#84 動く者
「戦列維持。周囲を警戒しながら進め。斥候との連携を密にしろ」
私は現在バルタ近郊の山々に繁る森の中を進んでいた。
陣形は縦列、先鋒を魔剣士が務め、広範囲に散らばるように斥候として獣人魔族を展開させている。
今まではバルタからの斥候を追い払う我々であったが、今回は逆。バルタ攻略の命令が下りた今であるから、こちらから探りを入れるとして偵察に出ていた。ミオはまたキエルに渋々任せたが……いや、今は集中するべきだ。
山々の中央の盆地を迂回するように森を進む我々は、木々に溶け込み道なき道を切り開いて進む。捕捉を恐れた事と森により満足に視野が開けず連携ができないことからドラゴニュート達は拠点上空の見張りに当てており連れてきていない。連れ立ったのはゾフ率いる地上戦力である。
私は久方ぶりにオドの肩に乗りながら周囲に目を向け神経を研ぎ澄ませていた。
深い森、起伏の激しい山々。ルイカーナからバルタへ向ける派兵はやはり難儀するだろうな。
ルイカーナとバルタの間での交易路はどうなっていたのかと考え真っ先に抑えに行ったが、案の定人間たちも交易路には防衛陣を敷いていた。
あそこを使うには兵力が足りないとして、魔族達を配置し睨みあいの構図にはしておき本行軍を行うべくの道を探すが、まるで人の手が入っていない山々の森で大群の移動は時間がかかる。
攻めるも攻められるも難しい地形。ここを抜けてバルタを落とす。それもウラガクナ様が持ちこたえている間に、か。
決戦兵力をエルクーロ様が用意しルイカーナにいらっしゃるまではまだかかる。
その間に少しでも敵戦力の把握を含め準備を整えねばならない。なかなかに難しい仕事だとあらためて思い知る。
やはりドラゴニュート達の翼は使うほかあるまい。あるいはまた、魔物を用いるか。森を焼き払い一挙に突き進むのも策の一つとして胸に秘めておくか。
しかし静かな森だ。
森林浴という訳ではないが、小鳥の囀りを聞きながら森の中を進むのは気持ちがよい。
木漏れ日の温かさと眩しさは心を澄ませてくれた。
余計なことを考えずに済む。心穏やかに作戦を練れるのはとてもよかった。
さて、時間はまだ早朝。どこまで進めるか。
未だ拠点にできそうな場所には辿り着けず、既に盆地を迂回しきろうとしている頃合か。
大分進んだが、うまくいけばバルタの視察まで視野に入った偵察だ。これでいい。
我が兵力は30余り。ゾフがいるとはいえ接敵はできるだけ避けたいと思うが、この地形では接敵したとてお互い満足には戦えまいな。
追えないが、逃げやすい。魔族達には接敵してもすぐ撤退するよう指示してある。
今はただ、進むのみだ。
私はギリ、と歯を食いしばった。
バルタ。ユナイル教の総本山。
奴らが勝手に決めた悪魔の相とやらのせいで、私は12年間の地獄を味わい、温もりだったレイメの死の原因を作った。
悪魔の相なんかがなければ、レイメが身を削ってまで私を庇う必要もなかったのに。
あんな優しい人が死ななくてはいけないルールなどを取り決めた連中は、この私が必ず皆殺しにしてやる。
「お嬢」
前方を歩いていたゾフが私を振り返った。
「ここらであの盆地は完全に抜けた頃合いでさあ」
「ん……承知した」
私は手に持った地図に持参したペンで印と道程を書き込んでいく。
かりかりとペンを走らせる音と魔族の足音だけが響く一時の静寂。
「しかしお嬢。偵察にしても数が少なすぎやしませんかね」
「この森だ。数を増やせば足が遅れる。今回の主眼は戦闘ではないからこれでいい」
「はあ……で、アレは使えやすかねえ」
ゾフが頭を掻き、周囲の魔族の一部が背に背負うそれを顎で指した。
魔族たちの一部は、その背にルイカーナで接収した武器……銃を背負っていた。比較的弓矢の扱いに慣れているゴブリンが主軸であるが、魔剣士にも数人持たせていた。彼らが使う事はあまりないだろうから、発砲音による号令用だった。
「訓練はさせた。念のためだ。森の中ではあまり有効ではないだろうが、あの音は威嚇になる」
「へえ……エルクーロ様に報告してねえんでしょ?」
