暗殺対象との城下町食べ歩きデート
ワンを連れて塔の外に出ることにしたが、出るには入ってきた窓から降りるしかない。塔の地下には神殿に繋がる通路があるそうで、その先には見張りの衛兵がいるため通ることはできない。
アレクセイは何の支障もなく降りられるが、問題はワンだ。1人で降りられるかとたずねれば、人の形では無理と即答された。人の姿になっている時は体力も腕力も並になっているそうだ。
「アレクセイ。ため息を吐いているところ悪いんだけど、君の身体能力がおかしいんじゃないか」
長いロープを探したり作ったりするのも効率的でなく、結局アレクセイがワンを背負いながら降りることにした。アレクセイの背中におわれてシーツを裂いて作った紐で足を相手の腰に括り付けられたワンは少々不服そうな反応だ。
「話しかけるな。重みが増した分集中したい」
外壁に掴まりながらアレクセイは地面を見下ろす。建物5階分の高さは当然落ちれば死ぬ。自分より重い荷物を抱えながら崖を下った経験は何度かあるので、特に不安は無かった。
数分かけて地面までたどり着くと、ワンの方が疲れ切った息を漏らした。
「こんなにヒヤヒヤする経験はそうそうないよ。君は本当に人間かい」
「ああ。この身体能力は先祖から受け継いだ力だ。人並外れているのはそのためだ」
「ほお、それはまた不思議な」
王家アシュレイ一族には先祖に化け物と呼ばれた英雄【アシュレイ】がいる。1ヶ月飲まず食わずでも生きながらえ、はらわたを裂かれても息を吹き返し、1本の斧で100人以上の敵を討ち取った。伝説とも言われる人物だが、その性質を強く受け継いだ子どもがたまに生まれるのだ。アレクセイがそれだった。
私生児でなければアレクセイが兄を差し置いて次期王として育てられただろう。だが望まれない子だったため扱いに困ることになり、結局王の手元から離されずにいる。
空を見ると薄っすら明るくなり始めている。支度に時間を食ってしまった。
「時間が無い。行くぞ」
ワンに着せた外出用のローブは地味な焦茶色だが、髪と目がどうしても目立つ。フードを被るよう指示をして、木々の間を走り出した。
「どうやって行くんだい」
「迂回して王都に降りて、馬車でとにかく遠くまで行く」
通り抜けるたび枝を折り草を踏み締める音を大きく鳴らすワンにアレクセイは舌打ちをする。素人が森を歩けばその痕跡はありありと残る。兵士達がワンの不在に気づけば、すぐに探索を開始して追いついてしまうだろう。
その前に王都を抜けて見つからないように国境を越える。猶予は無かった。
都に入れば早朝から働き始める人々がそれぞれの仕事に従事していた。市場も日が昇ると同時に開かれるので、すでに多くの人が行き交っている。
世間では飢えが進み疫病に苦しむ人が多いが、流石シルフィリア王国の王都は比較的豊かなようだ。故郷の民よりも活気を感じるし、店に並ぶ品物も種類が豊富に見える。
「楽しそうだなあ」
「おい、あまり俺から離れるな」
ここではぐれてしまえば数時間探し回ることになる。アレクセイはワンの腕を掴んで往来の中を急ぎ足で通り抜けた。
「アレクセイ、俺あれを食べてみたい」
アレクセイの焦りなどつゆ知らずか、ワンは呑気に1つの出店を指差す。手の平大に切ったバケットにナイフで切り込みを入れ、沢山のチーズやハム、新鮮な果物を挟んだサンドイッチを売っているらしい。
「なんで今この時に」
「こうして都を歩くのは初めてなんだ。先ほど男性が買って頬張っているのを見て良いなと思ってさ」
初めて、という言葉にアレクセイは息を詰まらせる。純真に顔を輝かせるワンを付き合わせている立場であるため、良心が痛むのだ。
加えて良い香りをさせるパンに惜しみなく具を詰めたそれは、アレクセイにも耐え難いほど魅惑的だった。何度か目を逸らそうとするも視線が吸い込まれてしまう。
「うう……」
潜入する際にこの国の通貨は用意している。懐から銅貨を取り出し、店主の女性に2人分のサンドイッチを注文した。
「まいどお」
サンドイッチが入った包み紙を渡すとワンは無邪気に喜んだ。
「顔がフードから出ないように気をつけろよ。あと歩きながらだ」
「うん、わかった」
人混みが比較的少ない道を選んで歩き、包み紙を剥がす。中から焼きたてのパンの匂いが溢れ、瑞々しいリンゴがハムやチーズと一緒に顔を覗かせた。
視覚と嗅覚が刺激されて反射的に腹が鳴る。ワンを見るとすでに夢中になって頬張っていた。アレクセイも口を開きかぶりつく。
ハムの塩味とチーズの濃厚さ、リンゴの甘みがバランス良く混ざり合い、口の中に香りが広がる。特にリンゴは歯応えが良いのに濃厚な蜜を感じ、思わず口元が綻んでしまう。
(美味い……)
リンゴはフォルティオンでの栽培が難しくなってしまった。リンゴだけではない、様々な作物が枯れた大地で育たなくなり、栄養失調者が増えている。
アレクセイも城ではカビが生えたパンとくず野菜が混じったスープだけ与えられてきたが、先祖の遺伝子のおかげで細く小柄ながらも病気をせず成長することができた。とはいえ瑞々しいリンゴは滅多に口にできず、狂おしいほど魅力的なのだ。
