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(最終話)

 早いものねぇ。実はあの『ガゼボの夜』から十五年が経っているの。

 あの二人は健在よ。

 アンディは結局、次の年の冬に急きょ、伯爵を継いだわ。おじいちゃんが倒れて、寝たきりになってしまったのよ。

 アンディがアメリカの大学を卒業して、イギリスのオクスフォード大学の院に入ると同時に社交界にデビューしたら、それで安心して気が緩んだみたいなの。まぁ、かなり高齢だったのだけど。

 アンディは大変だったわ。事業のこととか、本国の伯爵家のこととか、おじいちゃんから教えてもらうことってまだまだあったし、アンディの強い後ろ盾でもあったもの。ほら、アンディを後継にすることを喜んでいた人ばかりじゃなかったから。

 もう「嫌だ」とか、「継がない」とか言っていられなくって、寝る間あるのかしらって思ったくらい忙しかったのよ。

 もちろん、おじいちゃんも色々考えてくれていたらしくって、倒れてすぐにアンディを支える『チーム・アンドリュー』みたいなブレイン・チームが結成されてね、本国の方のメンバーには勿論イーニアスも入っていたわ。イーニアスは元々優秀だったし、彼のおじいちゃんのランプリングさんがついていたから、本国の方は何の心配もなかった。

 それから三年ほどして、アンディのおじいちゃんは亡くなったの。八十三才だったから、早すぎるってほどではないわね。

 で、アンディは正式に何代目かのソールズベリ伯爵アンドリュー・ギルバート・ローズになって、イーニアスも執事に就いて今に至る…よ。

 私? 私はアンディがオクスフォードに入る時、一緒について行ったのだけど、すぐ彼が大忙しになっちゃったでしょ。それで本国のソールズベリ家のあの屋敷で飼われることになったの。

 専属のお世話係がいるのよ。なんと、イーニアス。事実上、伯爵家を取り仕切っている一番偉い人が、私のお世話係。すごいでしょう? おかげで正しい発音、バッチリよ。あら、失礼。「バッチリ」はダメね。

 庭に植物園みたいに大きなケージを作ってくれて、そこで生活しているの。以前みたいにあちこち歩き回れないけど仕方ないわ。イーニアスはとっても忙しいのですもの。それに彼はもともと「ケージにいれておけ」派だから。

 でもいいの。充分に広いケージだし、イーニアスも日に一度来て、午後のお茶の時間とかには外に連れ出してくれるから、閉じ込められ感はないわ。

「アレックス」

 ほら、イーニアスが来たわ。前は彼、「アレクサンダー」って私を呼んでいたのだけど、メスだとわかって、愛称だった「アレックス」が正式名になったので、そっちで呼ぶようになったわ。

 この国の六月はね、一年で一番、気持ちの良い月なの。風は爽やかだし、木々の緑はとても瑞々しくてきれいだし、花の数も他の季節にくらべて格段に多いわ。この季節になると、イーニアスは私を木立の方に連れて出てくれるの。彼用のお茶の携帯ポットと菓子、私の飲み水が入った水筒をバスケットに入れてね。シートを敷いて、ちょっとしたピクニック気分よ。二人で小一時間くらい過ごすの。

「あまり遠くへ行ってはダメだよ」

 大丈夫。イーニアスから半径二メートル以内って決めているから。

 イーニアスは今もとても素敵よ。若い時の方が、それは息を呑むくらいきれいだったけど、渋みが加わって知的さ加減は倍増したわね。自分をコントロール出来るようになったのか、もう耳は隠さなくなったわ。

 そうね、お客様の相手をしている時は別として、普段はあまり笑わなくなったかも。他の使用人からは陰で「鉄面皮」って呼ばれているみたい。でも私の前では表情は柔らかいわよ。こうしてうたた寝している姿を見せてくれるし、持って来た本がつまらなかったらあくびもするわ。役得でしょ、私?

 え? アンディとイーニアスは、その後どうなっているのかって?

