第11話 イーハトゥーブ・イーハトゥーブ(後編)
「だーッはッはッはッ!!!」
「うっ…うっ…!」
私が馬乗りになって殴り続けていると、元気を失ってきたかメアリーの悲鳴に勢いが足りなくなってくる。「おいどうした、まだ始まったばかりだろう」頭絡代わりに彼女の長い金髪を締め上げると、くぐもった声で抗議の声を出してくる。
「止めてっ…ごめんなさい…許して、もう許してよォ…!」
最初は威勢よく応戦してきたメアリーだが、後方支援向きの魔法を得意手とする彼女に負ける理由は無い。この分なら片手でも構わないし、消耗が激しい聖典鎧を出すまでもないなとぐじゃぐじゃに泣きじゃくる彼女を見ながら思う。
「う~ん、大分いい顔になってきたな」
『消音魔法』を張っているこの部屋でどれだけ泣き叫んでも彼女の助けは来ない。お楽しみの拷問タイムと洒落こむことにする。
「オイ、顔を見ろ。自分の顔を見るんだよ」
「ひぃ、ひぃぇ…ぐっ…!…いっ、痛っ!?嫌あああああっ…!!」
瞼を閉じてイヤイヤするので上瞼を引きちぎって目を無理やりかっ開かせる。何かを落としながら棚上の鏡を引き寄せ、首も動かせないように腕で抑え込む。
「プッ…おい見ろよ。まるで物乞いのババァみたいだぜ~?」
「う、嘘…これが、これが私…?」
かつて街中を歩けば振り返らない者がいなかった美しいブロンドヘアは殆ど抜け、特に私が散々引っこ抜いた頭中央は大きく禿げあがってしまっている。何度も殴った顔面は赤黒く腫れあがり、綺麗だった歯並びもボロボロにしてやった。以前の美貌ぶりを想像することが難しいぐらいの醜さにすることができたのだ。
でもまだ何か足らないよね。元の骨格からして美人だからかまだブスになり切れていない気がする。うん、やっぱりユーモアが足らないよ。もって面白い顔にして鏡を見た時に自分で笑えるぐらいにしないとさ。そう、私みたいに。
「左右対称めいているのがいけない!この耳は悪い耳だ、ウギギギギーッ!!」
「ギャアアアアアア!!」
目の前の左耳にかぶりついて引きちぎる。1回、2回、3回目。しまった、上半分だけが千切れて残った耳が小さくなってしまった!なんとも噛みづらい形になってしまったぞ。
「うぅぅ……ル、ルシアンに用があって来たんじゃないの…?なら私は関係ないよね…?許してよ、もう許してよぉ…」
「はぁ?お前のことも憎んでるに決まってんじゃん」
「何でよ!アンタが虐められてるところを助けなかったのはブライアンだって同じじゃない!!だったら私だけこんな目に遭うのはおかしいじゃない!!」
どういう伝わり方をしているのかは知らないが、一月前私がブライアンと再会した時のことを言っているのだろう。だが、彼女は勘違いをしている。
「…ブライアン殿には前々から陰ながらに助けてもらってたんだよ。それにティボーが言うには私のことを暗殺する話にも嚙んでなかったらしいし、必要もないのに見境なく殺したらそりゃ只の大量殺人鬼だろ」
まぁ実際私は大量殺人鬼なんですけどね。自分で自分を馬鹿にするのは楽しいです。論理の破綻や矛盾する思考だって己の低能さを再確認できるようで癖になる心地。私も含めてみんな死んじまえ!出血で死なないように適度に回復魔法をメアリーにかけつつ拷問の為に手を動かす。
「あとお前が憎い理由だけど私はな、直接暴力を振るったり馬鹿にしてくる奴よりも、お前みたいな自分の手を汚さずに後ろからこそこそ笑ってる奴らが一番憎いよ」
「え…?」
「魔法が使えるんだろうっ!?貴族なんだから!!男女の性差なんて魔法がありゃ筋力による違いを超越出来るんだからさあっ!!!」
「うも…っ!?」
大声でがなり立てながらメアリーの体を力づくでひっくり返し、鼻に指を突っ込んで釣り上げる。ははは豚鼻だ!
