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12/22

二人で、てっぺんを

桜の花びらが、春の風に舞う4月。


春石樹と夏山桃香は、高校三年生になった。

始業式の日、校舎の廊下に張り出されたクラス分けの表に、二人はそれぞれの胸の内を悟られないよう、細心の注意を払いながら自分の名前を探す。


―――3年3組 春石樹

―――3年3組 夏山桃香


その、隣り合った名前を見つけた瞬間、二人の間に、誰にも気づかれない、ごく短い視線が交わされた。安堵と、照れくささと、そして、隠しきれない喜び。言葉にしなくても、お互いの気持ちは、痛いほどに伝わっていた。高校最後の年も、また、隣にいられる。



新学期が始まって数日後。昼休みの教室。


親友の七海は、お弁当の卵焼きを箸でつまみながら、目の前で幸せそうに頬を緩ませている桃香に、ニヤニヤと笑いかけた。


「はい、正直に白状しなさい」


「え、何を?」


「とぼけないの。春休みの初デート、どうだったのよって聞いてんの!映画の後、どうせ甘酸っぱい展開があったんでしょ!」


その一言に、桃香の肩が分かりやすく跳ねる。顔が、みるみるうちに赤く染まっていった。


「べ、別に……何も……」


「嘘おっしゃい。その顔が何よりの証拠よ。さあ、洗いざらい吐くのね!じゃないと、この卵焼き、あんたの口に無理やりねじ込むわよ!」


七海の、愛情のこもった脅しに、桃香は観念したように、ぽつり、ぽつりと語り始めた。映画のこと、七海がバイトしていたカフェでのこと、そして、臨港パークでの、あの瞬間のことを。


「……それでね、海のそばを歩いてたら、風が強くなってきて……」


桃香の声が、だんだんと小さくなっていく。


「私が、寒いねって、自分の腕をさすったら……樹くんが……」


「樹くんが!?」


七海は、身を乗り出して次の言葉を待つ。


「……そっと、手を……」


「手を!?」


「……繋いで、くれたの」


言った瞬間、桃香は羞恥心で顔を覆った。七海は、一瞬きょとんとした後、次の瞬間、声にならない悲鳴を上げて机に突っ伏した。


「きゃーーーーーっ!進展!超進展じゃない!」


「し、静かにしてよ七海!」


「無理!で、どっちから!?樹くんから!?あの朴念仁が!?」


「うん……。すごく、びっくりしたけど……でも……」


桃香は、自分の右手を見つめた。まだ、あの時の感触が、そこに残っているような気がする。


「樹くんの手、大きくて、骨張ってて……でも、すっごく温かくて……。何も言わないんだけど、耳が、夕焼けみたいに真っ赤になってて……。私も、何も言えなくて、ただ、握り返すことしかできなかったんだけど……でも、それで、全部伝わった気がしたの」


言葉にしなくても、繋がれた手のひらを通して、「好き」という気持ちが、痛いほどに伝わってきた、あの瞬間。桃香は、うっとりとした表情で、その時の情景を思い出していた。


「……で?」


恍惚とした表情の桃香に、七海が冷静な声で尋ねる。


「で、って?」


「だから、その手はいつまで繋いでたわけ?駅まで?改札まで?」


「う、うん。駅の改札で、離すまで、ずっと……」


「よし!上出来!それで、最後に彼が言ったわけね。『俺たち、付き合おう』って!」


七海の瞳が、期待に満ちてキラキラと輝く。

しかし、その期待は、次の桃香の一言で、無残にも打ち砕かれた。


「……ううん、それは、言われてない……」


「は?」


「『また、学校で』って……」


「はああああああ!?」


七海は、天を仰いで深いため息をつく。


「手を繋いでおいて、告白なし!?何やってんのよ、あの鈍感男は!あんたもあんたよ!そこで『私たちの関係って、何?』くらい、聞きなさいよ!」


「む、無理だよ、そんなこと!」


「あんたたち、あと一歩どころか、あと0.1ミリくらいのところにいるのに!」


二人の距離は、春休みの間に、ほんの少しだけ、けれど確実に縮まっていた。


『新作の苺デザートの研究』


そんな、いかにも二人らしい名目で、横浜のホテルで催されているストロベリービュッフェに出かけたりもした。キラキラと輝く苺のパフェを前に、真剣な顔でメモを取りながらも、時折目が合っては、どちらからともなく笑ってしまう。そんな、穏やかで、甘い時間。


