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#85 星空の下の憩いにて

 


 私は山岳を抜け、バルタ正面に広がる草原の丘に立ち、神聖都市を眺めた。


 神聖都市バルタはその周囲を多くの廃墟に囲まれていた。ファルトマーレの中でも古い歴史持つこの街は広大な旧都市の中央をくりぬくようにして城壁が立ち、その中に新都市たる現在のバルタが存在している。


 旧市街の遺構は、天然の要塞を生み出し攻め入ることを困難とした。


 だが聞いたところによると最近は難民が集まり旧市街に住み着いているとも。遠目では人は視認できないが、各所で火を燃す煙が上がっているのが見える。炊き出しか。


 難民の受け入れはしないくせに半端に施しはする。善意に見せかけた調子のいい支配体制。どうせ我々が攻め込んだ時には見捨てるだろうに。



「お嬢、軽く偵察はさせやしたぜ。見張りが多いんで新市街には正面からは近寄れなんだが、広すぎるのがアダですな。お嬢の見立て通り隠密に長けた魔族なら潜入はさせられそうですぜ。それと廃墟は難民ばかりだそうで。どうにもあの廃墟は街自体が古い構造のようでさ、年代物の設備がちらほらみえると」


「詳しく話せ。今書き出す」



 私は地図を取り出し、話に聞く内容を書き込んでいく。


 周辺地形をこの目で見て把握し、進軍ルートを脳内で思案。紙に書く。


 周囲を森林の茂る山岳を抜けた先、広がるのは丘の点在する草原。そこに位置するバルタの目測で見える範囲の地形や構造をまとめ上げる。



 と、そうして眺めていた時にふと目に動く者が目に入った。


 私は魔族たちに伏せるように命じ、丘の上からそれを注視する。



「あれは……馬車?」



 目を細め見てみれば確かに馬車だった。バルタに向かっていくようだ。だが、一台だけ。補給にしては少ないし、来た方角も首都からじゃない。



「ゾフ、お前も目がよかったな。あれは何に見える」



 私の横で伏せながら様子を見ていたゾフに問う。ゾフはしばし目を凝らしたのちに私の目を見て答えた。



「馬を手繰ってるのは兵士に見えますが……運んでるのは装備や食料じゃねえですな。そこまで重いものを運ぶ車じゃあねえ。乗ってるのはおそらく人間でさ」



 人間だと……?


 あんな馬車程度で戦力補充でもあるまいし、なんだ? 要人が乗る馬車にしては粗末すぎる。それがカモフラージュなのか、あるいはだが。


 様々な憶測が頭の中に浮かんでは消える。


 と、馬車を目で追っていれば今度はバルタの旧市街から馬車が一台出てくるのが見えた。


 その馬車は今しがた目で追っていた馬車と入れ違いにどこかへ向かって行った。



「……不可解だな」


「追わせますかい?」


「ああ、尾行を付ける。あの馬車が山岳に入った段階で後を追わせろ。あの馬車はそこまで遠出はしまい。目的が分かったら生け捕りに、不可能なら様子を報告しに駐屯地へ戻れと言え。我々は先に戻るぞ」


