天邪鬼な王子、ついに覚醒す
紺地に白のラインが入ったタータンチェックのプリーツスカートに、紺無地のブレザー、スカートと同じ柄のベレー帽。
下ろし立ての制服に腕を通すと、気持ちが引き締まる。
胸元の赤いリボンを結ぶのに悪戦苦闘していると、苦笑した姉が手際よく結んでくれた。
「ありがとう。どうもこういうのは苦手で」
「相変わらずの不器用ね。これから毎日着るのだから、一人で結べるように練習しなくては駄目よ」
王都へ来てはや三ヶ月。今日は学園の入学日だ。
学園への編入は年度が切り替わる春からだったけれど、私が王都への出発をかなり早めたため、三ヶ月の準備期間があった。
ミリア姉さんが張り切って勉強を教えてくれたり、王都中を案内してくれたり、学園見学をしたりと、準備期間中は割と充実していたように思う。
学園は全寮制。学園に入学するまでの間、住む場所がないので、学園に許可を貰い姉の部屋に住まわせてもらっていた。
通常、部屋は二人制だけど、姉は学園の成績上位者から特別に選出される「特別選抜生」のため、個室を与えられている。
入学後、新入生への部屋割りが行なわれるので、私は二人部屋に移ることになっていた。
学園寮は学舎から徒歩十分ほどの距離で、学園通りと呼ばれるレンガで舗装された道を歩けばすぐである。
ミリア姉さんと一緒に歩いていると、同じ制服を着た学園生たちが皆、姉さんに挨拶していくのには驚いた。
「特選生って、生徒でありながら特別な権限をいくつか持たされていて、規律を乱す生徒には罰則を科したり、学園運営に関わったり、普通の生徒ではない教師に準ずる存在なの。だからみんな私のことが怖いのよ、きっと」
姉はこう言っているけれど、挨拶をしていく生徒たち、また遠巻きに姉を見つめる生徒たちの目には、焦がれるような熱があって、彼らが皆姉を慕っていることはすぐに分かった。
ベレー帽から真っ直ぐに伸びる鮮やかな赤毛に、神秘的にきらめく翠色の瞳。髪と目の色は同色でも、私とは似ても似つかない華やかな顔立ちの姉は、スポーツで鍛えたしなやかなスタイルのいい身体を制服に包み、颯爽と歩いている。
妹の私から見ても素敵だし、彼女の妹であることが誇らしい。
「おはようミリア。アンネリーゼ。今日は晴れて良かったな」
爽やかな挨拶とともに登場した青年は、自然な動作で姉の頰に接吻を贈る。いつものことなので姉は全く動じていないが、周囲からはざわめきが起こった。
「いいなぁ。私もエルネスト様にキスされたい」
「やっぱりあの二人はお似合いよね」
私たちと同じ制服を着た黒髪黒目の美青年、エルネスト・ルッソは満面の笑みを浮かべた。澄ましていると冷たく感じられる整った容貌が、笑うと春の雪どけのごとく暖かく優しく変化する。姉限定の笑顔だが、隣にいる私にもその笑顔の余波が飛んできた。
うっ。眩しい。目が潰れる。何度見ても見慣れない。凡人にこの輝きは眩しすぎる。
彼は普段はニコリとするどころか、怒りや驚きといった感情すらロクに表に出さないくせして、姉の前だけで感情豊かになるのだ。
その無表情さに氷の王子の異名を持つ。
王子で思い出したが、我が村の天邪鬼王子は学園在籍時は完璧王子と呼ばれていたそうだ。
ちなみにエルネストも特選生であり、私の未来の義兄でもある。そう、彼は姉の婚約者なのだった。
家と家の政略的なものでなく、姉に惚れ込んだエルネストが誰かに奪られる前にと、強引に婚約を結んでしまったのだ。
同行者が増え、私は居心地が悪くなってきた。
二人とも学園で知らない人間のいない特別選抜生であり、片や一緒にいる私は容姿も中身も凡庸な新入生である。
当然あれは誰だ、という話しになるのだが、姉と全く同じ色彩の髪と目を持ち、かつ一時的に寮の個室で同居していたことは知れ渡っており、私たちが姉妹であることは大体の生徒は分かっているようだった。
私だけが居心地の悪い時間は大して長く続かなかった。ゆっくりながら歩を進めていると、やがて、学園の校門にさしかかる。
やはりすごい。一度見学に来ているから目にするのは二度目だけれど、村の学校とは比較にならないぐらいの大きさだ。設立されて数百年もの歴史を持つだけあって、漂うオーラが違う。その威容にひたすら圧倒される。
王都一の規模と生徒数を誇る学園の学舎が、堂々たる佇まいを見せていた。
赤レンガの重厚な建物は五階建で中央に時計台が設置され、西側には球技や学園行事などを行う五角形をした多目的ホールが、東側には図書館や研究実験を行う研究棟などがある。
入学式があるので、まずは多目的ホールに向かう。姉たちは運営側としての準備があるので入口で別れた。
ホールに足を踏み入れると、非常にざわついており、中心に人だかりが出来ていた。
新入生にしては数が多いので在学生も混ざっているようだ。
