16 罠
2017年8月23日 修正しました。
2017年9月6日 行間や読みやすさを修正しました。内容の変更はありません。
「ノレム、こっちだ」
交易所の全景を見ておいた方がいいとの事で、物見やぐらの方へ案内してくれた。登っている途中、メイプルさんの足が止まった。上を向くと、下着……いや、スブリガムを片手で隠しているメイプルさんが顔を赤くして睨みつけていた。ん? あ、そうか。登っている最中に気がついたんだ。これだと俺に、下から見上げられると。
「大丈夫です! 下着だと思ってないです!」
「も、問題はそこじゃねえよ……!」
登った先にあるやぐらは、二人がぎゅうぎゅう詰めになるほど狭かった。何とか首を伸ばして外を見ると、交易所を一望できるとまでは言わないが、なかなかの光景が広がっていた。
「いい眺めだろ。ここで待つぜ」
「え? 見回り警備じゃないんですか?」
「冒険者ギルドに依頼して、黒衣の人攫いを見たら信号弾を撃つように傭兵を手配した。アタシらは、それを確認した後に討伐する」
「冒険者ギルドには依頼できるような手練れがいないって言ってませんでした?」
「ああ。戦闘はできねえな。でも、危険を知らせるくらいはできるぜ」
そう言うと、いつもの邪悪な笑顔で俺を見てきた。何だか手のひらの上で転がされている感じだ。
「ま、アタシの雷速について来れるノレムだからできる作戦なんだけどな。黒衣の人攫いはどこに、どうやって現れるのか、まるで解ってねえんだ。だから、こんな対策しか打てねえ。信号弾を確認後に、現場へ直行だ」
「それで、間に合うんですか?」
「死ぬ気で走れ。じゃなきゃ、誰かが死ぬ」
重い言葉だった。短い付き合いだが、メイプルさんはいい人だと思った。自分の職務に実直で、街の人達を守るためなら何でも利用するしたたかさも備えている。普通だったら、昨日今日に会った俺に助力を求めるのは自尊心や常識が邪魔してできないだろう。
「……何見てんだよ」
「あ、す、すみません。メイプルさん」
「さん付けはいらねえよ」
「え……でも。目上の人を呼び捨てにするのは……」
「自分より強え男にさん付けされるのは、馬鹿にされてるみてえでイヤなんだよ。あと、そのウザってえ敬語も止めろ」
メイプルさんはやぐらの窓に頬杖をついて脱力していた。ちらりと俺を見ると、ため息を漏らしながら辺りを見渡している。何を言っているのか。俺がメイプルさんより強いって、ちょっと買いかぶり過ぎだ。
「わ、わか……った。メイプルさ……メイプル。よ、よろしく」
「はいはい。よろしく旦那様ぁ―」
「え!? だ、だ、旦那様!?」
「あ!? ……ば、ばっ! ばっかやろう! 大げさに反応するんじゃねえよ! ただの、じょ、冗談だろ冗談!」
クーさんから言われた事を思い出し、思わず取り乱してしまった。
「全く……な、何なんだよおめえは。こ、これだから純情な田舎モンは困るぜ。すぐにその気になりやがる!」
そう言いながら、両手を組んでメイプルは目いっぱい体を壁に寄せていた。そんな事をしてもこの狭いやぐらの中では無意味で、ピッタリ体が密着してしまう。本来は一人で監視するやぐらなんだろうな。
「あー全く。どいつもこいつも男は同じだな。女傑って言っても、しょせん女は女で、お飾りなんて思う連中が呆れる程いやがる」
「え、いや、そんな事は思ってないよ」
「ノレムじゃなくても、実際いるんだ。だいたいよ。入りたくもねえ警備隊に無理やり入れられて、実戦もした事がねえお嬢様方が肩書だけ貰って、親の地位を上げる手伝いをさせられてんだ。こんなクソみてえな事が許されるかよ? アタシは我慢できねえな」
「ああ。クーさんに、昔は酷かったって聞いてるよ」