そう。私はルイカーナで得たこの銃という物の存在についてはエルクーロ様への報告では伏せていた。
どうやらチックベルも特には報告していなかったらしいので触れられることもなかったのが幸いして、これを報告しないこととしたのだ。彼女の適当さに感謝する。
勇者たる聖弓のヨーンが持ち出そうとした設計図についても同様で、提出はしていない。
その意図するところは、先日の四天王招集の折により強固なものとなった。
(私の有益さを確固とするには、他にはない奥の手が必要なのだ)
目を伏せながら私は思う。
これは背信ではない。身を守るために必要な行為だ。せっかく手に入れた有用な武器、戦う手段。取り上げられでもしたら意味がない。
私が魔族の中で生きるには凡百をしてはダメだ。他にはない確かな優越した手段がいる。私が私として必要とされなくては真の安寧は得られない。
それが人間どもをこの手で地獄に送る事にも、魔族の中で生きるための武器にもなる。
ウラガクナ様が私を殺そうとしたことが思い出される。ただ守られるだけの弱い人間の幼女では、あの時のようにいつ命を摘まれるかわからない。
魔将軍という地位など、まだ安全には程遠いのだと思い知ったのだから。
だからこそ、エルクーロ様の想いとは相反するのだろう。報告の意図的な隠匿も彼を騙しているわけではあるが、後悔はない。発覚したとて、きっと彼なら私を庇ってくれる。
……我ながら性根が腐ったものだ。彼のやさしさに付け入り、己の事を考えている。
だけど、これでいい。我が掌は小さく、身体は弱い。そんな私が望むものを手に入れるには騙し、利用するしかない。信用と信頼は我が掌のうちにあるものだけでいい。それを越えて向ければきっと、裏切られる。
たとえそれが私を救った魔族に対してであっても。
所詮私は、悪魔なのだから。
暫く森の中を進み日がもうそろそろ直上に上ろうかという頃合いで私たちは歩みを止めた。
警戒のため先行した魔族たちが戻ってきたのを確認し、改めて私達もその場に進んだ。
山岳に吹く風が私の白い髪を揺らす。今まで進んできた森の中に、開けた場所があったのだ。
「これは……墓地か」
開けた森の中には数多くの墓石が立ち並ぶ空間が広がっていた。奥には森ではなく崖も見える。断崖にある広場といった趣だった。
警戒しながら注視してみれば柵で囲われた墓地と、その敷地内に小さな小屋。墓守の家だろうか。
「あーあ、墓地かい……お嬢、あんまり奥には行かねえほうがいいかもしれませんぜ。迂回しやしょう」
「なんだゾフ、どうした」
「いや……出るんでさあ、こういう墓場には……」
なんだそれはとゾフを少し笑ってやり、私はオドに命じて小屋へ向かう。出るだと? ばかばかしい。何が出るというんだ。幽霊か?
ゾフも後からついてきたが、墓石を見て怪訝な顔をしていた。屈強なハイオーガが墓地を怖がっているのだろうかと思い私は鼻を鳴らした。
私も墓石を見てみれば、草は伸び放題苔は生え放題でひどいものだった。供え物も無いので無縁仏のようだ。小屋も大分古く、所々腐食し崩れていた。年季が入っている。
小屋の前で私を下ろしたオドが扉を破壊し、私が中を覗けば腐臭が鼻を突いた。顔をしかめて袖で鼻を塞ぎ、中を見渡す。
こじんまりとした小屋の中。テーブル、机、ベッドだけという簡素な空間で、ベッドの上に横たわるミイラのような死体が匂いの原因らしかった。
成程。墓守が死んでいるのではこの荒れっぷりも納得か。もっとも、参りに来るものもいないようだが。
これでは得るものはないかなと考え、私はふんと鼻を鳴らす。そしてその拍子に鼻を抓んだ。においがきつくて耐えられないのでいそいそと小屋を出る。
その途端、小屋の前で待機していたゾフの背が小屋から出たばかりの私の前を遮った。
「お嬢、お下がりくだせえ。やっぱり出やがった」
ゾフがそういって斧に手をかけた。ゾフの腕の隙間から奥を覗けば、なにかヒト型のものがゆらゆらとこちらに向かってきていた。
なんだ……アレは。人間……?
