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第1話最凶の事故物件



「おい、早くしろ! 鼻が、鼻がもげる……っ!」

「息をするな! この霧に触れたら、国家資格持ちの防護マスク越しでも一発で肺が腐るぞ!」


 現代の東京に突如として現れた、世界に数多ある『ダンジョン』の一つ。

 その地下三階の薄暗い通路で、きらびやかな超合金の鎧に身を包んだエリート探索者たちが、情けなく涙とゲロを吐き散らしながら逃げ惑っていた。


 彼らが恐れているのは、凶悪なモンスターの襲撃ではない。

 モンスターを派手に、あまりにもド派手に倒した『後』に発生した、最悪の二次災害ーーすなわち、現場の凄惨な汚れだった。


 通路の壁と床一面にこびりついているのは、どす黒い紫色のドロドロした液体だ。

 先ほど彼らが自慢の広範囲爆破魔法で討伐した、強力な酸と毒を持つ魔獣『アシッド・スライム』の死骸の成れの果てである。


 その体液は、ただ放置されているだけでジュワジュワと不気味な音を立て、頑丈な迷宮の岩肌を容赦なく溶かしていた。

 さらに最悪なのは、その揮発したガスだ。嗅いだ瞬間に脳の防衛本能が警報を鳴らすような、強烈なドブと腐肉、あるいは生ゴミを真夏に一週間放置したような、筆舌に尽くしがたい『呪いの異臭』を放っていた。


 これこそが、現代ダンジョンにおける最大の社会問題。

 放置された魔物の死体、飛び散った体液、そしてそれに伴う即死級の汚染環境である。


 どれだけ戦闘力が高くても、この不衛生な環境には耐えられない。

 日本のトップギルドの一つである『天穿てんせん』の精鋭パーティは、装備をドロドロに溶かされながら、完全に匙を投げて上層へと退却していった。


「ーーよし、全員ハケたな。じゃあ、仕事・ ・を始めようか」


 探索者たちが悲鳴を上げて逃げ出した通路の奥から、一人の男が静かに足音を響かせて歩いてきた。


 男の名は、入江いりえ みなと。二十四歳。

 探索者のような華やかな魔剣や杖は持っていない。

 身にまとっているのは、対生物兵器用の気密性に優れたガチガチの防護服。背中には高圧洗浄機に繋がる重そうなタンク。そして右手には、使い込まれて持ち手が馴染んだ一本のデッキブラシ。


 湊は、ダンジョン専門の『特殊清掃員』だった。


「相変わらずひどい現場だな。これじゃあ後続の一般探索者が通れるわけがない。ギルドの連中、モンスターを華々しく倒すことしか頭にないから、いつも後片付けがガバガバなんだ。……まあ、そのおかげで俺の仕事があるんだけどな」


 湊はため息をつきながら、背中のタンクから伸びる頑丈なノズルを慣れた手つきで構えた。


 十年前、この世界にダンジョンが現れると同時に、人類には『スキル』という超常の力が発現した。

 火炎魔法、剛力、剣聖ーー誰もが戦闘でチヤホヤされるスキルに一喜一憂する中、湊に発現したスキルは、お世辞にも格好良いとは言えない地味なものだった。


【固有スキル:特殊清掃】


 戦闘力は完全なるゼロ。攻撃魔法も使えなければ、剣を振るう筋力もない。

 だからこそ、湊は一昨日、所属していた戦闘第一主義のギルド『天穿』のリーダーから、「戦えないゴミはすっこんでろ。お前の代わりなんていくらでもいるんだよ!」と、文字通りゴミのように追放されたばかりだった。


 あの無能どもは、今頃上の階層で「清掃員がいなくなって、なんだかダンジョンが臭うな」とでも困惑している頃だろう。

 だが、彼らは全く理解していなかったのだ。

 湊の持つ【特殊清掃】というスキルが、どれほど世界の常識をひっくり返す異常な性能チートであるかを。


「まずは、アシッド・スライムの強酸体液から片付けるか。浸食が進む前に中和しないと床が痛む。……成分分析完了。性質は強アルカリで相殺、だな。洗剤配合開始ミキシング


 湊が心の中で呟くと、背中のタンクの中で、現代科学では絶対に不可能なスピードで『超・独自調合洗剤』が瞬時に自動精製された。

 どんな即死級の魔導酸をも一瞬で無力化し、無害な水へと変える、湊だけの特殊環境洗剤だ。


 シュババババババッ!


 ノズルから勢いよく噴射された透明な液体が、壁の紫色ドロドロに命中する。

 次の瞬間、ジュワァァァ……と小気味いい音が響き、あれほど強固な岩石を溶かしていた強酸が、ただの『真水』へとパチパチと音を立てて変わっていった。


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