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第8話 刹那主義者達の夜 ―要らぬ子宮の使い道―(後編)


 「エードーくーん、あーそーびーましょ!」


 彼の家の前に着いて声をかけるが返事がない。ドアを叩いて鳴らそうかと思ったが、なんとなくその前に窓を覗く。


 部屋の中には人が居て、何人かの子と一緒に彼が居る。今日は謝肉祭だからみんなでささやかながら屑肉混じりのスープを楽しんでいるのだ。


 でも、私は固まってしまって声をかけることも中に入ることもできない。だって今彼の隣には私でない女の子が座っていて、ずっと幸せそうに喋っていたから。


 (そうだ、私この顔になったんだった)


 指で自分の顔をなぞる。記憶の中のすべすべとした感覚とは別の、血管で浮き出た凹凸(おうとつ)のある感触が伝わってきた。


 去年まで私が座っていた場所は可愛くて、快活そうで、はちきれんばかりの笑顔で笑う別の子が代わりにいる。もう私が戻ることは許されない場所なんだ。どうしてこんな当たり前のことを忘れちゃってたんだろう。「早くここから動かなきゃ」だが私は動けない。足がまるで石になったかのように固まっていて、この場所を一歩も動けないのだ。


 「……!」


 窓越しの彼と目が合う。私に気付いた彼は気まずそうに目を逸らし、恥じるような、苦しいような、そんな悲しみの表情を作って目を伏せた。


 やっとの思いで弾き出されるようにしてその場を離れる。ここに居てはいけない!


私が彼の幸せに水を差した!!私が彼の幸せに水を差した!!


 海辺から少し離れた浜は地面がぬかるんで足を取られる。この顔になった後、私を気遣う彼がからかわれて馬鹿にされていたことは知っている。だから彼は悪くないんだ。


 悪くないのは彼だけじゃない。私を忌み子として扱っている村のみんなだってこうなる前は優しかったんだから、貴族様でもないのに魔法が使えるようになった私がおかしいんだ。だから本当は優しいこの故郷が悪い訳じゃないんだ。異物になった私が悪いんだ。私がみんなの和を乱しているんだ。


 私が精霊様に流されるまま力を受け入れたから…いや、精霊様のことをこんな風に考えてはいけない。私は自分の気持ちで今を選んだのだ。そうだ、母さんやみんなを守る為に自分の意思で決めたのだ。自分一人助かりたかったからじゃないんだ。人の為に何かすることで見返りを求めたら、それは自分の為にするということなのだから。


 母さんが分かっていてくれれればいい。母さん一人が私を分かってくれるのなら私は他に何もいらないんだ。ああ、母さんに会いたい。母さんのいる家に帰りたい。


 そういえば家はどこだ?


 もうかなり走っているのに自分の家が見つからない。たしかこの辺で間違いない筈なのに。家が建っている筈の場所には反射して光輝く水面と、それを囲う岩場が代わりにあるだけだった。


「……」


 水面を覗くと醜い私がこちらを見ている。彼女は目から涙を流し、だが口元は黄色い歯を剥きだして笑顔のようなものを作っている。とても醜く、見るに堪えない表情だ。


 これが私なのだろうか。泣いているのか、笑っているのか。自分でもよく分からないが、体の奥底から迫ってくる感情のままに叫んだ。そして私は目を覚ました。


 遠くから私を探すガッドの声がする。気を失っていたのは一瞬で、そこまでの時間は経っていないらしい。自分の体を確認すると酷いものだった。手足は折れ曲がり、右手は肘から先が無い。更に倒れてきた木辺の一柱が腹下を貫いている。致命傷だ。


 幸い瓦礫で体は隠れているからガッドには見つからないだろうが、このまま放っておけば間違いなく私は死ぬだろう。


 回復魔法を使おうかと思ったが、億劫なのでやめておいた。怪我で感覚がバカになっているのか知らないが不思議と痛みはあまり感じない。このまま穏やかに死ねるならそれが一番だと思ったのだ。


 もう何もかもがどうでも良い。元々母さんが居なくなって生きる理由も無いのだから、この復讐を支えているものは衝動だけだ。だが、今の私の心は濁りの無い水面のような静けさで眠りにつく以外の気が起きない。もう疲れたのだ。


