第9話 夜明け前にさようなら
「―ん」
「目が覚めましたか」
床下からガタガタと鳴り響く車輪の音、煩わしい振動に揺り起こされて目が覚める。同乗者と膝を突き合わせる程の狭い小部屋、馬の出す独自の匂い、ここが馬車であることは明らかだった。
「失礼、今のアミラ殿には重大な嫌疑が掛かっておりますので」
私が鉄具で拘束されていることを言っているのだろう。簀巻きを立てたような格好で縛られている。でもこれをやった奴はブライアンじゃないな。彼にしてはずさんすぎる。
馬車が向かっているのは南南東にある大監獄か?窓から見える景色は帝都中心の建築物からどんどん遠ざかっているのが夜目で見えた。
「…嫌疑というのは?」
「ティボー殿やガッド殿を筆頭に、帝都市民数名の殺人容疑とその財産を窃盗した疑いです」
先ほど派手に殺したガッドだけでなくティボーの殺しもバレている?証拠になりそうなものは処理したつもりだが、ここには調査専門の魔術使いでもいるのか疑惑というより確信に近い言い方だ。使っていた隠れ家の跡地から拷問器具やらが見つかれば、早晩私の罪状はより明らかとなるだろう。
「ブライアン殿、私は死刑で済みますかな。それとも火刑?はては名声破砕刑ですかな?」
「さぁ…私は尋問官ではないのでその辺のことは」
いずれにせよ監獄で私を待つのは拷問を辞さない官吏達だろう。貴族法や都市法はともかく、市井の身である私を守ってくれる世俗的な法典は世に存在しない。私は疑われるままに罪状を引き受けなければならないし、悪名―場合によってはそれすら後世に残すことが許されるか分からないが―を命じられるままに受け止めて死なねばならない。
(まぁ、このまま捕まっていればの話だが…?)
車内を見まわしてあることに気が付く。赤く上品なカーペット、夜にも関わらず光を届けてくれるロウソク、漆が塗ってある瀟洒な木壁。
(おかしい、罪人を護送するにしては上等に扱われ過ぎている)
おかしいと言えば馬車に乗せられていること自体がおかしい。本当に運ぶだけならそれこそ馬に乗せるなり引き摺るだけで済むはずだ。ブライアンが同乗していることも意味が分からない。
「…ブライアン殿、どうやら随分気遣って頂いてるご様子。私の様な罪人に何故です」
「……」
「ブライアン殿?」
彼は眉間の皺を更に深くして黙り込んでいる。馬蹄と車輪の音だけが響いて、暫く室内には沈黙が続く。
「アミラ殿、何故こんなことをしたのです」
疑問の答えは別の疑問で答えられた。彼は勇者パーティの中で唯一私のことを外見で判断しなかった為に、魔王と戦う以前から出自のことを話している。私はこれまでの経緯を簡潔に伝えると、彼はカーテンを寄せて窓を開けた。
「アミラ殿、見てください。我々が救った民とその生活をです」
窓外を見やると夜明けが近いのか、家々の間から煮炊きの煙が伸びている。職人の家は下仕事を始め、商家からは家人や奴隷が出てきて家畜の世話や倉から炭を運び出しているのが見えた。
昨夜飲み過ぎたのか地面で寝ている浮浪者が居る。近くの農村から売りに来てか野菜を背負って市場へと向かう少年が居る。娼館の窓が開いて街行く人へ挨拶している少女が居る。
―皆生きている。朝の冷たくも明瞭な風に人々の声が乗って一日の始まりを告げてきた。人の数だけそれぞれの生活があるのだろう、悩みがあるのだろう。人の数だけそれぞれの日々と、相応しい営みがあるのだろう。その光景は私に奇妙な感慨を抱かせた。
「我々勇者一行の職責とは、力無き民衆に変わって魔族を討滅する剣となり盾となること。今日の安らかな朝を迎えることが出来たのは、力ある者がその責務を違えずに秩序を守護したという事実の結果であります」
「……」