 恋愛云々のことを言っているなら、あれっきりよ。アンディは主にロンドンか、ママや友達のいるニューヨークを行ったり来たりで、こっちには年に一、二度、よほど大事な行事の時くらいしか戻らないの。来てもね、イーニアスとはすごくビジネス・ドライ。二人きりになることもないし、同席してもあくまでも主人と執事なの。イーニアスは忙しさを理由にして、個人的に話をすることは絶対ない徹底ぶりよ。主人と使用人ですものね、他の人から見たら何の不自然さもないと思うわ。私はこうなる前の二人や、彼らの間にあった恋にならない恋を知っているから、違和感があるだけなのよね。

 周りは二人がどうのこうのと言うより、それぞれが独身ってことに関心があるみたい。特にアンディは伯爵である以上、結婚して後継者を残すことは必須事項ですもの。こっちに戻って来た時は、たいていあちこちのパーティーに顔を出すから、売り込み攻勢がすごいの。きっとロンドンやニューヨークでもそうなのでしょうね。アンディは「まだまだ若輩だから」とか言ってかわしているみたいなのだけど、三十も後半になってくると、いつまでその理由が通用するか。次のクリスマスやニューイヤー・パーティーは大変なことになるのじゃないかしら。

 イーニアスは独身主義だって公言しているし、執事は世襲じゃないから、アンディほどに周りはうるさくないのよね。彼が誰かの物になるくらいなら独身の方が良いって思う人が、男女関係なく多いみたい。ゲイだって知られているわけじゃないけど、こんなイイ男が独身主義だなんて言うものだから、そのケのある人は期待を込めて憶測してしまうのでしょうよ。

 アンディとイーニアスの二人が、互いにどう思っているのかって聞かれたら、「わからない」って答えるしかないわね。何しろあれから十五年経っているし、二人が顔を合わせるのは年に数度もないわけでしょう。少なくとも、表面上はあれっきりって感じ。

 アンディなんか適当に遊んでいるみたいなのよね。変なところに出入りしてゴシップになったら困るから、主にニューヨークの昔なじみとか相手にしているようなのだけど。

 イーニアスはどうだったかしら。恋愛感情があるかどうかは別として、新しくシェフになったジャン・ポールとは仲がいいわ。前のシェフが引退してジャン・ポール・ディティエが入ってきたのだけど、高校時代のクラスメートなんですって。偶然――だかどうだか、どうも怪しいのよね。イーニアスは全然なんだけど、ジャン・ポールはあきらかにイーニアスに気があるわ。だからソールズベリ家の執事が彼だって知って、応募したのではないかと思うの。じゃないと、約束されたパリの三ツ星レストランの料理長の座を捨てて、一個人のキッチンを選ぶかしら。

 イーニアス、本当のところはどうなの? この十五年、あなたには浮いた話が一つもなかったわ。アンディは寝る間を惜しまなきゃならなかったけど、イーニアスも忙しかった。いつも気を張って、休みの日だって必要ないかぎり出かけないし、まるで修道院の中のような生活。

「どうしたんだい、アレックス? もう帰りたいのかい?」

 違うわ。あなたを見ていただけよ、イーニアス。

 頭も顔も良くって、一歩外に出れば無敵だと思うのに。そりゃ伯爵家で一番偉い仕事をしているわけだけど、果たしてそれが幸せなの?

 ねえ、

「イーニアス」

 今、彼を呼んだのは私じゃないわよ。

「旦那様」

 え、嘘、アンディじゃないの、どうして? 帰ってくる予定なんて聞いてないわよ? と言うか、こんな中途半端な時期に戻るなんて、今までなかったわ。

「お戻りになるのは、八月の予定では?」

「色んなことに目処がついたからな」

「目処?」

 アンディは立ち上がろうとするイーニアスを止めて、彼の隣に腰を下ろしたわ。こんなプライベートのツーショット、久しぶりね。あの『ガゼボの夜』以来じゃないかしら。

 アンディ、すっかり伯爵様然としちゃって、上等なスリーピースもシャツもタイも、自然に着こなせるようになったわ。ルーズリーフなピアス・ホールも消えているし。昔、ソフトモヒカンやらブレイズやらしていた頃の面影は、どこにも残ってない。「アンディ」って呼ぶより、「アンドリュー」の方が似合ってる。生き生きとしたエメラルド色の瞳だけね、やんちゃだった昔の彼を思い出させるものは。

「次の伯爵を決めた」

「え?」

「ボワモルティエ家のリオネルだ。知っているだろう?」

 今じゃ完璧になった発音でアンディが言ったことったら、次期伯爵ですって? ボワモルティエって言ったら、亡くなったおじいちゃんの弟さんちよね。確か、アンディが後継者になるのを反対したうちの一人だって聞いたことがあるわ。

「何を仰っているのです。次期伯爵だなど、あなたはまだ三十六才ではありませんか」

「もちろんリオネルは二十才だから、正式にはまだまだ先のことだ。でも今からみっちり仕込めば、きっと立派な主になるさ」

「私が申し上げたいのは、あなたご自身のお血筋を残す可能性です」

「俺には無理だ。俺はイーニアスを愛しているから」

 アンディ! 何、今の?! 愛の告白?!

