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夜のほとりで待ち合わせ 8



 ・・・・・・それでも、日常は再びやって来た。二度と朝に出会いたくなんかないのに。真っ暗な世界が、輪郭がぼやけて曖昧に溶けた世界なら自分のことを意識しなくて済むのに、それでもどこまでも白々しく朝はやって来る。

 壁を背にフローリングに蹲るようにして丸く横たわっていた。あれから何度目の朝なのか、それともたった一晩しか経っていないのか。数えていなかった。興味もなかった。

 ピンポーン、という、チャイムの音。反応せずにじっと床の木目に意識を向けずただ眺め続ける。そこに視線が向いていただけで、その先にあるのは木目でも死体でも同じだった。

 がちゃり、とドアが開く音。少し驚いたように間を置いて―――それからあわてたような足音が近付いて、リビングに入って来た。誰だよ。

「・・・・・・ユキ?」

 いろんな感情が詰まった声。安堵と、驚愕と、焦燥と、心配と、憤怒と、恐怖と―――そしてそれら全てが爆発した。

「―――ユキッ!」

 叫んで、跳びかかるようにして飛びついて来る存在。長い髪を靡かせた女がひとり、ミユキの肩を掴み仰向けにひっくり返した。

「ユキ、ユキ! しっかりして!」

「・・・・・・さぃ」

「ユキ? ユキ?」

「・・・・・・るさ、い」

 うるさい。

「うるさ、い!」

 その手を振り払ってそのままの勢いで腕を凪いで壁を殴った。呆然とした女、吉野と向き合って―――吼える。

「うるさい! しっかり、してる! わかってる! 全部ぜんぶわたしはちゃんとわかってる! どうしようもないってことくらい識ってる! それでも!」

 それでも

「それでもどうしようもないんだからしょうがないでしょ!」

 ああ、何でこんなに叫んでいるんだろう。吉野は関係ないのに。吉野はなにも知らないのに。なんで吉野にミユキは怒鳴っているんだろう。

「しっかりしてきた! 今までちゃんとやって来てた! 今さら、今さらなに! ―――わたしは、いつだって、これからだってちゃんと嘘が吐ける!」

 なにを言って、

「これ以上どうしろって言うんだよ! これ以上―――わたしはなにをすればいいんだよ!」

 ばちん、と。

 目を見開いたままの吉野が、ミユキの頬を打った。

「・・・・・・よくやった」

「は、・・・・・・」

「よくやった。・・・・・・よく、心配かけた」

「・・・・・・」

「あんたはそういうところはきちっとやる子だったから―――本当の意味で、ユキが消えてしまうことなんて、今までなかったから」

「・・・・・・」

「消えようと思えば、いつだって消えれるでしょ。そのくらいの力ならユキ、あるでしょ・・・・・・。それでも今までそれをしなかった。きっとどれだけ辛いことがあっても、きっと私たちが心配するからってそれをしなかった。・・・・・・それを今回、はじめてした。はじめて私たちを心配させた。・・・・・・だから、よくやった」

 頬を打った手が―――両手がのばされ、そっと抱きしめられた。

「よくやった。・・・・・・全部棄てても大切にしたいものを、見付けたんだね」

 ・・・・・・だから。

「・・・・・・吉野、たちは、」

「うん」

「・・・・・・わたしのこと、大好きなんだね」

 くは、と吉野が笑った。―――ユキの大好きな、ユキを何度も救ってきた笑顔だった。

「そうだよ、馬鹿。―――今さら気付いたの?」




 吉野が用意してくれたお風呂に入り、出た時にはテーブルの上にご飯が鎮座していた。炊きたてのご飯にお味噌汁、だし巻き卵に好物のほうれん草のおひたし。出発する前に冷蔵庫をあらかた空にして行ったはずなのだが。

「・・・・・・買ってきてくれたの?」

「ユキがいつ帰って来てもいいように冷蔵庫に入れといたの。とりあえずは簡単に」

 ちゃらりと鍵を示される。家族が海外に行った時に吉野に家の鍵は渡していた。そっか、と胸中で思い箸を手に取る。

「・・・・・・いただきます」

「めしあがれ」

 かちゃりと、食器が微かに鳴る。

 お味噌汁を一口飲んで、卵焼きを食べて、やわらかめに炊かれたご飯を口にして―――お行儀は悪かったがご飯を全てお味噌汁の中に入れた。そうしてやわらかくして口に運ぶ。

「・・・・・・いつもなら連絡したら海外からでも連絡くれるのに今回なかったから。飛行機が墜落したなんてニュースはなかったし、ひょっとしてあっちに着いてなんかあったんじゃないかと思っておばさんに連絡したの」

「・・・・・・なんて言ってた?」

「風邪気味だ、って言ってたけど。そんなことくらいでユキが連絡を返さないなんて今までなかったでしょ。五体不満足になったとしても代打でメール打たせるくらいのことはするでしょうし」

「・・・・・・だろうね」

 本当、読まれている。というか、わかられている。

「だからまあ、嘘だって言うのはわかって―――まあおばさんもユキのことを思ってそう言ってるんだろうから我慢した。三秒くらい」

「そ、そう」

「で、『わかりました。で、本当はどうしたんですか?』って訊いたらおばさんもあきらめてくれて本当のこと教えてくれた。・・・・・・家に行かなかったんだってね」

「・・・・・・」

「・・・・・・全部はきっと、聞いてないよ。ユキは来てない、でも海外にはいる、帰ったら連絡するって言ってた、って」

「・・・・・・」

 それが、ほとんどだ。・・・・・・その時は『知らない誰か』だったひとと一緒に旅をするということ以外の。

「いつかはわからないけど。でも、帰って来るかもしれないと思ったから」

 帰って来てもいいように。帰って来るかもしれないと思ったから。

 もしかしたら、二度と帰って来ることはないかもしれないと、思っていた。

「・・・・・・」

 吉野はどれも少なめによそってくれていた。・・・・・・なにも食べたくないと思っていることも、見通されているのだろう。その量を食べ切ると無言でお茶を煎れてくれた。急須と湯飲みからやわらかく湯気が立ち上る。

 無言でそれを受け取り、立ち上がる。ソファーまで歩き、横向きに座り肘置きに寄りかかるようにして膝を抱える。同じソファーの上、向き合うようにして吉野も座った。

「・・・・・・あのね。吉野には一生ミユキって呼んでほしくない。けど、吉野には一生私の親友でいてほしいって思う。・・・・・・これって我儘かな」

「さあ・・・・・・普通なら、そうなのかもね」

「だよね」

「でも私たちなら別になんてことはないでしょ」

「・・・・・・だよね」

くすりと笑う。くすくす、くすくす、小さく笑い続ける。

なんだ。

簡単なことだった。

後ろめたい我儘も。

意味のあるお願いも。

全部ぜんぶ、事情も聞かず飲み込んでくれるひとがいる。そんなひとと自分は友達でいる。

そういう人間関係を、自分たちは創ってきた。

「・・・・・・あのね、吉野」

「なに」

「心の底から死にたいよ」

「そっか」

「怒る?」

「や、今生きてるしいいよ」

「そっか」


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