14.「私もだ」
公表はされていないがと勿体ぶりつつも、司教はベロニカに問われたことにべらべらと答えてくれた。
教会は、人間の祖と呼ばれる人物を神としている。彼らは開祖と呼ばれ、現在の人間とは一線を画した能力を持っていた。他人の心を読み取り、過去を知り、山河を自由に駆け回る不思議な力。現在六能と呼ばれる能力を。しかし時が過ぎる内に、人間が持っていた六能は退化していった。
長い長い年月を経てほとんどの人間は六能を失っていった。だが、魂に刻み込まれたその力をごく稀に発揮できる人間が生まれ始める。彼らを第六種と呼び保護することで、教会は再びこの世に神を再臨させようとしているのだ。開祖により近い者、すなわち六能の力が強い者を集め、かつての開祖である第零種を生み出すために。
「混乱に満ちた愚かな世界には救世主が必要じゃ。聖者が! 神が! この世を救う!! そのために我らは日夜お主のようなものを保護しているのじゃよ……」
理解してくれたか、と問われても、ベロニカは動かず何も言わなかった。語るべきことに一段落ついた様子で、司教も興奮気味のまま口を開く様子はない。これは誰かが声を上げなければいけないのだろうとは察しがついているが、面倒だ。クリスも沈黙を貫き、空気役を演じることにした。実際今のクリスは空気そのものである。
心の中で溜め息をついてベロニカを見つめるが、彼女の大きな瞳は真っ直ぐに司教へと向かっていた。この目に見据えられてなおあの軽薄な笑みを貼り付けていられるなんて、中々どうして肝が据わっているとしか言いようがない。まあ、見るからにタヌキだと判るような男であるから、それくらいは当然なのかもしれないが。
腕を組んだまま考えていたクリスの方へ、司教の視線が一瞬だけ向けられた。ベロニカに向ける胡散臭い目ではなく、老獪と評すべき目だった。ぎくりと硬直したクリスを、あざ笑うような性質の悪い目。こんなのとやり合うのか、と教会上層部の第二種たちを少しだけ案じたクリスだったが、むしろ第二種と言えばこんな奴らばかりなのだとは考えもつかない。
「素晴らしいじゃろう!? 自らが神になる可能性を持つのじゃ!!」
興奮したままの口調で司教が叫んだ。それに思わず答えてしまったのは、ベロニカではなくクリスの方であった。
「いや、全く」
すぽん、と声が出るというのはこんな感覚か、と言ってしまったあとにクリスは気付いた。今の今までしっかり空気を貫けていたのに、どうしてこの瞬間だけは思うがままに行動してしまったのか。言った後で後悔しても仕方がない。ベロニカの影響だとは判りきっている。
唖然とした様子の司教とは対照的に、ベロニカは嬉しそうな様子で勢いよく振り返った。きらきらと輝く大きな瞳に、クリスは思わず息を詰める。けれどもその息もいつもの溜め息となって外へ出た。
もう、こうなればやけっぱちだ。肩を竦めてベロニカに苦笑を向ける。ベロニカは心得た様子でこくりと頷きクリスの手を軽く引いた。抵抗する必要性もなかったので、クリスはようやくベロニカの隣に並んで、彼女の手を握ったまま司教を見上げた。
「それが素晴らしいと思ってるのは、あんたらだけだよ」
「ええ、そうですクリス。私は思ってないですもの」
「私もだ」
やれやれ、と大仰な仕草で肩を竦める。見上げた司教は大きすぎる体をぶるぶると震わせていた。今の内に、とクリスは口を開く。思考よりも早く言葉だけが口を突いて出てくる感覚。ベロニカもこんな気分で喋っているのかもしれないな、と何の気なしに考えた。
「……そういうわけで、私どもには全く興味がありません。そのためそろそろ強引な入信を迫るのは諦めていただきたいのですがよろしいですかねぇ?」
あくまでも丁寧な口調になったのは、ようやく相手の階級が上だと気付いたから、というわけではない。むしろ第二種くそ食らえ主義のクリスであるから、わざとである。こちらの方が相手を挑発するのに効果的だと判断したためだ。後先考えずに発言するのは案外得意な方である。
「神が必要ですか」
だから、ベロニカが不意に口を挟んだことに対してもクリスは動じなかった。後先考えていないのは今のベロニカだって同じなのだ。彼女の場合はいつものことだが。
「私は街を見ました。海辺、山岳、街道、関所、砂漠。どれもで人々は生きていました。まだ見ぬ雪原や森林や荒野に行っても同じです。人は生きている、あなたの及び知れぬところで」
ベロニカが何を言いたいかは、クリスには判らない。ただ何かを伝えたいのだとは伝わってきた。握った手に力が込められる。感じたこと、考えたこと、思ったことをありのままに伝えるには、言葉というのはひどくもどかしい。
「彼らに神が要りますか。聖者が、救世主が、この世に必要なのだと言うのであれば、あなたがそれに成れば良いのです。あなたの世界を救う、あなたにとっての正義を貫く、そういった聖なる存在を求めるのであれば」
断り文句としては上々だ。言いくるめの文句としても、上々だろう。相手が口を挟む前に自分の主張を全て言い切ってしまう。伝わらなくても構わない。後で論破されようがされまいが、そんなことは構わない。
言いたいことを言い切ったからか、ベロニカは至極満足そうな顔でにこにこと笑っていた。その目はじっとクリスを見ている。先ほどまでずっと司教の方を向いていたのに、と思いながらもクリスは苦笑して握った手を持ち上げた。いつの間にやら指を絡める形で落ち着いた手と手を合わせて、お互いに影響が出てしまうのは仕方のないことだったのかもしれないと考えた。
「……そうか」
ぼそりと司教が口を開いた。その口元には気味の悪い笑みが浮かんでいる。にたにたと背筋に悪寒が走るような笑みを浮かべて、司教はスッと手を挙げた。まさか、とは思うが、どことなく芝居じみた所作ばかりの男だ。指を弾いて合図、くらいはやってのけるかもしれない。
「貴様らがそこまで言うのであれば、仕方ない」
ふう、と残念そうな溜め息をつきつつ司教は中指と親指をくっつけた。クリスの思った通り、指を鳴らすつもりだろう。そんなところで応えてもらっても困る、と思いつつもじっと視線を反らさないでいれば、司教は最後通告だと言わんばかりに口を開いた。
「隣室には儂の息がかかった騎士たちが待機しておる。教皇様には気付かれず、お前たちを処分することも可能じゃ」
「臭い息をかけられたのか、お気の毒に」
命乞いをするなら今の内だという態度にかちんときたクリスは、やはり考えなしに思ったことをそのまま口走っていた。楽しそうに笑っているベロニカがいけない、と責任転嫁しつつ呆れ顔をわざわざ作ってやれば、見る見る内に司教の顔が真っ赤に変わる。どうやらいい具合に神経を逆撫で出来たらしい。あとは流れに身を任せよう。そう考えたクリスの耳に、司教の太い指が鳴る音が聞こえた。




