18 静止した時の中で
18話を修正しました。
2017年8月23日 修正しました。
2017年9月6日 行間や読みやすさを修正しました。内容の変更はありません。
紫の信号弾を確認し、俺とメイプルは詰め所へと急いだ。一分一秒が惜しい。フェミルとヨナさんが危機に陥った想像をして緊張する。こうなったら、あのスキルを使うか? 誰かが死んだ後に使ったって意味が無い。やるなら今だ。しかし、本当にそれで大丈夫か? いや、迷っている暇があるのか?
頭の中がまとまらないまま、詰め所の入口にたどり着いた。そして……燃える大きな蜥蜴が詰め所の屋根に登っているのを見た。その背中には……。
「ヨナさん!」
状況は解らないが、戦闘が始まっているらしい。燃える大蜥蜴の前方には、黒い人影のような何かがいた。どうやら対峙しているようだけど……。俺の声が聞こえたのか、ヨナさんがこちらを向いた。目の前の敵なんかお構いなしに見つめてくるヨナさんに、嫌な予感を覚える。敵から目線を外すのは、いくら何でも不味くないか? ヨナさんの意外な行動と、戦闘中に声を掛けてしまった自分の軽率な行為に冷や汗が噴き出てきた。その嫌な予感通りに奇妙な黒い手が地面から現れ、ヨナさんの腹を殴りつけた。
「あ……っ!!」
上空へ投げ出され、力なく落ちてきたヨナさんの足を黒い手が掴む。その側には、黒くうごめく人影のような何かがいた。それを確認したのと同時に風が巻き起こり、詰め所の壁を蹴る音が響く。メイプルがいつの間にか剣を抜き、屋根の縁に移動していた。
「黒衣の人攫いだな?」
静かに聞くメイプルに対して、黒衣の人攫いらしき黒い人影は何も言わず赤い目を覗かせている。メイプルの顔が無表情になっていた。何となくだが彼女が今、冷静に徹しようとしているのだと感じた。無理もない。口から血を流したヨナさんを、黒く歪な手が逆さ吊りにしている。その姿に俺でさえ激高しそうなのに、情に厚いメイプルが黙っていられるはずがない。だというのに、己の怒りを押さえつけ、冷静に必殺の間合いを詰めているようだ。
「死なないように、祈りな」
小さく響く声と同時に、メイプルの剣が黒衣の人攫いの肩に深々と突き立てられた。しかし、そのまま剣は黒衣の人攫いを突き抜け、メイプルの体ごと通り過ぎてしまった。体勢を崩し、屋根に投げ出されたメイプルの表情が強張っている。その隙をつかれ、黒く歪な手がメイプルの首を掴んだ。
「ぐっ……!」
黒衣の人攫いは、遭遇してから今の今まで俺を睨みつけていた。俺はそれを逸らすことをしなかった。なぜ俺を見ているのかは解らないが、少しでも俺に注目しているならそれでいい。そう思って動けなかった。でも、もう不味い。二人が捕まった。ヨナさんは怪我をしている。このままじゃメイプルも窒息してしまう。使うのは今だ!
「お布団!」
地面に現れたお布団に、全力で滑り込む。それとほぼ同時に、別の黒い手が尖った形に変化し、二人を串刺しにしようと迫っているのを見た。間に合え!
『睡眠学習LV2を開始します。聖域を発動します。睡眠不足LV1の効果が切れました』
※ ※ ※
いつもの白い世界に帰って来た。
『マスター、お帰りなさいませ』
お、お布団! 平気なのか!? 今、本当に大丈夫なのか!?
『聖域が発動しました。時間が止まっています』
・聖域LV1。お布団の中にいる間は、時間が止まる。
俺がこの前に取ったスキルの一つ目は、これだった。思った通りの効果で、ひとまず胸を撫で下ろした。しかし、まだ問題は解決していない。
『今こそ、マスターが言った組み合わせをやる時です』
でも、大丈夫なのか? 聖域って、お布団で寝ている間だけ時間が止まっているんじゃないのか?