「ああ、人間の食べ物は素晴らしいなあ」
食べ終えたワンが満足そうに感想を呟く。
「塔ではまともな食事を与えられなかったのか」
「竜は人のような食事は必要無くて。神殿の食料を無駄に減らすのも悪いと思って断っていたんだ。1人で食べても味気ないしね」
「つくづく不思議な生態だな」
「君と一緒だからとても美味しく感じた」
「そうか」
淡白に返事すると、路地から犬が近寄ってくるのに気づいた。薄汚れた毛は野良であることを示しているが、目は丸く人懐っこい。痩せていても病的でない様子から、どこかで餌をくれる人がいるのかもしれない。
犬がねだるように「わん」と吠えたのでアレクセイは残っていたパンの欠片を放った。犬は上手に口で受け止め大きく尻尾を振る。
「おや、あの子も俺の名前を知っているのか」
ふいに口を開いたワンにアレクセイは呆れ顔をする。
「いや……吠えただけだろう」
「だがワンと」
「だからそれが犬の鳴き声だ」
アレクセイの返答にワンは目を見開くと、しみじみとつぶやいた。
「なるほど……そういうことだったのか」
「は」
「いや、俺はあの塔であの形態の生き物に会ったことがあるんだ。その時に俺の名前を知っているかたずねたんだ」
「まさか」
嫌な予感がして止めたいとさえ思ったが、相手は当然のように答える。
「ああ、ワンと教えてくれたんだ。だからワンと名乗っている」
まさかワンの由来が犬の鳴き声だったとは。それを自分の名前だと思い込む常識のなさに頭を抱える。アレクセイは改めて目の前にいる男が人間でないことを自覚した。
「念のため聞くが、今から変える気は?」
「無い。君に呼んでもらえた名前だから大切にする。ああ、ふぁみりぃねぇむ? というものを考えてもらうのは良いかもしれない」
「家名は勝手に決めて良いものではない」
「残念。人間は決まりごとが多いな」
馬車乗り場に辿り着くと、丁度目的の町に向かう馬車があったので乗り込んだ。御者に金を払うと相手はフードを深く被る2人の格好を怪しいと思ったのか、訝しむ顔をした。
「故郷にいる父が亡くなったと知らせを受けて帰るところです。故郷のしきたりで喪に服すため、顔を隠し見えないようにする必要がある。どうかご理解いただきたい」
アレクセイの説明に御者は「ああ」と思い当たる反応を示す。
「そうか、国境近くの村にはそういう風習があると聞いたことがある。疑ってすまないね」
「いえ」
ワンを奥の席に押しやり、アレクセイも隣に座る。辺りをしきりに見回すワンを窘めもう一度フードを深く被り直した。
「慣れてるね」
「普通のことだ」
ワンの髪と目の色が目立つのは言うまでもないが、アレクセイの紫色の目も見る人が見ればフォルティオン王国の王族や高い位の人間であることがバレてしまう。
盟約がただの口約束同然となり膠着している状態の今、アレクセイがこの国にいること自体危険なことだった。
(逆にそれが王の狙いなのかもしれない)
もしアレクセイの正体がバレて殺されれば、フォルティオン王国の王族を殺めた罪を着せてけしかけることができる。捕まりそうになれば自死するよう昔から命じられていた。
信じたくないが父王なら戦争をするためにアレクセイを犠牲にするのも躊躇わないだろうと思った。
「戦争なんて意味がない」
アレクセイの独言にワンは緩く背伸びをする。
「でも君のとこの王様はやる気なんだろう」
「ああ。でも俺の兄である王太子は戦争を望んでいない。今、国王と王太子は対立している。俺は父に仕えているが……気持ちは兄上と同じだ」
記憶の中にある兄は穏やかで優しくて、卑しい生まれのアレクセイにも弟として接してくれた。しかしアレクセイは自ら距離を置いた。穢れている自分が側にいてはいけないと、父が言っていたからだ。
城内の噂で兄が戦争を嫌っていると聞いた時は安堵した。使用人の中には兄を弱虫と揶揄する者もいたが、アレクセイはそう思わない。必要以上の争いを避けるのも勇気と覚悟が必要だからだ。
兄弟の絆のようなものを感じたが、ただの妄想だろうと自覚はしている。
「戦争は嫌い?」
「嫌いだ。母上は1人で故郷に帰されたうえ国境沿いのいさかいに巻き込まれ死んだ」
「それは哀しいな」
もう1人馬車に乗り込み席を詰める。ワンの肩に自分の肩が当たると、ローブ越しに熱が伝わってくるようだった。ワンから漂う香りが好ましく、静かに息を吸い込んだ。先ほど食べたサンドイッチのリンゴを思わせる、爽やかで甘い匂い。
「良い匂い」
アレクセイは無意識のうちに言葉を漏らし、人の体に押されるがままワンの肩に頭を乗せた。
ワンもアレクセイの頭に頬をすり寄せ、意外にも何も答えなかった。呼吸音と共に揺れる体に身を任せ、アレクセイは瞬きを繰り返す。
人混みの隙間から空を見る。夢の中で見た青空は綺麗だったが、現実の空は濁っていて美しいとは言い難い。だからアレクセイは星がいくつか散らばり月が照らしてくれる夜空の方が好きだった。