「だったらかしずくなよッ!?おもねるなよっ!!?人の好意を引き留めようとするんじゃあないッ!!何のためにテメェは両手足が付いてるんだ?!お前みたいのは女の恥さらしだ!お前みたいのがいるから女が蔑まれるんだ!!お前の存在が女を廃らせるっ!!!
」
「もがっ…!!?や、やめへぇ…意味わかんないよぅ」
「男に媚びるな!!強請るな!!己が力で掴み取れッ!!『生存権から愚行権』に至るまでーっ!!」
指に付いてる血のりのせいで滑ってばかり。腹が立ったのでズポズポと手を勢いよく動かして鼻の穴を広げてやった。小さく可愛らしかった鼻孔を少しづつ育てるのよ、真っ赤で大きくなるように育てるのよ。
「ああ…、この世で最も醜く価値の無い存在は貴様のような風見鶏だ…。反省したか?」
「そ、そんなこと言っても…人に好かれようとするなんて当たり前のことじゃんっ…!!大体私みたいな人が居なくなったら世の中回らないよぉ…」
「なにっ」
「ひいぃ…!?」
「お前のような人間が居ないと社会が回らないだと?それではゴミ掃除と破滅が相まって一石二鳥ではないか!諸救済の帰結が「狡さ」に寄生する惰弱を許せば、私がここにいる理由は只の運不運になり下がって意味を失うからな。だからテメェみたいな奴を殴るのにおセンチな感性は必要なぁい!最高だ!!!」
「い、意味わかんない!意味わかんない!!誰か…誰か助けて…うぐっ」
「私が人倫に則って顔を変えずに生きてきたことへの復讐だよ!!「贖罪」なんてするもんじゃないなって話だ!!」
天網恢恢疎にして漏らせばコーソカス。何が観察と中立と法を司る審判神だよ、機能不全起こしてるじゃねぇか馬鹿が。羽交い絞めにて彼女の首を絞めると鬱血で顔が牛の乳房のように膨らんで赤くなっていった。
「お“っ…死ぬ、ホントに死ぬ……」
「反省しろッ!!謝れッ!!!そしてもう二度としませんと誓えッ!!」
「ゴッ…ゴメンナサイ…!も、もうしません……!!」
「……!!罪を認めたなッ?!ならば死に腐れーッ!!!」
「オ“オ”オ“オ”ォーッ?!!」
ゴキンと鳴る鈍い音。「あ、やべ」
「…ォ、……あ」
殺しちゃった?殺しちまったか?
白眼を剥いて体から力が抜けていくメアリー。「おいっ死ぬな!まだまだお前でやりてぇことが沢山あるんだ!!」なんだってコイツはこんなに弱いんだ。急いで動かなくなった身体に回復魔法をかけ続けるが反応がない。し、死んだ…?そんな…。
「生き返れっ生き返れっ、生き返れ!生き返れ!」
どうにか外傷を治そうとするが曲がった首が上手く戻らない。骨でもズレてるのかと素人考えでごきごき動かすが歪な形になってしまった。「畜生、一度殺しただけで死にやがって」意思の抜けた肉体は何時だってだらしがない。口から唾液をぽたぽた垂らし、メアリーはだらんと寄り掛かってくるただの肉塊となってしまった。汚いなぁ。
―――
――
―
「ん…なんだこりゃ」
腹いせに死体を解体して遊んでいると、部屋中にばら撒かれた血に濡れて何かでシーツが膨れている。メアリーが何時も持っていた信仰心の証、所用あって少し前に教会でも見かけた安寧の象徴、聖像だった。
(神、神か)
人が魔物に対抗し得る力を与えてくれた全能の絶対者。人々はその神性に預かることで秩序と安寧を保障され、彼の存在には常に祈りと忠誠心を絶やさぬようにと教皇庁では教えられてきた。だが、そこまで思い出し至って私は笑ってしまった。
(私のような無法者を止めたり、罰することも出来ないのに何が全能者だろうか!)
