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「トリスタン、あんたを信じた私がバカだったわ」

 どうせ通じやしないでしょうけど、文句も言いたくなるってもんよ。

 あれからバルコニーに出た私は、庭に下りる階段の上に立ったのね。人間だったら大したことのない段差でも、私にしたら「飛び降りる」って感覚なわけよ。さすがに躊躇するってもんでしょ。それでもダイヴしながら降りようと決意したら、下から軽やかに階段を駆け上って来る黒い影が。

 私の天敵、アイリッシュ・セターのトリスタンだったの。

 私、きっと疲れていたんだと思うわ。アンディったら、いつもはケージに蓋なんてしないのに、今夜はバスタオルを掛けて行くんですもの。おかげで抜け出すのに一苦労、バルコニーに出た時にはかなり疲労していたのよね。そこからまた庭まで階段を飛び降りて行かなきゃならないかと思うと目眩がしたわ。だから下から上がって来るトリスタンが、素敵な白馬に見えたのは仕方のないことなのよ。実際のトリスタンは赤毛なんだけどね。

 彼の目を見つめて、滅多に出さない声でお願いしたわ。

「私をアンディのところへ連れて行ってちょうだい」

 常日頃、イーニアスの完璧なクィーンズ・イングリッシュを聴いてるから、発音には自信があるの。トリスタンはつぶらな瞳で頷いた――ように見えたんだけど、甘かったわ。

 所詮はカメと犬。種族の違いで通じなかったのか、トリスタンがバカ犬だからか、とにかく風のような速さで彼が私を運んだのは中庭の東屋(ガゼボ)近く。広間のテラスの裏っ側じゃないの。

 その上、いつものように私をボール代わりにしてさんざん遊んだあげく、人間の姿を見かけたらさっさと尻尾振って行っちゃったのよ。自慢のボディをヨダレまみれにして放置だなんて、もう絶対許さないんだからね。

 こんなことになるんだったら、おとなしくアンディの帰りを待ってるんだったわ。部屋から遠く離れちゃって、自力で戻ったらどんだけかかることか。下手したら夜が明けちゃうじゃない。

 あら? 芝生を踏みしめる音。人の気配がするわ。チャンス。この家の人なら、私がアンディのペットだって知ってるから、部屋まで送り届けてくれるかも。どうやらガゼボに来るみたいね。誰かしら、確かめなくっちゃ。今夜、野宿かどうかがかかっているんですからね。

 誰かと思ったら、イーニアス。ラッキーだわ。彼なら、一目で私だってわかってくれるもの。

 でも、今時分、こんなところに何しに来たのかしら。まだ「プチお披露目の会」の最中でしょうに。イーニアスはこの家の次期執事で、将来、アンディとコンビを組むのよね。今夜がアンディのお披露目なら、当然、イーニアスだってお披露目されるようなものでしょ。ちゃんと執事用の制服着ているし、広間には入らなくたって近くで控えているもんじゃないの? 抜け出して来ていいの?

 何だか様子が変。疲れているのかしら、いつもの背筋の伸びた感じがしないわ。椅子に座ってすぐにテーブルに片肘つくなんて、イーニアスらしくない。ここのガーデンライトってスタンド・タイプでライトも一個しか付いてないの。だからそんなに明るくなくって、イマイチ彼の表情が見えにくいから、はっきりしないけど。

 やっぱりいつもと違うわ。ため息みたいに息を吐くし、ぼんやりしてるし。緊張して疲れたのかしらね。だって、今夜のお客って親族の中でもおじいちゃんに近い人達ばかりで、貴族としてルーキーなアンディをフォローしなきゃなんないでしょうから、疲れても仕方ないわ。

 そんなこと考えている場合じゃないわよ、私。イーニアスに姿を見せて部屋まで送ってもらわなけりゃ、野宿、もしくは夜通し歩くことになるのよ。さ、とっとと手足を踏み出して――だけど、声をかけにくい雰囲気だわね。本当にどうしちゃったのかしら。そう言えば、パーティーの始まる前から様子がおかしかったわ。惚れ惚れするほど見違えたアンディを見ても、嬉しそうと言うより複雑な顔してたもの。

「イーニアス」

 今度はアンディじゃないの。あんた、パーティーの主役でしょう? 抜け出してきて大丈夫なの? 