 あんまり唐突に、それもさらっと言うから、見てよ、イーニアスは不思議なものを見るような目をしているじゃないの。

「な…にを、仰っているのです?」

「おまえを愛している。だから、子供は残せない」

 アンディの手が、イーニアスの手を握ったわ。

 イーニアス、まだわからないの? アンディはあなたを「愛してる」って言っているのよ。そんな素振り、この十五年見せなかったくせして、アンディったら、こんなサプライズを用意していたなんて。

「冗談はおやめください」

 イーニアスが信じられずにそう言うのも無理ないわ。

「冗談なんかじゃないさ。十五年前から決めていたことだ」

「十五年前?」

「そう、おまえに拒否された時からな」

 あの『ガゼボの夜』のことよね。あんな子供だった頃に、次の伯爵のことを考えていたって言うの?

 いいえ、それよりも、十五年間ずっとイーニアスを愛し続けているってこと? 今まで放ったらかし状態だったくせに?

「あの時の俺では、何をするにも自分の思い通りにならなかったろうさ。先代も元気だったし。独身で通すだとか、他家から養子をもらうなどと言ってみろ、端から潰されるに決まっていた。自分の思うように動かすには、それなりに力が必要だった。馬鹿は馬鹿なりに考える」

「あなたは馬鹿などではありません」

「おまえは、俺なら立派に跡を継ぐと言ってくれた。それに賭けることにしたんだ」

 恐るべし、恐るべしだわ、アンディ。そんなことを考えていただなんて、思いもしなかった。しつこいと言おうか、粘り強いと言おうか。

 でも待って。アンディはずっとその気でいたとしてもよ、イーニアスの気持ちを考えたことがあったのかしら? だってイーニアスは恋を諦めてしまっていたもの。結果的には恋人がいなかったけど、作ろうと思えばすぐに作れたはずよ。可能性があれば、誰も彼を放っておかないくらい魅力的だもの。

 待っていろとも言わずにいて、イーニアスの心が誰かに向くって考えなかったのかしら。

「これを機に事業の組織も変えることにした。実務は優秀な人間に任せて、伯爵家は名誉職に退き、本国を生活拠点にする」

「そんなっ…」

「一人の人間が全てを賄うのなんて、無理なのさ。世間知らずのお坊ちゃんでは、よほどの商才がないかぎり会社経営はキツい」

「あなたはその若さで引退するつもりなのですか?」

「すぐじゃない。リオネルが一人前になるまで、仕事の量は減らすにしても今まで通り働くつもりだ。おまえには次の執事を教育してもらわなければならないしな。ただそれも十年かそれくらいの時間だろう。彼らに全てを渡したら、その時はイーニアス、俺と一緒に来て欲しい」

 ドキドキの展開よ。イーニアスったら、目の前で風船が割れたような顔をしているわ。そりゃそうよね。まるでプロポーズだもの。イーニアスは意味、わかっているのかしら。呆けてる場合じゃないのよ。

「ニューヨークに代理店を立ち上げるつもりだ。その準備を進めている。住むところも用意した」

 ニューヨーク。私達が生まれ育った街ね。そんなことまで考えているなんて、アンディ、本気なんだわ。若い頃に一度終った恋だと思っていたのに、アンディの中では終ってなかったのね。ガキんちょだったアンディが、外見だけじゃなく内面もイイ男になって、私、惚れ直しちゃう。

「そんなこと、出来るはずはありません」

 なのに、イーニアスったら相変わらずなんだから。

「目処をつけたって言っただろう?」

「あなたは先代に劣らない器量をお持ちです。業績も前年比増だと聞いておりますし、伯爵としても大公殿下からのご信頼も厚くてらっしゃるのに、全てを投げ出すと仰るのですか?」

「業績は俺一人で上げたわけじゃない。優秀なスタッフ達が知恵を出し合ったものに、オッケーを出しただけだ。『ご信頼』にしたって、代々築き上げてきたものを守っただけさ。俺一人の手でしたものは、何もない。俺がいなくて回って行く。そうなるために、俺は十五年間、文句も言わずに働いて来たのだからな。それに伯爵と言う地位にも未練はないんだ。もともとニューヨークのダウンタウン生まれだから、肩が凝って堪らない。それともイーニアス、おまえはここの執事と言う職に執着するのか?」

