勝利と喪失
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クラン、『東京ケイオス』が遭遇した強制イベント──その名も『拠点襲撃イベント』には、複数の発動条件が存在した。
一つは一定以上の面積を持つ拠点を有する事。
一つはクランメンバーの平均レベルがある水準を超える事。
一つはクラン内部に於ける未成年、より細かく言えば小学校以下の子供の数が一定の割合存在する事。
この三つの発動条件を整え、なおかつクランの女性メンバーが妊娠し、そのお腹の中の胎児が廃都に『巡礼者』と認識された時、この『拠点襲撃イベント』は開始される。
イベント内容としては、ランダムに用意される準備期間を経て、絶え間なく続く敵──亜人商会の保有する私兵、『ゴブリン軍』の襲撃を返り討ちにする。
今回のケースに当てはめれば、郁の妊娠から、三日の準備期間を経過し、そして三日目の朝から戦闘が開始される。
文章として整えればある意味シンプルに思える、そういうイベントである。
しかしケイオスにとっては、主力である大河らが外遊の為に拠点を留守にしていたタイミングであり、拠点の警備が最も手薄な時にイベントが開始されてしまった。
なので難易度で言えば、通常の『拠点襲撃イベント』の何倍も──拠点防衛が難しくなってしまったのだ。
本来であれば主力を含めた全ての戦力が準備期間でしっかりと対策を取り、計画を立て、そして挑むべきモノ。
目算で五万を超えるゴブリン軍も、本来は拠点のみに襲撃をかけるためだけの数合わせでしかなく、道の狭さやモンスターの構成を考慮すると、全てを相手取る必要は無い。
なにせ、このイベントには明確に『勝利条件』が定められていたのだから。
それは『ぼうけんのしょ』で閲覧できるヴァイオレント・ゴブやスレイブ・オーガの図鑑説明欄を熟読さえできていれば、自明であった。
好戦的で知性の低いゴブリン種族であるヴァイオレント・ゴブは、群れを率いるリーダーの指示無くば群れとしての行動が取れない。
スレイブ・オーガに至っては、主人である存在が居なければ容易く暴走する性質を持つ。
つまり、この群には一匹だけ。
他のゴブリンを取りまとめ、全体を指揮するゴブリンが存在したのだ。
個体略称名『VGコマンダー』。
正式名称を、『ヴァイオレント・ゴブ・コマンダー』。
高橋や入江の目の前で開戦の合図を掲げた、あの旗持ちのゴブリンである。
つまりこのイベントの本来の攻略方法は、拠点に迫り来るゴブリン軍をほぼ全ての戦力を当てて耐え抜き──その群れの中からVGコマンダーを見つけ、選りすぐった精鋭による一点突破。
これが所謂、正攻法である。
そして、ケイオスがその勝利条件を達成できたのは、本当にタダの偶然でしかなかった。
イベントであるが故に、普通の軍隊であるならば戦場に存在する筈の無い指揮官が、最前線から少しだけ離れた場所で全体の指揮を取っていた。
それは北町小から距離にして数十メートル。
五階建てのマンションの屋上から戦場を見下ろすように、偉そうにふんぞり返っていたVGコマンダーを、誰が放ったのかすら定かではない魔法攻撃がたまたま直撃した。
知性在るゴブリンである亜人商会エリアマネージャーのネブリャは、種族としてはヴァイオレント・ゴブとは全く別種の存在であり、群れを指揮する事はできない。
つまりケイオスにとって何が何だが全く分からないまま、イベントはなんの脈略も無く終了したことになる。
皆が呆気に取られるほどにあっさりと、指揮官を失ったゴブリン達は無様な姿を曝け出し敗走する。
それは潮が引いて干潟が曝け出されるかのような、もしくは押し寄せた波が引いていくような、そんな速度で。
疲労し混乱し、そして状況も何一つ理解できぬまま唐突に。
ケイオスはクラン創設以来最も差し迫った危機を、脱したのだった。