ゲラゲラ笑って聖像を蹴っ飛ばす。誓言を唱えることで発現、強化される魔法とは審判を下す天の目を意味しない。何故なら帝国に翻意を抱き隠れ潜み続けている「不心得者」が現実殺しきれていないし、私の様な不逞の輩もその内面如何を問われていないからだ。ひょっとすると信仰とそれに伴い得られる機能とは別のものではないのか?つまり神と人における罪と罰の関係が、人間における主人と奴隷の関係のように隠蔽可能なものではないか?
そもそも高位の聖職者でさえその信仰を示す行動は集団による断食、喜捨という外部に対する働きかけを主としている。最も敬虔とされる信者ですら、そうした信仰の在り方が魔術や聖典鎧といった実益と結びついていることは否定できないだろう。
そう実益、実益である。神の奇跡と恩籠が実益であるが故に、信徒から神に対する信仰の表明とは何処までもそれを求めた外面的な行為によって表現される。無論信徒同士の寄合いとは互助の精神があるから、心より連帯と愛を語れる殊勝な者も中にはいるだろう。だが、ここで神と分かち合う主題とはあくまで輝かしい栄光に留まっていることでむしろその影響が及ぶ範囲を自ら狭めているし、しかも下位の存在である人から上位の存在である神に祈るという行為は絶えず修飾の技術を要することで弱者や卑に類される人々は救済から外れることになる。ましてそれが受難を肯定してくれるわけでもなしに!
「あ~っひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!」
それではあれか、信仰の技術とは虚飾であるのか?信仰と人生の一致目指す使徒的生活でさえ隣人の目を気にしているからに。―そこにある精進、それは聖痕や集団懺悔といった肉体や人目を主とした―苦行についても常に分かりやすく、表明することで価値が生まれている。
だが祈る姿勢が取れない者は信仰者であると神から扱われないし、ここで捨て置かれることになる。程度の差はあれ信徒の選別が行われるわけだ。すると後には何が残る?神に選ばれなかった者の嫉妬である。―ああ分かったぞ、今まで何度も潰されても潰されても共和主義者共が消滅しないのかが分かったぞ。あんまりしつこく出てきては同じような失敗を繰り返すものだから、これまでてっきり彼ら脳には欠陥があるのではないかと思っていたが―それは神より選ばれず、目の前で明らかに優遇されている者達がいて、神の愛の外縁か又はその外で腐るしか道が残されていないため他にどうしようもないからだ。加えて、彼らを裁く側である帝国貴族達も内面の悔悛なぞ人に求めては翻って自らの首を絞めかねないから―いや、それがどの程度理性的な判断によるものかは分からないが―信仰差による帰結が人の内面へと言及する機会を奪うことは不平の実感と表裏の関係にある。どこからもいつまでも争いが無くならない訳だった。
「だっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!あ~あ、ひっひっひっひっ…!!」
ああ、何故私はこんなことに気が付いてしまってたのだろう。気が狂ったから?私も孤独だから?いいや、違う。きっと私がブスだからだ。正道の遂行に虚偽が前提として組み込まれていることは、誰よりも外面で差別されてきた私だからこそ気が付けたのだろう。「良きは善き、悪しきは悪しき」はその滑稽さでもって私の意識を呼び起こしたのだ。外と内が同じでないというこの自明!…そして私だってこの滑稽さから逃れられる訳ではない。
「ひっひっ…。ひ……。…………」
私はこの醜い外見で判断してくる余人をいつも憎んでいたが、その私だって母さんが自殺するほどの苦しみを外見から分かってあげられなかったのだから同罪なのだ。外面と内面が違うと誰よりも気が付けていた筈なのに。そしてどれだけ消極的だったとしても、母さんに生きて欲しいって願う私の勝手な気持ちが入り混じってたと思うから。そんなずるい部分が、何よりも誰よりも大事に思ってるからこそそれを自分が生きる為に利用するようなずるい部分があったじゃないかな。だからあの時母さんの為に母さんを殺せなかったんじゃないかな。
「……。私は―――」
その瞬間、部屋外に充満する魔力を感じ取った。咄嗟に伏せるが避け切れず、血しぶき蒔いて左手が吹っ飛んだ。
「うおおおおおおおっ!?」
部屋ごと吹き飛ばんばかりの魔力の放流。二階を支えていた柱と床が割れ、下層へと落下する!