確かに人間に見える。しかしその目に生気はなく、だらしなく開かれた口からは赤茶色の液体が垂れ出ていて、そしてこの場所まで漂ってくるこの腐臭。
衣服はボロボロで肌どころか肉まで見えている有様で、まるで人形のようなぎこちない動きで歩いてくる。
まるで……ゾンビだ。
「なんだ、あれは……」
あうあうと喘ぎ声を発しながら私に向かって歩いてくるそれを私はぼうっと眺めてしまっていたが、私とそれの目が合った瞬間。それは今までのぎこちない動きとは裏腹に俊敏な動きで襲い掛かってきたのだ。私は思わず身の危険を感じオドの背に隠れた。
奇声を上げて走り来るそれの姿はなんともおぞましいものであったし、間違いなくあれは私を見ていた。
だがそれを、驚く私の前で面倒そうに息を吐いたのち一息で距離を詰めたゾフが大斧の一閃で容赦なく両断した。
胴体を斜めに真っ二つにされたそれは力なく地面にべちゃりと転がる。
ゾフはふう、と息を吐き大斧を肩に担ぐと、両断したそれの前に屈み込んだ。私もオドの影から出てゾフの下へと歩み寄る。
「お嬢、こいつはリビングデッドってえ魔物でさあ。死体に寄生して体を動かすチンケなやつですよ」
「リビングデッド……」
「ほら、こいつですぜ」
ゾフが死体のはらわたに手を突っ込めんでなにやらまさぐっていると思えばナメクジのような粘液を纏う芋虫めいた魔物をつまみだして私に見せてきた。
あまりに突然だったので私はうっと飛び下がってしまった。
ゾフにつままれながらリビングデッドの本体は身をくねらせて必死に逃れようとしていた。それは虫嫌いが見たら吐き気を催す光景だろう。
そして私は、虫嫌いだった。
「やめろ! 近づけるな!」
「安心して下せえよ。こいつは生きてるモンには無害ですぜ」
「そうじゃない! 気持ち悪いんだ!」
悲鳴を上げた私にゾフはやれやれと肩をすくめた。
「こいつぁ死体を食って苗床にするんですが、その死体を操って他の生き物を襲い、また死体を作り仲間を増やすっつー習性でさぁ。厄介なのは寄生された死体は強引に動かされる分普段よりちいと強靭になるとこですが、一匹程度なら今みたいに簡単に始末できやすぜ」
説明をしながらゾフはつまんでいたリビングデッドを地面に落とす。リビングデッドはすぐさま逃げ出そうと地面を這うが、すぐにゾフに踏みつぶされた。
ゾフの軍靴の下から広がる体液に、私はうげえと顔色を悪くした。よくためらいなくあんなものを踏めるな!
そんな私の心の声もいざ知らず、ゾフは周囲を見渡していた。
「しかし、この墓はまったく手入れがされてねえな。こういうトコにはよくこいつらが沸きやがる。リビングデッドなんぞに食い荒らされりゃあ人間とは言え死人も浮かばれねえやな」
「ゾフ……すまん。私はてっきりお前がお化けを怖がっているのと思っていた」
「んな訳ありますもんかい……」
ゾフは大きく肩を落とした。
墓場を見た時の様子からてっきりゾフはお化けを怖がっていたのかと思ったがそうではなく、こういった手入れのされていない荒れた墓地にはよくリビングデッドが巣くうから、とのことだった。いや、勘違いをして申し訳ない。だが何か言いたいならはっきり言ってほしいものだ。いう前にずけずけと無警戒に進んだ私にも非があるので口にはできないが。
私もリビングデッドについては書物で読んだはずだったが、全く頭に浮かばなかった。知識だけの情報では咄嗟に引き出せないものだなと痛感する。不甲斐ない限りだ。
私に向かってきたのも、より苗床にしやすい生き物として周囲の魔族より優先し私を狙った結果だろう。迂闊も迂闊だった。
だがまあ、確かに一匹であればさしたる障害では……。
そう顎に指をあてて死体を眺めていた時。
背後から唸り声が聞こえた。
はっとして振り返れば先ほどの墓守が赤茶色の涎を垂らしながら私に手を伸ばしている所であった。
こいつもかッ……!
