表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/31

4回目:毒殺

 それからはとりとめのない話を繰り返した。

 ワンは人間の世界を本当に何も知らない。世話になっている人に文字を覚えることを勧められたがイマイチ興味がわかないらしい。そのため本で覚えることはせず、塔から出る事もないので情報が少ないのだ。

 アレクセイが人として当たり前のことを話せばワンは目を輝かせて大袈裟に喜ぶ。

 少しずつ窓の外が白んでいき、気づけば柔らかい日差しが窓辺を照らしていた。


「朝か」


 夜通し話していたはずなのにあっという間に感じる。アレクセイは日頃から人と話すことが無いので新鮮だった。


「ふふっ有意義な時間だったなあ」


 ワンは鈴を転がすように笑うと、近くにあるベッドに勢いよく倒れ込んだ。


「なるほど。有意義な時間の後に寝床に入るのは気持ちいいらしい。アレクセイもこちらに来ないか」

「断る」

「可愛げのない」


 長い時間椅子に座っていたので体が硬くなっている。立ち上がり体を伸ばしながら静かにワンの動きを確認した。

 ワンは自分の能力を把握していない。ならこちらから試すしか無い。


「茶が冷めただろう。淹れ直す」

「君もできるのか、ならぜひ」


 アレクセイはワゴンに並べられた物を確認する。ポットの中の湯を確かめると、質の良い物なのだろう、まだ十分に温かいことがわかる。何食わぬ顔で茶葉が入った入れ物を手に取り、素早く準備する。


 時間的な条件はあるのだろうか。例えば夜が明けた今。

 殺害の仕方も変えよう。内部からの臓器へのダメージに。


 袖に隠していた錠剤を取り出し、温めたカップの中へ落とした。暗殺者として殺しに関わる道具はひと通り服に忍び込ませている。

 カップに熱い茶を注ぎ込めば錠剤はみるみる溶けて形を失う。


「味に文句を言うなよ」


 アレクセイは紅茶を淹れたカップをベッドで寝転がるワンに差し出す。


「ありがたくいただくよ」


 ワンは飛び起きると嬉しそうに受け取り、迷わず飲んだ。

 即効性の毒ではどうなるか。ワンは大きく喉を鳴らして口際を緩ませた。


「うん、アレクセイが淹れたお茶は上品な味がする」

「茶葉は同じなんだから、変わらない」

「甘いね。ひとつひとつの作業が味に反映されるのさ……」


 ワンの言葉が止まりカップが落ちる。床に当たり甲高い音がなると、ワンは手で口を押さえて咳き込んだ。指の隙間から血が漏れ出し、滴り落ちた紅は床に広がる紅茶と混じっていく。

