#77 あっけない最期
逃げたアレハンドロ。無駄なことが好きだな。さっさと諦めて首を差し出せば無駄に疲れることもないのだが。
まあそれが出来ないのが人間だ。奴の愛する欲は自身の生存欲も含むのだろう。
それも当然か、などと一人思いながら私は顎に指をあててアレハンドロの逃げた方向を眺めていた。
一瞬だけ息を吐いて、すぐに私は「追うか?」とでも言わんばかりに私を見るトグーヴァの横に立ち、その鬣を指に絡めて捕まる。
そしてゆっくりと追うように命じ、アレハンドロを探す。
奴を殺せば奴に依存した街の連中や兵も霧散する。ツォーネ達も長く持つかわからない。しかしてもはや私の勝ちは揺るがない。
この街ごと消してやる。
雨が頬を打つ。
外に出てみれば街中の喧騒もよく聞こえた。
あの時私がこの庭園で聞いたうっとおしいお祭り騒ぎや花火の音ではなく、今聞こえるのは悲鳴や雄たけび、剣戟の音。
豪雨であるにもかかわらず燃える街の炎は黒々とした雲に照り返し赤く染めている。ああ、アウタナを思い出すなあ。
植物林を抜け、花畑に出る。雨の合間から匂う花の香りを、息を吸い込んで感じる。
目を向ければ花畑の中央でアレハンドロが片腕を抑えて私を睨んでいた。傍らには……何が何だかわからないという顔で呆然と立つ、ミオの姿があった。
ミオの姿を認めた私は、ふと……胸の中で安堵をした。
ミオは私に気づくと、少しだけ目を大きく見開いた。
「ココット?」
「ココットだよ、ミオ。迎えに来たよ」
あの時、いきなり姿を消してしまって済まない。トグーヴァから降りた私はミオを正面にとらえる。
アレハンドロの話では大分ふさぎ込んでいたと聞いた。雨にびしょぬれになり濡れた体が冷えるのだろう。両腕で体を抱き、震える様を見て胸が痛んだ。アレハンドロのやつ、この雨の中外に置いたままとは。ミオの首輪から延びる鎖。あれがこの場にミオを縛っている。絶対に開放してやる。
ミオと見つめあっていたところに、そっちのけにされていたアレハンドロが金切り声を上げた。
「ああ、嫌だっ! ぼ、僕はこんなところで死んでいい人間じゃない……! うば、奪われていいはずがない! 僕は……ッ」
感動の再会を邪魔してくれた挙句に言う事がつまらん。私はミオに向けていた穏やかな目を不快感に染め、眉間にしわを寄せてアレハンドロを向き直った。
「お前たち人間はいつもそうだ。好き勝手に奪っておきながら自分は奪われないと思っている。奪われたくないと泣き叫ぶ。だから私のようなモノを生み出すんだ」
「君も人間だろう! その小さな手を血に染めて何になる! 考えを改めて僕のモノになれよっ! 魔族なんかに取り入って……人殺しなんだぞ! 人類を敵に回すつもりか!」
ずけずけと随分とまあ綺麗な言葉が出てくる舌だな。人間の反応は皆同じか。
なぜ人間が。なぜこんな幼女が。なぜ。
だからいつだって私が答えるのは同じ返答だ。今までも、これからも。
なにせ――――。
「私は、悪魔だからな」
笑う。
笑ってやる。これでもかと口角を吊り上げ、赤い瞳でアレハンドロを見つめる。人類と敵対するつもりか、だと? 笑わせるなよアレハンドロ。既に人類は私の、敵だ。
アレハンドロはそんな私の姿を見て、背筋を凍らせた。目を見開き、何かを言おうとしてすぐに背を向けた。
迷いなく走る先、そこにはぽかんと口を開けたミオが居た。
……しまったな。
アレハンドロはミオの肩を乱暴につかむと、その腕を捻るようにして捕まえ、人質めいて抱き寄せた。
ついに血迷ったか。ミオには手を出さないだろうと思っていたが、所詮人間か。我が身が一番大事だよなあ。
