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王都にて

 祭りの儀式などで民衆の前に姿を現すことがあるし、王都パトローサの人々の自慢の姫だから、彼女の顔を知っている者もいるだろう。ただ、今のエリュティアは大商人の娘のいでたちで、深いフードをかぶって顔を隠していた。いかにも無力そうな少女の風情だが、彼女に寄り添う男のような肩幅のユリスラナが腰に帯びているのは短剣で、不遜な輩もユリスラナを見ればエリュティアにちょっかいを出す気にはなるまい。

 ただ、王宮の侍女たちが、今、エリュティアが着込んでいる商人の家族や、ユリスラナが着ている商人の使用人の衣装を所持しているのは興味深い。ルスララがエリュティアの求めに応じて、人を遣わして町の様子を調べさせようと言ったのは、侍女たちがこういう衣装で町の情報を集めていると言うことである。ルスララたち王宮深く住まう女たちは男たちから与えられる情報だけに満足しているわけではなかった。

 ユリスラナはエリュティアと繋ぐ手を一時も放そうとしなかった。

「お嬢様。こちらへ」

 そう言いながらエリュティアを導く足取りにも迷いはない。お忍びの散策で王女の名を口にすることは避けて、エリュティアの呼び名はお嬢様に代わった。エリュティアが羨ましそうに言った。

「ずいぶん、慣れているのですね」

「そりゃ、もう、あちこち見て回りましたから」

 ユリスラナはふと気づいて自慢げな笑顔を消した。彼女は田舎の出で、王都パトローサの王宮勤めもまだ半年にしかならない。ただ、好奇心豊かで活発な彼女のこと、王宮の外の面倒な役回りは進んで引き受けて、今は王都パトローサは隅々まで知っていた。

 エリュティアはこの王都パトローサで生まれ育って、十五年。間もなく十六歳になる。その間、王宮という名の牢獄に閉じこめられて育ったと言えるかもしれない。ユリスラナは大きく深呼吸して自分の自由を味わい、エリュティアもそれを真似てみた。

 

 王宮を中心に都の高官たちの館や、裕福な商人たちの家並が続いている。ルスララが心配した、建物の被害はなさそうだったし、市へ至る橋もしっかりしていて崩れる心配はなさそうだった。エリュティアはほっと胸をなで下ろした。

 王都パトローサには数カ所の市がある。ユリスラナが導いたのは裕福な家の家人や小間使いが集う市である。ここはやや被害があったらしい。売り物の台に山積みにした果物が地に転がって踏みつぶされていたし、穀物売りの露天では、たっぷりと麦を蓄えた袋が横倒しになって、開いた口から麦がこぼれていた。壺や皿を売る露天商の軒先では、割れた売り物の破片が散らばっていた。これから大勢の客を迎えようとする商売の準備の時に見舞われた地震だっただけに、様々な被害を出しているようだった。

 エリュティアは聞き覚えのある名にふと立ち止まって聞き耳を立てた。

「あのアトラスとかいう若造が、神の怒りを買ったせいで、俺までこの有様だ」

「アトラス。ネルギエで死んだ男が悪鬼になって蘇ったか。審判のテツリスの槍に突かれてもう一度死んでしまえばいい」

「しかし、その悪鬼のアトラスが、フローイ国で幾多の町を焼き、民衆を皆殺しにしたとか。シュレーブは大丈夫か」

 民の不満のはけ口は反逆国であり、わかりやすく一人の人物に代表させれば、ルージ国の若き王アトラスであるらしい。その名を語る民の口調に侮蔑に混じって、憎しみや恐怖が垣間見えるようだった。ユリスラナも呟くように言った。

