最終話 悲しみと怒りにキスをして
雪が解け、さすらう風が暖かな息吹となって草木を灯す。春が来たのだ。
「ご、ご主人様!お召し物が汚れます!」
「ハハハハ、このぐらい構わないさ」
子供を膝に乗せながらブライアンはニコニコと馬車に揺られる。妻と家人はゴツゴツとした手で子が撫でられると泣きやしないかと心配していたが、父親の胸に顔を埋めると普段のぐずりが嘘のように寝入ったのを見てほっと胸を撫でおろした。
魔法使いアミラによる凶行は勇者ルシアンと刺し違えることを結末とした。一連の事件によって誓約騎士が計9名死亡、騎士候補や従者、市井の者を含めれば20名近くが犠牲者として数えられている。
事態を重く見た皇帝はこの事件を徹底的に隠蔽。狂気に憑りつかれたアミラの存在は勿論、生き残っていたブライアンを除いて勇者一行の替え玉を立てて混乱の収束を図った。人の噂に戸が建てられる訳ではないので死者達の遺族や隠蔽を快く思わない重臣達の間では不満の声も上がったが、結局金銭による補填や一族に対する特権の譲渡、秩序の乱れを嫌う一部精霊からの啓示が伝えられるとそれも徐々に収まっていった。
唯一解決しなかった問題はアミラ、ティボー、ガッド3名に支払われている筈の報奨金がどこからも見つからなかったということ。それらは一財産と呼べる程のものではあったが、元より死者の物であったために気に掛ける者も少なく、仮に盗み出されているとしても犯人がどこかで使い込んでいる場合追及も難しいとして問題は捨て置かれた。
「……」
馬車が帝都中央にさしかかると、神前試合に熱狂する民衆達の声が届いてくる。少し前まで帝都の治安に不安を抱いていた彼らはそれを忘れたかのように…いや、むしろそれを忘れたいかのように騒いでいる。
ブライアンは寝ている子供を喧騒で起こしたくないと思い、前窓を開けて従者に声をかける。
「少し馬を早めてくれ」
「かしこまりました。ご主人様」
手綱を握る従者は一度大きく手を振ると、蹄鉄の音が変わって速度を増したのが分かった。
馬車は景色を置いて過ぎ行ってゆく。人も物も時代も、一切を過ぎ行って馬車は前へ前へと進みゆく。寝る子を乗せてパカラパカラと進みゆく。
「…あなた、今回のことは残念でしたわね。きっと次期に出場する分には陛下もお許しになられますわ」
前に座る妻がそう慰めるように声を掛ける。きっと彼女はブランアンが皇帝に今期の神前試合に出場することは控えるように―勇者パーティにこれ以上の大事があってはならないと縋るような勢いで―頼まれたことを気に病んで、それで馬車を早めたと思っているのだろう。
「ああ、それは誤解で―」
「あなた以外の勇者の方々…どうせ死ぬのなら人に迷惑を掛けないで形で死んで欲しかったわね」
「…何だと?」
彼女の言葉は冷く厳しいものであったが、きっとそれは夫であるブライアンを気遣って出た言葉だったのであろう。今代勇者パーティ達が互いに殺し合ったという事実は、勇者一行の一員であるブライアンにとっては大変な醜聞であり、それを知る貴族達から少なくない非難や陰口を受けていた。だが、そんな妻の言葉に対するブライアンの返答こそ冷厳と表するに相応しい重みを含んでいた。
「やめろ」
「え…?」
「やめろと言ったんだ。彼らに対する侮辱は俺が許さん」
言われた妻は混乱した。その人たちのせいで大変な迷惑を被っているのに、この期に及んで夫が彼らを庇う理由が分からなかったのだ。
「いいか、確かに彼らは神々より預かった力で私闘を演じ、帝国の秩序を乱して凶行を為した。これは紛れもない愚行で許されざることだろう。だが、だがだ」
ブライアンは悲しみと怒りを押し殺すようにして言葉を選び、胸中のそれを吐く。
「魔物との戦い…勇者パーティの仕事などというものはとどのつまり、相手の裏を掻いて殺戮の限りを尽くすという詭道の類だ。普通の人格でそれに耐えることはどうしたって難しい、何故なら人は心優しいまま幼い魔物の首を掻っ切り続けることはできないからだ。戦場に出て残酷な行いを続ける以上、そこで必要とされるのは軽薄な人格と非道な感性なのだ」
