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亡き皇帝のためのパヴァーヌ  作者: 五十鈴 りく
第1部✤亡き皇帝のためのパヴァーヌ✤

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15/49

15◆夢遊病

 のぼせそうになって湯から上がったブランシュは、ノアが貸してくれた生成りの寝間着を広げてみた。とても長い。


 頭から被ると、襟から肩が滑りそうなくらい襟ぐりが大きい。襟に調節する紐がついているので、紐を絞って結び、なんとか着られた。膝下まで隠れる長さのそれは、もしかするとノアのチュニックなのかもしれない。


 男の人の服を借りていると思うと、なんとなく恥ずかしい。けれど、嫌だとは思わなかった。多分、貸した方も恥ずかしかった気がしたから。


 洗った服をどこかに干させてもらおう。丁度いいところがないか、ブランシュがうろうろしていると、窓から明かりの漏れているところがあった。

 あそこがノアの部屋だろうか。


 そう思ったけれど、なんとなく違う気もした。あそこは塔になっているように見える。主の部屋にしては狭すぎる。


 ――誰かいる。

 ノアしかいないはずだ。だから、いるとしたらノアだけだ。


 それなのに、何故か妙に気になった。夜間、ノアはあそこで何をしているのだろう。

 塔の窓には窓ガラスが嵌っておらず、ただの物見台のようだ。あそこから外を眺め、ノアは何を思っているのだろう。

 まさか飛び降りたりはしないはずだけれど。


 ブランシュは濡れた服を階段の手すりに引っかけ、塔を目指して進んだ。

 向かう先は暗く、廊下に灯りはなかった。塔へ続く扉は開け放たれたままで、ブランシュは石造りの螺旋階段を上がっていく。

 なんとなく、足音を立てないように。


 風が上から吹き下りてきて、せっかくあたたまったのに湯冷めしそうだった。

 肩を抱くと、明かりが先の壁を照らしていた。手燭を窓辺に置き、そこから外を眺めているのはやはりノアだった。


 ブランシュはそれを確かめた後、声をかけずに引き返そうと思った。けれど、ノアはすぐに振り返った。


「こんな夜更けに何をしに来た?」


 この時、ブランシュが違和感を覚えたのも無理はなかった。

 ノアは微笑んでいたのだ。昼間みせたような無気力さは感じ取れないほどはっきりと笑っている。


「す、すみません。明かりが見えたので気になって」


 正直に言うと、ノアは目を細めた。今が夜更けだからかもしれないが、何故かドキリとしてしまうほど色気があるように見えた。ただし、その分近寄りがたいとも感じた。


「そんな恰好でやってきて、俺に何か期待しているのか?」

「えっ……」

「ひと晩の過ちくらいで責任を取ってもらえると思っているなら、そんな考えは捨てることだ」


 確かにはしたない恰好をしている。男性の前に出るのはよくないかもしれない。

 けれど、ノアにそんなことを言われるとは思わなかった。


 手厳しい言葉を投げつけられ、ブランシュは愕然とした。世話になりっぱなしの手前、怒れる立場ではないのだが。

 それでも、ノアにブランシュがそういう浅ましい娘だと受け取られたのが無性に悲しかった。


 自分で抑えきれないほど顔が紅潮したのがわかった。涙がじんわりと浮いてしまう。

 そうしたら、ノアは目を眇め、大らかな笑みを浮かべた。その表情もまたノアらしく感じられなかったけれど、先ほどよりは親しみも込められていた。こんなにも表情豊かな人だっただろうか。


