお昼過ぎてますね」
「ああ、そうね。午前中は色んなことがあり過ぎて忘れてたわ」
「俺はちょっとログアウトして飯でも食ってきます。アルミさんはどうしますか?」
「やることがなくなっちゃったからなあ。もう少しカプリーノ君についてようかな」
「お願いします」
<3>
俺は一度ログアウトし、自分の部屋に戻った。
両親の姿が見えなかったので、昼飯を適当にカップ麺とかで済ませると、俺はベッドの上で横になる。
……アルミさんの言うとおり、確かに色々あった。そんでもってある程度は解決したはずだ。残っているのはカプリーノが屋敷を取り戻せるかどうかという一点だろう。
アニスの真意は不明だが、あいつは俺に好意を持っていると言った。ぶっちゃけ、俺が『返してやれよ』と言えば返してくれるかもしれない。が、それではカプリーノの為にならない気もする。本人も自分の力でどうにかしたいって言ってたしな。
「んん?」
そうなると、アレか。俺がカルディアでやることはないのか。気が早いのかもしれないけど、次に行く場所を考えるべきかもしれない。
しかし兄貴め。中々尻尾を掴ませないな。ホワイトルート大陸も広い。大きな町ではなく、イア族の村のような場所にいる可能性だってあるな。
俺は寝返りを打った。なんか、兄貴が見つかりそうにないぞ。どうすんだよマジで。ナナクロで装備がよくなってレベルが上がってくだけじゃねえか。せめてもう少し手がかりがあれば……カァヤさんにメッセージ送りまくってみるか? ってダメだよな。
「ダメだな」
頭を振ってベッドから起き上がる。俺は頭がよくないんだから、じっとしてたって上手くいくはずがない。体を動かしてた方が気が紛れるし、ナナクロにログインするか。
<4>
俺はアニスの屋敷の前にログインしていた。ふと庭内を見ると、半目のさゆねこが立っていた。近くには兵士もいる。見張ってくれているのだろうか。あいつがログインしたらびっくりするだろうな。
さて、ちょっとアニスたちのところに顔を出してみるか。
俺は屋敷の中に入り、アニスたちがいる部屋の扉をノックしてから入室した。その部屋には円卓があり、カプリーノが卓の上に顔を埋めるようにして突っ伏している。
一方、対面に座って紅茶みたいなものを飲んでいるアニスは涼しげだ。
「あらナガオさま、どうされたのですか」
「様子を見に来たんだけど、話し合いはどうなったんだ?」
「まだ何とも」
俺はカプリーノの横に座り、頭をわしわしと撫でてやった。んー、とかいう呻きが聞こえた。どうやら眠っているらしい。
「つーか、ちゃんと話してくれてんだな」
「もちろん。ナガオさまがそうおっしゃったのですから」
「どういう風の吹き回しっつーか、心境の変化なんだ? 正直に言ってくれよ。何か企んでんだろ」
アニスは微笑みを絶やさなかった。地下墓地での狼狽ぶりが嘘のような振る舞いである。
「ナガオさまには私の嫌なところも汚いところも全て見られてしまいました。であるならば、あとはもう可愛いところを見てもらうしかないのです。そうでもしないと、ドリスからあなたを奪えないではありませんか」
「奪うって……別に、俺はドリスのものじゃねえよ。ちょっと協力してるだけだ」
「では、私のものになる機会もいずれは、ということでしょうか」
「本気で言ってんのか?」
「ええ」
信用出来ねー。
ただ、何となく分かってきたぞ。
「俺は腹芸が出来ないから言っとくけど、アレだろ。俺を取り込んでドリスに対して何か仕掛けようってんだろ?」
「そう思っていただいても構いませんわ。ですが一つだけ。私は今、王位だの、町で一番大きい屋敷だの、そういったものに興味はないのです。今はただヤサカ・ナガオという男が欲しい。それだけですわ」
「……俺はお前をぶん殴ったんだぞ」
「私は冒険者を見下しておりました。野卑で、頭には何も入っていない方々なのだと。その見解はおおむね間違いではないのでしょうが、私も所詮、一匹の雌だということです。より強い雄を求める本能には抗えません」
なんだこいつ。なんか言い出したぞ。
「飾らない言葉で表すなら、あなたの子を産みたい、ということになりますわ」
「いや、少しは飾ってくれよ」
俺は身の危険を感じた。この歳で子供がどうとかなんて冗談じゃない。だいたい、こっちの世界でそんなこと出来るか。俺には帰る場所があるんだ。