それを聞いた妻はハッとした。戦場から帰ってきてから彼が、今なお不眠に悩まされていることを思い出したからだ。
「魔物の種類は多種多様で、中には人と瓜二つな生活を送っている種族もいる。作戦の上で子供を庇う母親らしき魔族と戦場で会ったこともあったし、そういったものに動揺して手を止めた仲間が目の前で殺されたこともあった。それに敵と相対する時だけじゃない、これは勇者一行に加わる前の話だが、回復魔法が通じない熱病にかかった者らに懇願され、剣で苦しみから解放してやらねばならない時もあった」
窓外を見る彼の目は澄みながらも諦観を宿し、冷たい。
「戦場というのはどれだけ慣れたと思わしき者でもある日突然に泣き出して自殺する。そういう場所なのだ。自分と敵、他人が同じ生命を持つ存在だと思いながら過ごせる場所ではない。だから自分と殺す相手を完全に区分けするために共感するという感性そのものを否定したり、人を馬鹿にすることで心の優位を保とうとしたり、傷心を誤魔化すため己自身に嘘を吐いたり、敵と定めた者には苛烈な態度しか取れない者もいる。そこでの円熟とは必ずしも高尚さに近づくことを指しはしないし、決して品性や知的さといったものが普遍的な価値として通じる訳でもない。彼らの愚行は帝国護領の必要性から生まれた一つの被害であり、結果なのだ」
「で、でも…あなたはこうして普通に喋っているではないですか。話に聞く彼らの蛮行とは違い理性を保ち、一線を越えるようなこともない」
「俺は色んなものを見知ってるこの歳で、しかも欠員を埋める為に最後の1年を共にしたに過ぎない。その1年でさえ彼らの多くが変わっていった部分を知っている」
そう言ってブライアンは目を閉じ、瞼の裏に仲間達のかつてを想った。以前から地縁の関わりで見知っていたティボーは元々あそこまで人を小馬鹿にする性格では無かったし、教皇庁でちらと見かけたかつてのガッドは青白く文学青年といった印象だった。メアリーやルシアン、アミラにしても、出会った時には少なくとも殺し合うような間柄では無かった。
確かに彼らは最初から道徳性を重んじて勇者一行に選ばれたわけではない。しかし、かといって最初から人格が破綻しているような人間でも無かったのだ。擦り減る前はどこにでもいる、普通の若者だったのだ。
「都市に住む町民が肉を食べておきながら猟師の残酷さを非難する権利が無いのと同じように、この街やこの国に生きて平和を享受している以上二度と彼らのことを非難するんじゃない」
そう伝えられたブライアンの妻は沈黙する他無くなった。この話について彼女には気休め程度にも語れる言葉を何一つ持ち合わせていなかった故に。
市中を抜け大門を過ぎると、羊が放し飼いされた放畜場と修道院が並ぶ穏やかな景色が広がっていた。
「…む」
道すがらに遊ぶ子供が随分と多い。身なりを見ると貧しい装いだから孤児院の子供達だろうか、それにしては冬を越せた人数が例年よりもかなり多いように思える。
ブライアンは馬車を止めさせて通りすがりの修道女に声をかける。身の回りの豪奢と腐敗で知られる教皇庁が、突然貧民に気を掛ける優しさへ目覚めたのか気になったのだ。
「ああ、冬前に奇特な方がいらして寄進をして頂いたのです。このお金を子供達のために使って欲しい…と」
「何、その者の名は?」
「さぁ…名乗らないまま去って行かれましたし、顔も良く見えなかったので…。でも優しい声でしたし、きっと女性の方ですわ」
「……」
ブライアンは自分が勇者パーティとして加わった時、それを歓迎して開いてくれた宴の中で皆と色んな話をしたことを思い出した。共に生きて帰ろうという話、故郷に残した恋人の話、夢の話、家族の話、そしてアミラに羨まれた子供の話…。
彼にはまるで、それが昨日のことの様にありありと思い出せた。薄暗くも輝く、今となっては語り合う相手もいない思い出のことを。
陽の下に建つ修道院の傍ではいつまでも、いつまでも子供たちの笑い声で溢れていた。