「おおっ!?」
落下を待たずに部屋外から幾つかの影が部屋中に侵入しているのが分かる。―右旋回の袈裟切りと左脇から心臓を狙った突き―私は即座に上体を寝かせて両足で逸らすことで何とか致命の一撃を回避する。
『銀の海より授かりしは収奪の瞳…緑眼よ、今開かれん』
「―!」
聖典鎧が現れたことに影達が戸惑った束の間、私は最速の光球を一人に打ち当てる。
「カハッ…!?」
「……」
だが隣で死んだ仲間に動じる風でもなく、もう一つの影は落下する木片に飛び乗る形で対応してくる。二飛びだけで私の死角へと逃れていく―。
「馬鹿が―何ッ」
自在の光球を回し込んで逃げる影を殺そうとしたその時、視界外から放たれた風魔法に乗ってこちらの攻撃を躱してきた―それだけじゃない、風に操られてまだ追撃してくる!
「うおおおおおおおおおおおおっ!!」
両腕が無くてバランスが取れない!今の私が空中戦をしてはいけない!!ズブリと肩先に鉄の異物を刺し込まれた感覚を察知すると同時に思考する。
「―?!」
回復魔法で傷口を塞ぎ、相手のナイフごと固定する。得物が抜けなくなった影―よく見ると中背の誓約騎士―の重心を利用して下に敷いて数瞬、地面に激突する―っ!
「ガぁ…っ!!」
衝撃。ダメージを負ったのは私も同じだが、墜落で生まれた土煙に紛れて『透明化』を何とか発動させる。だが、共に落ちた誓約騎士が即座にしがみついてくる。何と半死にしか見えない敵の傷がみるみる内に治っていっているではないか!
「去ねぃ!」
「ぐはっ…!!」
腕を光球でへし折って何とか拘束を抜け出そうとした刹那、正面から先の倍はあろうかという魔力の光線がギリギリ誓約騎士にだけ当たらない形で飛来した―
「―――」
焼けるような痛みと遠のく意識。壁を抜いて吹っ飛び外に投げ出された。集中が途切れて『透明化』も解除されてしまう。恐らく戦いが始まってからまだ10秒も経っていないが、こんな曲芸じみた連携を出来る奴は一人しか知らない。
「―ルシアンっ!!」
「聖典鎧が使えるようになっていたのか、アミラ」
両脇に誓約騎士を一人ずつ携えてルシアンが姿を現した。腕を折った先程の者は既に全快して前を守っている。互いが互いの長所で補完する計4人の戦陣。
「殺しで遊び過ぎたな。音は隠せても外まで血の匂いが漏れていたぞ」
「そりゃ失礼、あんまり楽しかったもんだからね。アンタこそ彼女が襲われた割には仲間を呼びに行く余裕があるなんて随分冷静じゃない」
「……」
「…?」
ルシアンは私の言葉に答えもしなければ攻撃もしてこない。ただ睨みつけるだけで戦場の呼吸を量っている風でも無い。時間の経過は回復できるだけ私にはありがたいが…他の誓約騎士に気を配り始めた時、ふと彼が言葉を口にした。
「何故お前は生きているんだ」
出てきたものは突拍子もないものだったが、即答する。「生きる理由を奪ったお前に復讐するためだよ」
後ろから刺されたあの日に教えられたのは私を暗殺するという計画は目の前の男が発案したとのこと。拷問で聞き出した情報からも裏付けは取れている。今度はこちらから疑問を返す。
「お前こそ何で私を殺そうとしたんだ」
そう、それだけが今までずっと分からなかった。私たちは魔王を倒したんだから既に栄誉や報酬を受け取って幸せな生活を送れることが約束されていたのだ。加えてコイツは大貴族の長子、一人分の報奨金欲しさに動くわけがない。只の嫌悪感だけで私を殺すには明らかに不都合の方が多い筈だった。