 瞼を閉じれば苦悩からの解放を祝福する光のような温もりを感じた。嗚呼、これが死というものならなんと穏やかなものだろう。死を怖がる世の人は全くの誤解をしている。


 ―地獄とは案外昼間の様に明るいのだ―


 後は血の流れゆくままに冷たくなってゆく段、眠りつこうとする私を怒声が叩いた。


 「おい、ブス!隠れているなら出てこい!!どうせ不意打ちでも企んでいるのだろう!俺は知っているぞ、ブスとは身だけでなく心も醜いものだ。人の精神とは体に表れその本質を現すのだ!」


 「……」


 何かを喚いているが気にしない。浮世の執着なぞ捨ててしまえば後は楽なものだ。


 「昔からお前の一挙手一投足には心の穢れが滲み出ていた。どうせ己が醜く生まれた運命でも呪って卑屈になっていたんだろう!身の醜さとは心を濁していくものだからな!」


 …それで挑発でもしているつもりなのだろうか?全くくだらない。推察なんて馬鹿がするものではないと教えてやりたかった。


 弛んでいた全身が再び強張っていく。落ち着け、大体なんでコイツは生きてるかも分からない私を煽り続けているのだろう。隣に落ちている鉄梁が私の頭蓋を割らなかったのは偶然でしかないというのに。


 「お前は世の中が憎くて憎くて仕方がなかったんだろう!一山いくらの貧農で、無教養で、ブスで!それは豚の僻みだと言うのに!己の不幸に囚われている奴はそれ自体が不幸で、分を弁えず人がましく振舞ったことがお前の間違いだ!!お前なんぞ生まれてくるべきでは無かった!!!」


 …………。


 私は、好きで生まれて生きたんじゃない。


 「…死んだか?死んだか!!馬鹿が!女は股ぐらでのみ喋っておればよい生き物、魔法が少し使えるだけで男におもねる以外のことを考えた慮外者(りょがいもの)!!!!地獄から見ているがいい!今にお前の死体を探し出して犬に食わせてやるぞ!!お前の働きを歴史から抹消して大罪人であると世に知らしめてやる!お前の生まれた村にも連座させてやる!!死んだ程度で俺を騙そうとした罪を償えると思うなよ!!!!!」


 その時、一つの言葉が脳裏をよぎった。


 ―納得がいかない。このまま死ぬのはどうしても我慢がならない―


 結局現世で死者を扱う者は生者なのだ。鼻の濡れた負け犬が如何に自分を誤魔化した所で、死体を弄ぶ権利を仇敵へ譲ることには変わりがない。


 初めから分かっていた筈だ。死とはあらゆる名誉と未来を敵に明け渡すことを意味し、例えどれだけ虚飾したとしても生きるとは戦うということを意味する。泥と血糊の中を泳ぐが如き闘争こそ、地上に生きる者の宿命なのだ。


 だが、ここで戦う決意を固めた所で今の私に何ができるだろう。もはや血と共に魔力も抜けきって、仮に起き上がってもガッドと戦えるだけの力は私に残っていない。今からアイツを殺す方策なぞ万が一もないだだろう。


 …いや、一つだけある。これまで私の主義として決して触れてこなかった禁忌がある。それは私もガッドと同じように聖典鎧を纏って戦うということだ。


 これまで戦場で幾たびも死を覚悟する機会があったにも関わらず何故それを今の今まで使わなかったかというと、私と誓約した精霊ネヴィラには怨みがあるからだ。無知な子供であった頃の私を騙して顔を腐らせた諸悪の根源。あの邪霊の力を借りて形の上だけでも信仰を捧げるというのは―今でさえ誓言を唱える度に舌の根が腐りそうだというのに!―それこそ死んだ方がマシだという位には嫌だったからだ。


 視界が黒ずんでいく。泣きたいほどに悔しい選択を迫られている。目の前の糞男に死んだ後も陵虐されるか、怨敵に信仰を誓って節を曲げるか。結局この世は力あるものにおもねるしかないというのか。だが、このまま黙って死ねる訳がない!何故なら私はまだ、先払いした因果の代償を受け取ってはいないからだ。


 体を起こすとこれまで止血しかけていた傷口が開いて激痛が走った。辛く、苦しく、苛立たしい。だが、懐かしさすら感じるこの負の感情がどうしようもなく生を実感させた。


 かつて身一つで帝都に来て、騙されて、馬鹿にされて。知らない文字を土の上でなぞって覚えて、教皇庁で学んだ時も貴族用の授業を壁に耳当てて必死に盗み覚えたのだ。何を言われても必死に我慢して、全て母のためだと努力して、危険を顧みずに戦場に出向き、魔物と切った貼ったを繰り返した。私にとっては生まれてから世の苦しみを知らぬまま早々に死んだ子供ですら妬ましい。私が何のために努力したと思ってる。母のためだろうが。その母が助かる前に死んだから、私の苦労は意味が無くなったんだろうが。行動の因果に、不釣り合いが生まれているんだろうが。