「ふふふふふふ……」
「えええちょっとマジでこっち来るなって……」
「……あら?」
近づいてきたアニスの手を、カプリーノが掴んでいた。
「やめろ。オレさまのしもべだ。お前にはやらん」
「お屋敷と交換だと言ってもですか?」
「ダメだ。しもべが欲しければキャラウェイの王城でも明け渡すんだな」
「考えておきますわ」
俺の意志とは全く関係のないところで、俺の行き先が決まろうとしている。まあ、無視するけど。
「そんなことよりカプリーノ、話はどうなってんだよ。相変わらず負けっ放しなのか?」
「ま、負けてなどおらぬ! 先ほど、ある条件を勝ち取ったところだ」
条件? 俺はアルミさんの言ってた言葉を思い出す。『かぐや姫』だ。
「うむ。実はな、墓所にいる強大なモンスターを静めれば、オレさまに屋敷を返すと言ったのだ」
俺はアニスを見た。彼女は小さく頷いて、白けた風に息を吐く。
「それって、あのゴーレムじゃないのか?」
「いいえ。あの奥、第五の階層に潜む魔物ですわ。その存在を確認しておりますが、誰も倒せませんでしたの。あの、ナントカ騎士団とかいう冒険者たちでさえ」
「……おいカプリーノ。お前、騙されてるぞ」
「何!?」
「騙してなどいませんわ。その魔物さえ倒せば、屋敷を返すと言っているのです」
ふざけんな。ボスを俺たちで倒せって言うのかよ。
ようやく分かったぞ。カルディアに来た時、地下のダンジョンはもっと攻略が進んでてもおかしくないと思ってたけど、みんな、行くところまでは行ってたんだ。ただ、ボスが倒せなくて放置していた。そんでもって倒せなくてもカルディアの店で気持ちいい思いは出来るんだし、まあいいや、ほっとこうぜって、そういう状況だったんだろう。
「俺たちよりレベルの高いやつらでも難しい相手なんだろ」
「ええ。ですがナガオさまはまだ戦っておりません。あなた方ならもしやと思ったのです」
「買い被ってるぞ」
「私、こう見えても目は確かですの」
意趣返しのつもりだろうか。とはいえ、これでアニスは俺の要求をこなした。カプリーノと話し合いの機会を設けて、屋敷を返す条件まで出してきた。あとはそっちが応えるだけだと言われている気分である。
「それに、カプリーノさんはあの地下墓地を冒険者たちに使わせてもいいとおっしゃったので」
「え? 本当かよ?」
カプリーノは大きく頷いた。
「うむ。あの場所はオレさまが思っている以上に魔物が多い。冒険者を入れれば鬱陶しいザコどもの掃除をしてくれるだろうからな。もちろん、必要以上に荒らせば許さんが」
「……その魔物はどんなやつなんだ?」
「申し訳ありませんナガオさま。私はどのような魔物か、存じておりませんの」
ホントかよ。
「つーか、どうしてわざわざ倒さなきゃならないんだ? 今までだって放置してたんだろ?」
「凶悪な魔物を倒した先に何があるのかを知りたくなったのです」
「先? 魔物は何かを守ってるのか?」
アニスは、それは分からないと言った。
「一度、見てみる」
「その魔物をですか?」
「ああ。俺たちで確かめて、どうしてもダメだったらカプリーノに出した条件を別のものに変えて欲しい。ダメか?」
「ダメではありませんが、少々お高くつくかと」
アニスは唇に指を這わせて艶然とした笑みを浮かべる。アカン。なんかすげえ嫌な予感がした。是が非でも地下の魔物を討伐せねばなるまい。
<5>
俺とカプリーノは屋敷を出て、半目像の前で立ち止まった。
「魔物を倒せってか。どうするんだよ、カプリーノ」
「うむ、やるしかあるまい。手を貸してくれるな?」
「そりゃ、乗り掛かった舟だからな。けど、俺だって簡単に死ぬわけにはいかないからな。やばいってなったらすぐに逃げるぞ」
俺はデカドロス島でヘリオスに殺された。あの時は正体不明の誰かに助けられたわけだが、次があるかどうかはそいつにも分からない。都合よく二度目も助かるなんて思わない方がよさそうだ。というか精神衛生上よろしくない。
「では行くぞ、しもべ!」
「いや、ちょっと待って。明日にしようぜ。準備をしっかりして、五人で臨もう」
「……五人?」
半目になっているさゆねこを指差すと、カプリーノは何とも言えない表情になった。いや、意外と頼りになるんだって。
<6>