 アンディはまっすぐイーニアスを見ているわ。こんなカッコいい彼、見たことない。

 そりゃこの十五年間、アンディがすごく頑張っていたことを知っているし、どんどん出来る男になって行くのは見てきたけど、私が知る以上にたくさん学んで、たくさん考えて来たのね。

「この職を手放したくありません」

「イーニアス」

 うそ~。

「ソールズベリ伯爵家の執事は特別です。留守を預かる責任は重いですが、それ以上に遣り甲斐がある。上流階級の方々とお会いする機会も多く、あちらこちらで便宜も図って頂けます。惜しくないはずがございません」

 イーニアスが普段言いそうにもないことを、顔色を変えずに淡々と喋ってる。他の人が見たら、いやらしい人間にみえるでしょうね。「地位に執着する意地汚いヤツだ」って。

 でもイーニアスが心にもないことを言っているのだって、私にはわかるわ。イーニアスがアンディのことを惜しんでいるのよね。アンディが自分のために、地位も名誉も人に譲ろうとしていることを、申し訳ないと思っているのよ。イーニアスがここに残ることに固執すれば、アンディが思い直すのじゃないかって考えているんだわ。

 なぜって、ほら、イーニアスの耳たぶが、だんだんと赤くなってきたもの。ここ十年くらい、ご無沙汰な現象よ。

「嘘をつくな」

「嘘だなどと、」

「おまえが無私無欲なことは知っている。心にもないことを言っていることもな」

「それはあなたの勝手な思い込みでしょう? 人の心中を読み取ることなど出来ません」

「でもわかるんだ。耳が真っ赤だぞ、イーニアス。おまえは嘘をついたり、誤魔化そうとしたりする時、顔には出なくとも、ここには出るんだよ」

 そうよ、アンディは知っているのよ。今、彼が触れている耳たぶが、リンゴみたいに赤くなるってことをね。

「愛している、イーニアス。『うん』と言ってくれ。じゃないと嘘つきのおまえを簀巻きにして、このままニューヨークに連れてっちまうぞ。それこそ何もかも捨てて」

「旦那様」

「それは、俺の名前じゃねぇ」

「アンドリュー様、…あなたは、馬鹿です」

「さっきは馬鹿じゃないっつったくせに」

「撤回します」

 『ガゼボの夜』の再現ね。アンディはイーニアスを引き寄せて、抱きしめて――でもあの時と違って、イーニアスの身体には最初から力が入っていないし、抵抗もしていない。

「でもその馬鹿のこと、好きだろ?」

 アンディの言葉遣いも、あの夜に戻っている。

「ええ、悔しいですが」

 私の知る限り、二人がキスをするのって二回目のはずよ。

 木々の枝葉の間から六月のキラキラした陽の光が、細い筋となって差し込んでいるわ。無粋な音も、俗っぽい風も匂いもない。ああ、ロマンチックなキス・シーンがまた見られるのね、素敵。

「おっと、レディが人の濡れ場をかぶり付きで見るもんじゃねぇよ」

 え、アンディ、何するのよ。ひどいわ!

 私は二人の恋をずっと見守ってきたのよ。応援もしてきたのよ。そりゃ途中、諦めちゃったけど。でも見届ける権利はあるわよ。

 なのにバスケットに閉じ込めるって、どう言うことよ、出しなさいよ、アンディったら!

「私が誰かを好きになるとは思わなかったのですか?」

「思わなかったって言ったら嘘になる。あのジャン・ポール・ディティエには焦ったかな。だから二ヶ月早く戻ってきたんだ」

 アンディの笑い声が聞こえるわ。イーニアスも笑っているみたい。バスケットの目が細かすぎて見えないじゃないのよ。こんなに穏やかな二人を見るのって久しぶりなのに。

 あら、静かになった…。

 押して知るべしね、悔しいぃ。




 こうして二人の長い恋は、サプライズなアンディの行動で成就したの。ニューヨークでの新生活が始まるのは、まだ先のことでしょうけどね。

 出会ったばかりの頃のように、言いたいことを言い合って、あの頃にはなかったくらいラブラブで、幸せそうな姿を見ると私も幸せで、嬉しいわ。

 私も今度は自分の恋を探さなきゃ。何たって女ざかりなのですもの。

 でも、まずはめでたしめでたし。


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