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「勝った……なんで……?」
夥しいゴブリンの死体だけが残された、吉祥寺の住宅街。
その生活道路の隅で、みっともない奇声を上げて逃げていくゴブリン達の背中を見ながら、廉造は呟く。
現在地は北町小の目と鼻の先。
角を一つ曲がれば校舎の全容が見れる、そんな位置。
斬り傷や小さな火傷だらけで、紫色の返り血に全身を染めた身体で廉造は呆気に取られている。
「──っ! 兄貴っ、大河っ! もう良い!!」
少し離れた場所。
小さな町工場の前で剣を打ち合わせて対峙している大河と海斗に、廉造は慌てて駆け寄る。
「終わったんだ!! もう戦わなくても良い!! 勝ったんだよ!!」
アビリティ『憤怒』の支配下にあり、敵も味方も区別できず暴れることしかできない大河を北町小へと誘導する為に、海斗は定期的に殺気を放ち、その身体に当てるつもりで攻撃を繰り出していた。
まともな思考ができなくなっていたのは大河だけでなく、疲労やバトル・ハイ状態にある海斗もまた同様で、一切の手加減が出来ていない。
「聞いたか馬鹿!! さっさと正気に戻れ!!」
疲労により掠れ、そして震えた声で、海斗は大河に怒鳴る。
「ぐぅううっ!! ぐぁあああっ!!」
しかし『憤怒』によって思考を塗りつぶされた大河に、その声は届かない。
幸いなのは、現在の大河もまた満身創痍。
ブーストアイテムによって底上げされた各種身体能力を用いる体力も残り僅かで、その意識は気力だけで維持されている状態で在ること。
数字面での実力がほぼ拮抗している海斗であれば、守勢に専念する事でその体力を削りきる事ができる──そんな風体だった。
「大河っ!! お願い大河止まって!! もう良いんだよ!! もう戦わなくても良いの!!」
「ゆ、悠理っ! なんで戻ってきたんだ! 危ないから近寄っちゃダメだ!!」
ゴブリン軍が撤退していった事で先に北町小へと帰還できていた筈の悠理が、大河の身を案じて引き返してきた。
そんな悠理の前を、廉造が立ちはだかる。
今の状態の大河は、たとえそれが悠理であろうと敵との区別がついていない。
ここまで限界を迎え、『憤怒』のアビリティに支配された大河を、悠理も海斗も廉造も初めて見る。
何があるかわからない。
もし間違えて悠理をその手で殺めてしまったら──当たり前だがそれは取り返しのつかない結果を招く。
だから廉造は、大河を心配し駆け寄ろうとする悠理を必死に押し止めた。
「大河ぁっ!! ねぇ大河っ!!」
悠理もまた、この三日間の戦闘による疲弊で我を忘れている。
平時であればすぐに今の大河の状態に、そして愛する者に自分が殺されるという事態がどういう最悪に帰結するのか理解できた筈だ。
「うがぁあああっ!! がぁあああああっ!!」
しかし悠理も、そして大河も止まれない。
廉造も海斗も、二人を咎める事ができない。
この長く苦しい戦いに最も貢献したのは間違いなく大河で、そしてそんな大河を心配する悠理の気持ちが痛いほど分かるから。
この後、時間にして30分ほど。
それだけの時間をかけて、海斗はようやく大河の体力を限界まで消耗させ、そして気絶させる事に成功した。
ありとあらゆるアイテムを駆使し、廉造の僅かなフォローを利用しやっと。
それほどまでに、アビリティによって暴走する大河は──強かった。
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北町小の校庭に、満身創痍となってうめき声すら出ないケイオスの戦士達が横たわっている。
その周りを生活班のメンバーや子供達が、水や食料、濡れたタオルや包帯などの回復アイテムを持ち寄って取り囲んでいる。