「はっ」



 時間は既に昼を回っている。これ以上の長居は日が暮れてしまう。


 私は魔族たちに号令を出し、今しがた来た道を戻るのだった。















「姫、おかえりなさいませ」




 偵察を終えて駐屯地に戻った私達をクォートラとツォーネが出迎えた。


 軽く得た情報共有やあの墓地に新しく前哨拠点を構えることを伝えると、クォートラは良いタイミングだと言った。



「日が暮れる直前にルイカーナよりの補給物資が運び終わりましてな。今荷解きをさせている所です」


「おぉ、そうか! 私もすぐに改めに向かう。それと馬車の支度をさせておけ」



 クォートラは頷き、ゾフと共に一度魔族を連れ立って馬屋へ向かった。


 ツォーネが私に付き従い、運ばれてきたであろう荷物の山まで案内した。運び込まれた荷物は想像よりだいぶ多く、数度の戦闘に十分耐えうるほどであった。


 その山を見て私は息を漏らした。


 全てエルクーロ様の采配なのだろう。あんな風に思っておいて、いざこういう場面でありがたいと思ってしまう私は現金かな。




 未だにオークたち力自慢の魔族が荷物を整頓する中、私は物資の山を眺めて紙とペンを取り、リスト化に勤しむ。


 物資の把握作業も大分こなれてきたな。自軍の持つリソース管理は徹底的に行わなければ。中間管理職時代の血が疼くのか、こういった作業は慣れ親しんだもので好んでいた。


 と、ペンでぽすぽすと帽子を叩きながら物資を眺めていたところ、魔族の慌てる声が聞こえた。



「み、ミオさん! 邪魔してはいけませんよ……!」


「いいにおいがいっぱいする!」



 キエルの窘める声とミオの楽しげな声が合わせて聞こえてきて、なんとなく事情は察した。


 つかつかと歩いて行けば、案の定物資のシーツにくるまり遊ぶミオと、それをおろおろした様子で止めようとするキエルがいた。


 周囲の魔族はやれやれと溜息をつきつつもミオの事をつまみ出そうとはしていないか。



 馴染んだのか、私の庇護か。



「ただいま、ミオ」


「ココット! おかえり!」




 私の姿を見たミオは、シートをばさりと翼のように広げて私に突貫してきた。


 制止する暇もなく正面切ってミオの突撃を受け後ろに倒れる。幸い倒れた背中は柔らかい物資の上で頭を打つことはなかったが、ミオの持っていたシーツがばさりと体を覆いもみくちゃ状態になる。



「姫!」



 シーツの中でもがいていると、クォートラの声がしてシーツがはがされた。


 私の胸に頬をこすりつけご満悦のミオに圧し掛かられ、苦笑する私を見てクォートラもまた胸をなでおろしたようだ。




「お怪我がなく幸いです」


「ああ、たまたまな。まったく、この癖だけはやめさせなくてはな」



 私はミオの頭にポンと手を置き笑った。











 完全に日が暮れてから、何がどうしてこうなったのかはよくわからないが潤沢な物資に浮かれた我々は宴会めいた事を行っていた。


 物資にたんまりと用意されていた大量の酒を発見したゾフとその配下の地上部隊が大いに喜んだのを見て、慰労を兼ねて飲むことを許可したのが発端だ。


 補給物資を運んできてくれた部隊に連れ立っていた者たちが拠点周辺の監視を引き受けてくれたのも大きい。



 本当にどこまでもお優しいのだな、あの方は。




 松明の明かりに照らされた拠点の中央では魔族たちが大いに騒ぎ笑っている。


 久方ぶりの魔王城直送の食糧や酒を貪るものたちや、力自慢が相撲をし始めたりと中々の賑やかさだった。



 私はそんな様子を少し離れたところで眺めている。




 楽し気な時間は瞬く間に過ぎていく。


 存分に酒を煽る魔族たちは疲れ知らず。どうにも私の目を気にした様子が見られた者たちも、私がずっと黙っているのを見て無礼講と判断したか大いに騒いだ。


 そのうち顔を真っ赤にしたゾフが私の所に来て、輪に入ってはどうかと促してきた。


 私はあまり騒がしい飲み会などは昔から好みはしなかったので丁重に遠慮したのだが、あまりにもしつこいので仕方なくゾフの後について彼の地上部隊が騒ぐ場に行ってみた。


 ゴブリンやオークたちが私を見た瞬間、一瞬全員が話すのをやめ静かになる。彼らには多少なりと恐れられる私であったから水を差す結果に終わるのかとも思ったが、ゾフが静かになった一同を見渡したのちに言う。



