25話 少女と結婚式のお話
結婚式当日は生憎の曇り空で、吹く風は冷たくて、身が強張ってしまいます。
それでも、ずっと傍にいてくださったお父様や駆けつけてくださったウェンディお姉様に励まされて、私は覚悟と準備ができました。
「――それでは皆様、お待たせいたしました! これより新婦入場です! 盛大なる拍手をもってお出迎えください!」
司会の方のその声にあわせて、控室を出ます。
そのすぐ先には真っ赤な絨毯が伸びていて、そのずっと先にはヴェルザル様とゴルドー様がいらっしゃいました。
私は、緊張で思わず唇をぎゅっと噛みます。
――大丈夫、何度も練習したのですから。
自分にそう言い聞かせて、私は前を行くお父様の手を取ります。
流石のお父様も緊張なさっているようで、お父様と私は顔を見合わせてお互いを励ますように笑顔を作ります。
そして覚悟を決めて、お父様と私は歩き出します。
一歩。
また一歩。
私は、その一歩一歩を踏みしめるたびに、血の気が引いていくのを感じました。
大勢の人に囲まれてたくさんの拍手を受けていることが、今更になってひどく後ろめたく感じられました。これだけ多くの人を騙そうとしていることを、今になって恐ろしく感じていました。
そんな不安に押しつぶされそうになりながらも、まるで二つの心があるかのように、私は同時に冷静でもありました。
そしてついに、予定の場所にまで到達します。
切り裂くような女性の悲鳴。
その悲鳴の上がる方を見れば、そちらにはお二人の老兵のうちのお一人が、小刀を手にこちらに駆けだしています。
お父様は私を庇うように立ちはだかり、それを老兵さんが押しのけます。
そして、老兵さんと私は対面します。
ここまでは、事前の計画通りです。
――ですが、ここで予想外のことが起こりました。
視界の外から鞄が飛んできて、それが老兵さんの頭部に見事にぶつかります。
私は驚いて、鞄が飛んできた方を見ると、そこにはこちらに駆けてくるヴェルザル様の姿がありました。
「……っ!!」
私は激しく動揺してしまいましたが、すぐに次の策を思い出します。
万が一に備えて、すぐ近くにもう一人の老兵さんが控えているのです。
私はもう一人の老兵さんがいる方に向き合い、腹部を晒すように正面から向き合います。
そして老兵さんが目に入った瞬間に、私の腹部を小刀が貫きます。
「うっ、あっ……」
私の来ているウェディングドレスの下には、血糊と小刀を防ぐ防具がぎゅうぎゅうに仕込んであります。
そして、それらをギリギリ通過して、私の体に傷をつけるように長さの調整がしてありました。
つまり、致命傷ではないものの、実際に私の腹部を小刀が傷つけているのです。
当たり前ですが、痛いです。
実際に深く腹部を貫かれているのに比べれば大したことのない痛みではありますが、それでも痛いものは痛いので、演技ではなく痛がることができます。
「い、いた、い」
私は当初の計画通りに、その場にうずくまります。
そのすぐ後にヴェルザル様が老兵さん二人を叩きのめしてしまったり、帝国主戦派の若い人たちが暴れたりしたそうですが、私の耳にはほとんど届いていませんでした。
うずくまる私の元にお父様が駆けつけ、その上着を傷口に巻き付けます。そうすることで、不自然な出血の仕方をしていても、分かり辛くなるはずです。
そして止血されたことを確認して、ゴルドー様が私のことを病院へと連れて行くように指示する、という手筈でした。
つまり、私の役目はこの時点でほとんど終了していたのです。
あとは黙っていればよかったはずなのに、私は口を開かずにはいられませんでした。
「……ヴェルザル、様」
私は腹部の痛みもありましたが、それ以上に私が今まさにヴェルザル様を深く傷つけていることを、すぐ傍に駆け寄ってくださったヴェルザル様のお顔を見て、泣きたくなるほどに分かってしまいました。
「……口を閉じるんだ。今はただ生きることのみを考えてほしい」
「…………」
私が今まさにヴェルザル様を騙していると知ったら、ヴェルザル様でもきっとお怒りになるでしょう。
私は、そのことを考えると、分かっていたはずなのにどうしようもなく目の前が暗くなるような思いがしました。
「決して、諦めるな。諦めないでほしい」
私が担架に乗せられてからも、ヴェルザル様はそう声を掛けてくださいます。
そんな優しいヴェルザル様に、伝わらないと分かっていても言わずにはいられませんでした。
「ごめ、ん……なさい」
きっと、もう二度とお会いできません。
だから、せめて最後に今回のこの事件のことを、謝りたかったのです。
「―――――ッ! 何を謝ることがあるというのだ! 私が、私に関わったばかりに、こんな、こんな!!」
――ああ。本当にヴェルザル様はお優しい。
目の前が潤んでいることに気付いた時には、既に担架は動き出していました。
担架の上にいながら、ヴェルザル様とゴルドー様が口論する声が聞こえてきましたが、私はこの次のことを考えなければなりません。
「リコ、聞こえるね」
担架に寄り添って歩くお父様が小さくそう声を掛けてきます。
「は、い」
「ちょっとずれたけど、概ね計画通りだ。このまま治療しながら移動するよ」
お父様の言葉通り、担架に乗せられたまま、私はすぐに前もって用意されていた馬車の荷台へと乗せられました。担架で運んでくれた王国騎士の方も私のことを心配そうに見てくださっていて、とても心が痛いです。
「お久しぶりですね、リコルットさん」
「は、い。サラーサ様……」