「試すようなことを言って悪かったが、その顔を見て安心した。何か企みがあってここへ来たわけではないようだ」


 何か、初対面の人と話しているような感覚がする。

 そうしたら、ノアは自分の髪をぐしゃぐしゃに乱した。


「実は、俺は今寝ていて」

「え?」

「夢遊病というヤツだ」

「ええ?」


 おかしなことを言い始めた。

 ブランシュは夢遊病患者を知らないけれど、こんなにはっきりとした自覚があるものなのだろうか。


「過度のストレスで発症する」


 確かに、今のノアはひどいストレスの只中にある。


「それは皇帝陛下をお護りできなかったことがきっかけですか?」

「そうだな」

「夜中に徘徊して、朝になると覚えていないとか?」

「まあな。何か俺に関して訊きたいことがあるなら今のうちに訊いておけ。昼間の俺よりは融通が利くつもりだから、答えられる範囲で答えてやる」


 ――夢遊病というのは、要するに寝ぼけているということだ。

 普段抑圧されたものが漏れ出るのなら、こちらがノアの素ということだろうか。昼間よりも幾分偉そうに言われた。


「じゃあ……ええと、ノア様はおいくつですか?」


 答えてくれると言うから訊ねてみたのに、鼻で笑われた。


「なんだその面白味のない質問は」

「駄目でしたか?」

「まあいい。二十四だな」

「ご家族は?」

「いない。両親は亡くなった。兄弟もいないからな」


 そう言ってから、何か意地悪くにやりと笑った。


「ああ、妻子もいない。婚約者すらな。昼間の堅物ぶりでわかるだろう?」

「そんなことはありません。女性の扱いに慣れているのかなと思いました」


 とても優しく接してくれた。貴族だから、綺麗な令嬢と踊ったり、茶会に招かれたりしているのでエスコートし慣れているのだと。


「慣れているように見えたか? 会話が弾むタイプではないから、よく口の回る女が苦手なんだ。でも、そうだな、お前には肩ひじをはらずにいる気がする。女というよりは小動物に接しているような」

「小動物……」


 夢遊病のノアは存外口が悪い。

 そして、よく笑う。それがまず変だ。


「ノア様はまだお若いのに、いつ将軍になられたのですか?」

「世情に疎いな。そんなことはいくらでも新聞に書かれていたはずだ。三年前、フローランの戦いで武功を上げた。その後だ」

「武功ですか?」

「ああ。あの時は敵と縺れ合う形になり、手勢にかなりの負傷者が出た。俺自身も矢を二本受けたからな。傷跡でも見るか?」


 と、急にノアはシャツの前をはだけ、諸肌を見せた。ブランシュがぎょっとしていても楽しげに、どこか誇らしそうに背を向けて肩の矢傷を見せる。

 鍛えられた筋肉質な体には余分なものは少しもついておらず、彼自身が言う矢傷以外の傷跡も多く見られた。軍人にとっては、それらのすべてが勲章のようなものなのだろうか。


 身の回りに若い男性がほとんどいなかったブランシュは、その逞しい体を直視するのは躊躇われたが。


「間一髪というところだったな。もう少しで矢が陛下に届く寸前、とっさに体を張って盾になったわけだ」

「い、痛かったですよね」

「まあ、痛いな」

「でも、嬉しかったのでしょう? 陛下をお護りできて」


 そう言うと、ノアは嬉しそうに笑った。


「そうだな」


 その人を喪ったことを忘れたかのように、ただ純粋に嬉しそうに見えた。

 今のノアは寝ぼけている状態だというから、整合性が取れずとも仕方がないのかもしれない。


「――さて」


 ノアは仕切り直しをするようにシャツを着込みながらつぶやく。


「次はお前の番だな」

「えっ?」

「お前は何者だ?」


 昼間のノアは何も訊ねないけれど、夜のノアは同じではないらしい。急に射るような鋭い目を向けられた。


「な、何者も何も……ただの庶民です」

「まあその言葉に嘘はなさそうだが、何か事情は抱えているのだろう?」

「少しは……」


 セヴランたちを訴え出たい。ノアに相談したら手を貸してくれるかもしれない。

 そんな甘えた気持ちが湧いてくる。


 けれど、言おうとして喉が詰まった。

 今、もっと大変な思いをしているこの人に助けてくれなどと言っていいのかと。


 ブランシュは胸の前でギュッと拳を握り締めた。


「とても個人的なことです。ノア様のお悩みとは比べるべくもないことで……」

「別に比べる必要はなかろう。俺は武人でお前はただの娘だからな、耐え得る程度がそもそも違う」


 口は悪いが、やはり優しさは共通するのだろうか。

 その言葉に救われる。


「ありがとうございます。わたしはノア様に出会えて――くしゃんっ!」


 風呂上りに薄着でいるせいで寒くなってきた。くしゃみが止まらない。


「体が冷えたか? 鍛え方が足りんな。大体――へぶしゅっ!」


 そういうノアもくしゃみをした。


「ノア様、さっきまで服を着てなかったんですから、下手をするとわたしよりも冷えているのでは?」


 ちょっと可笑しくなって声を立てて笑ってしまった。ノアはバツが悪そうだ。


「仕方がない。今晩はここまでだ。しっかりとあたたかくして寝てしまえ」

「ありがとうございます。ノア様もあんまり歩き回らないようにお願いします。()()()()()()が寝不足になってしまいますから。では、おやすみなさい」


 と、ブランシュは本日二度目の同じ挨拶をした。

 けれど、まったく別人に挨拶したような気分だった。


 ノアは、フン、とそっぽを向いて窓の外を眺めていた。

 本当に、早く寝てほしい。


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