22◇メファノ家
皇帝が根回しをして、すでに先方の許可を取ったのだという。
皇帝直々に名指しされて否と言える貴族なんていない。
本当に大丈夫なのだろうかと、ブランシュは養女の件を聞かされてからずっと顔が引き攣ったままだ。
ノアを戦地に送り出してからかと思ったら、ブランシュの方が王宮から送り出されてしまった。
「まあ、ひと月のことだ。ノアの評価にも繋がるので行儀よくな」
皇帝がニヤニヤ笑いながらそんなことを言った。
ただ単に面白がっているのではないかと時々邪推したくなるが、本当のところはどうなのだろう。
メファノ伯のエヴラール領は帝都からそれほど遠くない。半日で辿り着けることもあり、ノアが一緒に来てくれる。
二人きりの馬車の中、ノアの横に座って寄りかかったり、とにかくベタベタしておいた。しばらく会えないから、ノアも大目に見てくれた。
エブラール領のグリマレを通ると、懐かしさで胸がいっぱいになったが、母がいないことを思うと切なさも込み上げてくる。
それが背中から伝わったのか、ノアが急に頭を撫でてくれた。母にもノアを会わせたかったなと少し思った。
「ご無沙汰しております、メファノ卿」
マナーハウスのホールで、二人を迎え入れた夫妻にノアが手を差し伸べて挨拶する。
――この人たちが、ブランシュの両親なのかもしれない。
ブランシュは眩暈がした。
本当に、夫人とブランシュは似ていたのだ。そっくりだとは思わないけれど、似ている。
小柄で線が細く、穏やかな貴婦人だ。質はいいが控えめなドレスを着ている。
「先の騒動の時には肝を潰しましたよ。あれは、あなた様のように高潔な将軍に対する処罰ではありませんでしたから。それもすべて策略だったとこのことで、今は心底安堵しておりますが」
ノアへの賛辞はお世辞ではないのかもしれない。けれどそれはノアの人柄によるところであって、メファノ伯の性格がよいということではないと思う。
ついひねくれて見てしまうのは、捨てられた子供からすれば当然だろう。
メファノ伯は五十代ではあるものの、太ったりはしておらず、白髪交じりの髪を撫でつけて柔和な笑みを浮かべている。
そして、夫人の横に控えている青年。あれがブランシュの〈母〉の子供。
当然ながらメファノの両親のどちらにも似ていない茶色の髪、十人並みの容姿。それでも育ちの良さは窺えた。
「――ブランシュ」
ノアに呼ばれ、ハッと顔を上げる。
「ご挨拶を」
促され、ブランシュは一度キュッと唇を噛んでから覚悟を決めた。
「ブランディーヌ・ラファランと申します。どうぞよろしくお願い致します」
メファノ夫人の、ブランシュとよく似た瞳がブランシュをじっと見ている。彼女は子供が取り換えられたことを知らないという。気づきはしないはずだが、何かを感じてはいるのだろうか。
メファノ伯の方がぎこちなさを精一杯隠すような笑みを浮かべていた。
「ようこそ、ブランディーヌ嬢。ここが今日から君の家だ」
「ありがとうございます」
微笑んだつもりだが、上手くいかなかったかもしれない。ただし、それは緊張のためだと受け取られたに過ぎないのだ。
「大切なお嬢様ですから、わたくしたちがしっかりとお預かり致します」
夫人の柔らかな声に、ノアは感謝を述べる。
「はい、どうか彼女をよろしくお願いします」
そうして、ノアはブランシュを置いて去った。
ブランシュは、ひと月の間をここでどう過ごそうかと考えながら屋敷へ踏み入った。
それは、戦へ赴くノアほどではないかもしれないが、敵地に単身でいるような気分に似ていた。
屋敷で過ごして二日目には、跡取り息子が両親からとても大切にされていることに気づいた。
シャルロ・メファノは純朴な青年だった。
「ブランディーヌ、君は僕の義妹ということになるんだよね。同い年なんだけど。誕生日まで一緒なんてすごい偶然だ」
「本当ですね」
その誕生日はブランシュのものであって、シャルロの誕生日は多分数日前だったのではないだろうか。
シャルロは、ノアと比較してしまうせいかもしれないが、背が低い。だから喋りやすいけれど。
メファノ伯はブランシュに行儀作法の講師をつけてくれた。そして、細かなことは夫人も指導してくれた。
「貴婦人は、人様のお話を遮ったりはしません。微笑んで慎ましくお話を窺いましょう」
「はい、お母様」
ノアの婚約者であるブランシュは、この家で粗略に扱われることはなかった。
このまま何事もなくひと月を過ごし、それでいいのだろうか。なんのために皇帝はブランシュをここへ送ったのかなとぼんやり思う。
◇
そんなある日。
庭で手紙を拾ってしまった。それは恋文だった。
読んではいけない――と思いつつも、しっかり読んでしまうのが年頃の娘である。
この恋文は、どこの誰だか知らない令嬢に当てた、シャルロの手紙だった。
どんなにその令嬢が好きかを書き連ね、そして最後にこう結んだ。
――君との結婚を必ず父に許してもらう。僕は絶対に諦めないから。
その一文を読んだ時、手紙を勢いよく奪われた。
「よ、読んだっ?」
顔を真っ赤にしたシャルロが、手紙をくしゃくしゃ音を立てながら懐に隠す。
ブランシュはにっこりと微笑んだ。
「もちろんです、お義兄様」
読んでいませんと言ってあげた方がよかったのだろうか。
シャルロは、あ、そう、とつぶやいてしょげた。
「とても素敵な、胸に迫る恋文でした。ノア様はそんなお手紙を書いてくださらないので羨ましいです」
絶対書かない。それは間違いない。
もし何かの間違いで書いてくれることがあったなら、額に入れて飾っておきたいくらいだ。
それでも、シャルロは褒められて少しくらいは気をよくしたのかもしれない。ポツリポツリと語り出した。
「アレクシアは男爵家の令嬢で、その、父上からは認めないと言われてしまったんだ。身分の問題かと問えば、アレクシア当人が僕に相応しくないという。でも、あんな優しい子の何が相応しくないんだか、僕にはまったくわからない。父上は彼女を誤解しているだけなんだ」
まさかとは思うけれど、メファノ伯がシャルロが思いを寄せる女性との仲を反対している理由は、ブランシュと結婚させるためだったりするのだろうか。
まだ諦めていないなんてことがあったら嫌だ。
ブランシュの実の父かもしれないが、もしそうだとしたら腹立たしいことこの上ない。
これ以上、子供たちの人生を狂わせないでほしい。
「本当ですね! わたし、お義兄様の恋路を全力で応援します!」
つい最近妹になったばかりの娘に妙に力いっぱい応援され、シャルロは若干戸惑っていたが、味方が増えたのはありがたいことのようだった。
「あ、ありがとう」
本当に素朴な人だ。笑っていると、ブランシュを育ててくれた母の面影が被さる。
母はブランシュを一番に考えられなかったという。それならば、母にとっての一番は誰か。実の息子のシャルロしか考えられない。
母を看取った時はわけがわからなかったし、そんなことを言われたひどく悲しかった。
けれど今は違う。母の苦しみも欠片くらいは理解できるし、何よりノアがブランシュに価値をくれたから、心を広く保てる。