 イーニアスもびっくりして立ち上がっちゃったわ。

「どうなさったのです」

「疲れた」

「疲れた? それで抜け出してきたのですか?」

「おまえだって抜け出してるじゃねぇか」

「立場が違います」

「立場…ね」

 アンディが鼻で笑ったみたい。ここからじゃどうしても、表情が見えないわね。私から見てあんなに大きな二人の顔が見えないんですもの、二人からすれば私なんて見えないに決まっているわ。この前みたいに良い雰囲気にならないとは限らないし、邪魔しちゃ悪いわよね。もっと前に出て行くのは、少し様子を見てからにしようっと。

「早くお戻りください」

「俺が抜けてもわかりゃしねぇよ。すっかり親戚の集まりになってっからな」

「それでも、今夜の主役はあなたなのですよ。そのために皆様、お集まりになってるのですから」

 そうよ、アンディ。今日は晴れ舞台じゃないの。規模は小っちゃいけど、三年の成果の見せ所なのよ。こんなところに腰落ち着けないで、とっとと戻りなさいよ。あ、イーニアスはまだダメよ。私を見つけてくれなけりゃ。

「娘のお披露目会でもあるんじゃねぇの?」

 そう言えば、若い女の子も来てたわね。バルコニーからじゃ、顔まではわかんなかったけど、ブロンドにブルネットに。アンディから見れば従姉妹連中になるのかしら。ああ、華やかなワンピとか見たかったのに。

「アンドリュー様のお従姉妹にあたる方々ばかりです」

「だろうけど、紹介する親も紹介される娘も、売り込みが見え見えなんだよな。」

「あなたはこれからこう言う機会の折に、様々なご婦人方とお会いになられます。伯爵家の後継であるかぎりは、避けられません」

 なるほど。跡継ぎを作ることも、由緒ある家柄を継ぐ人間の重要な務め。問題は、アンディにその務めが果たせるかってことなのよ。

 何度も言うようだけど、アンディは今じゃ立派なゲイなんだから。バイだってアンディのママは思い込んでいるし、女の子との既成の事実はあることはあるわ。でも「ある」ってことだけなのよね。

「種馬ってことか。父親の血筋はご立派かも知れねぇけど、母親の方は移民で庶民だぜ。それに俺に子供を求められても期待には副えねぇ。女の身体に興味ないからな」

「一般庶民の血は、ソールズベリ家に健康な血をもたらします。旦那様があなたを強く押されたのは、その点にもあるのです。女性をまったく受け付けないと言うわけではないでしょう? あなたの初体験は確か、リタ・ボイド嬢だと伺っておりますが?」

「そんなことまで、よく調べたな? だったらこれもわかってるはずだろ? 彼女相手に『失敗』して大恥かいたことも」

 そうなのよね。いっつも初体験は女の子だったって話の際にリタが引き合いに出されるんだけど、結局、彼女とはダメだったのよね。最初は一挙に盛り上がったらしいんだけど、彼女の胸を見た途端、アンディの『息子』ったら元気がなくなっちゃったんですって。

 リタって子はアンディの幼馴染で、ボーイッシュな子なの。ずっとハイジャンプの選手をしてて、身体は引き締まって脂肪の欠片もないし、性格もサバサバしてるから、ハイスクール時代も時々、男の子に間違えられていたくらい。そんな見た目と性格だから、アンディもその気になったみたいなの。

「女は後にも先にもあいつだけ。あいつじゃなきゃ、女との経験もあったかどうかわからない。だいたい、恋愛感情有りきで挑んだわけじゃねぇしな」

 男って、変に競争意識あるでしょ? 近所の悪ガキ達が次々にステディ作って童貞捨てて行くから、アンディは焦ったのよね。まだゲイだって自覚が薄かったし。

「裸になって身体見たら拒否反応が出て、心身共に萎えちまった。結局、俺は根っからのゲイってことなんだよ」

「それでも最初は女性として認識した上で行為に及んだわけですから、可能性がないとは言えません。しかるべきカウンセリングを受け、ご婦人方との交流を広げていけば」

「ゲイは病気だって言うのか? 気の迷い、気のせいだって? 俺のおまえへのこの気持ちも?」

 言ったわ、アンディ。でもこのタイミングで言う? 場所がガゼボってことや空に上った三日月とか、環境はロマンチックな雰囲気ではあるけど、何もこんな話をしている最中に、それもサラリと言ったわね。

「俺はおまえのことが気になってる。これがどう言う気持ちか知ってる。その気持ちを気のせいだとか、ゲイは心の病気だとか言いやがるなら、伯爵なんてクソくらえだ。ジジイやオフクロが何て言おうと、跡は継がねぇ」