彼の言っていることは正しい。魔術の扱えぬ者が幾ら肉体を鍛えた所で強大な肉体を生まれ持つ魔物と対等に渡り合うことは難しいからだ。徴募兵はおろか、規律と訓練を叩きこんだ兵士ですら魔物と戦わせれば損耗は避けられない。人外の化生を前にして通常の軍隊では士気の統制は難しい故に対抗できる者らの少数精鋭で当たるそれは理に適い、戦う相手が魔物だけには限らない帝国の懐事情とも密接に関わっている。
「そしてアミラ殿、貴殿は紛れもなく力ある者として己の義務を戦地で全うされたのだ。本来貴方は帝国から賞賛されて然るべきで、凶行に及ぶ前に…せめて、せめて一言ご相談頂けていたなら…」
そこでブライアンは一度言葉を切って声をくぐもらせた。戦地では見たことの無い、戦友の悲しみに満ちた目だった。
「確かに貴方の復讐権は正当なものかもしれませんし、他のパーティメンバーの動向を掴み切れなかったのは私の落ち度であります。しかし、かといって感情に任せて秩序を乱せば…私は帝国に籍置く貴族として貴方に弓を向けねばならなくなる。私の立場から貴方の名誉を守れなくなってしまう」
「…それは」
私は自分のやったことに後悔なぞしていない。していないが、彼の悲痛な声を聞いたその時ばかりは復讐へと躍起になっている自分が酷くみすぼらしく思えた。不思議なもんだ、もう自分には何の期待もしていないとばかり思っていたのにまだ下があるとは。
「…私の従兄弟の家に、男爵位を一つ空位として用意しています」
きっと彼はこれを言いに来たのだろう。馬車の手配だって、きっと私と二人きりで話す機会が欲しくて特別に用意してくれたのだ。
「ブライアン殿、いけませんよそれは」
「ですが、少なくともこれで貴方に貴族法を適用することができる。刑死そのものは避けられずとも、死後の名誉は守られるのです」
彼の言っていることは名義の上で私を貴族にすることで実刑を緩め、帝国に反逆した者の多くが受ける拷問や、私が存在していたという記録そのものを歴史から抹消する極刑―名声破砕刑―から逃れられるよう計らってくれるということだ。しかし、そんなことをすれば罪人を匿ったとして帝国への忠誠心を疑われることにも繋がりかねないだろう。それが分からぬ彼ではあるまいに。
「いいのです、今となっては私にできることはこれぐらいなのですから」
「いけません、それはいけません」
心ある人に不正を担わせてはならない。まして、私のような者のために妻子や一族を背負っているこの人に迷惑をかける訳にはいかない。
「私は好き勝手やってきたのだから、その帰結や報いも同時に受けねばなりません。私の身勝手な復讐に巻き込んだ関係の無い人々も沢山いますし、今更地獄以外への道筋にはとても行けませんよ。私が惨めったらしい最期を迎えられるのなら、それが一等相応しいと思います」
私は口を動かしながら、戦地でたびたび話してくれた彼が生きて帰らねばならない理由を思い出していた。三人目の子供が生まれたばかりで、一人目と二人目が早逝しているものだから今度こそ妻の傍になるべく長く居たいと昔語ってくれたのだった。
私と彼は違う。きっと過ぎ去った過去なぞこの窓外に流れゆく景色の様に日常の中で忘れ去るのが当たり前なのだろう。だが、私は生活の中で流されるということがどうしてもできなかった。
順応とは必ずしも進歩を意味しない。くり抜いた腹下を指先でなぞるとやはり中身が無いからか、つと指先が皮膚に沈んだ。
「それにですね、ブライアン殿。私はこれまで歩んできた人生を振り返って思うのですが、もし時間を巻き戻せたとしても今とそう変わらない道を選ぶと思うのです」
母が自殺したあの日、今から戻れれば母の望み通りに自死を手伝えただろうか?
まさか、私に母さんを殺すことはできない。結局生きることを諦めないで欲しいと願って同じことをするだろう。
ならば、こんなおぞましい結末を辿ると予め知っていれば勇者パーティに入らず魔物と戦うこともなかっただろうか?