KMやアルミさんには、明日、第五階層の攻略を手伝って欲しい、と。それからさゆねこにも、あいつがログアウトしている間、何があったのかすぐに分かるようにメッセージを送っておく。
俺とカプリーノはカルディアの町で買い物を済ませて、中央広場で一息つくことにした。
「ほら」
カプリーノに、さっき適当な店で買った棒つきのキャンディを渡してやる。
「オレさまを子供扱いしているのか」
「いっぱい話して疲れただろうと思ってな」
「ふん。要らぬ世話だ。しかしありがたくもらっておこう」
キャンディを舐めているカプリーノはどこからどう見ても子供だった。俺だって偉そうなことを言えるくらいに歳を食っちゃいないけど、少なくとも、俺よりは小さく見える。
「なあ、お前だってこの町に住んでるのか?」
「ああ。……小さな家だ。不満はなかったがな」
「じいやとばあやってのと住んでたからか?」
「そうだな。だが、もうすぐ屋敷を取り戻せる。あそこを元通りにして、人を集めるのだ。エバーグリーン家を復興させる為にな」
カプリーノの目は前を向いている。出来るかどうかとか、そういうことではないのだろう。
「俺とは違うな、お前は。夢っつーか、やることがあってさ」
「……? しもべにはないのか?」
「俺はいなくなった兄貴を探してる。この世界のどこかにいる兄貴をな。だけど、そいつが俺のやることなのかっていうと、どうなのかな」
「兄か。家族の為に頑張るのはいいことだと思うぞ」
家族の為。
兄貴の為。
……本当にそうか? 俺は、前進していると思い込んでるだけじゃないのか。本当は前なんか向いていなくって、過去ばっかり気にしてるだけじゃないのか。
「しもべは兄が嫌いか?」
「分かんねえ。でも、身内だからな。こればっかりはどうしようもねえよ」
「それでもよい。お前はお前のやるべきことをやるのだ。だが、そうなると少し心苦しいな。お前には寄り道をさせている」
「さて、どうだろうな。兄貴はまっすぐな人じゃねえんだ。捻くれてるからな。俺がまっすぐに進んだところで見つかるかどうかは分かんねえ。案外、寄り道ってことでもないかもしれないぞ」
「そうか。だが、もうじきに終わる。しもべ。お前は地下の魔物とやらを倒したらどうするつもりだ?」
カプリーノは飴を舐めながら、町並みを眺めている。
「カルディアを発つのか?」
「……だろうな。次の場所に行くよ。カプリーノこそどうすんだ」
「さっき言ったとおりだ。俺はこの町でエバーグリーンの家を元通りにしたいのだ」
「それがお前のやるべきことか」
「そうでなければ、オレさまがカプリーノ・ルージュ・エバーグリーンとして生まれた意味がない」
生まれた意味か。
俺には、そんなものがあるんだろうか。
<7>
翌日。月曜日。現在時刻は『17:22』。
俺たちは地下墓地の第五階層をクリアする為に、町の中央広場でメンバーの合流を待っていた。挑むのは俺、剣士。カプリーノ、魔法使い。KM、槍兵。アルミさん、侍者。さゆねこ、弓兵。この五人でだ。
「うぃーす、ナガちゃんもカプちゃんもっつかれーす」
「おはよう、みんな。準備はもう終わってる?」
KMとアルミさんが来て、
「おおー……? 知らない人ばかりなのです」
最後にさゆねこが合流した。
さゆねこ以外のメンバーは彼女のことを一方的に知っていたが、簡単な自己紹介をしておく。
「あっ、バイブス上がる人がいるのです!」
「うぇいうぇい、俺っちのことすか? やべー、俺超有名的な? マジやばくねーすか?」
「ところでお兄さん。わたし、ここに来るまでに色々な人から『ハンメ』とか言われたのですが、何のことですか?」
「いや、分からねえな。『可愛い』ってことじゃねえの?」
「おおー、それは満更でもないのです!」
メンバーは揃った。準備は整った。あとはダンジョンに向かうだけだ。……ぶっちゃけ、俺たちだけで無理なら他のパーティを誘うって手もある。元《テミス騎士団》や一部の冒険者はカルディアを去ってしまっただろうが、数は力である。
だが、アニスは俺たち以外の冒険者が参加することに対して、いいですともダメですとも言わなかった。揚げ足をとられるのも癪だ。なるべくならこのメンバーだけで討伐を成功させたいが。
「そんじゃあ行こうか。今日でやれないと思ったら撤退も普通にあるんで、よろしく」
俺たちは地下墓地へと向かった。