「おう、お前ら! お嬢が来てくれたからには、我ら地上部隊全員で団結し存分にお楽しみいただくってえ訳で行くぞ!」


「「「おおう!」」」



 ゾフが酒瓶を掴んだままの腕を天に突き上げそういうと同時、魔族達も同じように歓声を上げた。


 私は、歓迎されていたようだ。


 主賓になるなどとは思っておらず、慣れてもいなかったのでこそばゆいが……こういうのも悪く、ないな。


 だが。



「お前たち……」



 私は腰に手を当ててそう言った。


 歓声から一転、魔族たちは驚いたような恐れるような顔で私を見た。ゾフも驚いた顔で私を見た。


 そして、深く息を吐いて帽子のつばに指をあてた私の言葉を待つ。


 私は帽子をゆっくりと取ると、軽く頭を振って白い髪を靡かせたのち、赤い瞳で一同を眺めて言った。



「……私の口に合うモノはちゃんと残っているんだろうな?」



 にやりと笑ってそういってやれば。


 魔族たちは一様ににやあと笑った後グラスを再び天に掲げた。














 しまった。


 やってしまった。


 たまには無礼講もいいだろうと思い好き放題に飲み騒ぐ魔族たちに交じってみたはいいものの、私も場に飲まれてやらかしてしまった。


 即ち、飲酒。


 昔魔王城で私が酒は嫌いではないと言っていたのをゾフのやつは覚えていて、クォートラが居ないのをいい事に私に綺麗な桃色の酒を勧めてきたのだ。


 しゅわしゅわと気泡の浮かぶ酒はスパークリングワインめいた果実系のもので、私はついついそれを受け取ってしまった。


 そして魔族たちの見守る中一口。甘くさわやかな口当たりとアルコールを感じさせない飲みやすさが災いし、うっかり美味いと言ってしまったものだから魔族たちは代わる代わる貢物めいて私に色々な酒や酒に合うつまみなどを勧めてきた。


 そして見事、あっという間にふらふらになったわけだ。



 視界が揺れているのがわかる。椅子に座りながらぐらぐらと頭を揺らし、未だ騒ぎ続ける魔族たちの声を聴く。


 久方ぶりの酩酊感覚。懐かしいな、この感じも。いや、今まで感じた何よりもひどい。悪酔いしにくい酒だったのが幸いか。頭痛などは今のところはなく、ただふわふわとした幸福感と思考のぼやけで済んでいる。久しぶりに気分がいい。戦いがこの後控えているというのに、やはり酒という物はすごいな。嫌なことを考えずにいられる。