私の後から馬車の荷台にお乗りになったのは、ヴェルザル様のお姉様でいらっしゃるサラーサ・ムンブルク様です。
そのお姿は先ほどまで結婚式に参列してくださっていたのですから、ドレスでした。
その上から白衣を着るとなんだか不思議な衣装のようにも見えました。
かつては看護師として戦場にいたこともあって、多少の傷であれば治療できるそうです。なので、ゴルドー様から直々の推薦を受けてこの計画のお医者様役としてサラーサ様が抜擢され、こうして同乗して頂くことになりました。
なので、私が致命傷ではないことも、血糊であることも全てご存知です。
馬車が動きだし、ざわつく人々の群れから抜け出すことができるまでは私はぐったりと横になったまま動かずにじっとしていました。
そうして周囲が静かになった頃を見計らって、サラーサ様が動き出します。
「それではもったいないですが、お洋服を失礼しますね」
サラーサ様は揺れ動く荷台の上でウェディングドレスを切り裂き、緩衝剤をはがし、血糊を拭き、すぐに私の腹部の傷に辿りつきました。
「……このぐらいなら、大丈夫ですね。痛みますが、堪えてください。消毒します」
前もって用意しておいた治療のための道具を引っ張り出すと、サラーサ様は瓶を取り出してその蓋を開けました。
「は、はい。………うううぅ~っ!!」
腹部に焼けつくような痛みが走ります。
それがいわゆる消毒というもので、大きな傷が出来た時にはしなくてはならないものだそうですが、私にはよく分かりません。
「……続けて傷口を縫合します。リコルットさん。これを咥えて」
「は、はい…………つううぅぅぅ~~っ!!」
布を咥えるとすぐに、腹部にチクリとした痛みが走ります。
そしてまたチクリ、チクリとその痛みは続き、どれだけ続くのだろうと震えていたのですが、それはすぐに終わって気づくと包帯をぐるぐると腹部に巻き付けられていました。
「これで大丈夫ですよ、リコルットさん。よく頑張りました。向こうについてもしばらくは安静にしてくださいね」
「あ、ありがとう、ございま、す」
私はほっと一息つきますが、まだまだしなくてはならないことがあります。
痛む傷に耐えながらふらふらと立ち上がって、私は馬車の中に用意されていた別の服に着替えて、髪型もすぐに変えて化粧も落とします。
そして、誰が見ても町娘というような姿になると、私はようやく一息ついてその場にうずくまります。
「……本当によく頑張りましたね、リコルットさん」
いつのまにか私のすぐ後ろから、サラーサ様がそっと抱きしめてくださいます。
「……ですが、私は、ヴェルザル様を」
「そうですね。ヴェルザルがあなたの行動を知ったのならば、色々と思うところがあるでしょう。それでも、ヴェルザルの思いをきちんと受け止める覚悟が、あなたにはあるはずです」
「……はい」
「気を強く持って。そして自信を持つことです。あなたの行いを皆が認めたからこそ、あなたは今こうしているのですから」
「……はい。ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらですよ。……そろそろ着くようですね。お元気で、リコルットさん」
「……はい。ありがとうございます。サラーサ様もどうかお元気で」
サラーサ様とそう挨拶を交わしあって、私は立ち上がります。
そして馬車が止まると、慌てて荷台から飛び降ります。
「こちらです、お嬢様」
馬車から降りた先には、ルーデランド家お抱えの御者のクロドナが待っていました。
いつもはのんびりした面持ちのおじいちゃんですが、今はそんなことを感じさせません。
「はい」
私はクロドナの指示に従って、馬車に乗ります。
その馬車はいつもクロドナが使っているものとは全く別のもので、正直に言って粗末なものでした。
けれど、よく見ると馬はとても立派で、二頭とも精悍な身体付きです。
数人しか乗れない客車には、既に私の荷物がまとめたものが入っています。
私がその客車に乗ると、すぐに馬車は動き出しました。
「お嬢様。念の為、お顔は伏せてください。横になって、ぐっすり眠られるとよいでしょう。長旅になりますからね」
馬車が動き出すと、クロドナはまるで小さな子供にさとすようにそう言いました。
「……うん」
クロドナの提案に私はそう答えて、すぐに横になります。
ずきずきとお腹の傷は痛みますが、それ以上に私は今皆さんがどうしているのか気がかりで仕方がありませんでした。
「……ヴェルザル様、本当に、申し訳ありません」
届かないと分かっていても、無意味だと分かっていても、私は謝らずにはいられませんでした。
クロドナの操る馬車に乗って、私ははるか西の田舎にまでその日の内に移動しました。
私には計画が成功したのか失敗したのか、もう分かりません。万が一にも私が生きていることが知られてはいけないので、連絡を取ることもできません。
これからは、一人で生きていくことになります。
はるか西の田舎で、小さな家に一人暮らしです。
聞くところによれば、牧歌的な暮らしができる良いところだそうです。
私のような性分に人間には、ぴったりなところでしょう。きっと、侯爵令嬢としてそれらしい生き方をするよりうも、よほど性に合っているはずです。
――それでも。
分かっていたことでも。
「ひとりぼっちは、寂しいですね」
私は小さく、誰にも聞こえない声で、そう呟きます。
「……ちょっと、疲れ、ました、ね」
緊張の連続から解き放たれたせいか、痛みも続いているのに、私の意識はゆっくりと遠のき、そしていつしか眠りにつくのでした。




