#71 アレハンドロの誤算
「では諸君……進撃、開始」
私の静かな号令はすぐさま周囲の魔族に伝播し、ルイカーナ正面平野に陣取った我が軍は鬨の声とともに猛進を開始した。
私の率いる魔族軍は一個の集団となり、これまでのような横列ではなく魚鱗の陣形めいた強行軍と為りて戦場を駆けた。
私もこれまでと違いクォートラの背ではなく、トグーヴァのふわふわの背にまたがり地上を進んだ。相手に聖弓がいる以上、私を背に乗せていてはクォートラも全力が発揮できない為だ。クォートラ達ドラゴニュート部隊は、チックベルの率いるハーピー部隊とともに空に在った。
故に私は初めて地上部隊とともに戦場を駆ける。周囲の魔軍は黒の軍勢として重々しい足音を響かせながら勇猛果敢に進んだ。間近で見ればその姿は圧巻であった。
先鋒ではゾフとツォーネの隊が果敢に進んでいる。ツォーネには出陣前に血をたっぷり与えたので、いつもにましてやる気を出しているのが分かった。彼女の率いる魔剣士隊に負けじとゾフも地上部隊の本領とばかりに激走。後方本隊から私はそれをじっと眺めた。
私を守る本隊にはレコとレジスタンス率いる私がアウタナより連れ立った魔物部隊も混じっていた。魔獅子たるトグーヴァにまたがる私を囲うように、蜥蜴や蛇のような様々な魔物が魔族に混ざり進撃していた。
天候は土砂降りの雨。チックベルの予感見事に天は大粒の涙を流し続けた。
視界は悪いが、彼方に見えるルイカーナの明かりは眩しく。未だお祭り騒ぎであることが伺えた。
この雨が我々の姿を隠し、また連中の力を削ぐ。
やがてルイカーナの大門より伸びる外壁に松明の明かりが見え始めた。我々の攻撃に気づいたか。思ったより対応が早い。大門が開かれ、黒紫騎士団とともに兵が雪崩出てくる。
アレハンドロめ。私が舞い戻ることを予見していたか。
しかし兵たちの動きは悪く見えた。横並びの防衛陣を敷き始めるが、どこか動きはぎこちない。それはそうだろう。
雨天と闇の中我々は松明一つ燃やさずに進撃している。人間の眼では遠方の我が軍の姿を正確には把握できない。頼みの銃や弓でさえ狙いは不正確になる。
なにより……この滝のような雨と湿気は、連中にとっては地獄の冷水であろう。
私はゾフとツォーネの隊が駆けるのを見ながら、その先にそびえるルイカーナの白城を睨み、笑った。
すぐに行く。待っていろアレハンドロ。私にしてくれた残虐は、相応以上の対価として払ってもらう。記憶の中では骨董品たるあんな古い銃程度で我々を止められると思うな。
あの銃の恐ろしさというのは威力、射程、そして音。何をされたかがわからないのが恐ろしいのだ。知る相手には心理的な効果は期待できない。銃については魔族たちにすでに説明してある。私に謎の武器を使用されたと不安げな顔色を見せていた彼らではあったが、専門家ではないのであくまで私の中の知識としてその性能や性質、弱点を伝えてからは戦意を確かに漲らせていた。
曰く、欠点さえ突ければ恐るるに足らずと。
今は前世の記憶があることをうれしく思うよ。アレハンドロの鼻をあかしてやれるのだから。
「時代遅れの玩具が私に通じると思うなよ、アレハンドロ……!」
♢
「魔族軍接近! くそっ、雨で見えない!」
「銃隊は何やってるんだ! 早くあいつらを撃て!」
黒紫騎士団の部隊長が金切り声を上げて叫んだ。しかしアレハンドロ自慢の銃隊はその怒鳴りに混乱の悲鳴で応答した。
「ダメだ、火皿が濡れて火がつかねえ!」
「雨を遮れ! 銃を濡らすな!」
「火薬も湿気ってる! それにこの土砂降りじゃあ狙えねえ……畜生、なんで魔族はこんな時に限って攻めてきやがった! 前回の敗走で懲りたんじゃねえのかよっ!」
混乱は瞬く間に伝播し、ルイカーナ守備軍の士気を露骨に低下させた。アレハンドロの予見により警戒態勢をあらかじめ敷いていたこと自体はプラスに働いたが、この土砂降り、そして夜の暗闇、重装備の騎士の足を取る平野のぬかるみと視界の悪さが事前警戒をして尚不利を悟らせた。
そして何より自分たちが信じていた銃という新兵器の存在。それの稼働率はこの雨で実に2割程度まで減少していた。
そうなれば連射の効かない銃を絶え間なく射撃するための、図らずしてココットの前世で言う戦国武将たる織田信長が用いたサイクルに近しいシステムが、機能しなくなってしまったのだ。