 体が熱い。ここにいると火照ってしまう。これ以上飲むのもよろしくないので私はゾフに風に当たると言って席を立った。


 ふらふらと千鳥足になりながら駐屯地のはずれにやってくると、先客がいた。



 地面に胡坐をかき少々の酒を手に遠くを眺める、クォートラだった。



「お前は連中に混ざらないのか?」



 私はよろよろと彼の隣へ立つと、クォートラは驚いた顔をした。



「これは姫。今夜は星が美しいので静かに飲るのも一興と思い。どうせ連中はしばらく騒いでおりますゆえ、後に向かいはしますが」


「案外ロマンチストなのだな……ヒック」



 小さくしゃっくりをした私に、クォートラは目を丸くした。


 いかん、バレた。



「姫、まさか酒をお飲みに……!?」


「んああ、すこしだけだよ。すこぅし、だけ……」


「なんと……ゾフですな? 姫に酒を飲ませるとは……後で物申さねば!」



 憤慨するクォートラを構わんと諭しながら、うっかり姿勢を崩して転びそうになる。


 それをクォートラがすんでのところで尻尾を使い私を支え、そのままゆっくりと地面におろした。


 服が汚れるのを気にしたか、自身の尻尾を椅子のようにして私を座らせた。



 私は未だにくらくらとする頭を揺らしながら、太くたくましく、うろこに覆われた尻尾をそっと撫でた。


 感謝をしようとクォートラの顔を見れば、怪訝な顔をしていた。



 ……魔王城でもそうだったな。食事の時クォートラの尻尾を椅子にした時もこんな顔をしていた。



「そんなに尻尾に座らせるのが嫌なら嫌と言えこの」



 少しだけむっとして頬を膨らませてやれば、クォートラははっとしたような顔をした後、苦笑した。



「そうではないのです。姫……貴女を尾に座らせると、思い出すのです。娘もまた、そうやって我が尻尾に座るのが好きだったと」


「娘……? そうか、そうだったな……ヒック」



 クォートラは一拍置いて、ぽつぽつと話し始めた。


 私と同じくらいの背丈だった娘は、人見知りが激しく自分にしか懐かなかったと。妻を早くに無くし、男手一つで育てていたが、軍人の自分はどうしても家を空けることが多く寂しい思いをさせていた。


 そしてある日、ファルトマーレの側面侵攻の折に自分の家があった集落が巻き込まれ、そこで命を落としたと。本来安全圏にあったはずの集落がなぜ戦火に包まれたかは未だに分からず仕舞い。


 ポリニア様が亡くなったのも……その戦闘だったと。



「だから、お許しください。感傷に浸ってしまう弱い男を」



 クォートラはそう言って、笑った。


 娘を失い、憎悪に身を焦がしていたのはクォートラも同様。初めて顔を合わせた時を思い出す。人間の私を見るこいつの目は、憎悪の炎が見て取れた。


 今私に笑って見せるその笑顔にも寂しさが映っていて。


 そんな顔を見た私は……酔いもあったのだろう。クォートラの肩に己の頭をこつりと寄せた。



「姫……?」


「大切な者を想うのに、許すも許さないもあるものか。お前の憎悪は、今や私のものでもある。上司とは、そういうものだ。故に、こういうのもまた……私の役目かもな」



 私は胸に下がるレイメのネックレスに手を添え、瞳を閉じる。



「私はこの石に触れる度、母の事を想える。お前が私を見て娘を想うのなら、存分に想っていい。今日は無礼講だ」


「……!」



 私を見下ろすクォートラは私の言葉にその瞳を揺らした。そして眼下で己の肩……体格差のせいで二の腕当たりにちいさな頭を添える魔将軍を見つめた。



「遠慮するな」



 私は酔いで赤くなった顔のまま、クォートラを見上げた。


 クォートラは戸惑うような顔をし、そして何かを苦悩したのちに……言う。



「一度のみ……無礼をお許しくださいますか」



 絞り出されたような声。その言葉に私は再び下を向き、瞳を閉じた。



「構わんよ」



 クォートラはその言葉を聞いて、恐る恐る震える腕を私に伸ばした。


 そして……静かにその大きな掌を私の頭に乗せ、3度……撫でた。



「……大きな掌だ。これが、父の手なのだな」



 壊れ物に触れるような手つきではあったが、私の頭を撫でる掌からは父が娘を想う温もりが確かに感じられた。



「……貴女の事は、必ずやお守り致します。今度、こそ……」


「ん……」



 震える声が頭上から聞こえて。私はそのまましばらくクォートラの大きな手に身を任せた。レイメの手とも、エルクーロ様の手とは違う感触。だが……感じられた温もりはよく、似ていた。


 しばらくして、私の頭から手が離れてから私は立ち上がり、改めてクォートラを見る。


 目尻が少し潤んでいるのが分かったからか、彼は一瞬顔を背けようとしたが……すぐに立ち上がって私に気を付けをして見せる。


 そして。



「ファルトマーレには必ずツケを払わせる。そのために……尽力してもらうぞ?」


「……御意に……!」



 クォートラの敬礼を受け、私は頷く。


 そしてうっかりまたふらりと体を揺らしながらにやあと笑った。



「では命ずる。お前もゾフの所に混ざってこい。それから、ツォーネも混ぜてやれ。輪に入れず魔剣士達と静かに飲んでいたからな。今の私はあれに見つかるとどうなるかわからんから遠慮するが」