「クーがそんな事を? 珍しいな……いや、それよりそうなんだよ。アタシが雇われる前は本当にひでえモンだった。女だってだけでタチの悪い嫌がらせもしょっちゅうだった。結局、自分の身を守れるヤツは自分しかいねえ。親とか周りは関係ねえ。だから、本物の女傑になっちまえばいいってな。それでここまでやってきたんだ」
メイプルの熱量に感服した。俺の想像していた女戦士は、もっと武骨で野蛮で男勝りだった。でも実際目の当たりにすると、優しくて情に厚いお姉さんという印象だった。最も、メイプル個人は妙な可愛らしさまで備えているけど。
「……凄いな」
「は。意地だよ」
何だろう。この人の熱に当てられたのか、胸に熱くなるものを感じた。俺は改めて交易所を見渡す。
※ ※ ※
日が暮れても何ひとつ現れなかった。今日は空振りかもしれない。さすがにこの狭いやぐらでずっと二人で密着していると気まずいし、一旦降りようかと思ったその時。空気が破裂するような音がかすかに聞こえた。
「何かの音がした!」
「なに……!?」
遅れて、空の方へ赤い光が昇っていく。
「走れ!」
メイプルはそれを確認すると、そのままやぐらから飛び出し、地面に着地して真っすぐ走り出した。俺も焦って降りようとするも、一瞬ためらった。どんどん背中が小さくなるメイプルを見て、俺もついに飛び降りた。いくら強くなったっていっても、俺の感覚は以前の村人のまんまだ。
「うっ!おおっ!」
高い! 怖い! そんな気持ちとは裏腹に、地面に難なく着地した。ホッとしつつも、見失わないように急いで背中を追った。メイプルは明らかに焦っていた。
「メイプル! ……不味いのか!?」
「ああ! 赤は、かなりやべえ!」
本格的な戦闘になる覚悟をして、思い返す。俺の対戦相手は村の不良とスプリングウルフだけ。どっちもロクに戦えてない。力は強くなったけど、技術がまったく追いついていない。俺は戦力になるのか!? 黒衣の人攫い……どんな相手なんだ……!?
※ ※ ※
「にゃあー」
「……」
「すいやせん……魔物かと思っちまって……」
交易所の外れまで向かった俺達に待っていたのは、野良猫に驚いて信号弾を誤射した傭兵だった。松明の灯りが野良猫の影を大きくして、それを化け物だと勘違いしたそうだ。
「あ、ありえねえだろ……おめえ、それでも冒険者ギルドの依頼で来たのかよ!?」
「すいやせん……すいやせん……」
目が虚ろの傭兵が、繰り返し謝った。感情がこもっていないその姿は、まるで人形のようだ。それに、
格好も妙だった。あまりの汚さに傭兵というよりこれじゃまるで盗賊だ。ふと、賊が襲撃する情報を思い出し、俺は静かにメイプルに近づくと小声で耳打ちした。
「……メイプル……この人……」
「ひゃあ!」
メイプルは小さく叫んで遠くに離れた。え。何?
「て、て、て、てめええ! な、な、なにしてんだ! こんな時に!」
「え!? い、いや、いやいや! 何が!?」
「ノ、ノ、ノレム! 混乱に乗じて、ア、ア、ア、アタシに何か良からぬことを……し、しようとしてん
じゃねえだろうなあ!?」
何でそうなる!? 違うぞメイプル! この人が怪し……あれ? 振り返ると、野良猫を残して信号弾を
誤射した傭兵はいなくなっていた。
「え……?」
周りを探したが、どこにもいない。混乱していると、すぐに聞き覚えのある音が鳴った。
「信号弾の音だ!」
空を見ると、紫色の光が上空へ登っていった。それを見るメイプルの顔がみるみる険しくなる。
「……くっそ……!」
すぐに移動し、その背中を追う。
「どうした!?」
「紫は……! 詰め所が襲われている! くそっ! やられた! これは罠だ!」
詰め所にはヨナさんと、フェミルがいる。その事実が俺の背中を凍らせた。