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レオン・アルノーは楽しいことが好きだ。面倒なことはもっと好きだ。だから、義理の弟─まあまだ一応違う─が貴族男子として色々と足りないことも嬉しくて仕方ない。自分が領地経営だのは一緒にやりつつ教えるとして、他の細々とした教養といったところまでは手が回るだろうか。
少し考えて、そこは人を使えば良いかと思い付く。そして、見つけ出したのだ。
「君という逸材をね!」
「はぁ…?」
セレナ・カーターは思わず淑女らしからぬ声をあげた。
学者家系の三女として生を受け、学問をこよなく愛する家族につられて勉学に邁進し、家庭教師の仕事をはじめて早数年。今をときめくアルノー伯爵家から依頼がきたと思ったら、これである。依頼主の横、申し訳なさそうに腰かけている金髪の主は、あの何かと噂のグランヴィルの跡取り息子、レイナルド・グランヴィルだという。夫人と娘が姪を苛めてたとか、愛妾憎さに主人とその子を殺めたとか─息子を女装させて、悦に入っていたとか。そこから救いだしたアルノー家が後見として、面倒を見るらしい。
(確かに女装させたら映えそうな顔だわ)
そんなことを考えながら、口を開く。
「依頼は理解しました」
「良かった!」
「でも、一つよろしいですか」
「ん?なんだい?」
いくらにこやかに微笑まれても、居心地悪そうにされても。言うべきことは言わなくては。
「私、婚約者のいない身なので。妙齢の男性の家庭教師は、ちょっと…」
変に誤解され余計婚期が遠退いたらいけない。勇気を出して言ったというのに、そんなことかあと呑気に笑まれた。
「大丈夫!それなら私と婚約しよう」
「えっ」
「一通り君のことは調べている。問題ない」
「いえあの」
「で、今後の予定なんだけど」
「お待ちください!」
何事もないように続けられて、セレナは頭が痛くなってきた。わざわざ言うことでもないと思っていたが、ここは譲れない。
「私──恋愛結婚がしたいんです。なので、」
「知ってるよ」
「え」
「言っただろ?調べてるって。セレナ・カーター男爵令嬢。恋愛結婚がしたいと言ってお見合いを断ったり断られたり、婚約前にデートに誘えば手を繋ぐにも時間がかかる。ドレスはいつもデコルテを見せない仕様でひっつめ髪。口を開けば人一倍の知識。人呼んで堅物令嬢」
目の前の男は、にこやかに言葉を紡ぐ。隣の金髪はぎょっとしていた。当たり前だ、そんな蔑称直接言うなんて。
「家庭教師としての評判は最高で、どの子にも懐かれているとか。どこぞの偏屈侯爵の娘さんも君に首ったけらしいじゃないか。素晴らしい!そういう人材が欲しいんだよ、坊っちゃんに惑わされずちゃんと教えてくれる人が。だから、婚約しよう」
「…はあ」
貶されてるんだか、褒められてるんだか。だからの使い方がおかしすぎる。
「……アルノー様」
「なんだい?」
「婚約とは、本来もっと慎重に決めるものです」
「うん」
「相手の人柄を知り」
「調べた」
「価値観を確認し」
「調べた」
「将来を語り合い」
「今から語る?」
「そういうことではありません!」
セレナが思わず声をはりあげると、レオンは心底楽しそうに肩を揺らした。
「冗談だよ。でもね、セレナ先生」
レオンは少しだけ身を乗り出し、悪戯っぽく、けれどどこか底の知れない瞳を細める。
「君の言う慎重に決める婚約を待っていたら、来年も再来年も、その嫁き遅れの堅物令嬢っていう不名誉なレッテルを貼られたまま家庭教師の仕事を続けることになるよ?」
「っ……」
「別に職を持つ女性を蔑む気はない。むしろ尊敬している。でも、君はいつか温かい家庭を持ちたいんだろう? なら、アルノー伯爵家の次期当主の婚約者、という肩書きは悪くないと思うんだけど」
理路整然とした誘惑だった。
レオンは人差し指を立てて、楽しげに条件を並べる。
「籍を入れるのは、坊ちゃんの教育が終わる一年後でも二年後でもいい。それまでの間、君は私の婚約者として堂々とこの屋敷に通える。変な勘違いをする輩もいない。ついでに私とお茶会やらデートやらして、人柄や価値観をすり合わせればいい。はい、あとは好きになるだけ!」
「それは……ただの帳尻合わせです!」
「結果が良ければ過程なんて何でもいいのさ」
