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50 三つの戦い

 王都が色めき立っていた。ヨナさんが唄う舞台の周りには数えきれない程の露店があり、様々な料理を振舞っている。人々の往来も尋常では無く、行き交う人で地面が見えない。一体どれだけの人達がヨナさんの歌を聞きに来ているのか。


「はあ~……」


 思わずため息が出てしまった。田舎者には刺激が強すぎる。いや、しっかりしろ。集中しなければ。俺達は手はず通りにヨナさんが唄う会場の外から周りを監視していた。ヨナ嬢援護隊の面々は最大限の危機管理能力を発揮して会場を作り、アリ一匹も通さない厳戒態勢になっている。俺、メイプル、フェミルの三人はヨナさんを中心とした三角形を作るように警備をしていた。


『マスター。会場の床と壁はお布団です。これで一歩でも踏み入った洗脳者は添い寝で解除できます』


 お布団スキル〈添い寝〉は俺と一緒にお布団で眠ると、俺と同じ恩恵を全て受けられるスキルだ。身体機能の向上、肉体再生、病気耐性、悪性症状解除等々……とにかく、自分の悪い状態を何もかも吹き飛ばすとんでもないスキルだったが、今はレベルが上がってお布団で眠りさえすれば、俺と一緒に寝なくてもある程度は治るようになっていた。


『しかし、社会勉強という事でお布団は一緒に眠る事を推奨します』


「うん。いや……うん」


 とにかく、ヨナさんの周りの床や壁は全てお布団だ。〈お布団領域拡張〉で形作った舞台は、ふっかふかの真っ白だった。その周りにヨナ嬢援護隊の皆が照明やら何やらを設置している。しばらく警備していたが、何事も無くヨナさんの歌礼祭が始まった。


「王都セントリアの皆さん! こんにちはー!」


「こんにちはああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 観客が一つの生命体になったかの如く、ヨナさんと会話をしていた。


「えー、私……ヨナ・アキュラムでーす!」


「ヨナ嬢おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 何これ。周りの観客も怖いけど、普段のヨナさんとは思えない可愛い声が俺の心をかき乱した。いつもの静かな声でもなく、興奮して独り言をぶつぶつ言う声でもなく、鼻から抜けるような甘い声。どうしたんだヨナさん。何をしてるんだヨナさん。でも……うん。悪くない。むしろ良い。最高です。至高ですよ! ああ! 今すぐ側に行って俺も歓声を上げたい気持ちになってしまう!


『マスター、落ち着いてください』 


「うん。そうだね。そうなんだけど。解るんだけど。不味い。良すぎる! ヨナさん!」


『マスター。本当に落ち着いてください。のめり込み過ぎは駄目です。アイドルに課金するのはほどほどにした方がお互い幸せですよ』


 浮かれた気持ちだったが、かすかに聞こえた怒号で我に返った。


「邪魔だ……! 通せよ! どけ! あああ! ヨナ様に生き返らせてもらうんだぁ!」


 観客の一人が無理やりヨナさんの方へと向かっていた。その人は見覚えがあった。一瞬にして鳥肌が立ち、額の汗が目をつむらせた。しかし、彼はいつか見た姿とはかけ離れていた。


「ナ・カハール……!」


 東方諸国を救った英雄が、ただの観客に押されて転んでいた。髭がまだらに生え、髪はぼさぼさで着ている服も薄汚れている。俺は重い足取りでナ・カハールの前まで歩いた。


「……ナ・カハールさん」


「はぁっ……!?」


 英雄王とまで呼ばれた人が、まるでただの浮浪者のような風体だった。俺の声に焦点が合わない目で見つめてくる。


「……お、ま、え……」


 ナ・カハールが呟くと、おかしなほどの寒気を感じた。不味い。このままこの人がここにいては不味い! 今まで生きた中で、ここまで危ないと感じた事が無かった。俺はとっさにナ・カハールをお布団で包み、王都の外まで飛ばした。それと同時に俺も飛び、信号弾を空に向かって放った。

※ ※ ※


「……何かあったみてぇだな」


 信号弾が空中から発射された。こりゃ、ノレムが空を飛びながらやったに違いねえ。さっそく緊急事態か。嫌になるぜ。


「んーなこたぁどうでもいいぜ! つーか臭えんだよメイプル!」


「は!? はあ!? な、何言ってんだてめぇ!?」


 アタシの側には長い髪をどうにかして額の前まで持っていって、帽子みてぇな状態にしてる大男がいた。

「で? ヨナの秘密って何なんだよ? 早く教えろよこの野郎! とっておきの秘密じゃねえなら許さねえぞ!」


「アタシは野郎じゃねえ。もうちょっと待ってろ」


 まだアタシが洗脳されてると思ってるコイツは、会場の中に手引すると思い込んで普通に近づいて来た。さすが力だけならノレムに匹敵する馬鹿力野郎のホワイトアワーだ。


「もうちょっとあっちだよ」


 アタシは会場から少しでも離すために画策していた。


「おーいおいおいおい。メイプルよぉ。まさかとは思うがよぉ。俺様にそんな雑で低俗な作戦を練ってる訳じゃねえよなぁ?」


「……はあ」


 やってらんねえ。何の因果なんだよこりゃ? 下らねえと言うか、馬鹿馬鹿しいと言うか。アタシはかつてのお師匠様を相手に戦わなきゃならねえってのか?