「だったら、僕は必要なくなりますね。僕はあなたに、未来のソールズベリ伯爵に仕える身ですから」

「イーニアス」

 イーニアス、何てこと言うのよ。アンディはあんたのことが好きだって言ってんのよ。これは恋の告白よ。それも、爵位をかけた恋じゃない。

「そこには別の選択肢はねぇのかよ。おまえだって、俺のことが好きだろ?」

「僕の望みは、立派に伯爵をお継ぎになられたあなたの傍に在り、お助けすることです」

 なんて頑固なの、イーニアスったら、イーニアスったら、イーニアスったら。

 私、わかるんだからね。今、耳たぶ真っ赤よ。薄暗くったって、アンディにもわかっているはず。アンディ、この前にみたいに、イーニアスの耳たぶを確認してみて。そして彼を引き寄せて、抱きしめて、キスの一つでもくれてやりなさいよ。若さに任せて行動に移すのは得意でしょ。身なりがお上品になったら、行動までお上品になっちゃったの? そうやって見つめているだけじゃダメよ。もっと押して。イーニアスの口から本心を聞き出してよ。

 さっきのイーニアスはとても辛そうだった。きっとアンディの周りに集まるきれいな女の子達と、自分の娘を伯爵夫人にって思う親心が渦巻いているのを目の当たりにして、アンディの立場を再認識したからだわ。パーティーの前の複雑な顔も、そう言うことを感じていたからでしょう? イーニアスはアンディが立派な伯爵になれるって言い切ったけど、それはつまり「結婚」って避けて通れない問題が身近になるってことですもの。

「あなたはまだ若く、一瞬の感情に流されて立場を見失っている。一度決めたことを、たかが色恋で簡単に放り出そうとしている。『今』しか見ないようでは子供と同じです」

「たかが色恋? 俺がガキだって言うのか?」

「子供です。自分の感情をぶつけて行動するだけだ。相手の気持ちを汲むことも出来ない。人がどれだけ…」

 どれだけ…その続きは? どうして止まっちゃうの? ああ、イーニアスの本音を引き出すまであと一歩だったのに、本当に鉄の自制心ね。アンディと同い年だなんて信じられない。ううん、二十一才って年齢から見れば、アンディの方が年相応だわ。

 この沈黙、いたたまれない。アンディはイーニアスを見つめたままだし――睨んでるって言う方が正しいわね――、イーニアスはテーブルの上で組んだ指を見ているし、私は出るに出られず――いえ、出ていたんだけど存在を主張出来なかったの――、みんな止まってしまったままにどんどん時間だけが経って行ったわ。

 まず動いたのはアンディ。イーニアスの組んだ指に手を伸ばしたの。でも触れるより先にイーニアスは立ち上がったわ。

「戻ります。あなたはもう少し頭を冷やされた方が良いでしょう」

「イーニアス」

 アンディが慌てて腕を掴もうとしたのを、イーニアスは突っぱねたの。

 アンディも驚いて目を見開いたけど、突っぱねられたイーニアスの手を懲りずに掴んだわ。そして思い切り引き寄せて、抱きしめて、彼が振り解こうとするのを押さえ込み、それから。

 それからキスをしたの。すごく情熱的に。

 イーニアスは頭を左右に振るんだけど、彼の唇が外れたら、またアンディの唇が追いかけて塞ぐの。何度も何度も。とうとうイーニアスは諦めたのか、身体の力が抜けたわ。

 ほのかなガーデンライトの光がね、二人を照らしてね、クラシカルなガゼボでの、うっとりするくらいきれいな長い長いキス・シーン。すごく静かで、二人きりの空間。映画みたいよ。

 どれくらいか経って、やっと二人の唇が離れたわ。でもアンディの腕が緩んだ途端、イーニアスが彼を突き飛ばしたの。

「だから君は、ガキだって言うんだ!」

 そう言うと、イーニアスは今度こそ駆け去ってしまった。アンディはその後姿を見つめるだけ。

 私、我知らずずい分前に進み出ていたみたい。さっきよりずっと近い位置にアンディが立ってる。見上げると、アンディは私に気づいたわ。

「アレックス、なんでこんなとこにいるんだ?」

 私の名誉のために言っておくけど、ここに居合わせたのは不可抗力なのよ。予定では広間の庭側の窓のところにいたはずなんですもの。決して、盗み見してたんじゃないわ。声をかけづらかっただけなんだもの。声かけたって、聞こえなかったでしょうけど。

「アンドリュー様、旦那様がお呼びです」

 ランプリングさんだわ。イーニアスにアンディの居所を聞いたのね。

「わかった、すぐ戻る。すまないけど、アレックスが抜け出してきたみたいだから、部屋に戻してくれないか?」

「かしこまりました。誰かに申し付けましょう」

 アンディは広間に戻って行き、私はランプリングさんが廊下まで連れて行ってくれて、そこからはエセルの手に渡されたの。

 二人のことが気になったけど、エセルが私をケージに入れて部屋中の戸締りをしっかりしたもんだから、もう外には出られなくって、疲れも出たのか、後は夢の中に入ってしまったの。


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