前列が射撃し、次弾を装填するまでの間を埋めるべく待機していた第二列が射撃を行う。そしてその後は三列が。そうして連射性の悪さを補い且つ攻撃力を落とさずにいられたのだが、使える銃の数が少なくてはサイクルを維持するには三列に射撃隊が分散する必要がある以上、絶対数が少なくなればそれだけ一度の射撃の攻撃力は低下する。そうなれば魔族は止められようはずもない。
魔将軍ココットとて、雨ですべての銃が撃てなくなるなどとは思っていない。だがそのサイクルさえ破壊してしまえば、この銃の持つ弱点はどんどんと露呈していく。
「止まらねえ……ッ、弓矢では連中止まらねえよぉッ!」
「喚くな! 銃の合間を弓で埋めるしかないだろ!」
「重装歩兵を前に出せ! 銃には頼れん!」
なんとか兵士たちも銃主体で戦うのは難しいと悟り混乱と泣き言の中陣形を変え始める。だが、既に戦いは始まっている。遅すぎた。
「震えなァ人間どもッ! 先鋒仕るはァァァ、この俺よォォォッ!!」
重装歩兵の瞳が咆哮に向けられる。大斧を携えたハイオーガが、雨の中赤い瞳を光らせて猛進してきたのだ。魔族軍先鋒、切り込み隊長。歴戦の地上兵、ゾフである。
角を携えた仁王めいた顔はまさしく鬼であった。雨でぬかるんだ地面など構わずといった様子で、金属製防具も着けず、魔族軍特有の軍服を着崩した有様は実力者であることを黒紫騎士団の重装歩兵含むルイカーナ兵士に認識させた。
当然であった。先の戦闘では空を巡回していたクォートラを除き、ココット軍の主力は皆潜入任務に就いており戦場にはいなかった。
ゾフと、その背後に追走するゴブリンとオークの部隊の圧力は、兵たちに確かな怯えを感じさせた。
それでもと重装騎士が盾を構え、合間より槍兵が前方に針めいて長槍を突き出す防御陣形を取る。だがそれでもなおゾフらは舌なめずりをして猛進してきた。
接敵まであと幾許と言った所で、宵闇の中雨粒すら裂いて何かが飛来。三重に並んだ重装歩兵を吹き飛ばしながら貫徹した。
防御陣形に穿たれた穴に兵士たちは驚愕する。そして、同様に眉間にしわを寄せたゾフの脇を何かが疾駆。今しがた重装歩兵三人をまとめて串刺しにしたままの突撃槍を掴む。
容姿は端麗。雨に濡れ艶を増した長い黒髪はツインテールに纏められ、黒い服と相まって白い肌とのコントラストを醸す。眼帯に隠れていない赤い隻眼はじろりと周囲で唖然とする兵士を眺め、ギザギザの歯の見える口はにやりと笑っていた。
元、魔将軍ツォーネ。魔将軍ココットの自称・愛奴を語る実力者である。
彼女は重装騎士の亡骸を片足で踏みしだき、突き立った突撃槍を引き抜くと、もう一方の手に握られた突撃槍とともに構えて立った。
「失礼? やはり一番槍は槍使いがやってこそ、意味が通るというものですわ」
「てめぇクソヴァンパイア!」
先手を取られて憤慨したゾフが叫ぶ。ツォーネはすまし顔でくるくると二振りの突撃槍を構え笑い、流し目でゾフを鼻で笑った。
兵士たちは一見端正な顔立ちの美少女たるツォーネを見て理解する。ふざけた態度だが、この女はまずい、と。知る人なら知るであろうかつての魔将軍の力は伊達ではない。
ツォーネはかつてファルトマーレ最強の聖鎧騎士団に名を連ねた男、青翼騎士団団長セグンと切り結んだ実力者。まして上位魔族たるヴァンパイアの領分は常闇。分は圧倒的に悪い。
そんな恐れを感じ取ったか、ツォーネはニィイとギザギザの歯を見せて笑った。
それでもなお、アレハンドロの与える財に心奪われた黒紫騎士団は己を鼓舞する。そして、既に防御陣を抜けたツォーネは後続に任せ、後より駆けてくるゾフめがけて大盾を構え突進した。
だが。
「ずォぉおおッ!!」
重装歩兵の群れが、弾けた。
鬼の形相に拍車をかけ歯を食いしばったゾフは、刹那に上半身の筋肉を膨張させ渾身の一振りにて迎えたのだ。大斧の一振りは硬く厚い鎧をへし斬りながら振りぬかれ、実に五人もの重装歩兵がバラバラになり宙を舞った。
鮮血の飛沫をその身に受け、雨がすぐさま洗い流す。
鬼神の如きハイオーガの一撃に、兵士たちはついに悲鳴を上げた。
「軽いなァてめえら……銃ってやつを俺も味わってみたかったが……お嬢の為だ。圧殺させてもらうぜ」
大斧の柄を地面に突き立て、ゾフが吠える。
「怯えろ、人間! 我らは魔将軍ココットが兵よ! てめェらが相手取っているのが何なのかを、この俺が教えてやる!!」
その声に空気が震えた。
戦端が開かれて僅か数十秒。
たったそれだけで、人間たちは指先の痺れめいたものを感じた。それは紛れもなく恐怖。しかし逃げ出す間も与えられずに、ゾフとツォーネに続いて魔族たちが雪崩込んできた。
