第3章 湖上の華
<1>
セルビルの町に馬車がやってきた。出立の日が来たのだ。
現在時刻は日曜日の『12:08』。昼飯も早めに食ったし、今は親も出かけていて気にすることもない。今日は気兼ねなくナナクロに没頭できる。
兄貴のノートパソコンを可能な限り調べてみたが、ナナクロに繋がるような情報は得られなかった。兄貴のハンドルネームっつーか、ナナクロで使ってる名前が分かれば探しやすくなるんだけどなあ。
「ナガオ君、行くのね」
「あ、カァヤさん。それにさゆねこもいるのか」
「おまけみたいに言わないでください」
俺はフレンドの三人にセルビルを発つことを伝えていた。さすがに黒盾さんは見送りに来てくれていないな。ま、報告はしたし、お互いがゲームを続けていればまたどこかで会うだろう。
「俺ぁたぶん、よほどのことがない限りはこっちに戻ってこないと思いますんで」
「そうね。私もさゆねこちゃんも、じきに王都へ向かうと思うわ」
二人はもう少しカマイタチで稼いでから王都へ戻るらしい。もっとも、カァヤさんはさゆねこの付き添いみたいなものだ。
「行く前に、ナガオ君にプレゼントがあるの」
「え? マジっすか」
そう言って、カァヤさんはメニューを操作し始める。やがて俺の目の前にウインドウがぽんと現れた。
『カァヤさんから《鞘》の贈り物が届きました』
「プレイヤーはね、戦闘においてスキル発動、武器装備、敵ターゲット切り替え、回避などのアクションを判断、選択するんだけど、そこに僅かなりとも速度の差が生まれるの。上級者ほど一々アクションが素早いわ。危ないって時にメニューを開いてたらタイムロスになると思って。だから、鞘を……ふ、あははは」
「えー、なんで笑うんですか?」
「ちょっと、自分で言ってて説明が長いなあと思って。ふふふ」
変なツボにハマったらしい。
しかしプレゼントは有り難い。確かに戦闘の度に一々武器を取り出していたら面倒だからな。鞘を装備して、得物は常にメニューから出しておく形にしておこう。
「というか、そんなシステムだったんですね」
「鞘は『装飾品』の欄で装備できるわ。よかったら使ってね」
「嬉しいっす。大事に使わせてもらいます。でも、いいんですか?」
「んー、新人さんが入ってきて遊んでくれるのって、私たちみたいな上級者からしたら嬉しいことなの。特にナナクロはね。ほら、人が少ないから」
そういうことなら有り難く使わせてもらおう。
次に、俺はなんとなくさゆねこを見た。彼女はふいっと顔を逸らした。
「わたしからは何も出ませんからね」
「わ、分かってるって。さすがに小学生からはたかれねえよ」
「すぐに追いつきますから、先に王都で遊んでてください」
お?
「なんだ、王都に行っても俺と遊んでくれるのか?」
「……意地悪な言い方をしますね、お兄さんは」
「悪い悪い、ありがとな。でも、今日を逃したら馬車が来るのは一週間も先だろ?」
「それなら平気よ」
カァヤさんが意味ありげな笑みを浮かべる。
「私とさゆねこちゃんは馬車を使わずに王都まで行くつもりなの」
「えっ? そうなんすか?」
「急ぐ理由はないもの。ああ、でも、困ったことがあったら連絡をちょうだいね」
「分かりました!」
何とも心強い。これで王都で独りぼっちってことにはならなそうだ。
一応、ギルドの人たちにも挨拶はしたし、セルビルの町でやるべきことはなくなった。王都に行って兄貴のことを調べてみよう。
<2>
乗合馬車と聞いていたが、俺以外には客は乗っていなかった。
馬車は四頭立てのもので思ってたよりでかい。幌がついていて多少の雨風なら凌げそうだった。
俺は御者に既定の料金を払い、荷台に乗り込んだ。中は、六、七人なら楽に乗れそうなくらいのスペースがある。俺以外に物資的なものも運ぶのだろう。木箱がいくつか置いてあった。
御者の男は御者台に座り、荷台にいる俺に笑いかけてきた。よく日に焼けていて、健康的な白い歯を覗かせている。
「今日はあんた一人だ。ついてたな、貸し切りだぜ」
「そうみたいっすね」
「王都まではすぐだ。ま、少しの間だけ待っててくんな。それじゃあ、出発!」
馬が嘶く。馬車はゆっくりと進み始めた。車輪が地面の上をぐるぐると回転する。振動に身を任せながら、俺は木箱の側面に頭を預けて寝そべった。
『黒盾さんからメッセージが届いています』
「ん?」
俺はメニューを操作し、黒盾さんからのお手紙を読んだ。
『ナガオ。今日出立するんだったな。見送りに行けないで、すまないな。王都に着いても楽しんでナナクロをプレイできることを祈っている。俺は、まだそちらには行けそうにない。パーティを組もうと言ってくれたのは嬉しかったが、前にやっていたゲームで色々あってな。今はソロでやるのが気楽なんだ』
そうか。俺なんかに丁寧にメッセージをくれて有り難いな。
『それから、俺はナナクロの世界に浸っている。お前、時々リアルのことを思い出させるようなことを言うよな。アレはやめてくれ。せめてゲームの中でくらいは忘れさせてくれ』
……そ、そうか。そうだったのか。それであの時、変な反応をしていたのか。
『ともあれ、お前にとってナナクロでの世界が良いものであることを祈っている。柱の加護があるように(このゲームでのお決まりの文句だ)』