「王子が帰って来てくれて嬉しい」
「今度は途中で居なくならないで下さいね!」
「卒業まで居てくださいよ王子」
王子? エルネストといい、ルカといい、この学園には王子と呼ばれる一般人が何人いるのやら。
少しだけ胸がざわついたが、気のせいと結論づけて受付を済ませる。
ボードに貼られた座席表から自分の名前を探し出し、着席する。
話し相手もいないので、式が始まるまでの時間、ぼぅっと座っていると、背後からいきなり肩を叩かれた。
「久しぶりだね! アンリ。少し見ない間に垢抜けて綺麗になったね」
金髪碧眼の甘い容貌。軽薄王子と呼ばれる特選生のダミアンだ。姉と同級生であり熱心な信奉者でもある。
その二つ名の通り、女性に対して、誠実さのカケラもない態度をとるが、その王子然たる容姿と口から雨あられと発せられる砂糖菓子より甘い台詞にほだされた女性たちから絶大な支持を集めている。
この軽薄な男は気障ったらしい動作で、姉が綺麗に編んでくれた髪にそっと触れると、その一房に口付けた。
私は軽くその手を叩いてやる。
「お世辞なんてやめてくださいよ。ダミアンさん。あと、私のことはきちんとアンネリーゼと呼んで下さい。貴方と私は愛称で呼び合う仲ではないのですから」
「お世辞なんかじゃないさ。出会ったばかりの頃の君は、まだまだ蕾で可愛らしさが先立っていたけど、最近では花が咲き誇るかのように美しい。だいぶミリアに似てきたね」
「ミリア姉さんと私とじゃ月とスッポンです。顔なんて似ても似つかない。それと私を姉さんの代用品にするのはやめて下さい。ミリア姉さんが欲しいのなら、正々堂々と本人にアタックするべきです」
姉は婚約者に夢中なのでダミアンに振り向くのはあり得ないと思うが。
「君がミリアの代用品? 有り得ないよ。ミリアのことは大好きだけど、君は君で魅力的だ。外見はともかく内面は別物だし。俺が欲しいのは君だよ。可愛いアンネリーゼ」
中央にあった人だかりが、気付けばなくなっていた。その代わりに私の周囲が騒がしくなってくる。
あの人だかりの中心人物がこちらに移動してきたようだ。
生徒たちに囲まれた真ん中に、見覚えのある鮮やかな青い頭がちらりと見えて、私は音をたてて立ち上がってしまった。
まさか。まさか、そんなはずは。
「急に立ち上がって、どうしたんだいアンネリーゼ? 具合でも悪いの?」
「ええ、とても具合が悪くなってきました。申し訳ありませんが、救護室に案内して頂けないでしょうか?」
「それは大変だ。すぐに案内しよう」
ダミアンに手を取られ、移動しようとするも時すでに遅し。
「救護室なら僕が案内しますよ。同じ学年ですし、彼女のことはよく知ってますから」
「君は………。また学園に戻ってきたのかい? ルカ・リントヴルム」
人垣を掻き分けてやって来たのは、どこに居ても人を惹きつけるカリスマ。我が村が誇る王子ことルカ・リントヴルムだった。
ありえない人物との再会に私は混乱していた。
ルカはつかつかと近づいてくると、ダミアンに取られたままだった私の手をもぎ取る。
「ルカ? どうしてここにいるの?」
ルカの強すぎる視線に押されて、後ずさると同じだけ距離を詰められた。
「僕がここに居たら何かまずいことでもあるの? アンネリーゼ・ブリューゲル」
「まずくはないけど、そんな話は聞いていなかったから」
握られた手にギリリ、と力が込められて私は痛みで呻いた。
「それはこちらの科白だよ。僕に何も告げずに、逃げるように姿を消したのは君の方だろう?」
ルカは私の不実を責めるかのように、言葉を連ねた。私たちは友人でも恋人でもないのだから報告義務なんてないはずなのに、何故か後ろめたくなった。
「私は逃げてなんて………」
「いないって言うの? 黙って僕の前から居なくなったくせに」
「だってそれは」
感情をヒートアップさせるルカと、黙って村を出た後ろめたさからいつものように強く出られない私。どんどん追い詰められる私に救いの手が差し伸べられた。
「ちょっと君、冷静になったら? 君は何かと目立つ存在だってこと、忘れているみたいだけど、みんな君たちを見ているよ」
ダミアンが芝居がかった動作で両手を広げ、私たちの一挙一投足を見守る観衆たちを示してみせた。
「君は他人に注目されることに慣れているからいいだろうけど、彼女は違う。アンネリーゼを見せ物にするつもりかい?」
ダミアンはルカに握られていない反対側の手を取って優しく撫でた。
「かわいそうに。ほら、震えてるじゃないか」
「気安く触るな。だいたいさっきからなんなんだ君は。アンリにべたべた触って」
べたべた触っているのは貴方もじゃないか、と言いたかったが、言葉が出てこない。
私はいまだ混乱の中にあった。一体私の身に何が起きているのか。
