19
ブラッドが抵抗する意思を失ったことを確かめて、幸園はゆるりと立ち上がった。口元は再び笑みを浮かべている。
「そろそろお掃除は終わったかしら」
のんびり問う幸園にオリビアは「ええ」と端的に返事をする。話の内容がわからないブラッドは揺れる目をどうにかオリビアの方に向けた。それに気づいたオリビアがブラッドに向き直る。
「このゴミ捨て場は整備し直すことにしたのよ。住民を残しててもあんまり成果がないし、ブラッドと乖の観察を終えたら一掃するって決められた」
「みん……な……は」
「全員死んでもらうことになる。ていうかもうすでにほとんど死んでるわ。あなたと一緒に来た人達も死んでる」
オリビアは机に近づくと、その上に乗っていた板のような物を持ち上げる。町で機械を弄るのが得意だった男が持っていたパソコンのモニター部分だけを切り取ったような形のそれは、タブレットと呼ばれるものだとわかった。
ブラッドがいた町ではまともに動くものは無かった。だがオリビアがブラッドの目前にそれを差し出すと、モニターは鮮やかな色を映し出した。
「カメラの映像を見たことある?これはこのタワーの外、あなたの仲間達がいる所よ。一生懸命ここに入ろうとしてたみたいだけど」
そう言われて画面に映ったのは、真っ白な床を血で汚し倒れている仲間達の姿だった。十数人いたメンバーは全員死んでいる。
「お母さんがやっていることを教えてあげる。私たち幸園家は分家から派生した一族で、その宗家に当たる一族のことなんだけど。宗家は土着的な神を信仰し、その見返りなのか人智を超えた能力を持つ子どもが生まれてくるの。その子どもを人工的に作り出そうとしたものが、ギフトの研究」
ブラッドの目は画面に釘付けになっていた。死体は所々変色した皮膚が内側から弾けたように破けており、肉片がそこらに飛び散っていた。
「宗家の1人から抽出した細胞から薬品を作り、強制的に能力を目覚めさせる。でもなかなか上手くいかなくてね。10歳以下の子どもが数百人に1人適合するくらいの確率だということはわかった。で、適応しなかった人間はこう」
オリビアは死体を映すタブレットを指で叩く。
「今その薬品をガスにしたものをゴミ捨て場全体にばら撒いてる。あ、箱庭全体はちゃんとドーム型になってて空間が密封されてるの。あなたが空だと思っていたのはドームの天井。だから他の箱庭には漏れてないわ」
ああ、全部壊されていく。
「それにね、あなた達がコソコソ穴を掘って作った通路の先は別の施設に繋がってるだけ。たどり着いた人達は全員始末したし穴ももう塞いだって」
何もかも壊れていく。
「オリビア、さっき私がペラペラ話してアカネが混乱してしまったばかりでしょう」
「すみませんお母さん」
やんわりと注意する幸園に、オリビアは感情のない声で答える。そして悪びれもなく話を続けた。
「塔の外の生体反応を確認したけど、開拓前に住んでいた人達は少しも適性が無いみたいなのよね。誰も生きていないわ。生き残りの年齢が高かったのもあるし、今までの中で目覚めたのは、気まぐれで投与してたまたま適合したB102くらいだったかしら」
つまりブラッド達が生きてきた国にはもう生き残りがいない。乖と一緒にいたアランも?震える手が痛みのせいなのか精神的なものなのかブラッドにはわからなかった。
「ただ乖が今どこにいるのかわからないのよね。ブラッド……ああ、アカネって呼んだ方が良いのかしら。これからはあなたもお母さんのために協力してちょうだい」
「……」
ブラッドは画面に向かって唾を吐き飛ばした。オリビアは瞳に怒りの色を浮かべ「あ」の形に口を開こうとする。
するとどこかからドン、と響く音が鳴った。閉まっていたドアから煙が漏れ出し、歪な音と共にジリジリと開かれる。
「誰?」
オリビアはホルスターから拳銃を取り出し、ドアに向かって構える。幸園の表情も一瞬ピクリと揺れた。
「ブラッド……」
50センチメートルくらいの幅に広げられたドアの間から現れたのは乖だった。心配そうな目は倒れるブラッドを見つけて大きく開かれる。オリビアはすぐに銃口を下げた。
「オリビア、あなたが誘導したの?」
「いえ……彼が壁の外に出た時に回収する予定だったんですが」
オリビアが幸園の言葉を否定すると、乖に努めて優しく声をかける。
「あなたどうやってここに来たの?」
「それは……」
乖がゆらりと横にズレる。同時にドアの奥から銃が現れ、躊躇いもなく引き金が引かれた。白い部屋に発砲音が鳴り響く。
「あれ……」
銃口は幸園に向けられていた。だが幸園は側にいたオリビアの腕を掴み、射線上に引き寄せていた。オリビアの胸からは血が噴き出し、彼女は信じられないものを見るように広がっていく血のシミを見下ろした。
「お母、さん」
「ごめんなさいね、他に盾になる物が無かったから」
「そう。やっぱり私も……姉さんと、同じ」
オリビアの体が崩れ落ちる。ダランとした娘の腕を掴む幸園はそれでも微笑んだままだった。
「ブラッド!」
乖が弾けるように駆け出し、倒れるブラッドに駆け寄る。
「どうして、どうしてこんなに……」