柱か。
俺は体を起こして、御者台側から景色を眺める。巨大な柱が、馬車の行く先のずっと向こうにあるのが分かる。ずっと見え続けている。
このゲームのタイトルにもなっている七つの柱。あの柱、確かこの世界の人たちは大切に思って崇めてるって話だったっけ。
まあ、俺にはあまり関係のないことだな。寝転がってステータスでも眺めておこう。
名前:☆八坂長緒(7)
種族:人間
職業:冒険者(8)
○ステータス
HP:820
SP:185
ATK:123
DEF:110
○装備
頭:羽根付き帽子
右手:スパタ
左手:革のグローブ
体:クローク
足:革の靴
装飾品:鞘
○スキル
・横薙ぎ
うーん。心もとない感じだ。まあ、王都で装備を整えれば少しは見れるようになるだろう。
<3>
ホワイトルート大陸、王都。
キャラウェイには《湖上の華》とも呼ばれる、王族たちの住む《キャラウェイ城》がある。真白く、所謂ルネサンス様式が取り入れられ、華美な装飾の施された建造物だ。正面のデザイン、ファサードが美しいともっぱらの評判である。この城には侵略者を防ぐようなものは必要最低限しか置かれていない。ただ美麗なだけだ。
「お疲れ様です!」
「ああ」
門を番する兵に見送られて庭を進むのは、浅黒い肌をした女だ。感情を表に出さない、冷たく、切れ長の目が印象的であった。金色の髪をポニーテールにまとめており、歩くたびに揺れる。彼女は軽装だが、騎士の格好をしていた。
騎士然とした格好の女は広い庭の石畳を一歩ずつ確かに進んでいく。この庭は毎日庭師が手入れしており、王城に住む王族や、ここを訪れる貴族たちは神の庭などと言って喜んでいる。
――――広いだけだ。不便で仕方がない。
女は内心で毒づいた。しかし決して表情は崩れない。
やがて『神の庭』とやらを通過し、キャラウェイ城の中庭に差し掛かる。女は城の中央にある本館に入った。
四方を塔に囲まれたこの本館は四角形になっている。この本館からは二つの棟への行き来が可能だ。女は目的地である主の部屋に着くべく、螺旋階段を上り始めた。壁も天井も手すりも床も、どこもかしこも煌びやかで、女にとっては鬱陶しかった。
螺旋階段を上ると東棟の二階だ。こちらの棟は王族たちの住まう部屋が多くある。女は二階では立ち止まらず、三階へ、それから四階で足を止めて息を吐いた。
広いのだ。広くて部屋の数が多い。ここにもう何年も通っている女ですら、全ての部屋を把握していない。これからも把握することはないだろう。
階段を上り切った女は廊下を進む。歩調が早まってしまうので、堪えるのに必死だった。
目的の扉の前に立ち、息を整える。ノックはしないで部屋に入った。ここは控えの間だ。女は部屋の真ん中をずんずんと進み、また別の扉を開く。ここは第二の控えの間である。そうしてまた進み、扉を開く。小部屋と寝室を通り過ぎて、ようやくお目当ての部屋の前に到着する。
「近衛兵のラベージャです。ただいま戻りました」
「……入りなさい」
主の声に従い、騎士風の女ラベージャは入室する。
最後の部屋は薄暗かった。背の高い本棚が幾つも壁に追いやられている。この部屋へ侍女が立ち入ることは許されていないのか、とっ散らかって惨憺たる有様であった。
「姫さま、明りくらいは点けてください」
「……ああ、そうね。それで、今週はどうだったの?」
「ギルドの報告によると今週は四名です。詳細を読み上げますか?」
「面倒くさがってないで、読んでちょうだい」
ラベージャは舌打ちした。
「どうしたの? ほら、早く」
ラベージャは目の前の人物を強く見据えつける。
天蓋付きのベッドで上半身だけを起こしているのは、声だけは鈴を鳴らしたようで、飴玉を煮詰めたように甘やかな少女であった。彼女は今しがた目が覚めたらしく、プラチナブロンドの髪を振り乱して頭を掻いた。そして大きく口を開けてあくびを漏らし、長い息を吐き出す。大変に疲れているのだろう、目の下には隈があり、少女は瞼を擦った。
少女の名はドリス・セラセラ。
ホワイトルート大陸を支配する王族、セラセラ家の娘である。つまり、彼女は『お姫様』であった。
そしてラベージャはドリスの近衛兵である。彼女はドリスに言われたとおりに、セルビルのギルドから買った情報を読み上げた。その内、ドリスは『八坂長緒』という名前に小さな反応を示す。
「ヤサカ・ナガオ? どこかで聞いたことがあるような気が……」
「気のせいでは?」
「調べてちょうだい」
これだよ。
ラベージャは心の中で肩を竦めた。
「あと、そのヤサカ・ナガオを連れてきなさい」
「……そこまでする必要があるのですか」
「だってそれに引っかからないんですもの」
ドリスは床の上にある大きな紙を指差した。その紙には幾何学模様の図が描かれている。
「冒険者がセルビルから王都に来るのならそろそろでしょう。しっかり見張っておきなさい」
「姫さま」
「……何?」
「ここ数年、私は休暇というものをいただいた記憶がないのですが」
「そう? 私もよ。ほら、行った行った」
「……失礼します」
ラベージャはドリスに背を向けて部屋を出て行った。その際、わざと大きな音を立てて扉を閉めた。