「アトラスという男だけが、神の怒りを買えばいいのに」

 アトラスのせいでどうして無関係な自分たちまでが酷い目に遭うのかというのである。エリュティアは即座に反駁した。

「いいえ。神がお怒りになっているというなら、怒らせたのはあの方ではないでしょう」

「どうしてですか?」

「去年、聖都シリャードでも大地が激しく揺れました。でも、それはあの方が兵を挙げる前のこと。兵を挙げたから神々がお怒りになったのではありませんよ」

「そんなものでしょうか」

 考え込みやや沈黙が続いた主従に、快活な少年の声が降り注いだ。

「あっ、エリュティア様ではありませぬか?」

 少年の方を振り向いたエリュティアも笑顔を浮かべた。

「あら。リシアスではありませんか。それに、ガルラナス様も」

 彼女は二人に礼儀を払うように、頭を覆うフードを下げて顔を露わにした。息子に注意を与えようとしていたガルラナスもエリュティアの素直な笑顔を向けられてみると、無視も出来ずに笑顔を返した。

「ご機嫌麗しゅう存じます」

 ここで、リシアスは、父が注意しようとしたことを周囲の人々の様子に気づいて、自分がしでかした失態を察したらしい。彼はお忍びで町を散策するエリュティアの正体を、暴露してしまったと言うことである。エリュティアと言う名に反応した人々は彼女に注目し、その存在を確認すると、一斉にお辞儀をし、跪く者までいた。人々がエリュティアに向けた自然な敬意だが、エリュティアにとってこういう特別扱いされる光景は避けたい。

 そんな状況を救ったのはユリスラナだった。この状況でお忍びの散策は中断されてしまったが、エリュティアはここで中断するには物足りないと感じるだろう。

 とすれば……。

「どうかこちらへ」

 彼女はエリュティアに深くフードをかぶせ、ガルラナス親子にもついて来てくれと目配せをした。彼女は声を大きくして周囲の人々に語った。

「きっと、あなた方の願いはエリュティア様が叶えて下さるでしょう。いましばらくお待ちなさい」

 そして、彼女はエリュティアの手を引いて、迷うことなく次の目的地へと導いて行った。ガルラナスはこの娘の機転に舌を巻きながら、息子を急かして足早にエリュティアの後を追った。

 ユリスラナがエリュティアを導いたのは貧民街との境にある市場だった。厳密に言えばルードン河か引き込まれた水路の端に人工的にしつらえた池があり、池の周囲に広場がある。この辺りの人々は、露天を広げて自然に市ができあがったという光景である。様々な人が慌ただしく行き交い、エリュティア主従に気を止める者は居ない。日々生活に追われる者たちが住む区画で、エリュティアの顔を知るものも少ないかもしれない。

 ユリスラナはそんな町の一角に配置されたテーブルの一つを選んで、エリュティアとガルラナス親子に指し示した。現代で言えばオープンカフェのスタイルで飲料を提供する店の軒先だが、この冬の時期に店の外で何かを飲もうとする客は彼女たち以外にいない。混み合った店内とを見れば信じられないほど静寂に包まれ、足下では枯れ葉が風に舞っていた。

「熱いワイン水など、求めて参りましょう」

 ユリスラナはそう言って、店の中に姿を消した。エリュティアは首を傾げた。

「どうして王都パトローサに?」

 ガルラナスがこんな寒い時期にわざわざやってくる理由が分からない。

「いや、我が旧知の友が、南のグラト国に攻め込まれて難渋しておりましてな。我がリマルダの手兵で増援に行けぬものかと、我らが王にお願いに上がった次第」

 ガルラナスが浮かべる残念そうな表情にエリュティアが問うた。

「我が父は何と申したのですか?」

「王ご自身の手兵を派遣すると仰り、我がリマルダの兵は不要だと」

 父の言葉にリシアスが付け加えた。

「でも、その兵は、遠く北の、ヴェスター国との境の砦に派遣され、グラト国との戦いには行きませんでした」

 エリュティアは、現在のシュレーブ国が置かれた状況を少しづつ理解しつつある。北にはシュレーブ国侵入の機をうかがうヴェスター国の兵が居る。南ではグラト国の兵が既にシュレーブ国の国境の町を襲って占領して、次の攻勢を向ける先を探っている。海軍の主力を失った東の海では、ルージ国海軍が攻勢を強めている。

