#68 心の迷路
その日私は、再びあの拷問を受けていた。
苦しむ私にアレハンドロは笑みを浮かべて冷水をぶちまけていた。
冷水だというのにまるで熱湯をかけられたような痛みを全身に感じて私は悲鳴を上げる。
涙こそ出ないものの苦悶に満ちた眼を覗き込むようにアレハンドロの翡翠色の目が光る。
「まだ諦めないのかね。まったく驚くよ。本当に子供かい?」
「う、うぅ……」
アレハンドロはやれやれと首を振り私の首根っこを掴んだ。
そして無理やり顔を寄せられる。耳元にアレハンドロの顔が近づく。
「君たちがどうやってこの城に侵入したかをずっと調べていた。まさか牢屋の中にあんな穴があるなんてね。水路から来たとはびっくりだ。丁寧に塞いでおいたから、もう使えないよ」
「ぐッ……ちく、しょう……」
「やっと悔しがったね。期待していたんだろう? 魔族の助けを」
否だ。いや、心のどこかではまだ期待していたからこいつの言う通り悔しかったのかもしれない。
しかしさすが私は諦めていない。アレハンドロの嬉しそうな笑みに怒りを滾らせ痛みを堪える。
兎にも角にも私がこの場所から出さえすればいい。クォートラ達が勝手にここに来てくれる期待はしていない。ここに来れるよう私も動くまで。
その準備はアレハンドロの目を盗んでひそかに進めているのだから。
そして、今回も私の耳にまたミオの歌が響く。毎回だ。拷問の最中必ずミオは歌う。お陰でアレハンドロは律儀にも拷問を中断する。
アレハンドロが肩を落とし、もっと遊びたかったのだけれどと名残惜しそうに私から手を離し解毒薬を注射する。
退室したアレハンドロに代わってシアが迎えに来て、お姫様抱っこで庭園へ戻るという流れが出来つつあった。
今日もシアからは血の匂いがした。ミオの歌が響くたび、誰かがシアに始末されている。私の体を支えるシアの腕の袖に赤い血がついていた。
そんなシアに抱えられながら、こいつは私の事を気遣った。
痛いところはないか、だの。ごめんなさい、だの。
そう思うなら私を逃がせと思うが、アレハンドロの命令には逆わないのだという。扱いづらいやつだ。
だが、使い方もわかってきていた。こいつはアレハンドロから受けた命令は絶対に覆さないが、それ以外であればただの子供だという事。
アレハンドロから受けた命令は絶対に私を逃がすなという事と、ミオの歌を邪魔する者は殺せ、そしてアレハンドロに危害を加えようとする者も殺せ、とのことだった。
裏を返せばそれ以外であればある程度自由という事。
私は、私のお願いを聞いてはいけないとは命令されていないだろうと言いくるめてここ数日何度か頼みごとをしていた。大っぴらではアレハンドロに怪しまれるので慎ましやかに。
そのうちの一つは、話し相手という名の情報源。この城からほとんど出たことがないらしいシアは、城の構造についてとても詳しく知っていた。さすがにあの水路に続く穴までは知らなかったようだが、城のつくりや、それだけではなく街の特徴なども私によく語ってくれた。
全ては私という初めてできたらしい友達の為。無垢な心を利用させてもらっている。
庭園につき、ミオが駆け寄ってきて花畑に座り込むように降ろされた私の体をペタペタと触り始める。
そして歯を見せてまるで犬のようにシアに唸り声をあげて見せると、シアは表情を消して一度去った。
暫くしてシアは手に何かを持ってきた。私が頼んで持ってこさせたものだ。
ミオに威嚇されながらそれを受け取ると、私はすぐに広げて眺める。持ってこさせたのはこの街の水路図。ルイカーナは私たちが潜入してきた古い水路の他に網目状の水路の走る街。
しかし水路には魔物が住み着くのを防止するために警備がいるとレコは言っていた。通路には使えない。
だが、流れるものにまでは気はやるまい。
私は何とかして自らの居場所をクォートラ達に伝えられないかと数日思案し、思い立ったのがこの水路を使う方法だった。
庭園から見える景観から我々の陣地がある森への方角は把握している。あの森にも水源が多くある。そして運がいいことに、森があるのとは反対側の小高い山から流れる川の水を街に通し、川は森にまで続いていたのだ。ツイている、と思った。あとはどの水路を使えばいいか、だったのだが今日なんとかシアを説得して持ってこさせたこの水路図によってそれも絞れた。