『大丈夫です。お布団の中にいればマスターが起きていても問題ないです。そしてマスター。ご報告があります。とっておきのスキルが完成しました』
全ポイント消費スキル。・寝ながら通話LV1。お布団と寝ながら通話ができる。
『これを取得すると、ここに来なくてもお布団に横になっているだけでお布団とおしゃべりができます』
お……おおー! という事は、起きているときにお布団と意思疎通ができるのか!? な、何かそれ凄くないか!?
『お布団は、マスターの大きなリアクションが大好きです』
りあくしょん? また良く解らない言葉を聞いた。まあ、そう? お布団が嬉しいなら、俺も嬉しいけど。
『お布団はとっても嬉しいです』
好意をこうまで真っすぐに当てられるのは何とも慣れない。悪い気はしないけど、さっきまでの緊迫した状況が夢のように思えてくる。肩の力が抜けるのを感じて、苦笑した。気張って失敗するより、柔軟に行動するべきだ。
『では、マスター。ご武運を』
ああ。行ってくるよ。
※ ※ ※
『マスター支援LV1が発動しました。マスターのLVが55に上がりました。お布団ポイントは聖域の効果で得られませんでした。合計0ポイントです』
ゆっくりと瞼を開くと、異常なほどの無音に驚いた。そろりと首を動かし、上を見た。ヨナさんとメイプルが空中で静止していた。辺りを伺うと、地面に残る炎がまるで凍っているかのようだ。何て不思議な光景なんだろう。
「ほ……本当にカチカチじゃないか……」
『お布団です』
「うわ! あ、お、お布団!? あ……そうか。お布団通話のスキルか。凄いな……本当に声がしたよ」
『お布団も感激です』
「お布団、お布団魔法を使いたいんだけど、どうすればいい?」
『マスターの思うがままに念じればいいのです』
「念じる……か。うーん。やった事ないけど……じゃあ、浮け! これでいいのか!?」
俺の念が通じたのか、お布団が浮いた。俺が取った二つ目のスキルは、これだった。
・お布団魔法LV1。お布団が浮く。
「う、浮いた! 浮いたぞ! お布団!」
『お布団は嘘をつきません』
スプリングウルフに襲われたフェミルを添い寝スキルで助ける事はできたけれど、もし頭を噛み砕かれていたら……きっと無理だったろう。どうにかできないのかお布団に相談した所、ある考えが浮かんだ。
まず、聖域について詳しく聞いた。これは世界を凍りつかせる事ができるスキルで、全ての物が完全に停止するそうだ。時間を止めるって時計を止めるって事かな? くらいにしか思っていなかったが、お布団が説明し直してくれて「世界が凍るのです」と聞いて何となく理解した。要するに、みんなカチカチになるらしい。
そこまで聞いて、カチカチの世界の中お布団魔法で浮いて移動できないかと閃いた。どのみち即死していたら助ける事はできないが、ギリギリの状態なら何とかなるはずだと直感した。読みは的中。どうにか動ける。……浮いているだけだけど。
「え、ええと。これ、どうやったら動けるんだ?」
『お布団魔法のレベルが上がれば、自由自在に動かせます』
「え! い、今は!?」
『浮くだけとなります』
いきなり想定外! ど、どうする!? 動けないぞ!? 背中の汗が腰まで伝ってきて、俺はかなり混乱しつつあるのが解った。
『空気を掴んでください』
お布団の提案に、頭が追いつかなかった。
『聖域が発動している中で自由に動けるのは、お布団の上でのみです。マスターの呼吸が可能なのも、お布団の上にいるからです。つまり、お布団の外の領域は動く事の無い空気の壁と化しています。試しに、お布団の外へ手を出してみてください』
お布団の言っている事の意味も解らないまま、言われるままに手を突き出す。その途端、手が何とも言えない感覚に襲われ、完全に停止した。指一本動かせない。まるでお布団から先の手がしびれて無くなったかのようだった。