 クォートラはそれを聞いて、笑って頷いた。










 それから私はふらふらと自分のテントの近くまで歩いてきたが、たまらず一度腰を下ろした。


 ふう、と大きく息を吐き空を眺める。


 確かに、星空がきれいだな。こんなきれいな星空の下に、まだ憎い人間どもが跋扈していると思うとやるせない。


 だが、バルタはもう目と鼻の先。やっとここまで来る事が出来た。


 クォートラの憎悪も、ゾフの憎悪も……一度にまとめて晴らしてやれる。


 そして、私の憎悪も。



 そこで私は、ふと……今まで考えもしなかったことが頭をよぎったのだ。


 それは、復讐を果たした後の事。


 平穏に過ごす、湖畔の家でケーキを食べる。


 かつてレイメが語った夢物語。それを実現すると口では言っていた。


 レイメが言った幸せになるという言葉の意味。正味具体的にどうするのか考える余裕はなかった。


 魔族軍に身を落とした今、ファルトマーレとの戦争に勝ち復讐を果たした後どう身を振ることになるのか。



 エルクーロ様が言った言葉に乗っかるのは……あまりにも都合がよすぎるだろうかな。



 ミオの存在もあるからには、何かしら計画も立てておかなくてはなるまい。


 しかし彼女の存在を魔王城が受け入れなかった場合は……どうなるのだろう。


 だからこそ、エルクーロ様なら……。



「……はは、どれだけ都合がいいんだ、私は。エルクーロ様は……エルクーロ様ならばなどと……私は彼の優しさを裏切り続けているんだぞ……」



 ぼそりと星空に呟き、私は苦笑する。


 恩義、か。自分以外は全て利用する。それでいいと考えていたはずだった。今ではどうだ、口でそう思い込もうとしているだけで……心の奥底では彼らの優しさを頼っている。


 利用ではなく、頼ろうとしている。


 それでもレイメを奪った連中への復讐も半ばで安寧など訪れるものかと、彼の優しい言葉が嬉しかった自分が許せなくて。だから彼の優しさを蹴ってきたはずだ。


 今更、頼れるものか。



 だが、それでも。


 私はテントで眠っているであろうミオの事を想った。私がミオに思う幸せにしてやるという感情。本当は憎悪を忘れて、ミオとともに平穏に生きる道へと向かった方がいいのではないかと訴える自分がいるのだ。


 ミオのためならば……私は選択を変えてしまうのか? ……いや、それはできない。できるはずがない。


 わかっていたはずだ。あの白き城の庭園で、私は理解していたはずだった。


 今の安寧は仮初の嘘。彼女の見せる笑顔で感じる安らかさとて、心に刺さった針を抜かねば満足に笑い返してやれないだろう。


 レイメの望みが平穏だからこそ、譲れない思いがあるのだ。だが、それが私の最近の心の葛藤の原因でもある。


 平穏を望みながら、復讐を捨てられない。


 だのに、復讐半ばでミオを得てしまった。


 きっと私は彼女の事を、レイメを失った埋め合わせに思っているんじゃないかなどと己が心を邪推した。クォートラが吐露した過去にも通ずる、もう二度と失わないという固い決意。それは本心だ。