 そして、彼女は西のフローイ国にいるアトラスの姿を思い浮かべた。アトラスと手を組んだフローイ軍が国境を突破したという。四方を敵に囲まれた状況だった。シュレーブ国がいかに大国とはいえ、兵のやりくりに苦労する。兵には素人のエリュティアにもそんな理屈が理解できるようだった。彼女は首を傾げた。

「どうして、我が父はガルラナス殿の兵を借りぬのでしょう」

 ガルラナスは眉を顰めて、声を抑えて言った。

「おおかた、我が娘フェミナのことでありましょう」

「フェミナがどうしたのですか?」

「いや。我が娘も今や敵となったフローイ国の王妃。私はその父親という身分です」

「その光栄な身分なのにどうして」

 黙り込む父に、リシアスが子供らしく、歯に衣を着せぬ表現で父の立場を語った。

「そのフローイ国も今やシュレーブ国にとって敵国。我が家は敵国に通じているやもしれぬ。我が王はそうお疑いなのです」

「そんなことが」

 娘として、娘の溺愛の代償のように、王ジソーが他人に猜疑心を抱く性格は知っていた。ただ、ガルラナスは曾祖父の頃から王家に忠実に仕えてきた家柄。その忠誠心故に、聖都シリャードのあるリマルダという重要な地の統治を任されてもいる。今の王ジソーはその忠義に熱い者たちですら信用できなくなっていると言うことか。

 やや沈黙が続く頃、ユリスナがコップと、熱いワイン水を入れた壺を盆に乗せて持参した。蜂蜜の甘い味と香り付けに入れた少量のワインの香りが、エリュティアとガルラナス親子の沈黙を癒すようだった。


 リシアスが無邪気に思いつくまま話題を転じた。

「ピピスは元気ですか」

 以前、エリュティアの私室を訪れたときに紹介された小型の鹿ミットレの事を思い出したのである。

「ええっ。次に来たときには、一緒に遊んでいくといいわ。ピピスも喜ぶでしょう」

 笑顔のエリュティアに、傍らのユリスラナが付け加えた。

「リシアス様もミットレを飼ってみては。ミットレを生け捕る罠のかけかたなど、私が伝授して差し上げましょう。」

「本当?」

 リシアスの願いに、ユリスラナは自信満々で頷き、その場は微笑ましい笑いに包まれた。


 そんなガルナス親子とも別れ、エリュティアの手を引いて王宮へと急ぐユリスラナは、突然に立ち止まったエリュティアに手を引かれて振り返った。彼女は一人の男性に目を止めて嬉しそうに叫んだ。

「先生、先生ではありませんか」

 男はエリュティアの教師の身分を持っていたが、王ジソーの謀臣としても仕えていたドリクスである。彼は、フードの奥にエリュティアの顔を見つけると、懐かしいというように言葉を返した。

「ああ。エリュティア様でしたか」

 ドリクスは侍女たちの中でも人望があり、気さくな人柄に人気が高い。エリュティアに注ぐ愛情を通じて共感するところも多い。

 経験の浅いユリスラナも、その侍女たちの中で生活して、ドリクスへの敬愛を学んでいたし、侍女たちが語る噂も聞き知っていた。眉を顰め、ドリクスへの同情とともにその噂を語ろうとするユレスラナの心情を察するかのように、ドリクスはユリスラナに小さく首を横に振った。エリュティアには聞かせるなという。エリュティアの父でシュレーブ国王ジソーと彼との確執についてである。

 ドリクスは荷物持ちの従者を連れ、その二人を案内する男にも、ユリスラナは記憶があった。大臣フェイサスが重用する部下である。

 彼らは政治や戦の話を意図して避けるように、昔話に花を咲かせながら王宮への道をたどった。


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