♢
「何故だ!」
アレハンドロは自身の私室のテーブルを叩き叫んだ。
その顔には困惑と怒り。理由は彼女の帰還があまりにも早すぎた事による。
アレハンドロもまた、今戦っている兵士たちと同じくここまで魔族の再侵攻が早いとは思っていなかった。前回の戦いでは相当な打撃を与えたはず。まして将を失っていたのだ。将無しで魔族がこれほど統率の取れた軍の再編などをこの短期間でやってのけるなどとは思っていなかった。
彼は、魔族を見下していたのだから。ゴブリンやオークをはじめ下級魔族が多数を占める魔族など、文明の利器により淘汰される下級生命に過ぎないと。
だが実際はどうだ。彼らはココットが逃げ出してから一日と立たずに攻め入ってきた。ココットが再び街を攻めるだろうと予見はしていた。だから警邏にも伝えていた。しかし思いのほか早期の再侵攻により警備態勢は整い切っていなかった。
ココットが自らの軍に合流して軍をまとめるにせよこの短時間は異常だ。元から攻め入る準備をしていなければ、あの幼女……子供ながらまるで壮年の貫禄さえ持つ歪んだ有様のココットですら不可能だろう。
あるいは、魔族軍はココットの帰還を見越していたのか。もしくはもっと別の理由……他に将がいて、ココットは替え玉なのか。
いや、だが……確かにココットの纏う衣装は将軍のものだったし、実際に魔族を従えていたのだからココットが魔将軍なのは間違いはない。後続軍と合流した……? いや、無い。アレハンドロが持つ情報網は確かだ。今の戦争の状態では主戦場があの有様で僻地に割ける戦力など人間も魔族もたかが知れている筈。
それにだ。仮に軍の再編が為ったのだとしてもまるで狙い澄ましたかのような雨天侵攻。本来嫌悪するべき天候の中進軍を強行したのがココットの目論見ならば。
「ココット……偶然なのか? 君が雨天を狙って進攻して来たのは……」
ルイカーナの平野は雨が降ると非常にぬかるみ、馬や鎧を着た兵士の足を奪う。だから雨天時にルイカーナを責めるのは愚策と断じられよう。
だがそれはあくまで人間の範疇。屈強な魔族であればぬかるみなどは踏破してくるものかもしれない。が、問題はそこではない。
アレハンドロの懸念は自分が手ずから作ったはずの銃における弱点。湿気、雨といった火薬を使うが故の欠点を見抜かれたのではないかという物。
だが、だが。
たとえ、たとえ銃が封じられたとしてもアレハンドロの有する戦力は大きい。金で釣り上げ欲望の味を教えた恐れ知らずの腕自慢が黒紫騎士団だ。装備も十分に与えているし、欲望塗れの者は戦いを恐れない。むしろ報酬目当てに競い合って敵の首を集める連中だ。
そう簡単に突破されるわけがない。
「驚かされたよ、ココット。だが……それだけで僕の街に勝てるかなあ……ふふ、ふふふふっ」
「アレハンドロ様!」
笑うアレハンドロに背後から声がかかる。アレハンドロは苛立ちのままに乱雑な返事をしながら振り返れば使用人が青い顔で立っていた。
「ほ、報告が……警備部隊からの連絡で……そ、その……大門が、突破されたと……」
「何、だとぉっ……!?」
一転。アレハンドロの顔が青くなり、同時に額に青筋が浮かんだ。
そして急ぎ庭園へと駆けだし、雨に濡れるのを厭わずに縁に乗り出して大門方面を見やる。
確かに大門は開け放たれ、街の警備部隊が押しとどめようと奮戦しているが、次々と街中に魔族の侵入を許していた。雨の中でさえお祭り騒ぎのルイカーナの街に、赤い点々とした魔族の眼が次々光っている。おぞましい。
「馬鹿な……ありえない……こんな速さで突破を許すはずがない! 奴らは一度敗走した死に体の軍なんだぞ!」
ダン、と拳を握りしめ大理石の塀を殴りつけるアレハンドロ。一体なぜだ。なぜ連中はあんなに士気が高いんだ。今まで見てきた魔族軍と何かが違う。
後から駆け付けた使用人は怯えながらも同じくその光景を見て絶句した。
「ヨーンは何をしているんだッ! 奴には金を払っている!」
「そ、それが……」
「何だ!」
使用人はその問いかけにしどろもどろになり、挙句にはアレハンドロの剣幕と事実に泣きそうになりながら報告をした。
「ヨーン様は、先ほどからずっと戦場に姿を見せていないと報告が……」
「な、にィぃい……!?」
そんなアレハンドロを、庭園の花畑の隅でずぶ濡れになりながら、膝を抱えて自らの体を抱きしめて震えるミオが、ぽかんとした顔で眺めていた。