「……詮索無用。ここで死ね、アミラ」
そう撥ね付けるように言うと、ルシアンは淡々と誓言を唱え始めた。
『理想世界は―利他の理』
―奇跡の発露、精霊の神秘が光りを生む。
蒼い流線的なフォルム―小さい身体をすっぽりと覆う黒き外套―そして天に向かって伸びる細くも鋭い角。精霊マラオに帰依した由緒正しき戦術機械、今代勇者ルシアンが聖典鎧を身に纏い世に顕現した。
「―ッ」
私は両腕を失い、重心が安定しなくなった身体を風魔法で吹き飛ばすようにして動かす。付け焼刃の猿真似だが、二本の脚を動かして転ぶよか余程良い。
「……!」
私に反応した誓約騎士達が迎撃の構えを見せる。
―五つの礫が死線にて交差する!―
騎士たちは同時に、同地点の私を目掛けて思い思いの攻撃を仕掛けてくる。このままでは私の絶命は必至―何故なら今彼らの後ろにいる男は、仲間から伝達される情報を瞬時に読み取り、本来半生を捧げて訓練せねば身に着かない寸分違わない連携を可能にする異能の男だからだ。
「だああああっ!」
「…!?」
私は片手で添えるように得物を持っていた前衛の騎士に敢えて自ら突っ込む。相手は躱してくるとばかり考えていたのか、騎士の持つナイフは私を刺し貫いたが動揺で僅かに急所を外した。
刃物とは扱い慣れぬ者にとってはその全容が凶器に見える。だが、その実ブロードソードだろうがナイフだろうが、武器というものには殺しに足る部位とその「使い方」というものがある。切っ先、腹、柄…鎧は勿論、骨の隙間を狙って瞬時に人を絶命させるには卓越した技量が要る。怯んだ騎士の刃で肉は断たれたが、骨で止められたのだ。
「…っ!馬鹿野郎!!魔術を止めるな!!」
「で、でも…うおっ!?」
仲間の騎士に隠れて私への射線を通せなくなった後衛達が逡巡した。ほんの一瞬、一秒の更に何分か一の極々僅かな時間、しかし戦場に於いては値千金の好機が目の前に転がり込んだ。
「―――」
ルシアンからの指示が理解できなかったか、それとも仲間ごと私を撃ち殺すという判断が下せなかったのか。前衛の背中越しに飛ばした光球は後衛達の眉間と首筋を2,3箇所づつ撃ち抜いて驚愕の表情のままに殺した。
ガッドとの戦い…いや、戦地の記憶を思い出す。戦いにおける生存とは結果であって手段ではない。生きる為に振るう刃より相手を殺す為の刃が僅かに速く届き、結果として生き残ってしまう。死地を少し離れただけで私だって一度は腑抜けたのだ、やはり峻厳なるかなこの道は。
「―チッ!」
後ろに飛びのくルシアン。私は抑え込んできた横のそっ首を撥ね飛ばすと、魔法を使って追いすがる。
「死に腐れやーッ!ルシアン!!!」
ルシアンには糸を伸ばして敵を絶命させるという特殊な魔法を除いて、直接戦える能力は殆ど持っていない。その糸ですら聖典鎧を使って速度の増した私を捉えることは出来ないはずだ。
敵に打開の方策は無し、これで詰みだった。
―あと5歩分の距離、これですべてが終わる。私は光球の狙いを定めつつ前進する―
―あと3歩分の距離、こちらを振り向いたルシアンの表情が歪みゆく―
―あと1歩分の距離、光球を放とうと眉間を見据えると…
ルシアンの顔が、歪み笑っていた―
「がっ…!!」
突如床下から伸びた手甲が私の足を掴まえた。転倒、顎を打ち付ける。
「なっ、コイツいつから…ぐっ!」
手甲が地に伏した私を逃すまいと手だけではなく風魔法で床に押し潰してくる。風魔法を操っていたのはコイツだったのか…!