「ミオは渡さないぞ……ミオは、ミオだけは僕のモノだッ!」
アレハンドロは興奮したように荒い息を吐きながら血走った目で私を睨んだ。
ミオが人質になると思っているらしい。実際なるといえばなるのだが、最後に手元に残した自分の宝をどうこうはできまいよ。
自分が守ろうとしているものを人質にする馬鹿がどこにいるという話だ。
あれだけ愛し、欲望を向け続けたミオを、この期に及んでさえ手放せるものか。
ミオを失えばアレハンドロは自分を守る最後の手段をも失う。まして、死の間際ですら欲を捨てられない人種だろう、お前は。
だから私は花畑を一歩、一歩と進み、アレハンドロに近づいていった。
「やめろ、寄るなっ!」
「私をモノにしたいんじゃなかったのか? こうして寄ってやっているのに拒絶する馬鹿がどこにいる」
魔剣士を伴い、アレハンドロに近づいていく。左右の魔剣士が盾で私の前を覆い、銃弾に警戒する。
トグーヴァをけしかけることはできないが、精神的に優位なのは私だ。アレハンドロの銃を握る腕はぷるぷると震えていて狙いはまともに定まったものではない。
ずんずんと、私は歩を進めた。
「寄るなと言っているんだ、この忌子風情がッ!」
「や、いやっ……!」
瞬間。アレハンドロの怒声に驚きでもしたかミオは悲鳴を上げるとアレハンドロの顔をグイっと押し離した。
それは紛れもない拒絶だった。
ミオに拒絶されたアレハンドロは絶望を顔に張り付けたような様子で唖然。腕の中で暴れるミオを見ながら冷たい瞳を見せた。
「そうか……君も僕の思い通りにならないんだね……これじゃあまた再調教するしかないじゃあないか……あれは手間だったのに……ああ、面倒をしなくちゃいけない」
「面倒はお前だ。無様に悪あがきをして……もう終わりだと何故認めようとしない?」
「認めるものか! 大体お前のせいだ! お前が僕からミオを奪いさえしなければ!」
逆上に責任転嫁か。全てが自分本位。本当に面白くないやつだ。あまりにも、人間らしすぎる。私が最も嫌うものだ。
「二兎を追う者は一兎も得ず、という諺があってな。ああ、知らなくて結構。要は欲張りすぎたんだよお前。ミオか私か、片方にしていればこうはならなかったかもしれないのに、欲をかいて両方得ようとしてこの始末だ。お前の言う美しい欲望の行きつく先が破滅だというなら、美しく死にたまえ」
「ココットォォォォッ!」
アレハンドロはミオを突き飛ばすと、銃口を私に向けた。
だがそれを見逃す魔剣士ではない。アレハンドロの隙をついて、瞬時に距離を詰めるとアレハンドロの銃を構え伸ばした腕をさらりと切断した。
血しぶきの上がる切断面。悲鳴を上げてのたうつアレハンドロ。花畑が血に染まり、斬り飛ばされた腕は銃を握ったまま私の目の前に落着した。
その腕を私は踏みつけ、歩く。蹲るアレハンドロの下へ。ミオは……花畑に尻もちをついているか。けがはなさそうだ。
ミオを一目見たのちアレハンドロの目の前までやってくると、地を這う奴を見下ろした。アレハンドロは憎悪のこもった目で私を見上げている。心地いい視線だ。
さて。
既にアレハンドロの周囲は完全に魔剣士が包囲。万に一つもこいつが生きる道はなくなったわけだ。
「ミオの……そこの少女の目を塞いでおけ。見せるなよ」
私は魔剣士に命じた後ポケットからあるものを取り出すと、素早くアレハンドロの首筋に突き立てた。
「ぐっ……何を……これ、は」
「くくく……お前お手製の試薬だよ。散々私に打ってくれた礼だ。自分でも味わうといい」
アレハンドロの瞳孔が開く。
理解したのだろうな、これから自分の身に何が起きるのかを。
