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4.終わる時( Time Ended.)

 それから数日後、サラは約束通り喫茶店に行くことになった。


 部屋から出るのには勇気が必要だった。けれど、マリアはそんなサラの手を引いて、ドアを抜け、廊下を通り、玄関へと導く。


 家のすぐ前には黒塗りのセダンが止まっていた。帽子を被ったドライバーが運転席にいるが見える。


「タクシーを用意したの。ちょっとした贅沢ね」


 そう言って笑うマリアに、サラもどうにか笑顔を返すことが出来た。


 二人が乗り込むと、タクシーは走り出した。


 タクシーの窓からは賑やかな五番街の街並みが見えた。午後の柔らかな日差しの中で人々が群れ集う都会の風景。


 サラは久しぶりに見る街の様子をぼんやりと見つめていた。


 知っている店もあったが、見たことのない看板を掲げている店もあった。自分が引きこもっている間にも世界は止まっていなかったのだ、と悟り、サラは微かに震えた。


 やがてある通りでタクシーは止まった。ドライバーが運転席から降りてドアを開けてくれた。


「どうぞお嬢様、スカートにお気をつけて」


 そんな気恥ずかしい言葉を聞きながら、ステップを踏んで降車する。目の前には喫茶店があった。看板には「ウェステリア」とあった。


 喫茶店の奥まった席に収まると、マリアはウェイトレスにアフタヌーンティーのセットをオーダーした。


 ウェイトレスは微笑みながら、「お二人分、ということでよろしいのですよね」と訊いた。


 マリアも微笑みを返し、「ええそう。いつも通りに」と答えた。


 サラは、やっぱりアリサとよく来るんだ、と少しだけ嫉妬した。けれど、今日はわたしが独り占めなのだから、と自らを慰める。


 ゆっくりと時が流れ、サラはマリアとの逢瀬を楽しんでいた。他愛のない会話、とりとめのない言葉。もうサラは家の外にいることに何の抵抗もなくなっていた。


 今がいつで、ここがどこかも、もうどうでもよかった。ただやさしいマリアせんせいと一緒にいられる、ということがうれしかったのだ。


 気づくと、いつの間にか日が傾いていた。柔らかなオレンジの光が窓の外に見える。ずいぶん長居してしまったらしい。


 マリアが用足しのために席を立つ間、サラは一人席に残り、幸せの余韻を楽しんでいた。


 と、さっきまでマリアが座っていた席に誰かが座った。


 アリサだった。


 驚くサラに、アリサは静かに話しかけた。それはこれまでのような奔放さの感じられない、どこか厳かで低い声だった。


「ああ、サラ。あなたついに出られたのね。あのお部屋から」

「そうだけど。それがいったい・・・」


 あることに気づいて口を閉じる。そうだマリアせんせいは母の依頼でわたしを外に出そうとしていた。つまりある意味、依頼はいま果たされたことになるのだ。


 アリサは、


「そうよ。あなた単純すぎるよ。どうしてわたしが先生とカフェに行ったことをあんなに自慢げに話したのかわからない? それに言ったよね、わたしが先生の“助手”だって」


 騙されたのだ、とサラはようやく気付いた。アリサに焚きつけられ、自ら外に出るよう仕向けられたのだと。


「待って。それじゃあマリアせんせいは仕事を終えたということなの? もう、わたしには会いに来てくれなくなるの? わたしがあのお部屋を出られたから」


 知らず、涙声になる。アリサはそんなサラに


「いいえ、違う。それは心配しなくてもいい」


 アリサは静かに微笑みながら、


「あなたはあのお部屋の呪縛から逃れられた。でもね、今度はマリア先生という呪いに縛られるの」

「なに、それはいったいどうゆう」

「これからあなたはマリア先生に依存する。もうマリア先生から離れられなくなる。わたしみたいに」


 きょとん、としているサラにアリサは、


「安心して。わたしはもう消えてしまうから。もうあなたとマリア先生との間に入ったりしない。二人っきりになれるわ」


 サラは訳が分からずに、


「何を言っているのよ、アリサ」

「でもいいの。それでいい。そういう順番なのだから。マリア先生のキ(・)ャ(・)パ(・)シ(・)テ(・)ィ(・)は一人だけなのだから」


 そして寂しげな笑み見せ、


「さよなら」


 とつぶやいた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 マリアが戻ると、サラは青い顔をして一人で席に座っていた。