どの水路を使うかがわかれば後は。
「……シア」
「なに、ココット」
「ありがとう。お前はいい友達だよ」
にこりと満面の作り笑いを浮かべてやれば、シアはぱっと顔を輝かせた。ただでさえまともな話し相手もいない生活だったのだろうが、本当に疑う事を知らないやつだ。私を本当に友達だと思っている。
特に本人はミオとこんな有様だから余計に、だろうか。暗殺者として城の中でも恐れられ忌避される存在。殺しを覚えさせられても、寂しさは感じるらしい。アレハンドロも酷なことを。こいつもどこか私と似ていたかもしれないな。
しかしこいつのアレハンドロへの忠誠はもはや洗脳と言っていい。私の言葉でも頑なにアレハンドロへの背信行為は拒否された。ある日はついに踏み込みすぎてしまった私に対して、これ以上は殺すしかなくなると釘を刺された。うまくいけばこいつを引き入れられるかとも考えたが、その線は完全になくなった。まあ、ゾフとツォーネが許しはしまいが。
即ち、利用するだけした後は、こいつはルイカーナを落とすうえでの障害となるという事だ。
だからこれはきっと、最後のお願いになる。
「シア、頼みがある」
「なあに、ココットっ」
「これを、この水路に流してほしい」
「これを?」
「ちょっとしたおまじないだよ。そうだな……あとで意味を教えてやる」
私のおまじないと、それを教えてやるという言葉にシアはひどくうれしそうに笑うと、私から受け取ったそれをまじまじ眺めた。
新しい遊びだと思っているんだろう。本当、子供だな。指定した水路に繋がる場所は城に詳しいシアがすぐ分かったらしく、快く承知してくれた。
「じゃあ、ながしてくるね。またあとでごはんもってくるからね。あとできっと、おしえてね!」
それを持ち駆けていったシアに笑顔で手を振ると、私はどっと花畑にあおむけに体を倒した。拷問のおかげで大分やつれた気がする。
ミオが心配そうな声色で私の顔を覗き込んだので、心配ないと笑ってその包帯だらけの頬を撫でてやる。首をかしげながら私の顔をぺたぺた触っていたミオはおもむろに私の頭を持ち上げると自分の膝の上にのせた。
ああ、膝枕というやつか。お姫様抱っこ並みに気恥しいが、不思議と心地がいい。なぜか温かい気持ちになり、安らいだ。拷問で疲弊しているからかもしれないが、ミオの存在は今の私にはありがたかった。敵意もなく、私を陥れることもない。警戒する必要も余計な頭を使う必要もない。心を意図的に壊された無垢さとはいえ、私には安堵の理由になった。誰かとこんなに触れ合ったのなど……レイメ以来だ。
胸に光るレイメの聖石のネックレスを握りしめて、私は深く息を吐いた。安堵など、本来する状況ではない。しかし、ミオは……何かが違う。ミオとの戯れはいつしか私の安楽に至っていた。
だが、状況を打開しない限りは仮初の安寧。私の望みはファルトマーレの壊滅。受けた痛みを何倍にもして味わわせる事にある。腑抜けてなどは……いられない。
安穏の中に確かな憎悪を認めた私は、体の疲れに耐えかね、ミオに膝枕をされながらゆっくり眼を閉じた。クォートラ達が健在であり、あわよくばアレが彼らのもとに届くことを祈りながら。
♢
私は、夜の帳が落ちた頃合いで水浴びに来ていました。
村では魔族たちが作戦会議で忙しそうにしています。ココットを救い出す作戦の話し合いは数日もかかり、現在も有効な作戦がたてられていないようでした。
そんな中、私はあの日ココットが襲われた場所……シンの村近くの湖に来たのです。
見張りという見張りもなく、今私の存在は彼らにとって軽視されているのがわかりました。どうでもいいといった風なのです。それで何度かゴブリン達が私の押し込まれていた部屋の窓から私を見ていたこともあり、あの場にいるのが不安になったというのもあります。
そうしたこともあり、身体も少し埃っぽくなっていたからと感じて、魔族に言ってここに来たのです。
ココットに身を綺麗に勤めるようにと命じられていたのは魔族の周知でもあったようで、苦い顔をされながらも許しが出ました。