「ぐあぁあっ、あっ、ぐが、がああああっ!!!」
ビクン、とアレハンドロの体がエビのように反り跳ねた。
そしてまるで獣の咆哮めいた叫び声を上げ続ける。
この薬の効果はよぉく知っている。あの苦しみはアレハンドロの端正な顔立ちを見る影もなく歪めていた。
醜いものだ。私もあの時こんな顔をしていたと思うとぞっとする。誰かに見せられたものではないな、これは。
苦しみのたうつアレハンドロ。腕をぶっつり切断されているのだから、その痛みも跳ね上がっていると考えれば想像しがたい痛みがこいつを襲っていることだろう。
いい気味だ。
使ってやろう使ってやろうと考えてくすねたこの試薬。いざアレハンドロと対面したときにはさっさと殺してしまおうと思い使わないかと思ったものだが、ミオに手を出されては気も変わる。
まして、投薬のチャンスがそこにあったのなら打つだろうよ。
「ぷく、くっくくく……なかなかどうして……随分無様に悶えるのだな。あー、なんといったか。カエルの断末魔? 牛の嬌声? 確かに形容しがたいな。もっとも、私はこんなもの全く美しいとは思わんがね」
アレハンドロの苦しむ姿があまりにも滑稽で、くすくすと笑い声を零しながら眺めてやれば、アレハンドロは充血し真っ赤になった眼球をめまぐるしく動かし、どうにか痛みの逃げ道でもないかと画策しているらしい。
ここは外。天気は豪雨。腕の痛みもそうだろうが体を打つ雨粒の一つ一つが銃弾めいて体を貫いているのだろう。
アレハンドロはうめきながら、何かをぶつぶつとぼやいている。耳を澄ませてみれば面白い言葉だった。
「ああ、ああ……ユナイル様……」
「ぷはっ、ははっ! 今何と言った? ユナイル? お前、これ以上笑わせてくれるなよ! 悪魔の相を持つ子を手籠めにしようとしたお前が、この期に及んで縋る相手が女神とは!」
無様極まるなあ!
憎きユナイル教。悪魔の相を生んだくそったれの国教。その女神ユナイルに救いを求める?
紛れもなく異端の徒たるお前が、女神に縋る言葉を唱えるとは。随分都合がいい事だな。まあ、それはそれで人間らしいと言えばらしいか。反吐が出る。
「所詮お前もただの人間だったな。安心したまえよ、お前の持っていたものは……財から人まで全てこの私が奪ってやる」
アレハンドロの髪を掴み、顔を持ち上げて耳元でそう囁くように言ってやった。
女神に救いを求めたのならば、悪魔に殺されるのは必定だろうさ。最も、お前をユナイルが受け入れるとも思わんがね。
ああ、いい気分だ。意趣返しとはよいものだな。
……ん。反応がないなと思いアレハンドロの顔を見てみる。
こいつ、舌を噛み切って死んでいるじゃないか。恐怖に歪んだ顔と口の端の泡を見るに痛みに耐えかねて歯を食いしばった拍子に噛み千切ったか。
「……この薬で死ぬ事はない、だったか? だらしのないヤツ」
私はぺい、とアレハンドロの髪から手を離す。
あまりにも呆気ない最後に釈然としないが、死んだのならばもう用はない。ルイカーナの実質的領主は死んだ。この際本来の領主などどうでもいいな。
花畑の上で死ねただけいいだろう。自慢の庭園がそのまま墓標になるとは贅沢な奴だ。
私はアレハンドロの死体を放って、魔剣士の盾に隠れるミオの所まで歩いていく。
魔剣士が道を譲り、ミオがぽかんとした顔のまま、両手で耳を塞いでいたのを認めた。けがもない。あの時のままだ。
「ミオ!」
「ココット? ココットだぁ!」
ミオはぱあっと顔を明るくして私に飛びついてきた。拍子に私は背面に倒れ込み花畑に埋もれる。すぐさま魔剣士が剣をミオに向けるが私は倒れたまま手で制す。