北町小に残っていたメンバーの中で、初級である【手当】よりも強い回復魔法を扱える者は少ない。
悠理を筆頭にした殆どの回復職は戦闘で疲弊しているし、妊婦である郁の精神状態は戦闘が終わった今もなお不安定。
だから現状、傷や怪我を癒やすには【手当】や低級の回復アイテムで時間をかける他なかった。
そんな野戦病院めいた北町小の校庭から、校門へと続く道。
そこに、ようやく戻って来れた大河や悠理、海斗に廉造の姿がある。
「……そん、な」
悠理の支えでなんとか立てる──そんな有様の大河が目の前の人物の姿を見て、唖然とする。
「……嘘、だろ?」
耐えがたい心痛に顔を顰めた海斗もまた、廉造によって支えられている。
「……こ、これは……誰……?」
目を見開き、唇を震わせ、廉造は掠れた声で呟いた。
「……卯那さんが言うには、これは入江さん」
先に北町小に辿りついていた悠理は、ソレが誰であったか、もう聞いている。
発狂した様に泣き叫び、自身も酷い傷を負っていたにも関わらずその名を呼び続けていた卯那が、教えてくれたから。
「向こうの……校舎の壁にもたれているのが、高橋さんで……梶さんの死体は……ゴブリンが持って行ったって」
「あ、あ、あああ、あああああ……あぁあああああ」
悠理の身体を弱々しく押し、覚束ない足取りで、大河はソレに向かってゆっくりと近づいていく。
「お、おおおお……嘘だ……そんな……あああ」
そして、形的には『顔』だったであろう部位に手を伸ばし、触れた。
炭化し、元の顔の彫りすら定かで無くなった黒い立像。
大河が触れた部分が、ボロボロと崩れ、地面に落ちていく。
それが、今の入江の姿だった。
「い、いりえ……さん……? こ、これが……」
わなわなと震える海斗が、普段からは想像もつかないほどの弱々しい声で、その名前を呼ぶ。
「ゆ、ゆうり……ほ、ほかに死んだ人……は……?」
瞳孔がふるふると震え定まらない廉造の問いかけに、悠理は弱々しく頭を振った。
「ま、まだわかってない……あ、愛蘭さんが、確認しに行くって言ってたけど……」
しかしそんな愛蘭ですら、目の前の現実を処理しきれず、うわごとのように否定の言葉を紡ぎながら校舎へと歩いて行った。
悠理は涙の乾かない瞳を、校舎へと、そして校庭へと向ける。
そこには生活班のメンバーによって宥められている、卯那の姿がある。
全身血だらけの卯那が、言葉にすらなっていない言葉を叫び、兄の様に慕っていた自分のパーティーメンバーらを想って、泣いている。
「あ、ああああああ……あああああああっ!!」
立った姿のまま、熱硬直により筋肉や皮膚が収縮し、まるで身を守るかのように身体を丸めたまま焼き焦げている入江の、その死体に縋り付くように。
両の目から大粒の涙を流しながら、大河は地面へと膝を付いた。
「ぐぅっ、ぐうううううっ!! うぁああああああっ!!」
海斗もまた、その場で蹲り、何度も何度も地面を拳で叩きながら、咽び泣く。
「い、いりえさん……たかはしさん……か、かじさん……あ、ああああ、ああああああああああああああ」
倒れ込むように尻餅を付いて、廉造はまっすぐ入江の姿を見つめながら、泣く。
「うっ、ふぅううっ」
男達の泣く姿に、堪えられなくなった悠理が、その顔を両手で覆って泣いた。
辺りには、鼻の奥を刺激するような饐えた匂いが蔓延している。
それは人の肉が焦げた匂い。
この廃都を生きて、何度も何度も嗅いだ事のある、ある意味慣れてしまった匂い。
大河も、海斗も、廉造も、悠理ですら。
知っている匂い。
自分たちの仲間の肉が焦げる匂いと、他の人間が焼かれる匂いは、全くと言って良いほどに変わらない。
北町小の至る所で、泣き声が聞こえてくる。
勝った筈だった。
守り抜いた筈だった。
だけど、失ってしまった。
ケイオスは二度と戻らない大切な者達を、失ってしまったのだ。