生徒たちの好奇の目は突き刺さるし、ルカから放たれる怒りのオーラは怖いし、逃げ出したいのに逃げられないしもう無茶苦茶だ。
ルカは私を素早く引き寄せて、ダミアンから引き離すとそのまま肩を抱いた。人前で密着するなんてあり得ないので、必死に抵抗するも全く効果はなく、ますます拘束する力が増しただけだった。
「全く君は。僕が目を離したすきにたちの悪い男を引き寄せて。君みたいな食虫花が良いなんて言うのは、喜んで食べられる男は、僕だけかと思っていたのに。本当に君は目が離せない」
「言うに事欠いて食虫花とは。女性に対してもう少し言葉を選んだらどうだ? 完璧王子」
不誠実なフェミニスト・軽薄王子の非難にルカは肩をすくめた。
「この口の悪さは性分みたいなものだから直すのは難しいですね。それはともかく、僕はこれからは自分の気持ちに正直に行動することにしたんです。
幼馴染の時のような後悔はもうごめんだから」
ルカの腕から逃れようと無駄な努力を続けている私に、彼は呆れた視線を向ける。
「往生際が悪いなぁ。
何をそんなに怖がっているのか知らないけど、君はもう逃げられないよ。僕が逃さないから。
大人しく観念したら?」
ルカにいいようにされるのは腹立たしくて、その怒りから私は少しだけ落ち着きを取り戻した。
「別にここまで来てしまったんだから、もう逃げも隠れもしないわよ。
でもどうして? そりゃあ、貴方に黙って村を出て来ちゃったのは悪かったと思ってるけど、まさかその恨み言を言うためだけに学園に戻って来たわけじゃないわよね」
逆に問い詰めてやるとルカはしばらく沈黙した。答えが分からないのではなく、どう答えるか迷っているようだ。
痺れを切らしたのか、ダミアンがパンパンと手を叩いて野次馬たちを追い払う。
「ほらほら、そろそろ式が始まるからみんな席に着きなさい。君もだよ、リントヴルム。君は出戻りのくせに、編入生総代として挨拶をすることになっているだろう? 新入生の尻を追っかけている場合じゃないよ」
式が始まるまでにあまり時間がない。
ルカは頰を赤らめると思い切ったように告げた。
「僕はたぶん君のことを好きになり始めてるんだと思う。黙って居なくなられた時は悲しかったし、さっきダミアンさんに触られている君を見てすごく腹が立ったから。
だから、これからは覚悟してよ。僕は卒業までの間に、絶対に君を振り向かせてみせるから」
ヤケクソのように言い放ったルカは、赤面したままさっと離れて行った。
離れる前に頰にかすめるようなキスをする、というオマケ付きだ。私は頭から湯気が吹き出るかと思った。
公衆の面前で何ということをしてくれたのだ、あの馬鹿王子は!
だいいち、振り向かせるってとっくの昔に私はルカのこと………。
一年後、私とルカはミリア姉さんとエルネストに並ぶ学園公認カップルと呼ばれるようになるのだが、それはまた別のお話だ。
あと一話で終わるのに、学園の設定を無駄に一生懸命考えてしまった。
でもこれで終わり。
発想力のある人ならさらに話を広げて「学園編」とか書けるんだろうな。
ちなみに入れる場所がなかったんですが、学園は私達の世界で言う中等部から高等部(13歳から18歳)までの6年間であり、ルカがいたのは13歳から15歳までの2年間。
ヴァネッサと長期間離れていたくなかったので、必要最低限なことだけ学んで、さっさと村に戻って来たのですが、ルカが戻った直後に初めて主催した紅葉祭で、ヴァネッサとマルコが恋人同士になります。
せっかく戻ってきたのに不憫。
お話のラストでアンネリーゼとルカは17歳。
学園は春ごとに中途編入可能であり、13歳からの本当の新入生と、アンネリーゼたちのような中途編入の新入生が合同で入学式を行う、というイメージです。
ルカは在籍当時は特選生であり二つ名がつけられる程の有名人だったので、ダミアンも彼のことは知っています。
ちなみにアンネリーゼが黙って村を出た後、ルカが荒れて荒れて大変だったよう。
ヴァネッサはそんな彼を叱りつけ、そんなに気になるなら王都まで追いかけろ、と発破をかけ、今に至る。
あのまま側にいても、恋心が自覚されにくかったので、強制的に距離を置くことでルカも自分の気持に気付けた、という。
ラスト、ルカがわざわざみんなの前でアンネリーゼに告白もどきとキスをしたのは、彼女を他の男に奪られないためです。
どさくさに紛れてアンネリーゼを愛称呼びまでしています。
あと、ルカが好きな娘を食虫花呼ばわりするのは照れ隠しです。
とりとめもなく書いてしまいましたが、この話はこれでおしまいです。
最後までお付き合い下さった皆様ありがとうございました!
大河ドラマ おんな城主直虎がはじまりましたが、真田丸の抜けた心のスキマが塞がらない、合歓音子でした!