『そのまま、腕を引いてみてください』
肩に力を込めて腕を引くと、逆にお布団の上にいる俺ごと体が持っていかれた。自分の腕がお布団の上に位置するごとに、感覚が戻ってくる。結果、俺は前方へ一、二歩くらいの距離を移動した。
『以上です。力技ですが、空気を掴んで移動してください。』
確かにこれなら、ヨナさんとメイプルに近づける! お布団から腕を出しては引っ張り、ちょっとずつ移動した。見えない縄を引っ張っているかのようだ。それにしても、床に敷いたままのお布団が空中を徐々に浮かんでいく様は奇妙だろうな。
ようやくヨナさんにまで近づき、逆さ吊りで……その。下着が丸見えのヨナさんの足を掴んでいる黒い手を破壊し、助けだした。……って、どこに置くんだ? お布団は俺一人分の広さしかない。散々悩んだ結果、俺はヨナさんと抱き合う形で落ち着いた。
『お布団は、じいーっとマスターを見ます』
「いやいやいや! 勘弁してくれよ! お布団!」
あとはメイプルだ。かなり動きにくくなったが、ヨナさんの近くにいるので単純な水平移動で問題ない。黒衣の人攫いの目の前を通り過ぎた時、蹴ってやろうと思ったが、余計な事をして聖域が解除されたら本末転倒だ。今はとにかく二人を助ける。
メイプルに近づくと、冷や汗が噴き出た。尖った黒い手が、胸に少し刺さっていた。注意深くそれを払うと、めり込んでいただけだったのが解った。きっちりと黒い手を破壊し、メイプルをお布団の上に移動させる。黒い手はクッキーのように砕けた。何というか、土のような感触だ。時間が止まっているからなのか? それにしても、一人用のお布団に三人が仲良く縦に寝る光景はどうなんだろう。
「お布団、二人を助けたからもう大丈夫なんだけど……聖域を解除しても大丈夫かな?」
『問題ありません。マスターさえ大丈夫なら』
「そうか。じゃあ、聖域解除! ……で、いいのかな……ん?」
二人の体がどんどん重くなってないか……? い、いや、これ気のせいじゃない! お、お!? 重いっ!?
「うわわ! 地面にぶつかる! う、浮け! お布団浮いて!」
落ちる速度が緩やかになり、何とか地面に激突せずに済んだ。カチカチになった世界が元に戻ったらしく、黒衣の人攫いは急に砕かれた黒い手や、ヨナさんとメイプルがいない事に面食らっているようだ。すぐに俺達を見つけたが、さっきまで殺しかけていた二人と一緒にお布団で寝ている俺を見て、微動だにしない。しばらく睨まれたが、煙のように消えていった。逃げた、か……ようやく終わった。
「いや、まだか……」
俺は二人を完全回復させるために、添い寝を決行した。まずはヨナさんをお布団の中へ入れる。口から血を流して、薄い瞼を閉じているヨナさんからは花の蜜のような匂いがした。真っ赤な唇から一筋に垂れる血が、背徳的に妖艶で、力なくさらけ出された白くて細い首筋に思わず触ってしまいそうになった。いかん。しっかりしろ、俺。まだ睡眠不足なのか!? ヨナさんをお布団にしっかり入れた。あとはメイプルだ。
メイプルの顔も目の前だった。お布団に入れるためには仕方がないとは言え、あまりに近すぎる。肌は褐色なのに、よく見ると目の周りがほんのり紅く、ヨナさんとは違う色気を感じた。全体的に筋肉質で、健康美という言葉がこれ程当てはまる人もいないだろう。唇も濡れているかのように血色がいい。お布団スキルで観察力が桁外れに上がってしまっている弊害で、どうしても細かい部分を見てしまう。……こんな光景は絶対に、ぜっったいにフェミルには見せられない。
『お布団はマスターをじいーーーーーーーーーーっと見ます』
「うわあ! か、勘弁してくれ! 二人を助けるためだから!」