けれど、一番大切な言葉だけが、春の霞の中に溶けてしまったかのように、まだ、二人の間には存在していなかった。


誰もが、二人の恋の行方を、じれったい思いで見守っていた。



そんな、穏やかで、少しだけむず痒い日常が続いていた、ある日の放課後。


「夏山さん、春石くん、ちょっといいかしら」


二人は、家庭科担当の藤沢先生に呼び出され、家庭科準備室へと向かった。


「あなたたちのこと、噂で聞いてるわ。去年のクリスマスやバレンタイン、すごかったんですってね」


にこやかに笑う藤沢先生が、ノートパソコンの画面を二人に向ける。そこに表示されていたのは、きらびやかなコンテストの募集ページだった。


『第15回 全国高校生パティシエ選手権』


通称、ケーキ甲子園。


高校生パティシエたちの、甲子園とも呼ばれる、夢の舞台。


「二人なら、いいところまで行けるんじゃないかと思って。どうかしら、出てみない?」


その画面を見た瞬間、桃香の瞳が、ぱあっと輝いた。


「やります!」


食い気味に、即答だった。


「高校最後の年だし、樹くんと一緒なら、最高の思い出作りになると思うんです!」


その、あまりにも純粋で、前向きな光に満たた横顔。樹は、その眩しさに、一瞬、目を細めた。

そして、自分の心に目を落とす。


(……大会)


人前に立つこと。審査されること。勝敗がつくこと。その一つ一つの言葉が、彼の胸の奥に刺さっていた棘が、古傷をじくじくと刺激する。


「……すみません。少し、考えさせてください」


そう答えるのが、精一杯だった。


その日の帰り道。二人は、駅前の喫茶店にいた。

テーブルの上には、手付かずのコーヒーカップが二つ。沈黙が、重くのしかかる。

先に口を開いたのは、樹だった。


「……別に、桃香と出るのが嫌なわけじゃない」


「うん、分かってる」


桃香は、静かに頷いた。


「ただ……怖いんだ」


樹は、ぽつり、ぽつりと、自分の心の内の、一番柔らかくて、弱い部分を、言葉にし始めた。


「大会って、大勢の人が見るだろ。審査員もいる。俺は、ずっと、一人で、自分のキッチンだけで作ってきた。そこが、俺の唯一の、安全な場所だったから。……もし、大勢の前で失敗したら?また、笑われたら?そう考えたら、足がすくむ」


今まで、誰にも見せたことのない、弱音だった。姉のみどりにすら、ここまで素直な気持ちを吐露したことはない。


(なんだ、これ。なんで俺、こんなこと、こいつに話してるんだ……?)


自分でも不思議に感じながら、樹は、心の内にある澱を、全て吐き出した。

桃香は、その全てを、ただ黙って、真剣な眼差しで受け止めていた。


そして、樹が話し終えるのを待って、ゆっくりと口を開いた。


「……樹くん。聞いてくれて、ありがとう。正直に、話してくれて」


彼女は、テーブルの上に置かれていた樹の拳に、そっと自分の手を重ねた。


「樹くんは、怖いって言ったよね。でも、一つだけ、勘違いしてる」


「え……?」


「もう、樹くんは、一人でキッチンにいるんじゃないよ」


桃香は、真っ直ぐに、樹の瞳を見つめて言った。


「クリスマスケーキの時、樹くんは一人じゃなかった。私がいた。バレンタインの時、クラスのみんなが、樹くんを頼ってた。樹くんの周りには、もう、 バカにしたり、笑う人なんて、一人もいないよ」


そして、重ねた手に、きゅっと力を込める。


「もし、コンテストに出るなら、舞台に立つのは、樹くん一人じゃない。私も、隣にいる。私がデザインを考えて、樹くんが形にする。私が司令塔で、樹くんが最高のパティシエ。私たちは、二人で一つのチームだよ。審査されるのは、樹くんじゃない。『私たち』、だよ」


その言葉は、まるで魔法のように、樹の心に絡みついていた恐怖の鎖を、はらりと解いていった。

そうだ。俺は、もう、一人じゃない。

隣には、誰よりも俺の技術を信じてくれる、最高のデザイナーがいる。


樹は、重ねられた手の温かさと、桃香の、どこまでも真っ直ぐな瞳を見つめ返す。

心の奥から、熱いものがこみ上げてくるのを感じた。

やがて、彼の口元に、吹っ切れたような、穏やかな笑みが浮かぶ。


「……分かった」


樹は、力強く、頷いた。


「頑張ろう、桃香。二人で、てっぺん、目指してみるか」


それは、高校最後の年に始まる、二人の、最も甘くて、最も熱い挑戦の、始まりの合図だった。

ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

今後の励みになりますので、ぜひページ下のいいねボタンで応援してください。

よろしくお願いします(^O^)/

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