9◇温度差
皇帝の命を受け、ノアはフィンツィ領へ赴く。
ブランシュはすかさず同行を申し出た。しかし、ノアはそれに関していい顔をしなかった。
「無理をするな。もうその男たちと顔を合わせたくないだろう?」
「それはそうですけど……」
当然だ。二度と顔を見たくない。
けれど、ノアを待っている間、どうしていたらいいのかわからない。
待っているだけでは不安に押し潰されそうになる。それくらいならノアと一緒にいたい。
もしセヴランがブランシュにひどい言葉を投げつけたとしても、ノアがいてくれたら聞き流してしまえる。
もう、何も怖いことなどないはずだ。
ノアの軍服の裾をギュッと握り、顔を見上げる。
「ノア様と一緒なら怖くありません。置いていかないでください」
「……しかし」
「あの人たちは絶対に言い逃れようとします。わたしが目の前で証言した方がいいでしょう?」
「つらくはないか?」
ふと、ノアが自分の方が痛みを感じているような目をした。
人の痛みに敏感な優しい目だ。この目がとても好きだと思った。
「はい。捕まるところが見たいくらいです。いい気味ですからね」
それは本音のつもりだったけれど、ノアには強がりにしか聞こえなかったのだろうか。やはりどこか悲しそうに笑った。
「ブランシュは強いな。それでも、無理はしないことだ」
強いのだとしたら、それは頼もしい後ろ盾が増えたおかげだろう。
ノアは逞しい武人なのに繊細だ。皇帝の方が見た目だけは繊細そうなのに図太い。
人は見た目だけではわからないとつくづく思う。
「わたしを気遣ってくださってありがとうございます。大好きです、ノア様」
思わず口から気持ちが飛び出す。
ノアは照れているのとは違う、なんとも複雑な微苦笑を浮かべ、そしてうなずいた。
ブランシュに好きだと囁き返してはくれない。特別な時にしか言ってくれないものなのだろうか。
ノアがフィンツィ領へ向かう同じ馬車にブランシュも乗り込む。その馬車の周りにはノアの部下が数人だけ騎乗してついてきている。
今のところセヴランたちの犯罪を立証する証拠がないので、あまり表立っての捕り物とはいかないという。
「捕まえたら拷問して吐かせるんですか?」
馬車の中でブランシュが尋ねたら、ノアに唖然とされた。
「君はいつの時代の人間だ? 今時拷問などしない。魔術を使って自白させる」
「そうなんですか?」
「ああ。だから黙秘もできない。疑わしいところもない人間を無理に術にかけることは違法だが、ある程度の証言や状況証拠がそろっていれば許可が下りる。……あの二人、皇弟殿下と宰相閣下とはもう呼べない身だが、陛下の術に抗う力もなく罪を自白した」
それを聞いて安心した。
ブランシュは証拠になりそうなものを何も持っていないのだ。だから、自分の言葉を信じてもらえなかったらどうにもできないという不安はあった。近頃は便利な術があるのだと感心してしまう。
カラカラと馬車に揺られている間、ノアは目を閉じて黙っていた。
眠っているのかと思ったが、そういうことでもなさそうだ。何か考え込んでいるらしい。
邪魔をしてはいけないなと思う反面、なんとなく寂しくもなる。
ノアには仕事があるから、それほど長くブランシュに構ってくれるわけではない。それも、ノアは無口で口下手だから、コミュニケーションは非常に短い。
そぅっと向かいの席からノアの隣に座り直し、ノアの横顔を間近で眺めてみた。
皇帝のような美貌とは違うけれど、精悍に整っていて好ましく思える。よく見ると、こめかみの辺りにも薄く傷跡があった。いろんな経験をしてきたけれど、そのすべてを語ってはくれなさそうだ。
こんな人が自分を好きでいてくれるのが夢のようで、触れて確かめたくなる。これが現実だと。
手を伸ばした時、馬車の車輪が石を撥ねたのか、車体がガタンと揺れた。
「ひゃっ!」
ブランシュがノアの体にぶつかり、ノアはハッと目を開ける。
「……大丈夫か?」
ノアは自分にしがみついているブランシュに尋ねるが、困惑して見えた。この程度の馬車の揺れで向こうの座席から飛ばされたと考えたなら、それは驚くかもしれない。
そう考えたら少し可笑しかった。
「近頃、こんなやり取りばっかりですね」
「近頃というか、出会った時からだな」
「そうでした?」
そんなことを言い合い、笑う。ノアの笑い声を久しぶりに聞いた気がした。
しかし、ノアに抱きつく形になっているブランシュの手を、彼がやんわりと解きにかかる。
この時に、あれ? と思った。
ブランシュはもっとこうしていたかった。ノアとくっついていたい。
ノアは違うのだろうか。貴族からすると、これは婦女子の行動としてはしたないだけで少しも嬉しくないのかもしれない。
そこに思い当たると、急に恥ずかしくて消えてなくなりたくなった。しばらくノアと一緒に過ごせると浮かれていたのはこちらだけだ。
「……ごめんなさい」
謝ってみたら、ノアはふと表情をゆるめた。
「いや?」
ただし、抱きしめ返してくれるようなことはなかった。