「総長……アンタ程の人が洗脳されちまうとはなぁ……」


「ああん? 何を言ってやがるメイプル?」


「ガッカリだって言ってんだよ、腑抜け野郎が。クソみてぇなヘマ打ちやがって」


「んんん~? 俺様を腑抜けだと? ぐはは! 駄目だなメイプル! お前は殺す!」


「クソが! アタシが引導を渡してやるよ!」


 アタシを戦士に育て上げた恩人がアタシの敵か、笑えるぜ。……ったく、マジで何なんだよ。何で洗脳されてんだてめぇ。アタシも自分の事は言えねえけどよぉ。……そんな姿は見たくなかったぜ、総長。

※ ※ ※


 ノレムがいた辺りから上がった信号弾が風で消えようとしていた。そのまましばらく経った頃、会場がひと際沸いた。ヨナさんの綺麗な歌を観客が同時に唄っている。


「ノレム……大丈夫……だよね」


 屋根から見える会場は別世界のように輝いていた。敵が現れたら、この綺麗な世界が壊されてしまう。


「……頑張ろう!」


 私は屋根から屋根に伝って、怪しい場所を確認していく。今さらだけど、いつの間にこんな事が出来るようになったんだろう。ほんの一年前はただの女の子だったのに。でも、悪くない。ノレムは、私がヨナさんを守る事を普通に受け入れてくれた。私が戦う事を以前はあんなに心配していたのに、今は信頼してくれている。それが嬉しかった。


「でも、泣いちゃったのはびっくりした」


 あとちょっとで私が泣くところだった。ノレムが私の胸で泣くなんていつぶりだろう。相変わらず優しくて、ちょっと抜けてて、でも、とっても強い人。ノレム、私はね、ノレムに守られる女の子になりたくない。私は、ノレムに背中を預けられるような人になりたい。もしそれが出来るのなら、この世界のどこへだって二人で行けるから。……そこまで考えて、ちょっと自分が逞しすぎるような気がした。


「……も、もうちょっと女の子らしい方がいいのかな……守られるような子の方が……」


 自分の中で意外な発見をした頃、路地から奇妙な音が聞こえた。何か硬い物を引きずるような音だ。私は注意深く屋根伝いに移動し、路地を確認した。大人が一人やっと通れるような狭さの路地に、ヨロヨロと動く人影が見えた。


「えっ……?」


 注目してくださいと言わんばかりに音を鳴らしながら動いている。私はその人影の正体を見極めようとしたが、路地は暗くて解らない。しかし、このまま見ているだけという訳にもいかない。もしかしたら、お酒を飲んで酔っ払っているだけの人かもしれない。私は音もなく地面へ着地すると、あえて明るい口調でしゃべった。


「あのー! 大丈夫ですかー?」


 返事はない。ガリガリと音を鳴らしながらこちらに近づいてくる。


「えっと、この向こうはヨナさんの歌礼祭会場です。泥酔し過ぎている方はご遠慮していますよー」


 やはり返事がない。私を認識していないかのように音が大きくなっていく。


「あの……んぐっ!?」


 強烈な腐敗臭が鼻に刺さった。その匂いの元は、音を鳴らしながらこちらにやってくる。しかし、姿が見えない。灯りは持ってきていないが、信号弾を貰ったのを思い出した。本来の使い方じゃないけど、私はためらいつつも地面に向かってそれを発射した。赤い信号弾は強烈に輝き、音の正体を照らし出した。


「……!」


 思わず後ずさりしてしまった。この人は……! いつかの下水道で見た、ナ・カハールさんにグレイと呼ばれた人だ。いや、人だった……モノだ。両目は抜け落ち、体は灰色に変色している。顔の半分は崩れて骨が見え、体のあちこちが継ぎ接ぎだった。


「う、うぇえええっ!」


 その匂いと姿に、思わず胃がひっくり返った。ガリガリと音を鳴らすそれは、右手に縫い付けられた巨大な鎌が地面を削っていた。


「げほっ! げほっ! ……はあっ」


 呼吸を整えて前を見た。ゆらゆらと彼が近づいてくる。慌てて剣を抜いて構えたが、その切っ先が震えていた。怖い。散々決意したあの気持ちが、目の前の現実に吹き飛ばされてしまった。


「ううぅ……」


 ただのアンデッドと、知っている人が生きた屍となって現れる事がこんなにも違うなんて。ここで彼を食い止めないとヨナさんが危ない。でも、体が動かない。あれだけアメリアと稽古を積んだのに、恐ろしくて仕方がない。自分の意志とは関係なく力が抜けて、腰が落ちた。その瞬間、自分の頭のすぐ上に風が吹いた。


「え……!?」


 辺りを見ると、左右の建物が半壊していた。その原因は目の前にいる彼が薙ぎ払った大鎌だ。どうしていいか解らず、頭が真っ白になってしまった。彼はゆっくりと向き直ると、体が前かがみになった時に存在しない目から紫色の涙が零れた。


「……!」


 私はどうしてか、それを見た瞬間に少しだけ冷静を取り戻した。あれは涙なんかじゃないだろう。でも、私はどうしてもそれに親しみを覚えた。何となく彼が苦しんでいるような気がした。


「……」


 アメリアと稽古をした日々を思い出した。彼女は自分の人生を費やして剣の腕を磨いた。そうする事でしか達成しない境地にいた。きっと彼も同じだ。下水道でアンデッド数十体を一撃で葬った彼も、気が遠くなる時間を研鑽に費やしたんだと思う。……それなのに。


「……苦しいよね」


 死んだ後に古代の王様に操られ、訳も解らず大鎌を振るうなんて、彼の努力に対してどれだけ屈辱的な事なのか。


「すうっ。……ふぅー……」


 私は腐った匂いも気にせずにたっぷりと空気を吸い込み、ゆっくりと吐きだして立った。


「楽にしてあげるね……」


 彼の動きが一瞬止まり、右腕を動かして錆だらけの大鎌を振り上げた。


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