 だからかな……エルクーロ様も、ポリニア様を失って……こんな気持ちでいるのだとすれば……。


 くそ、酒なんか飲むんじゃなかったか。一瞬の多幸感の後はすぐこれだ。


 悪い事ばかり考えると頭が痛くなる。迷いなど捨てたはず。なのに、私はまた迷っているのか。


 守りたいものが増えてしまったのだ。復讐の道には、重すぎる荷物だというのをわかっている筈なのに。


 クォートラ、ゾフ、ツォーネ。


 私を守ると言ってくれた者達。愛しき復讐の道具だった者達。


 そして、ミオ。


 今度こそ失いたくないぬくもり。失ってはいけない大切な者。復讐を止められない私をどうか許して欲しい。


 あと……くそっ、なんでアイツが浮かぶんだ……。






「あの……飲み物を」




 突然、私の視界にカップが差し出された。


 私はびくりと驚き、反射的にそのカップを受け取ってしまう。


 そして。



「ああ、ありがと、う……?」


「はい」


「あ……あ!?」



 しまった。思わず受け取り礼を言ってしまったが、顔を向けてみれば飲み物を持ってきてくれたのはキエルだった。


 私はキエルの目を見たままぽかんと硬直し、そしてすぐに軽率な礼を恥じた。


 キエルの事を考えているときに現れるなど、タイミングが悪すぎる。



 視線が俯き、自然と手に持つカップに落ちた。



 カップに入っていたのはおそらくはホットミルクだった。やんわりとした温かさが手に染みた。


 酒では無かったことに安堵し、私は深くため息をついた。



「起きていたのか……ヒック」


「ええ、夜風が気持ちよかったので……ミオさんを寝かしつけた後は外に居ました。それで、貴女が随分酔っぱらってしまったと聞いたものですから……」



 いらぬ世話をする。


 そう反射的に頭で考えた。だが、不思議と……悪い気は、しなかったのだ。


 それが急に恥ずかしくなって、私はカップに急ぎ口を付けた。




「あの、加減はどうですか? 確か甘いものがお好きと聞いて、いっぱい砂糖をいれたんです」


「……もっと甘いほうが私好みだ」



 顔をぷいっと背けてそういえば、キエルが小さく笑ったのが聞こえた。


 それになんだか恥ずかしくなり、その羞恥心を苛々で無理やり染め上げた。


 私はよろめきながらばっと立ち上がると、カップを持たないほうの手をびしりとキエルに突きつけ、指さす。



「いいか、キエル! ヒック……ミオの世話は頼んだが必要以上にあの子と関わるんじゃない。いいな?」



 そう、言ってやれば。


 いつもならしゅんとして大人しくなろうものが、こいつはあろうことかくすくすと笑ったのだ。



「それ、もしかして妬いてたり、します?」



 ……意味が、解らなかった。


 なんで、なんでお前はいつもいつも。私の心を見透かしたように。


 顔がかああと紅潮するのがわかる。これは酔いのせいではない。無理やり染め上げた苛々はあっという間に羞恥心に再び埋め尽くされて。



「な、なんだと貴様! なんで私がやきもちなんか……!」



 震え上ずった声でそう言葉を吐かせた。


 それでもなお、キエルは困ったような顔で笑いながら、私を見た。



「いえ、悪気はないのです。ただ、嬉しく思ったんです。やきもちなんて、とっても普通の事なんですよ。だから、あなたがそう思った事が、嬉しいんです」


「うれ、しい……?」


「初めてあなたを見た時のあなたとは、随分変わったと思って。それってきっと、良い事なんです。あなたが、普通の女の子みたいになることは、なぜだか私も嬉しくて」


「わ、訳が分からん……ヒック」



 何を言っているんだこいつ。


 ダメだ。今こいつと話すのはダメだ。


 私はカップのホットミルクを一気に飲み干すと、キエルにからのカップを突き付けて背を向けた。




「今日はもう寝る! 明日はやる事があるんだからな! お前もさっさと寝てしまえ!」


「……はい」


「くっ……ふん!」




 尚も穏やかな笑みを崩さないキエルに背を向け、千鳥足でテントへ向かう。


 背後からは未だに視線を感じてうなじが妙にちりちりと熱くなるようだった。


 腹立たしいやら、恥ずかしいやら。




 私に父を殺され、私を憎むはずのこいつが……私のやきもちが嬉しいだと?


 私が、普通の女の子だと?


 私の事を、知った風に言ってくれる。


 ……クソ……クソっ。





 ――――悔しくて拭った口。舌に残るホットミルクの味は、私好みの甘さだった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] キャラが生きるいい回でしたなぁ [一言] 皆に混じって酒を嗜むなんて前までのココットならあり得なかった事なんだろうけど今は馴染んでる感じがする。
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