 しかしワンは動じていない。自分の血がついた手を眺めると、弱々しく笑った。あまりにも優しい眼差しにアレクセイは呆気に取られる。


「何故笑うんだ」


 どうして死を目の前にして、強制的に死に追いやられておいて、穏やかな顔をしていられるのだ。普通は恨むところだろう。発狂したっておかしくない。


「良い夜だった。これで君の望みは叶っただろうか」


 黄金の髪を大きく揺らしてワンはベッドの上に倒れた。近づいて脈を確かめると止まっている。


「死んだ」


 そう、自分が殺した。先ほどまで楽しそうに笑っていた男を躊躇うことなく殺した。


「ワン」


 死体は答えない。触れた時の温もりも、淹れられた茶の香りも、穏やかに明けた夜も全て自分が捨てた。

 朝の光が薄暗い部屋の中を照らす。

 考えてはダメだ。自分は王命に従い、使命を果たすだけの道具だ。

 感じてはダメだ。その思いは10年前に捨てたはずだ。


「……俺は」


 耐えきれず両手で顔を覆いその場に座り込んだ。すると膝には草の柔らかい感触があり、夜の冷たい風が髪を巻き上げた。

 ゆっくり手を下ろして目を開けると、滲んだ視界の中に塔の外壁が目に映った。


 また戻った。何度繰り返せば良いのだろう。

 何度彼と出会えば良いのだろう。何度彼を殺せば良いのだろう。


「こんなの、あんまりだ」


 これ以上無闇にワンを討伐するのは嫌だ。

 アレクセイの心は虚しさばかりが広がっていく。ここまで無意味なことはあるだろうか。ただ相手を苦しめ、その光景を眺めることを繰り返している。

 感情を殺して遂行しようとしても、時間を重ねるたびに本音が滲み出てくる。


 辛い。


 もう同じことをしたくない。無理なら無理だとハッキリ示して欲しい。

 無性にあの笑顔をもう一度見たいと思った。見て、今回もちゃんと生きているのだと安心したい。

 ワンに抱くこの感情になんと名前をつければいいのかわからない。それでもジッとしていられずアレクセイは外壁に手をかけた。


「こんばんは」

「……」


 塔の中に入ると、ワンはやはり同じ言葉を同じ表情で発する。その事実に安堵と不安が入り混じった感情が浮かんできて、アレクセイは視線を下げた。


「名を聞いても?」

「アレクセイ・ディ・アシュレイ」

「アレクセイか」


 ワンは嬉しそうに微笑む。まるで綺麗だと思った花の名を知ったかの如く。


「俺はその答えをずっと待っていた気がする」

「名前を?」

「ああ。名前は魂と繋がっているから。そうか、アレクセイ……」


 ワンはアレクセイから視線を外さずに立ち上がり、歩み寄った。


「俺はワン。竜だ」


 差し出された手をアレクセイは静かに見つめる。


「知っている。この光景を何度も繰り返しているんだ」

「ほお、興味深い」

「俺はすでにお前を4回殺している」


 だからその手をとる資格はない。ワンは突飛な話ながらも受け入れたのか、感心の息を吐いた。


「それはまた凄まじいな」

「だがその度に時間を遡り、無かったことになる」

「それは俺が関わっていると?」

「ああ」


 握られなかった手が宙をさまよい、ワンの口元へ戻る。曲げた人差し指をあててワンは少々考え込んだ。


「ふうむ、自覚は無いが様子を見る限り君の言っていることは本当みたいだ」

「……」

「それで、君は何しに来てくれたんだい? もしかして俺に会いたくなった?」


 揶揄う調子で笑うワンに、アレクセイの心に小さなヒビが入った。

 そうだ、やはり自分しか覚えていないのだ。

 彼には殺された記憶がなく、またアレクセイに茶を淹れたことも夜が明けるまで話したことも覚えていない。過去に戻るということは、あった出来事が無かったことになるのだ。

 アレクセイが抱く罪悪感も茶の香りも久々に長い時間話したという充実感も、この世界には無かった事実となっている。

 繰り返す時間の輪転にアレクセイだけが取り残されているのだ。

 だが全てアレクセイがワンを殺したために続いている。原因がワンにあろうと元凶は自分なのだ。

 だから被害者ぶる資格は、無い。


「アレクセイ」


 ワンの手がアレクセイの頬に触れた。不思議と払いのける気にならなかった。


「どうして悲しそうな顔をしているんだい」


 子どもをあやす口調に心が挫けそうになる。アレクセイはかろうじて耐え、唇を噛み締めた。その口元をワンの親指が丁寧な動きで撫でる。


「君を悲しませてる状況を作ったのは誰?」

「お前」

「それは申し訳ない。では詫びに」


 ワンの顔が近づき、触れられている頬の反対の側面に口付けをされた。


「……は」


 口付けをされた? この男は今接吻をしたのか?

 アレクセイは頬に感じた唇の感触を思い返し、みるみる顔を赤くした。


「貴様ッ! 俺をまた辱めるのか!」

「とんでもない。詫びだと言っただろう」

「妄りに他人に口付けをするなど破廉恥極まりない。体を売る者が行うことだ!」


 ワンを突き飛ばし、手の甲でヒリつくほどに擦る。過剰な反応をするアレクセイにワンは理解ができないようだ。眉を下げて眉間に皺を寄せている。


「ふむ、アレクセイはこういうことに耐性が無いらしい。純粋な好意を媚び諂う態度だと思われるのは心外だ。普通に傷つく」

「好意だと? 戯言を!」

「なら他で示せば良いかい? 例えば君のお願いを叶えるなど」


 ワンの言葉にアレクセイは我に返る。これはまたとない好機だ。相手は何度繰り返してもアレクセイに好意的な態度をとるし、こちらが多少得をする条件を突き出しても押し通せるだろう。


「ならワン。お前を俺の国に連れて行く」


 そうだ、もし殺すのが難しいならここから連れ出してしまえばいい。


「ふむ。それが君の望みかい」

「命令はお前を討伐せよとのことだったが、竜を自国の管理下に置けると知れば王も喜ぶはずだ」

「なるほど」

「いいか、先ほどの言葉を撤回するのは認めない」


 念押しをするアレクセイに、ワンは腕を組んで真剣に悩み始める。


「お世話になった人に無断で出るのもな。でもアレクセイの願いだし人が住む領域内ならさして遠い距離ではないか。置き手紙をすれば良いかな」


 しばらく唸った後、ワンはアレクセイに微笑みかけた。


「わかった、一緒に行く」


 想像より快く承諾してくれたものだ。意外に思ったアレクセイは疑いから眉をひそめるが、一度決めたら曲げないのかワンはすでに乗り気だった。


「俺がアレクセイの国に行けばいいんだね」

「ああ、王も納得してくれるはずだ」

「ふうん。あくまでも王様のために、か」


 一転してわざとらしく口を尖らせるワン。


「何の不満がある」

「そうだな。あえて言うならあれだ。君から魅力的にお誘いされると俺もやる気が出るんだけど」


 ワンはどうもアレクセイからの反応を欲しがる傾向が強い。面倒だと感じながらも機嫌を取るのも手段の1つと思い、アレクセイは口を開く。


「俺と駆け落ちしてくれ。お前が欲しい」

「そうきたか。断るわけにはいかないな」


 ワンにとっては文句のつけどころが無いようだ。やはり意味がわからない。


「なら今すぐ準備をする」

「あ、待って」


 アレクセイの話を折るようにワンが口を挟んだ。


「お願いは聞くと言ったけど、代わりに誓って欲しいことがあるんだ」

「何だ」


 不機嫌な声で返したアレクセイは、相手の透き通った眼差しに目を奪われる。


「もし君が良いと思った時は、俺に君の全てをくれるかい」


 またお得意の口説き文句かと心中で呆れる。まるで誓いを求める仰々しさには一周回って驚かされる。


「その時が来たらな」


 何気なく答えると、ふいに心臓に大きな衝撃が走った。アレクセイは胸を押さえて上半身を屈めるが、すぐに痛みは無くなった。


「大丈夫?」

「あ、ああ……何でもない」


ここまで読んでいただきありがとうございます。次回から第2章です。

明後日から隔日で投稿していく予定です。

次章はワンを故郷へ連れて行こうとアレクセイが頑張ります。果たしてそう上手くいくのでしょうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