私に覆いかぶさるミオの背に手を回し、細い体を抱きしめる。私よりは少し大きい体は冷たく濡れ、震えていた。
「ああ、ミオ。すまなかった、置いていってしまって……」
ミオは私の胸に顔をこすりつけてくる。そんなミオと幾許かの抱擁。魔剣士たちは私達を見て顔を見合わせていた。
と、どたどたと私たちの下へ駆けてくる足音が聞こえた。
「……なンだよ。全部終わっちまったか。流石はお嬢……って、なにしてますんで?」
「ゾフ!」
頭を掻きながら現れたゾフに、私はゆっくりミオを引き離して立ち上がった。良かった、無事だったか。いや、やはりというべきだろう。
信用して任せたのだ。ここに辿り着いて然る。
「シアはどうした?」
「殺しやしたぜ。レコの野郎も浮かばれるでしょうよ」
「そうか」
死んだ、か。分かっていたことだが、何も思わなかった。私を友達だと勘違いしていた少年……いや、そう仕向けたのは私だ。そんな私が思ったのはただ、厄介だった奴が消えてくれたという、さっぱりした感想だった。レコを死なせてしまった私の責と、シアの命が釣り合えばいいが、そうもいかないだろう。
私を同族と言ってくれた魔族の死を、重く受け止める。
レコに一瞬の黙祷を捧げた後、すぐに私は笑顔を取り戻した。なにせこれでもう障害は無い。シアは死んだ。アレハンドロも死んだ。私の勝ちだ。
にやりと笑っているとゾフが訝しげな顔でミオを睨んでいるのがわかった。
「お嬢、このガキはなんでさ。あのガキと同じってんなら」
「よせ。こいつは違う。違うんだ。私に……必要なやつだ……」
事前に話をしていた助けたかった奴だと説明しゾフを諫め、トグーヴァを見て「おおきな猫だ!」などとはしゃいでいるミオを見やる。
やっと、手元に。ゾフに頼んで鎖を裁断してもらえば、ミオは鎖を手に取って不思議そうな顔をしていた。
救えた。彼女を、連れだせる。
「ゾフ」
「へい」
「最後の仕上げだ。ツォーネらを待たせるのもよくない。この戦、早々に我々の勝ちとしよう」
頷いたゾフに指示を出す。そして、私はアレハンドロの斬り飛ばされた腕の所まで歩いていき、未だ握られたままの銃を手に取る。
……うん、少し重いがサイズ的には私でも使えるかもな。
「この銃も貰っておくよ、アレハンドロ」
私がこれを使うことはまずないだろうし、いざ使おうとして使えるかはわからないが護身用として持っておくのもいいだろう。
他に私が使えそうなものなどナイフ位のものだし、それに比べれば殺傷力もあるしナイフのように鍛錬が必要なわけでも……というのは流石に甘い考えだが、マシではあるはず。
さて、戦利品も手に入れた。
さっさと領主が討たれたことを下にいる連中に知らせてやらねば。この朗報を待ち焦がれている筈だ。
いい加減雨晒しでは不快だし、ミオの濡れた体が心配だ。ずっと外にいたのだろうから早く毛布にくるんで温めてやりたい。
そうして魔剣士に命じて城の中の残党捜索などを指示していた折。
「ココット将軍!」
不意の上空からの声。何事かと見上げればハーピーが一人こちらに降下してくるところだった。
チックベルではない。彼女の部下だろう。何事か。伝令の代打? 本人は。
「どうした? こちらはアレハンドロを殺した。作戦は成功だ」
「それは喜ばしい事です。しかしまだ問題が」
「なんだ? それにチックベルはどうしたんだ?」
「は、チックベル様とクォートラ様が聖弓の勇者と交戦中であります……!」
「なんだと……!?」
ハーピーからの報に、私は庭園の淵から身を乗り出して、彼女が指さした方角……ルイカーナの正門を睨んだ。
そして門の上に豪雨の中でも燃え盛る炎が、確かに見えたのだった。