セレナはもっと頭が痛くなってきた。この男、絶対に自分の都合のために自分を利用しようとしている。そこに愛なんてない。しかし、恐ろしいことに、彼の提案には反論の余地がないほどのメリットがあった。
セレナはふい、と、これまでずっと空気と化していた金髪の美青年に視線を向けた。
「……グランヴィル様」
「えっ、あ、はい!?」
急に話を振られ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になるレイナルド。
「あなた、本当にこの方のおっしゃる通りの教育を受けるおつもりなのですか? この方は……その、かなり、人格に問題があるように見受けられますが」
初対面の、それも伯爵家の長男に向かって「人格に問題がある」と言い放ったセレナに、レイナルドは戦慄した。だが同時に、深く深く同意した。
「あ、いや…その、レオン様は、いつもこういう方で。でも、悪い人ではないと思います。多分……」
「坊ちゃん、そこは世界一素敵なお兄様ですって言うところだよ?」
「無理です」
即答したレイナルドに、セレナはほんの少しだけ親近感を覚えた。なるほど、この可哀想な生徒(仮)は、日常的にこの男の被害に遭っているらしい。セレナは深くため息をつき、ひっつめ髪を一度触ってから、レオンを真っ直ぐに見据えた。
「……分かりました。お仕事はお引き受けします」
「お、婚約してくれる?」
「お仕事は!お引き受けします」
「婚約はお預け、か。でも先生、そうすると最初の問題に戻っちゃうよ? 君は未婚で婚約者のいない身だから、妙齢の男性の家庭教師はちょっとって言ってたじゃない。我がアルノー家が、君の貴重な婚期をこれ以上遠ざける原因になるのは本意じゃないんだよねぇ」
わざとらしく困った顔をするレオンに、セレナはぐっと言葉を詰まらせた。正論を盾に断る口実にしたのに、そこを突かれると痛い。
「それは、そうですが……。ですが、だからといって、好きでもない方と形だけの婚約をするなど……」
「うん。だから、対外的な名目を変えちゃおう」
レオンはポン、と軽快に手を叩いた。
「君は、私の妹──マルグリットの家庭教師としてこの屋敷に通うんだ。それなら文句ないだろう?」
「マルグリット様というと……あの、靴職人の?」
今をときめく靴屋として、とある侯爵家の夜会に招かれて、一躍時の人になったという、あの。
「そう。あの子、腕は一流なんだけど、社交界の細かいルールとか貴族のドロドロした人間関係には興味がなくてね。今後工房を大きくしていくためにも、同世代の、君みたいに教養の塊みたいな淑女が相談相手についてくれたら心強い。……という名目で君を雇う。もちろん、実際にはその横で、坊ちゃんにも一緒に授業を受けてもらうけどね」
「……!」
完璧な抜け道だった。
これなら対外的には「令嬢の家庭教師」であり、セレナの評判に傷がつくこともない。それどころか、今をときめくアルノー伯爵令嬢の家庭教師という経歴は、彼女の今後のキャリアにとっても箔がつく。
隣で聞いていたレイナルドも、ほっとしたように胸をなでおろした。
「それなら、僕も安心です。マルタと一緒に勉強を教えていただけるなら、不名誉な噂が立つこともありませんし……」
「……分かりました。その名目でしたら、お引き受けいたします」
セレナは今度こそ、書類をピシッと鞄に収めた。
レオンの強引さには腹が立つが、出す提案がいちいち自分にとってメリットが大きすぎる。本当に食えない男だ。
「決まりだね。じゃあ先生、これからよろしく。……ああ、それと」
帰り際、レオンは席を立つセレナの耳元で、楽しげに囁いた。
「名目は妹の家庭教師だけど。私は諦めてないからね? 君が私と恋愛結婚したくなるような誠意、これからたっぷり見せてあげるよ」
「っ……お気遣いなく!!」
顔を真っ赤にしたセレナが、今度こそ逃げるように部屋を出ていく。
バタン、と扉が閉まった瞬間、レオンはソファに深く背を預け、ククク、と低く笑った。
「ねえ坊ちゃん。あの先生、やっぱりすごくいいと思わない?」
「……レオン様、完全に面白いおもちゃを見つけた時の顔になってますよ。先生が可哀想です」
「心外だなぁ。私は大真面目だよ?」
レオンは肩をすくめた。
「面白いのは事実だけど」
「ほら」
「でも、ああいう真面目な人好きなんだよね」
「え」
「私にないもの全部持ってるから」
にこり、と微笑むレオンの本音は、レイナルドにはまだ難しかった。