私は岸で衣服を脱ぎ畳み、泉の中ほどまでやってきて体を水で流していました。
小さな滝がある泉。水しぶきが薄く霧となり、月明かりに照らされて輝く場所。
あの日、ココットが襲われた場所。そう考えれば無警戒もいいところだったかもしれないですが、私を守るものは何もないのだから変わらない。
少し、荒れていたのです。
身体を流しながら私は耽っていました。ココットのこと。
魔族たちは生きていると信じている。でも、ファルトマーレの教えたるユナイル教において、悪魔の相を持つ子への風当たりは強い。ましてそれがルイカーナの領主暗殺を企てていたのだとしたらなおさら。
間違いなく、死罪。
そう考えるたびに、胸が少しきゅっと締め付けられるのです。
いい加減自覚しなくてはいけません。
私は、ココットがいない事に落ち着かないでいるのです。
あんなに憎かった相手。
今も……憎い。憎いはず。
だけど彼女を心配してしまっているこの気持ちも嘘ではないと分かってしまっている。あの、チックベルというハーピーの言葉で、私ははっきりと自覚したんです。
「心配……か」
でもなぜ。わかりません。
ココットは父セグンの間違いなく仇であり人類の、ファルトマーレの敵。
私の生活を奪った、小さな幼女。
悪魔の相を持ち母親をファルトマーレに殺された子。
それは私と、同じ。
だからって、奪われたから奪うなんて、許せるわけありません。
だけど彼女はあの冷酷な表情の裏に、私より小さなあの手に、胸の中に。年相応の悲しみを抱えている。
許していない筈の相手。それを心配だなんて。自分でもおかしいと思います。
だから、わからないのです。自分がなぜ彼女を心配しているのかを。
同情? そんなもの彼女は望んでいない。それに、何か、違う。
私、キエルは頭を抱えて夜の湖で一人苦しむ。
そこへ、足音が聞こえてきました。目を向ければそこには……クォートラが居ました。
私を睨むような眼を向けながら、湖のほとりに立っていました。
「……見張りの魔剣士から聞いた。水浴びに行くと。本当にいるとはな」
その言葉にはどこか驚きが含まれているようでした。
私は思わず腕で胸を隠しましたが、その意味が分からずに首をかしげました。それを見たクォートラがため息をつきながら言います。
「今俺たちは会議で忙しく、お前に構っている余裕がない。故に、お前は逃げることもできたはずだ。監視もなく、俺たちはお前を探し出す面倒をする頭もなかった。お前が姫のものでも、姫自身が俺たちにとって最優先だからだ。お前にとっては絶好の機会だった。なぜ逃げなかった?」
クォートラの言葉を聞いて、何を言っているのかと一瞬呆けた私ですが、すぐにはっとしました。
「そっか……私、逃げられたんだ」
逃げる、という考えが今まで自分の頭の中に全くなかったことに気づいて、私は更に困惑しました。
逃げようと思えば逃げることもできた。そんな機会に、私はココットの心配だけをしていたというのです。
そして、ふと私は顔を上げてクォートラを見ました。逃走を意識させてしまったと、焦ったのです。しかし。
「姫は生きている。死んではいない。故に姫の命令は生きている。お前を傷つけるものはいない」
「彼女は……いえ、彼女をそうやって信じられるのはなぜですか? 魔族のあなたが、人間の彼女を」
クォートラは私の問いに、またそんなことを聞くのかと呟き、苦笑したように見えました。
「信じたいのだあの娘を。あの方を。かの憎悪はお前の知るところでもあろう。だが憎悪だけで姫のような幼子があそこまでの度量を得るかと言えば違う。魔王様のお眼鏡にすら叶って、魔族を率いる人間などという前代未聞を為すかといえば、断じて違うのだ」
「それは……」
「姫は……歪んでしまわれているのだ。俺のように人間を恨む気持ちが同じだからこそ、あのような娘にこれ以上抱えさせるのは忍びない。故に、復讐は為されなければならない。ましてこのような状況になってしまったのは俺たちの落ち度。彼女の無茶を止められなかったのだ。必ず生きてお戻りいただかねば、埋め合わせもできぬ」