「どうしたのサラ。何かあった?」


 サラはふるふると頭を振った。


「アリサが・・・」


 とつぶやく。


「アリサ? どうしてあなたがその名前を・・・いいえ、あの子に会ったの?」


 無言でうなづくサラを見て、マリアは大きく嘆息した。


「そっか、会っちゃったかー」


 大きく頭を振って、


「それであの子は行って(ゴウン)しまったのよね」


 うなづくサラ。


「あーもう」


 マリアはしようのない、という何とも言えない表情をした。


「じゃあもう行きましょう。これからのこともお話ししないとね」


 そしてウェイトレスを呼び、勘定とタクシーを頼んだ。


 帰りのタクシーの中からは夕闇の迫る街の様子が見えた。


 街灯が明るく道を照らし、さながら昼間のようだった。それはサラが今まで見たことがない街の姿だった。


「ずいぶん明るいんですね」


 そう言うと、マリアはこう答えた。


「ええそう。電(・)灯(・)なの」

「電灯・・・ガ(・)ス(・)灯(・)ではないんですか」

「ええそう。ここいらはもう電灯に置き換わっているわ」


 サラは改めて窓から外を見た。


 街灯だけではない。立ち並ぶビルの窓、通りに面した店先にも明るい電気の光がそここに見えた。


 大通りを走っている彼女たちが乗ったタクシー――二(・)頭(・)立(・)て(・)の(・)四人乗り馬車(セダン)をまばゆいヘッドライトの光が追い越していく。


「あ、あの、いまの車、馬もないのに走ってました」

「ああ、自動車(オートモービル)ね。最近増えてきたわ」


 マリアはくすりと笑うと、


「あなたの引きこもりはそれほど長かった、ということよ。気づいてる? 世(・)紀(・)が変わってしまっていることに」

「え?」


 キョトンとするサラに、


「2(・)0(・)世(・)紀(・)は科学の時代と言われるでしょうね」


 そう聞くとサラは得体の知れない不安が胸の内に広がるのを感じていた。


 タクシーが家の前に止まる。サラはドアからまろび出ると、一目散に自分の部屋へと向かった。


 変わってしまった外の世界から逃げるように、自分の部屋へと戻る。慣れ親しんだ静寂と平穏の世界に戻りたかったのだ。


 けれど。


「なに、これ」


 彼女の部屋はその姿をすっかり変えてしまっていた。


 ほこりまみれの、半ば朽ちたベッドや家具。布団もボロボロになっていた。月明かりの差す室内は廃墟と言ってよかった。


 立ち尽くすサラの隣にいつの間にかマリアがいた。


「あなたのお母さまはこの家を手放すつもりなの。でもね、誰もいないはずの部屋から夜毎にすすり泣きの声が聞こえたり、死(・)ん(・)だ(・)少(・)女(・)の姿が見えるような幽(・)霊(・)屋(・)敷(・)なんて買い手がつかないでしょう。それに」


 ひどく優しい、ほとんど猫撫で声でマリアは続けた。


「お母さまにはこうも言われたわ。自(・)殺(・)し(・)た(・)娘(・)の(・)魂(・)をどうか救ってやって欲しい、て」


 サラは茫然として自分の手を見た。


 半透明に透けていて、手の平を通して汚れた床が見えていた。


「どうして、でも、なんで。出かける前は何でもなったのに」


 憐れむようなマリアの声が聞こえた。


「この部屋は元からこ(・)う(・)だったわ。あなたが気づいていなかっただけで。でも気づいてしまった。だから真(・)実(・)の(・)姿(・)が見えるようになっただけ」


 わなわなと震えるサラは、しかしこう反論した。


「でも、だって、じゃあアリサは。あの子はわたしが幽霊だったなんて気づいていなかった」

「気づくも何も」


 苦笑しつつ答える。


「あ(・)の(・)子(・)も(・)幽(・)霊(・)だったもの。他の幽霊屋敷で仕(・)事(・)したとき、私に憑いて来てしまったの」

「ええっ」

「あの子、私のこと気に入ってしまったみたいだった。だから勝手に私の仕事の手伝いをしていたのよね。“助手”だなんて自称して」

「・・・・・・」

「でもね、私の力(・)って強いらしくってね。一度に憑いていられる霊は一つだけみたいなの。だからあの子、あなたに私を譲ったのね」


 あまりのことに何も言えなくなってしまったサラは、マリアが真っ赤な唇を歪めて妖しく笑っているのをただ見ていた。


 そして問うた。


「アリサはどこに行ってしまったのですか」


 マリアは素っ気なく、


「知らないわ。消えてしまったもの。もう彼女の気配を感じられない。でも、そうね」


 あまり性質(たち)が良いとは言えない笑みを浮かべながら、


「天国に召された、と思ってあげればいいんじゃない?」


 とても本心から言っているとは思えない酷薄な言葉だった。けれど、サラはアリサが自分のために身を引いたのだということは理解した。


「わたし、わたしはこれからどうすればいいのでしょう」


 震える声でそう尋ねる。


「どうもこうも、あなたはもう私に憑いているじゃないの」


 やや意地の悪い言葉がそれに続く。


「ああ、私は気にしないからね、好きにすれば?」


 マリアに対する思慕の念はとうになくなっていた。サラは不安げに、


「わたしもいつか天国に行けるのでしょうか」

「さあね。あなたの心がけ次第じゃないかしら」


 サラは内心の動揺を抑えつつ、わざと明るい声で、


「わたしは、もう一度アリサに会いたいです」


 そう、口が悪くて気分屋で、そして自分を救うため自ら消えることを選んだアリサに。


「いつかわたしも天国に行きたいです。そうすればきっと」


 最後はつぶやくようなか細い声になってしまう。


 それを聞いたマリアは淡々と答えた。


「あなたが天国に行けるかどうか私にはわからない。そもそも天国なんてものが本当にあるのかすら」


 そして頭を振り、やさしさとも憐憫ともつかない表情を浮かべて、


「まあいいわ。あなたは私と一緒に来なさい。話し相手くらいにはなってあげる。そうね、あなたがいつかアリサに会える日が来るまで」

「はいマリアせんせい」


 そうしてサラはマリアの背後にピタリと寄り添った。


 マリアは背中にサラの霊の気配を感じて、ほうっとため息をついた。


「やれやれ。どうして私には女の子ばかりが憑くのかしらね」


 そんな自嘲などサラにはもうどうでも良いことだった。


 天国でアリサにもう一度会いたい。


 それが今のサラのたった一つの願いだった。


<了>

 読んでいただきありがとうございました。

 この作品は以前別のサイトで「わたしのマリアせんせい ~My dear miss maria~」として公開したものに加筆修正したものです。

 楽しんでいただけたら幸いです。

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