「乖……」
別れた時と同じように涙を堪えながらくしゃくしゃにする顔を見て、ブラッドの心に温かいものが通うのを感じた。ブラッドにとって乖はかけがえのない存在なのだ。例えその出会いが用意されたものだとしても。
乖はポケットから小型の折りたたみナイフを取り出すと、ブラッドの腕を縛っていた縄をおぼつかない手つきで切っていく。プツリと縄が切れ、ブラッドは自由になった腕を確認した。手首には痣が出来ていて爪から血がにじんでいる。
乖に支えられながら上半身を起こすと、奥にいた人影は銃口を幸園に向けたままヨロヨロと入ってきた。それは見覚えのある姿。
「アラン」
「また……会えたな」
アランはすでに傷だらけだった。肌の至る所が変色して血管が浮かび上がり、目や耳から血を流している。アランもガスを吸っていたのだろう。激しい痛みが襲いかかっているのか表情を歪め、唇は噛み締められてる所から血が滲んでいた。
「あら、あなたは耐性があるの。珍しいわ。でも辛そう」
幸園は感心した声を漏らす。アランの弟はギフトだった。兄であるアランにも多少の適合性があったのかもしれない。
続けて発砲する。しかし幸園は迷わず娘の死体を盾にして弾丸を受け止めた。
「……狂ってやがる」
言葉を吐き捨てるが、それでもアランは前に出て相手を牽制し続けた。
「乖、ブラッドと一緒に外へ。どうせコイツはお前達が狙いのはずだ」
乖は迷いながらアランを見るが、うなずきブラッドを引きずりドアの方へ動き出した。
「行っちゃうの? それは困るわ」
幸園が足を踏み出した途端、アランはまた発砲する。それをオリビアの遺体で防ぎながら、幸園は娘が落とした拳銃を拾いアランに向けて引き金を引いた。
「ッ!」
弾丸はアランの利き腕側の肩を貫通し、彼が持っていた拳銃は背後へと落ちていく。幸園はすぐにスライドを引き銃口を再び向ける。ブラッドは痛む体を無理やり動かし、アランの方へ突進した。
放たれた弾丸はブラッドの髪をかすって宙を切り、壁にめり込んだ。ブラッドは激痛で鈍った腕を伸ばしてアランが落とした拳銃を拾うと、スライドを引き幸園に向ける。幸園は仮面の笑みには似合わない俊敏さでデスクの背後に身を隠し、射線上から逃れた。
追い打ちをかけるようにアランは腰に下げていた手榴弾を手に持ち、利き腕と逆側の手でピンを抜いてデスクの背後に向かって投げる。
「ブラッド、アラン!」
乖に引かれるままブラッドとアランはドアの隙間から通路へと飛び込むと、室内から爆発音が響いた。幸園がどうなったかはわからない。ブラッドが顔を上げると通路には1台の電動バイクが停められているのが目に入った。
「どうやって来たんだ。そもそもどうしてここに……」
「ふっ……乖が強情でな。タワーの入り口は乖の電気で回路を破壊してこじ開けた。そのまま電力を提供してもらいながら、バイクで階段駆け上がってさ。ホント……乖はすごいよ」
「……そうか。見たのか、あいつらの遺体は」
アランは目を閉じると静かに首を縦に揺らした。
「ブラッド、動けるなら乖を連れて逃げろ。2人なら、逃げられる」
「ダメだ、お前を置いていけない。それにこの国はアイツの研究施設なんだ。外も同じだ。……逃げる場所なんてない」
「それでもだ」
息を吐くような声でアランはブラッドを諭す。
「俺は、もう限界だ。正直話すのもキツイ。でもお前と乖は……こんな馬鹿みたいな場所で、終わっちゃいけない」
アランはもうひとつ手榴弾のピンを抜き、力を振り絞って幸園がいる部屋に放り込んだ。部屋から爆発音が鳴る。アランはうめき声をあげると、その場で崩れ落ちた。
「アラン!」
乖がアランに駆け寄り起こそうとした。だが自分より大きな体はビクともしない。ブラッドがよろめきながら側に行くと、アランは濁った意識をさ迷う様に細長いため息をついた。
「……悪い、もう、目がダメみたいだ。体の感覚も……わからない」
ブラッドはアランの脇に手を入れ、うつぶせになっていた体を仰向けにする。呼吸が弱弱しく目は虚ろだ。皮膚の変色も先ほどより濃くなっており、助からないのは一目瞭然だった。
「やだ……やだっ!」
とうとう我慢の限界を迎えた乖が身を伏せてアランに抱き着いた。肩を震わせ、手袋で覆われた腕にギュッと力を入れている。
「アランが死んじゃうの……やだ。どうして……」
「乖」
その手を優しく取り、ブラッドは乖の体を起こす。乖は抵抗するように首を振って嗚咽を漏らし続けたが、ブラッドは促しながら上に引き、小さな体を立たせた。
「アラン、すまない」
「はは……いい、よ。乖を頼む」
ブラッドは乖の肩を支えるようにして電動バイクの方へ歩く。座席を跨ぎ乖を後ろに乗せると、エンジンを起動させた。しかし、ふとある言葉が頭によぎり、ブラッドは顔を倒れるアランの方へ向ける。
「アラン」
「……何だ」
「俺は、自分に兄がいるとしたらアランが良い」
一瞬息を吞む音がした後、おかしそうに笑う乾いた呼吸が聞こえてきた。ブラッドは瞼を伏せるとそのまま電動バイクを走らせ通路を駆けた。
背後からはもう何も聞こえなかった。