そう語るクォートラの様子は悲しげで、本当に悔やんでいる様子で。私はつい、余計な一言かもしれなかった言葉を呟いてしまったのです。
ココットはきっと、あなたたちの存在を大切に思っている筈、と。
無責任に。
こういうところが、ココットからすれば許せないのでしょうね。あの日彼女の怒りを買ったのも、無責任に目の前の悲劇に勝手な同情をしたから。
わかっている。分かっている筈なのに。
そして今の一言もココットと同じように怒りを買うのだろうと。いや、あの時よりもひどいかもしれない。相手は魔族なのですから。
でも、クォートラはしばらく絶句し、私を見た後静かに目を閉じたのです。
「……魔族を気遣うとは」
それは、穏やかな声色で発せられたものでした。
それに、今度は私が面食らって驚いてしまったのです。私は、てっきり。
そうして目を大きく開いて驚きと自問自答に暮れる私を一瞥し、クォートラが鼻を鳴らしました。
「おかしな人間だ。だが、姫にはお前が必要かもしれん」
「っ……どういう、意味です?」
「姫の憎悪の写し鏡であるというお前だが、姫はお前に別の何かを見ている気もしている。特に最近はな。こんなことを俺自身言うとは思っていなかったが」
クォートラがそういって私を見る視線に、違う誰かが映っているような感覚。ココットを思いながら別の誰かを……確かクォートラは娘がいたと。
彼も、ココットに何かを映しているのでしょうか。いや、そうなのでしょう。彼は言いました。もう失えないと。
それはきっと、娘とココットを重ねているから。
そして、魔族にそこまでさせるほど、ココットの苦しみが深かったという事。彼女は一体、どんな生を歩んできたのか。母を奪われた。奴隷……いや、家畜同然に扱われた。
どれも言葉では理解しても、彼女の理解には至れない。きっと、クォートラもそうなのでしょう。
だけどココットも私に何かを映しているかもしれないと言った言葉。それが一番の驚きでした。憎悪の写し鏡以外に彼女が私に何を求めるというのでしょう。
私の驚いた顔を察したか、クォートラは頭を掻きながら背を向けました。
「……くだらん。人間にこんなことを言うとは……」
「あの……」
「……姫の救出作戦会議は難航している。姫の現在の居場所も、状況も不明なのだ。再び城に潜入する作戦も立案されているが、警戒網が厳しくなっている筈。居場所さえわかれば……」
そう言ってクォートラは歩き始めました。
クォートラの話を聞いて、私は俯きました。湖の水を掬い上げ、顔をぱしゃりと濡らします。冷たい水が沁みて、さっぱりとして。それでも胸のもやもやがわからない。
だから、もう一度彼女に会いたい。会わなくてはならないのです。例え敵を助けることを望むようであっても。
偽善かな、とも思います。今更都合がよすぎるとも。きっとココットは怒るでしょう。今更綺麗事をと。我が身可愛さで取り入るつもりか、と。
それでも既に一度は彼女を選んでしまった。それは後悔したはずなのに、こうして今もまたココットを選ぼうとしている。
それがどうしようもなく苛立たしくて、どんどん彼女の事を考えて。
それは、あの日彼女の涙を見てから……なのかな。
だけど、一瞬ルクさんが私に言った言葉が頭の中に響いて。
『うら、ぎりもの……』
「私は……」
と、私もクォートラへ背を向けて、肩まで湖の水に浸かったところで、ふいに小さな滝に目を向けて。
なにか銀色にきらめくものが湖へと流れ落ちてきたのです。
滝の勢いに飲まれて一瞬沈んだそれはやがてぷかりと浮かび上がり、滝からの水の波紋に乗せられてゆっくり私の前までたどり着きました。
私はそれを手に取り、眺めて。目を見開いたのです。
そしてはっとして私は立ち上がり振り向くと、森の闇に消えかかっていたクォートラの背中に思わず叫んでいたのです。
胸のもやもやも、ルクさん達の声も。何もかもを、身勝手に忘れて。
「クォートラ、さん! 生きてます! 居場所が! ココットの、ココット様の居場所が分かるかもしれません!」
クォートラが私を振り返り驚いたような顔をして走ってくる中、私は手に握られたそれをじっと眺めました。
藍色の花。そしてその茎に縛り括られた……見覚えのある白い髪を。