最大5人までとの連携を可能にする彼が誓約騎士を4人しか連れてこなかったのは時間が無かったからではない、最初から1人を伏兵として潜ませていたのだ。
「切り札は最後まで取っとくもんだ。なぁアミラ…?」
「ぐぅっ…糞ッ!放しやがれっ!!」
身動きの取れない私にルシアンは悠々と手を構え、白糸を伸ばす。
「これで終わりだ。お前のこと本当に嫌いだったぜ、アミラ」
「―ぁ」
全身に伝わる脱力感。突如私の視界は暗転した。
「…フン、静かに死んだか。発狂すれば見ものだったのにな」
「……」
メキメキと木板を破って下に隠れていた誓約騎士が姿を現す。地下は熱が籠って暑かったのか、戦闘が終わったと気付くや聖典鎧をさっさと解いて素顔を晒す。長髪を後ろに束ねた金髪の女が不満げな顔をしてルシアンを睨む。
「なに、こんな役割はもう二度と御免だと?馬鹿を言うな、信頼できる相手にしか頼めず最も生存率が高い役割なんだぞ。お前が一番適任だったのだ」
「……!」
フンスと鼻を鳴らして怒りつつも、満更でもなさそうな雰囲気を金髪の女が醸し出す。
「…ああ、悪かったよ。後始末が終わったらどこにでも付き合うよ。だから機嫌を直してくれ」
余程懇意にしている相手なのだろう。ロクに言葉を交わさないまま彼らは楽し気にやり取りしている。仲良きは美しき哉、聖典鎧を見る限り高位のものだからきっと家柄も近いのだろう。ルシアンは愛を幻想だと見限っているようだが、端から見てる分にはこの二人がいずれ迎える結末もそう悪いものではないように思えた。だから…
だから私は女の方から殺すことにした。
「…え?」
切れかけている魔力で生み出した極小の光球。僅か直径数ミリの異物が女の体内―股ぐら、腹下、心臓、乳房、喉、頭をズタズタに引き裂いて片目から飛び出してくる。
ころりと床に転がり落ちるのは女の眼球。驚いたことにまだ意識があるのか、金髪の女はパニックになって落ちた目を手探りで探し出した。
「ルルルシア…ルシアン!た、たじゅ…助けてェ!!」
いや普通に喋れんのかい。
横で五月蠅くされても敵わない。もう片方の目や喉を完全に潰すと、暫くじたばたした後に女は完全に動かなくなった。
「……」
その間もルシアンは呆然と立ちすくんでいた。まるで夢でも見ているかのように。
「げっげっげっ…ふひゃ!はっひゃっひゃっ、ひーっひゃ!ふぇひゃっひゃっひゃあ“ーーーっ!!!」
笑いが止まらない。どうだ、これが愛しい者を奪われた気持ちだ。目の前で大切な相手が死ぬ瞬間だ!!
「…何故だ」
「かひひひっ…!!にひっ、ひへへぇっ…!!ゲホッ、おほひっ…えっ?」
「何故お前は生きているんだ…。俺は確かに…」
「へへへ…何でか教えてやろうか?それはな―――お前の不幸が大したこと無いからだよ」
「………………何だと?」
ルシアンの白糸の正体は周囲の人物の情報を読み取るという彼の魔法の裏返し、つまりルシアン側の情報を白糸で繋げた相手に送るというものだった。流し込まれた側の人間は自分とは別の人間の感情、とりわけ絶望や無力感といった負の感情が無理やり流し込まれるものだから大抵頭がおかしくなって死ぬ、そういう仕組みだったのだ。
だが私は彼の白糸の存在を予め知っていたから、白糸を使って半殺しにされたゴロツキに直接私が止めを刺すことで殺した相手のものを奪う魔法を発動させ、白糸を受けた相手の記憶を奪ってそれに備えることが出来たのだ。
初めて読んだ文章に衝撃を受けることはあっても、何度も目を通してしまえば―それが少しづつ読み取ることが出来るものなら尚更―その衝撃を和らげることが出来る。要するに、私はルシアンが人に送っている絶望を前もって予習していたからそれで死ぬことは無かったのだ。
いつか前にお前は教えてくれたよな、戦いは戦う前から結果が決まっている。
…ところで、ルシアンから絶望として送られてきた情報の中には思わぬ副産物があった。彼がこれまで生きてきた記憶という心の恥部である。
「お前は自分の不幸がオンリーワンだと思っていて、それを人に流し込んで殺すことで悦に浸っていたんだ。世界で一番不幸なのは僕ちゃんです…僕の抱えている苦しみを常人が味合えば皆発狂するんだぞぉう、それでも生きてる僕ちゃんは偉い…ってな」
「ち、違う…俺は…ただ、それが対人戦で唯一有効になり得る攻撃手段だから…」
「嘘つくんじゃねーよ!実際は情報量で頭をおかしくしていただけで、その内容については発狂にあまり関係ねーんだよ!!実際に体感してみた私がここで喋ってることが動かぬ証拠だろーが!!」
「…っ」
話をすり替えつつ愚弄してみたがどうやら気付かずに傷ついているご様子。メアリーには死に逃げられたからここでコイツに立て替えてもらわなきゃいけない。さぁメインディッシュだ!