「がぁぁぁっ!」
咆哮。
耳をつんざくような雄たけびに顔を向ければ、私の真横を巨体が疾駆した。
私の危機を察知したオドが、ドスドスと足音響かせて墓守に掴みかかりその頭を巨大な腕で鷲掴む。墓守は抵抗するようにオドの腕をひっかくがオドはものともしない。
そして食いしばった歯の隙間からふしゅうと息を吐き、一挙にそのまま地面へと叩きつけたのだった。ぐちゃりとパスタソースのように墓守の頭が弾け、胴体は未だびくびくと痙攣をしていた。
私は驚きで腰を抜かし尻餅をついてそれを眺めていた。
「オド! 上出来だ!」
背後でゾフが叫んだのが聞こえた。
血と脳漿に塗れた拳をゆっくり引き戻しながら、荒く唸るオドがゆっくり私を振り向いた。普段のおどおどした顔ではなく、紛れもない魔族の顔をした彼に、少しだけ気圧されてしまう。
だがすぐにオドはいつもの調子に戻って、転んだ私に歩み寄ってきた。
「こ、ココットさま、大丈夫だっただか……?」
「あ、ああ……ありがとう」
今のは驚いた。前世で嗜んだB級ホラー映画まんまの構図だった。気づいたら背後に立つゾンビ、か。実際にあるものなのだなと少々の感動すら覚えたぞ。
オドの血のついていないほうのゴツゴツとした腕に助け起こされながら、改めて周囲を見やる。
目に映ったのは警戒態勢のゾフら魔族達。そして墓石の前の土がどんどんと盛り上がっているのもまた見えた。
「おい、ゾフ! まだ沢山いるぞ!」
「みたいですなあ。ったく、人間ってのは死んだ奴への礼儀がなっちゃいねえ礼儀が」
ゾフが大斧を構え、周囲のオークや魔剣士も戦闘態勢を取る。オドもすぐさま鼻息荒くして構えていた。二体の魔剣士が私をかばうように立ち、私もその陰に隠れる。
すでに眼前には多くのリビングデッドがこちらに向かってきている。ホラー映画さながらのおぞましい光景だ。まったく、神聖都市の辺境でゾンビがこんなに闊歩するなど聞いて呆れる話だぞ! 聖職者共の職務怠慢も甚だしいというものだ!
心の中で悪態をついた私の前で、ゾフらが武器を持つ手に力を込めた。
「ここで待ってて下せえよ、お嬢。すぐ掃除しますんで」
「任せる」
ゾフに頷き、彼らは久々の戦いとばかりに意気揚々とリビングデッドの群れに向けて突貫していった。
一時の後、墓場に湧いて出たリビングデッドは全てが掃討された。死体に巣くう魔物は、その本体を全てつまみ出されている。
魔剣士やオークが人間の死体の中に腕を突っ込む光景はいくら眺めてもどうということはないが、中から出てきたナメクジだけは直視したくなくて、目を覆いたくなった。
「成仏しやがれよっと」
ゾフが大斧を肩に担ぎながら額を拭った。
思いがけない戦闘だったな。相手がバルタの兵でなくて幸いと言った所か。部下の話には今後もっと耳を傾けねばなるまい。無能な上司と揶揄されるのはごめんだ。
さて、綺麗になった墓場ではあるが、改めて思えばなかなか良い立地だ。
3方を森に囲まれ、一方は断崖。崖はバルタ方面を向き、見晴らしもいい。ちょうどいい、ここにするとしよう。
墓場を拠点にすることと決めた私はゾフの下へ向かいその旨を伝えた。そして数人の魔族を後続へ連絡の為拠点へと返し、腕を組んで墓石の一つに座る。
「お嬢、休憩が済んだらすぐに出やすかい」
私は持参した木製の水筒を取り出し水を一口飲んだ後、口を袖で拭いながらゾフに言う。
「ああ。我々には時間がない。行けるところまでは行くさ」
頷き、背を向けたゾフにああそうだ、と私は思い出したかのように声をかける。
そしてあることを伝えると、ゾフは驚いた顔をしたのち再度頷いて魔族たちに号令を出す。
さて、と。私は帽子をかぶりなおして崖の向こうに顔を向けた。遠くに見える白い城壁。忌々しく見える神聖都市を睨み、私は拳を握った。
……すぐに皆殺しにしてやるからな。待っていろ、ユナイル教の信徒共。