 ―行き場の無い情動が、堂々巡りの思考を生んで己を規定していく―


 世には豊かな世界で生きて、他人に闘争を代わってもらってることに気が付きもしない貴人だっているだろう。自己欺瞞(じこぎまん)に終始して、己を慰めることに余念が無い俗人もいるだろう。だが、これはそういった問題ではない。何故なら自我(エゴ)を貫徹できずに生をやり過ごすことを生きているとは呼ばないからだ。逃避の肯定は己への憐憫(れんびん)であり、諦観が纏わりついては生存における峻厳が何たるかを忘れさせる。私にとって生きることは何かの肯定ではない。むしろ、これまで生きてきたその否定の代償こそ私は求める。生まれてから今まで支払ってきたその因果の代償を支払わせるまではこれまで生きてきたことへの納得がいかない! ―――だってもう生きている理由であった母が居ないのだから。だから、私は目に見えている全てに復讐する。


 (本当は誰でもなかった私が今日まで生き残ってしまった『神に託された宿命(余人であれなかった罪)』ならば、才能の奴隷としてこの復讐権を完遂すべし!)


 かの悪霊にかねてより託されていた誓言―私は悪意を隠そうともしていなかったが、何故かあの精霊は私を気に入っている―を唱えて顔を天に向ける。瓦礫の陰から抜け出ると月の光が眩く私を照らした。


 ―やはり地獄とは昼間の様に明るいのだ。―




―――

――




 「―ぬっ」


 殺気を感じ取ってか私の放った大魔法を紙一重に躱す。鋭い。やはりコイツは戦闘能力だけなら誰にも後れをとらない古今無双の英雄なのだ。類稀なる勝機と見て念入りに仕掛けた奇襲攻撃があっさりと失敗してしまった。


 魔力で作った光球を浮かして彼我の間に置く。接近戦こそ相手の必殺の間合い、とにかく距離を取らねばコイツに勝つことはできない。


 「それがお前の鎧か…何と禍々しい」


 一瞬で表情から侮りを消したガッドがこちらに向き直る。私の鎧、闇に紛れんばかりの漆黒たるこの姿を見てかその姿に油断は何処にもない。


 「……」


 改めて自分の姿を見渡す。ガッドのゴツゴツとした威圧的なそれとは対照的な丸みを帯びたのっぺりとした鎧。回復魔法では治せなかったので右肘より先は無く左右非対称だが、それでも不足はないと感じるぐらいこの鎧からは力が湧いてくる。


 (これが聖典鎧か)


 全身にかつてない程の全能感があふれてくる。成程、ガッドやルシアンがやたら傲慢に振舞う気持ちが少しだけ分かった気がする。


 「チィッ!」


 放った光球は弾かれはしたものの、先ほど撃った火球とは違いガッドの鎧に傷を付けている。私は周囲の光球をまるで体の延長であるかのように扱える。元々魔力の素質が悪くなかった自負はあるが、魔術の触媒として扱う肉体がより適したようだった。


 しかし意外だったのはこの聖典鎧が単にそれを引き上げただけだということだ。ネヴィラと誓約して元々使えたのが「殺した相手の容姿や魔法、記憶を奪って一つづつストックできる魔法」というものだったから、もっと常道から外れた意地の悪い聖典鎧がくるとばかり思っていた。


 距離を詰めて来るガッドに対応しながら光球を増やす。しかし(から)め手ばかりでは決め手に欠けるか、一気に終わらせようと死角から魔力を練って大技を使うと勘良くガッドは躱してきた。


 「馬鹿が!それでは避けてくださいと言わんばかりだな!!」


 「っ!!」


 一瞬で肉薄してきたガッドが浮かせている光球を無視して突っ込んでくる。音を置き去りにした掌底を何とか躱し、再び距離を取る。光球を何発か体に打ち込んだものの、全て急所を外されたようだ。


 (やはり手強い…!)