「それになぁ、ルシアン…私分かっちまったんだよ」
「な、何を…」
「さっき直接お前に流し込まれた時な、記憶がよぎったんだわ。その時お前が私を殺したくて殺したくて仕方が無い理由が見えちまったんだよ」
「や、やめろっ…!それを言うなっ!!」
「お前嫉妬してたんだなぁ!人の不幸に!!顔がもの凄く醜い私が分かりやすく不幸なものだから、世界一だと思ってた自分の不幸に対する自信が揺らいでいても立ってもいられなくなったんだ!!魔王を倒すっていう貴族としての務めを果たしている内はまだ堪えられてたけど、荷が下りた瞬間お前の幼稚な自尊心が私を殺さずにはいられなくなったんだ!!」
「ヤメロォーッ!!嘘だ!!そんなものは嘘だ!!」
多分コイツは人の感情に触れてなまじ比較できるものだから、最も多く触れている自分の感情がかけがえのないものに思えてしまったのだろう。―そう、例えそれが孤独という苦悩の感情であったとしても―それにしても不幸そのものが自我を支えている立木であるとは、何と滑稽な奴だろう!
「げっひゃっひゃっひゃっやっ、だっはっはっはっはぁーッ!!」
「黙れ!黙れ、黙れェ!!ぶっ殺してやるッ!!」
逆上して正常な思考も出来なくなったのか、ステゴロで殴り掛かってくるルシアン。両腕が無いから起き上がれず、実はもう魔力が切れているので実はヤバイ私。
殴られ、噛みつき、歯が折れ、頭突し、頭突きされ返され、唾を吐きかけ、目を蹴り潰される。足で組みつき、ぶん殴られ、鼻をへし折り、髪を掴まれ、涙を流させて、血を流されて…。
血と汗に塗れた部屋にて二人。閉じた世界でこうやって全霊の意思をぶつけあっていると、段々奇妙な快活さが身に宿るのを感じる。楽しいのだ。
―なぁルシアンよ、お前は世に愛や共感が無いなんて絶望していたみたいだけど、別にそんなことは無いんじゃないか?―
―だって今の私達を見て見ろよ、相手を殺す為に必死になって弱点を探しあい、体を弄り合っているじゃないか―
―どうすれば相手をより傷つけられるか。どうすればより相手を苦しめられるか。私もお前も一心不乱になって相手を睨んでるけど、こりゃ見方を変えれば相手を理解しようと必死になってるってことだぜ―
―私達はどうしようもないぐらい別々の人間だけれど、今この瞬間だけは憎悪でもって互いを引き結んでいる―
―少なくても、復讐が完遂するまでに続くこの時間はだけは孤独じゃないよな?―
「このドブスがァー!!!」
「うるせぇ糞チビぃ~~~ッ!!」
互いに頭突きし、吹っ飛ばしあう。視界の中で傾く相手が見えたが、向こうが倒れたのか、こっちが倒れているのかは分からなかった。




