じゃがいも「噂の人」
お久しぶりです。生きてます。
私はコンビニに勤めている、普通のフリーター。勤めて四年になる。
勤務時間は、午前中のみで、午後はのんびりと家で過ごす。そういう生活を、楽しんでいた。
だが、ここ最近、少しだけ、変わったことが。
「おはよう、安藤さん」
自分を呼ぶ聞きなれた声に、振り返る。
そして、挨拶をしようとしたところで……いつもより嬉しそうな顔が目に入った。
「おはようございます。何だか、嬉しそうですね? 良いことありました?」
どこか楽しそうな、同期の佐倉さん。三十代前半の、独身女性。噂が好きで、いつも誰かの話を楽しく聞かせてくれる。
「ほら、あたし、今日は午後まで勤務じゃない? だから、噂の、光川くんに、会えるのよ!」
「あー、噂の」
……光川くん。
光川くんとは、十二時から十七時まで勤務している、若い男性だ。
なんでも、有名な大学に通っていて、それも医学部らしい。その上、容姿が良いと評判で、佐倉さんを始め、皆、ちやほやしているらしい。
それだけなら、まあ、ない話でもない。が、一番の謎は。
うちの職場は、勤務時間は七時間から八時間と決められている。募集の時点で、絶対なのだ。用事でもない限り、いつも。
なのに。唯一、この中途半端な勤務時間を許されているのが、光川くん。
午前中勤務の私は、当然、会ったことがない。
きっと、いい加減が許される、適当な人か、病弱で、五時間しか勤められない人か。
想像は膨らむばかりだが、いずれにせよ、会うことはない。どうでもいい存在。そう、思ってた。
「の、飲み会!?」
佐倉さんの言葉に、私は自分でも驚くくらい大きな声を出してしまっていた。
お客さんがいなくて良かった、と思う。
「安藤さんも来ない? ね? おいでよ!」
「いやー、私、お酒は……」
正直、めんどくさい、というのが本音だ。
今まで、飲み会なんてなかったのに。
聞けば、このコンビニで働いている人限定。いわば、忘年会というか、歓迎会というか、とにかくそれに近いものだろう。
「安藤さんも来なよ~! むしろ、来ないと困るのよね」
「え? 何故です?」
「あのね、その……光川くん、いるじゃない? あのさ……言っちゃうと、安藤さんが来ないなら自分も行かないって言っていて……」
「は?」
私? 安藤って、私だよな?
え? は? 何で??
目が点の私に気づいた佐倉さんは、苦笑いする。
「その、見てみたいって。会ってみたいからって、言っているのよ、彼。安藤さんに」
「え? は?」
もう私は若干、パニックだったと思う。
こんな普通のくそバイトに、噂の光川くんが何用だと。
「あたしもさ、安藤さんのことは少し話したのを覚えているんだけど、なんでそんなに会いたいのか、わからなくてさ~。光川くんみたいな、なんていうか、モデルさんみたいな子じゃない?」
だから、なんで安藤さんなのかな?
とても失礼な内容だと思うし、そもそも、お前、私のこと話したのかい! ていうか、モデルさんみたいな子って……知らんがな!! こちとら、会ったことも話をしたこともないんやぞ!
とまあ、内心で毒づき、私はあることに気づく。
「もしかして……ただ見てみたいだけでは? 私、自分で言うのもアレですけど、ちょっと変わってるし?」
今どきの女性っていう、いわゆる、リア充からは遠い女だ。綺麗な鳥ばかりの動物園で、ハシビロコウみたいな地味なのを珍しく思う、アレだ。
「ああ~」
と、なにやら納得した様子の佐倉さん。それはそれで失礼だけどな。
まあ、いいか。すぐ帰ればいいし、私も見てみたいし、噂の光川くん。
そんな感じで了承したのが、昨日。
そして、今日。時刻は十九時。よりも、三分前。
居酒屋現地集合だった。
ここかー、と辺りを見回せば、佐倉さんも店長もいない。
だが、目の前には、噂の光川くんと思われる人。
意識せずに、知らん顔していたが、たぶん、光川くんだ。事前に特徴を聞いていたが、まさにオールパーフェクト。
私が審査員なら、泣いてスタンディングオベーションだ。
綺麗で美しい肌に、黒い艶のある髪。睫毛は頬に影を落とし、通った形の良い鼻筋と唇。まるで人形のよう。
ああ、これは、なにもかも許される。そういう存在に見える。
神が作った芸術作品のようだった。よく見れば筋肉もそれなりにあり、しなやかでだが、艶のある身体。
二次元から来たのか? それともなに、コスプレ?
完成度たけーな、と泣きたくなった私は、自分の足元に目をやった。こんな人間がいたとは。
そこへ、革靴か視界に入った。光川くんだ。足音もせずに近づいていた。
「あの、初めまして。安藤さんですよね?」
……いや、これ、声も完璧か……。
「あ、そうで……」
返事をしなければ、と見上げた先に、思ったより距離の近い光川くんの顔。
思わず、呼吸が止まった。
とても、とても、嬉しそうな顔をしていたからだ。
大切な花でも愛でるかのように、私を見下ろしている。え? なんでそんな顔してるの?
「あ、あのっ」
「ああ、そうでした。僕、光川です。その、他の方から連絡がありまして……遅れるそうなので、先に食べてましょう。この店、美味しいって評判なんです。安藤さんにも食べて欲しくて、僕が予約したんです。安藤さんって辛いのが苦手なんですよね? 僕も苦手てで…………安藤さん?」
行きましょう、と差し出された綺麗な手。
……掴めってか? あれ? なにこの距離感。普通なの?
最初からこの距離感って普通なの? 親しすぎない? え、私がガード硬い自意識過剰な女なだけ?
「あ、その……?」
お腹痛いってトイレ行って逃げようかな。
こんな人と何を話せって言うんだ。リア充なんかむりむり。この人がオタクなはずないし、たぶん、よくわからない話ばかりするに違いない。
そう、例えば、芸能人だとか、ファッションだとか。もう、そういうのは嫌。
うん、逃げよう。そう考えていた時。
「安藤さん。僕、実はコスプレをよくするんです」
その単語に、私は弱かった。
「だから、安藤さんに相談したくて」と。そう、光川くんは言った。
そういえば、どことなく最近推している二次元に似ている彼。
ぽかーん、と眺めていたら、いつの間にやら手を取られ、繋がれていた。
「さあ、いこう」
楽しそうなその笑みに、ついていった私は、バカだった。
踊らされていたのだ、光川くんの掌で。
この日、私は彼に食われることとなった。
……のは、また別の話。