 同じように聖典鎧を着込んでようやく五分…いや、彼我の相性からいってまだ相手の方が有利かもしれない。向こうはこちらの大技を異様とも言える勘の良さで避けてくるし、小技だけでは被弾覚悟で突っ込まれて命を取られかねない。


 戦場で後ろから見ていた時から知っていたが、コイツは本物の化け物だ。正攻法や生半可な遠距離戦を続けていてはこちらが先に死ぬだろう。


 (何かないか、何か好機となるものは…落ち着け、とにかく落ち着け)


 刹那の戦場で思考する。コイツより2年半長く戦場に居た私が優れていることは、後衛だったこともあるが戦いの場で手を動かしながらものを考えられるということだ。


 鉄火場における諸個人の勇気や才覚というのは、勝敗を分ける総的な要素の一つに過ぎない。己の見落としている論理を拾い、戦場に見出すこと。これが今日まで生きてきた私なりのコツだった。


 ガッドの背後に回り込ませた光球をぶつけようとするが、それすら瞬時に屈んで躱しやがる。くそっ、背中に目でもついてんのかコイツは。


 その時、私の周りに飛んでいた光球の一つが苛立つようにして震えた。


 (……!?)


 なんだ今の動きは。私が意図してやったものではないぞ。私の肉体に連動する形で魔力が感応しているのか。


 その光球は私の体から離れて下に向かったかと思うと、瓦礫下に隠れていた私の千切れた右腕に触れた。


 他でもない、私の意識の埒外にあったその右腕に。


 「……」


 ―これだ。




―――

――




 「フンッ!!」


 ガッドは手近の木片を振り回して私の光球を弾き飛ばす。恐ろしいことに奴はもうこの状況に順応し始めているのだ。


 「殺す、殺してやるぞドブス!!」


 これまで散々逃げ回って来た私に苛立ってか鼻息が荒い。戦場の死線が交差する中、私は覚悟を決めて己の下腹部奥深くに手を突っ込んだ。


 「……!?」


 「…っ、ぐ…ギィっ」


 聖典鎧を着込んで筋量が増えていなければ決してできなかった暴挙。私の体で最も要らない場所は『これ』だ。―何故だろう、私に人体の知識なぞロクにない筈なのに、何故かここが一番必要のない場所だと分かるのだ。今までも、そしてこれからも絶対に使わない肉体器官―つまり『子供を作るのに必要なそれ』を手で引き抜いて千切り離す。


 「ウ“オ”オ“オ”オ“オ”ーーーッ!!」


 血の滴るそれを思い切り投げつける。放物線を描いたそれをガッドは避けることなく、べちゃりと手で防いだ。


 「…くだらん。気が触れたか」


 今度こそ私を貫き殺そうと全力の突進でこちらへ向かってくる。だが、私はそれを見てから今日最大の魔力を込めて射撃体勢に移る。


 「痴れ者ッ!見てから放つ魔法なぞ幾らでも見切れるわッ!!!」


 極限まで練り、引き寄せ、そして分厚くなった火線を私は放った。


 「フ……!!」


 コンマ数秒の細分化された思考。ガッドは己の正中線を貫く筈だったその火線を右前方へ大きく飛び込むことで回避した。必殺の一撃が外れれば、次に隙を突かれて死を突き付けられるのは私であるはず。しかし―


 「なっ―!?」


 一度外れた私の魔法が再び舞い戻る!あの魔法は切り離されて別の物体となった私の肉体―、つまりガッドの左手に付着している『子宮』(不要な肉片)を目掛けて吸い寄せられているのだ。


 魔力が感応性ある肉体に吸い寄せられるのであれば、私の放った魔法が私の体目掛けて殺到しないのはおかしい。であれば、私の千切れた右腕は聖典鎧によって感応性のみが高まった別の物体として認識されたが故に魔力を吸い寄せたのだ。


 戦いとは一瞬の愚を避けることによって優劣が生まれる。不用な動作は隙を生み、同じ回避動作でも極力無駄を廃することが生存の機会を生む。迷いを消し、戦場で極限まで最適格を選択し続けるという理想をガッドは類稀なる戦闘センスで実現し続けてきた。それは受けきれない攻撃は回避し、受けきれる攻撃は被弾を承知で反撃に移るという彼の戦闘教義(スタイル)に表れている。


 故に彼はここで死ぬ。もしも彼が未熟であったなら―戦いの最中相手の攻撃を見極められず遮二無二避けようとするような手合いであったなら―私が敗れていただろう。戦いの優先順位、その取捨選択を誤らなかったが故に貴様は死ぬのだ。


 「ぬおおおおおおぉぉぉーッッッ!!!」


 火線がガッドの顔を焼き、心臓を貫いた。半身を焼いて尚勢い止まらない肉体と激突し、衝撃で吹っ飛ばされた。


 砂埃と煙に巻かれて意識が途絶えゆく中、何処からか蹄鉄と喧騒の音が聞こえてくる気がした。



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