まさか、バジリスクの毒に犯された母を助けるには金が要る。農奴の、それも男ですらない私に、魔術を稼ぎの種にしないような他の選択肢はあり得なかっただろう。
それなら…子供の頃に精霊の呼びかけを無視してあのまま死んでいることを選んだか?
まさか!自分の命一つならともかく、母さんの命まで脅かされていたのだから違う選択はあり得ない。あの狂った精霊に利用されると知りながらも、力欲しさに結局は誓約を結んでいただろう。
「……それは、後悔無く生きてきたということでしょうか?」
ブライアンは今と変わらない道を選ぶだろうと言った私の言葉を随分前向きな意味で捉えたらしい。思わず笑みがこぼれてしまった。
「いいえ、他にどうしようも無かったという話です」
馬車の速度が落ちて大通りから逸れた。この友とも、もう直ぐ別れなければならない。
「後ろ暗い過去を一たび『であるからこそ』と認識を歪めて肯定してしまえば、二度と後ろに戻れなくなると思うのです」
「戻れなくなる…?」
「ええ、意味が欲しくなるんです。不幸と呼べるものがあったとして、それを肯定的に捉えることで解決しようとした場合には事実の堆積たる現実を切り抜いて主観で並べ直さなくてはなりません。不幸であったのなら何かそうであった理由があった筈だ…いや、むしろそうでなければならなかったのだと、これは必然性ある運命であったと。しかし、元から自然の状態で放逐されていたものをいわば目を曲げて見ている訳ですからね。そんなやり方でしか自分を偽れない現実がまずありきなので、後から己の誤りに気が付いてもどうにもならないのです。だから過去を省みては今の自分が否定されてしまう。先に待つものが地獄と知っていても止まることができないのです」
馬がいななき、馬車が止まった。
「ガッドの奴に言われたんです。己の不幸に囚われている奴はそれ自体が不幸なのだと、アイツは馬鹿だけど勘がいいから偶にそういうことを言う。でもね、私はもう摩耗していてまともにやり直す感性なんて残っちゃいないんです。私より一回りも年上である貴方にこんなことを言いたくはないけれど、私は人生を生きているのではなく人生に生かされているのです」
護衛として周囲を囲んでいた騎士達が下馬して近づいてくる気配を感じる。ここまでだろう。
「……」
「ブライアン殿、私を捕縛することを陛下から頼まれていたり、殺すことで報奨金が貴方に支払われるということはありませんよね?」
「…何を、今ここに居るのは護送を命じられた己が義務からです」
「そりゃよかった」
騎士達が乱暴に扉を開いて入って来た。私は彼らに連れられるまま監獄入口まで歩いていく。
「気絶していた私を縛ったのは誰だ?」
「……?」
前を歩く無精ヒゲを生やした騎士が一人だけこちらを振り向いた。コイツか。
「お前なぁ、片腕の無い奴を縛る時にゃもう少し工夫して縛れよな」
「なっ…!」
緩い拘束から瞬時に抜け出してガッドの皮血をばら撒いた。煙幕代わりになるのは一瞬だが、その一瞬があれば十分だ。
「っ…!!風魔法を扱えるものは煙を吹き飛ばせ!!」
最後尾を歩いていたブライアンが声を張るがもう遅い。私は『透明化』を唱えて地を這うようにして囲いを抜け出た。
もしも私が死ぬことをブライアンが真に望み、それで彼が利を得られるのならここで死ぬことを選んでいたかもしれない。だが、そうでないのなら私はもう少しだけ自分の生を全うしなければならない。
「聞け、帝国の木っ端共!拘束に隙があったので逃げさせてもらったぞ!!精々同じ過ちを繰り返さぬよう子供にあやとりのやり方でも習うんだなっ」
どれだけ意味があるかは分からないが、少しでも私が逃げ出した責任がブライアンへ向かないよう捨て台詞を吐く。
私は地を蹴り闇の中へと駆けていく。後ろから私の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。
もしも『面白かった』『続きを読みたい』と思って頂けたのなら、ブックマークや広告↓の評価ボタンを押して頂くと嬉しくなってモチベーションがぐ~んと上がります。
あと、感想が貰えた日にはやったやったと小躍りしています。よければどうぞ!




