近藤杏奈(4)
店の裏の狭い階段に、私と黒木さんは隣り合わせに座っていた。
「黒木さんさ、いっつも何聞いてんの?」
私がゲーム機から黒木さんへ視線を移すと、彼は右道のイヤホンを外して私の左耳に突っ込んだ。
流れて来るのは聞いたことない洋楽。軽快なロックが黒木さんのイメージとは合わなさ過ぎて笑った。
「洋楽好きなの? J-POPとかは聞かないの?」
私の質問にタバコに火を付けながら黒木さんが言った。
「日本語の歌詞は頭に残るから嫌だ。知らねぇ言葉ならそんなことにならねぇ」
筋張った指先でタバコを挟みながら、黒木さんは飲んでる途中のビール缶を振った。
「今日もヤクザ屋さんしてたの?」
右拳が赤く擦り切れてるのを見て聞いてみた。
「まだシノギが残ってる」
「ふーん。ヤクザ屋さん大変だね」
「お前は大変じゃねぇのかよ」
「私はテキトーに笑ってお客さん持ち上げて、高いお酒入れてもらうだけだもん。黒木さんみたいに痛い思いしないからラクだよ」
黒木さんの右手を引き寄せる。持ってたビール缶の中身がちゃぷんって音を立てた。
「痛いの痛いの飛んでいけー! どう? 痛いのマシになった?」
黒木さんの右手を擦りながら聞いてみる。
「そんなんで痛みがなくなったら医者なんていらねーだろ」
「もう、素直じゃないなー」
しばらく間が空いた。
「お前、初めて会ったとき、何でオレに話しかけてきた」
「んー……拳が汚れてたから、そのままだとスーツ汚れちゃうだろうなーって思ったからかな?」
私の答えに黒木さんが喉奥で笑う。
「バカだろお前」
「バカって言った方がバカなんですー!」
ベーっと舌を出して私は顔をしかめた。
「ねぇ、黒木さんは何でヤクザ屋さんになったの?」
「そういうお前はどうしてキャバ嬢やってんだ」
黒木さんの口から煙が吐き出される。
「私はお金が欲しかったからだよ」
「他にもマトモな職ぐらいあったろ」
「私は真面目じゃないし飽き性だし、誰かに命令されて働くなんて絶対に嫌だ」
私は黒木さんを見上げる。
「黒木さんは真面目だし命令されて働いてるし、偉いよね」
私はゲーム画面に視線を落とす。
「“ヤクザ屋さん”だけどな。ところでお前何のゲームしてんだ。いつも同じ音が聞こえんぞ」
「黒木さんイヤホンしてても聞こえるんだ。あのね、これ“悪役令嬢の恋〜勘違い聖女をザマァしよう!〜”っていうんだ。ストーリーはクソだけど、ミニゲームがめっちゃ面白くてね――」
私はゲーム内容を黒木さんに教えてあげる。彼は紫煙をくゆらせながら、ただ黙って聞いてくれていた。
「誰かを貶めただけで死ぬんなら、オレは毎日死んでんな」
「身も蓋もないことをいうね黒木さんは」
「事実だ」
「確かにー」
あははっ、と笑う私の感性はおかしいのだろうか?
「あ、まだ黒木さんがヤクザ屋さんになった理由教えて貰ってない!」
「クソみてーな話だから聞く価値もねーよ」
「私もクソみたいな人生だよ? だから未成年なのにキャバ嬢なんてやってんだから」
黒木さんはチラリと私を見下ろした。そしてまたタバコの煙をぼんやり見つめてる。
「……男遊びが好きな母親に捨てられたところを今の組長に拾われた。オレは腕だけが自慢だったからな。すぐにシノギの仕方も覚えた」
「うわっ、短っ! じゃあ、私も少しね。私も母親がクソだったの。父親が仕事人間でさ、体壊しちゃって寝たきりになったの。母親はキャリアウーマンでさ、寝たきりになったお父さんの事が邪魔になったんだよね。私に世話を全部押し付けて家を出ていったの。お金だけ毎月振り込まれてた」
あの人は母親になっちゃいけない人だった。
全部私が父の世話をした。下の世話も当然したし。
「だから私中学も卒業してないんだよね。父親の世話でそれどころじゃなかったから」
街でキラキラ青春してる同世代の子たちを見かけるたび、私はどうしょうもなく惨めな気持ちになった。でもその中に混じりたいとは思わなかった。
黒木さんが私の頭を撫でてくれる。せっかく綺麗にセットした髪型がくしゃくしゃになっちゃう。でも嫌じゃなかった。
「私たち似てるね黒木さん」
「似てねーよクソガキ」
「あのさ、私が困ったとき助けてくれる?」
黒木さんはタバコを地面に投げ捨てた。
「ぜってー助けねー」
「あははっ、やっぱりね」
そんなこと言いながら、黒木さんは私を助けてくれるとどこかで確信してた。
そんなことを思ったのがいけなかったのかな――